地獄と一括りにするとそれはもう1つ別の世界であると言ったほうが良いほど広い。
まるで私たちがいる世界と表裏一体のように、その世界は広がっている。
その中でも最も大きくそして複雑なのが、私達が今立っているこの地獄だ。
「ようこそ地獄へ。貴方達を歓迎しますわ」
のりと雰囲気任せの軽い口調で地獄の女神はそう微笑んだ。
というより半分面白くて笑っていたと言った方が良いだろうか。
「……強引に地獄に落とすのって流行っているんですか?」
状況を飲み込めなくて思考停止しているお空とお燐。
状況を飲み込んではいないけれど楽しそうなことだからと目を輝かせるこいし。
状況を理解した上でただ見つめるだけの私。
さて状況整理
さっきまで家でのんびりしていたはずなのに気づいたらここに飛ばされていた。以上。ほかの3人も基本的にはそんな感じだろう。お空が服を脱ぎかけだったけれど何かあったのだろうか。確か今日は灼熱地獄の温度管理に行っているはずなのに。まあいいや…暑くなって脱ごうとしていたのだろう。
そこまで思考して…周囲を見渡してふと思う。あーうん確かに笑いたくなりますよね。でも『一番のお気に入り』がリアクションを全くしないからか少し残念がっている。
「どんな反応するのか楽しみだったのよ?少しくらい反応しなさいよ」
「とは言いましても月に地球に地獄に女神として君臨していることを思えばそういう感情など沸き起こるはずもなし。予測の範疇に含まれてしまうと何やら寂しいものがあります」
「それ半分嫌味でしょ」
ええ、半分愚痴感覚の嫌味ですよ。ダメでした?
「そ、そんなことよりもさとり、これはなんなんだい?」
「地獄に連れてこられただけですよ」
ただそれだけ。なのにそれを聞いたお燐が取り乱し始めた。
逆にお空は里帰りしたみたいな気分になっているようで、すごく懐かしんでいる。
「私以外は皆予想通りの反応でしょうかね?」
「ええ、狙い通りの反応よ。貴女以外」
私の表情は硬いですからね。能面みたいなことになっている表情でここまで困るとは……
相手が女神なだけあって下手に刺激したり不快な思いをさせたらその場で存在を抹消されかねない。
それほどの存在なのだ。だからあまり目立ちたくないし反抗もしたくない。
できればこいしの方に仕掛けて欲しいんですけれど…そっちの方が反応も楽しいし私みたいな無表情ひねくれじゃない分可愛げもありますし。
「……まあ地獄を案内してくれるのならお願いします。私はここで待ってますから」
「どうしてよ貴女も一緒よ」
「そうだよお姉ちゃんいっしょに回ろうよ!」
こいし、どうしてそっち側に着くのよ。まあ貴女が楽しそうな方に身を投じやすい…というかこういう時に面白そうな方に肩入れするのは知ってるけれど。
「さとり様一緒に回りませんか?折角の里帰りですから…」
「お空に言われちゃ仕方がないわね」
「「手のひら返しがひどい‼︎」」
失礼ね。お空は純粋に私と見て回りましょうと言ってくれたのよ。
いたずら半分面白いものを見よう半分の邪推な心とは違うの。
最初からふざけないで地獄を案内してくれれば良いんですよ。
「あとで獄中曳き回しね」
地獄引き回しの刑に処された。解せぬ……
「これ…あたいも一緒に行かないといけないんですか?」
この状況で1人抜けをあの2人が許すとは思えないわ。諦めなさい。
そのとたんお燐は黒猫の姿に戻り、こいしの頭に飛び乗った。
「わわっ!お燐危ないってば」
(ここにいることにしますね。そうすれば一緒に回れるでしょう……寝ますけれど)
寝る気満々じゃないの。
「重いなあ……」
(猫は重いんですよーだ)
なに喧嘩してるんだか……
「女神様を置いてきぼりに…いい度胸ね」
ひれ伏して謝った方が良いですか?え、怒っているわけではない…良かったです。
「ねえねえ女神さん!今日はどこを見て回るの?」
「そうね…私のお気に入りの場所!きっと貴女たちも気に入ってくれるわよ」
あの…目が怖い。というか笑顔の圧が怖いんですよ!
なんで顔近づけてくるんですか!
いやいやいくらなんでもやり過ぎですよね!
