山の中でもあまり立ち入らない領域というのは存在する。それはどこからどこまでとかそう言う区分はなく、なんとなくこっちに行ったら危険だなというそんな感じのもの。
なにかがあるからみんなが避け、そこは生き物を近づけない領域になる。立ち入って何があるとかそういうのは分からないけれど、良くないことが起こるだろうなと本能は警告する。
その空間に私達は足を踏み入れている。
天狗達がここを指定していたというのもあるけれど、それと同時に少しこの領域に興味が湧いた。
背中を冷たい風が通り抜け、一瞬だけ本能が何かに揺さぶられる。
「さとりさん、どうしたのです?」
「……いえ、なんでもありません」
なんででしょうね…こいしの殺気を感じたのですが気のせい…いや、気のせいではないわね。
ふむ……なんでしょうかこの感じ。殺気…なんですけれど少し感じ方が違うような……でもこれ自体は何度か感じたこともあるから何も変わっていないというのはわかる。じゃあこの違和感は……
「ああ、私自身か」
「何がですか?」
「なんでもないわ。ただの独り言」
結局そういうものなのだろう。
天狗達の声が僅かに聞こえてくる。それと同時に風上から匂ってくる妖怪の匂い。
そっちの方に足を進めてみれば、やはり天狗達が4人固まっていた。どうやらこの方達がミスティアさんを呼び出した本人達のようだ。
なるべくこちらの居場所がばれないように隠れながら見守る。
まだミスティアさんは来ていないようだ。
ここで全員痛い目見てもらうのも良いのですが…それをするとこいしが怒りそうですし得策ではない。
「あれ、退治しないんですか?」
「数的に分が悪いですし今回、貴女は見ているだけよ」
声を潜めてそう返す。
そうこうしているうちにようやく本人が来た。
いつもの服装よりもやや暗いせいか闇に溶け込みやすい。
迷彩としては成功していますね。
それと……
「こんばんわ。天狗のお兄さん達」
ミスティアさんと並ぶように飛んでいたこいしに天狗達が動揺する。
想定外だったようね。でもあんなに動揺したらこちら側の思う壺よ。
想定外があっても絶対に動揺したり不安になってはいけない。
常に平常でいる。そして素早く状況に対応するのが大事です。
あそこでヒソヒソ話あってもダメですからね。
「2人だけで対峙する気か?」
ああ…言ってくれましたね。半分こちら側がミスリードしたようなものですけれどその言葉を言ってしまったらねえ……
「もう1人いるよ」
それじゃあ舞台に上がりましょうか。華恋にここで待ってるように言って彼らの元へ歩き出す。
草木が踏まれる音でようやく私の存在を認知したのか天狗達が一斉にこちらを見つめる。
「どうも、ご指名にあやかりまして舞台に上がりました。古明地さとりと申します」
私の言葉で更に天狗達はさらに動揺する。
どうしてそこまで動揺するのか……理解に苦しみますね。
でも自分より弱い妖怪相手にこんなことしてる連中ですからねえ…
私が格上と言うわけではないですけれど人数が増えたら厄介なのだろう。
「それで……ミスティアさんはどうするんですか?」
私やこいしが何を言ったところで結局決めるのは大元の原因である貴女である。
さて、どうするのでしょうね。
「それはもう決めてるよ!ね、ミスティアちゃん」
「え…ええ。一応は」
既に想定済みでしたか。
では2人が動いてからにしましょうか。私はいてもいなくても変わらないと思いますし。要は保険というわけです。
天狗達が何やら怒り出した。
ふざけた会話をしているんじゃない、ですか。なるほど……ふざけてるのはそちら側なのですけれどね。
「それじゃ、始めちゃおうか」
こいしが笑いかける。行けという事だろう。
私は今妖力を使うことができないのですけれど…無茶をさせる妹ですこと。
そもそも私は保険であったはずなのですが……
こうなっては仕方がない。最悪ミスティアさんも手伝ってもらいますからね。
短刀を抜き相手へ向ける。
私が攻撃体制に入ったのを理解したのか4人が一斉に動く。動きの筋は悪くない。
散開とそれぞれのポジションへの移動。なかなかね。
でもそれは個々の連携が取れていないとダメである。
地面を蹴り飛ばし加速、私に一番近い位置にいた天狗の羽を斬りつける。
黒い羽と紅い液体が宙を舞う。
苦悶の表情を浮かべた天狗ですがすぐに体制を立て直し私を殴りつけてくる。
その手を躱してもう一度斬りつける。今度は肩。
流石にここまでやれば他の天狗が援護に来る。この天狗を盾に利用しながら距離を取る。
さて残るは……1人?ああ、2人はこいしにぼろぼろにされたのね。無残な姿がミスティアとこいしの前に……死んではいないようですけれどなんだか裸にされているせいで可哀想に見えてきた。
とかなんとか意識をそちらに向けていれば当然私に向かってくる刀に気づくのも少し遅れるわけで……
咄嗟に短刀で天狗の剣を防ぐ。
火花が散り体重差で私の方が飛ばされる。
体勢を戻し距離をこちらから詰める。今の状態では圧倒的にこっちの方がリーチが短い。
近づかれないようにと弾幕で向こうも進路を塞ごうとする。
だけれど精度が良くないのか私の周囲に着弾するものはあっても私にぶつかるものはない。
相手の顔が恐怖に歪む。今更遅いですよ。
刀を持つ手を素早く斬りつけ同時に脇腹に蹴りを