「気にいる場所かあ……私は灼熱地獄以外お気に入りの場所はなかったかなあ…」
お空…それとこれとは違う気がする。
気に入ったら最後じゃあ一緒に組まないと言ってくるところまでが定型ですから。
「それじゃあ行きましょう」
へカーティアが指を鳴らす。途端に周囲の風景が地獄の入り口のような場所から一転、建物のような所に移動していた。
回廊のど真ん中。木製の床からひんやりとした冷気が足の裏に伝わってくる。
いつのまに靴を脱がされたのだろう……
「最初はここね」
「ここどこ?」
へカーティアの言葉にこいしが真っ先に反応する。
「時の回廊」
「お姉ちゃんそれは違う。過去とか未来に行くやつじゃないから」
わかってはいるけれどやりたくなってしまうのが私なのよ。
「さとり様時の回廊ってなんですか?」
「ただの戯言よ」
実際戯言ですからね。でも時に関する事象というのは実は幻想郷にもあったりするのだけれど。
「面白い事を言うじゃない。だけど残念!ここは大叫喚地獄と焦熱地獄の接続点よ」
物騒すぎる接続点じゃないですか。
じゃあこの襖のようなものが並んでいるこの左右は……
「向かって右が大叫喚地獄。左が焦熱地獄よ」
うわ…なんだかすごく嫌だ。やっぱり地獄で働くのはやめようかなあ…
「面白いのここ?」
「どっちの地獄にも行けるし一番娯楽が集中しているのもここら辺なのよ」
一本道の回廊でここら辺って…空間がネジれているのかあるいは襖を開けたらどこかにつながっているのかそういう感じなのだろうか。
ってこいし?その襖を開けたいの?
へカーティアが気まずそうにしているからやめなさい。
「……えっと…ここ来たことあるような…でも思い出せない」
お空も来ていたってことはいろんなヒト達が来る場所なのだろう。
しかし…襖から漏れるへんな気はなんでしょうか?生者としては関わりたくないもののように思えるのですけれど…
お燐はどう思……寝ている。早すぎない?
「……娯楽に行く襖はどれですか?」
「どれだったかなあ…確かあれだったような気がするわよ」
なんで貴女が覚えていないんですか!安心できなくなりましたよ!
「お姉ちゃん、ここはもう行くしかないでしょ!」
こいし、そんな突っ込み方はやめて!お願いだからああ!
しかもお空に開けさせようとしちゃダメよ!さっきの行くしかないでしょはなんだったのよ!
お空が思いっきり襖を開ける。だけれど、襖の先は完全な暗闇で何も見えない。どうしたらいいかわからなくなるお空。
「……変t…へカーティアさんこれは?」
「えっと……開ける襖間違えちゃった」
てへぺろと誤魔化そうとする女神にただ呆れてしまう。
というかあの真っ暗闇は一体なんなのだ。
「そっちは焦熱地獄に行く道よ。奥の方から怨霊のうめき声が聞こえるでしょう」
「確かに…さとり様、聞こえてきます!」
ある意味恐ろしいじゃないの!
地獄の亡者の声とか聞きたくないわよ。地獄らしいかもしれないけれど!むしろ地獄に娯楽があるって方がおかしいかもしれないけれど!まさかこれを娯楽にしてと?
どうしてへカーティアさんは汗をかいているんですか?ここ涼しいですよね?
「お姉さん他にはどんなのがあるの?」
なんでこいしは嬉しそうなの?まさか亡者の叫び声聴き入っちゃった?
「うふふ!じゃあ他のところも聴きに行く?」
「わーい!」
勘弁してくださいよこいし。
「ふーん、それで丸2日も空けていたっていうわけね」
「まあそうなりますね…二日経っていたなんてびっくりなんですけれどね」
私に向かい合うように座りお酒を煽る靈夜さんはさもめんどくさそうなやつに絡まれたねと同情の目線を送ってくる。
貴女も貴女である種のめんどくささはありますよ。
人がいない合間に人の家に入り込んでいたんですからね。
不法侵入罪で刑に処されますよ?
まあ、そんなことはしないんですけれど。
「だってせっかく遊びに来たのにいないんだもん。後あんたの部屋埃積もってきてたから軽く拭き掃除しておいたわよ」
それでチャラにしろと…別に良いんですけれどね。
ああ…そういえばお酒代はどうするんですか?
なんて思いついたから少しだけからかってみる。
「お酒代の方をお支払いくださいな」
「はあ?お金取るのかさ!」
「冗談ですよ」
「ったく…変なこと言うんじゃないわよ」
不機嫌そうに靈夜さんは拳を振り回す。危ないから暴れないでくださいとは言わない。だけれど危ないのには変わりはない。
「それで、その女神はあんたをどうしたいと思っているの?」
「多分手駒にしたいんでしょうね。それから遊び相手」
「手駒に遊び相手ねえ…面倒なことこの上ないわ。あんたも災難ね」
他人事…実際他人事ですからね。
いつのまにか二本目の酒瓶を開けていた。少し飲み過ぎじゃないですかね。
「あの…それくらいにしておいた方が……」
「大丈夫よ!仙人になって酒は強くなったから」
仙人になったからって酒に強くなるはずがない…うん。でも今まであってきた仙人はほとんど大酒飲みばかりでしたね。
「それにねえ!私はあんたのアホさに少しイラついているのよ!」
「私ですか?確かに馬鹿ですし嫌われていますけれど……」
「そういうところよ。あんた、この前も派手にやらかしていたそうじゃない」
この前…ああ、結界に反対する奴らとか無差別に人間を食らう妖怪の始末とか。
でもそれがどうしたのだろう?
「もっと体を大事にしなさいよ‼︎毎回大怪我してるじゃないの」
そうでしたっけ?すぐ回復しちゃいますしもう覚えてなんていませんよ。
「こいしだって心配してたわよ」
「とは言っても…私の戦い方はもう変えられません」
「そんなにあんたは自分が嫌だ?」
どうしたのでしょう…お酒のせいで少し性格が変わってしまっているのでしょうか。
「さあ…少なくとも11点の評価を下す程度には素晴らしい体だと思っていますよ?使い勝手もいいですし」
吸血鬼並みの回復力を持ち心を読み行動を予測し更には記憶の再現までできてしまうのだ。
これで使えない体なんてことはない。それと能力が好きかとか嫌われているとかそういうものはまた別の問題だ。嫌いであってもこの能力とは付き合っていかないといけないですからね。
「それ何点満点の?」
「10点満点で」
「分かった…少なくともあんたにとって便利なのは分かった」
何かを悟ったような表情で靈夜さんは顔を伏せた。
諦めた…というより何かを決意したと言う感じですね。何を決意したのでしょうか…
「わかっていただけて何よりです」
「でも見てるこっちの身にもなりなさいよ。知り合いや友人が大怪我する瞬間なんて何度も見たくないわよ」
「まあ努力はしているんですけれど…帰ってこれなくなりよりかはマシかなと思ってつい……」
それでも後百年ほどで殺し合いを極力なくす決め事が生まれるはずだ。どうにかそれまで生き残れれば…私の戦いもほぼなくなるはずです。だからそれまでの辛抱ですよ。
「もう何も言わない!勝手にしなさい」
そうさせていただきますね。
あ、おつまみ要ります?話し込んでてすっかり忘れていたのですけれど。
「一応もらうわよ」
河童からもらったきゅうりの酢漬けです。
「……随分と手の込んだものを」
お酢って結構貴重ですからね。あ、私が作ったわけではないですよ。
地底で鬼が作っていたのを少し買ったんです。
「あら美味しいじゃない」
気に入ってくれたようですね。ああ…お酒のお供として食べているからそう感じるだけかもしれませんけれど…
「うん、ご馳走さま…私はもう帰るわね」
そう言って帰り支度を始める靈夜さんでしたが、どうにも足元がフラフラですしまっすぐ家に帰れるか不安で仕方がない。
「あの…今日は泊まっていったら…」
「え⁈じゃあさとりの部屋で寝るわ!」
急に立ち上がった靈夜さんが私を抱きしめてドカドカと音を立てて歩き出す。
さっきまでのふらふら具合はどこへ行ったのやら…足取りはしっかりしている。まさかこれを狙った?でも靈夜さんがそんなことするわけないし…でもどうして私を一緒に連れていくんでしょうか?
「あんたは鈍感だからこうでもしなきゃ分からないでしょ!」
「こうされてもわからないのですけれど……」
全く自体が把握できない。取り敢えずお皿と盃を洗いたかったのですけれどそれすら許してくれる様子はありません。
困りましたねえ…というかこれはまさか私を抱き枕にして寝るつもりなのでしょうか…
次の日の朝、お酒で爆睡していた靈夜は昨日のことを何も覚えていなかった。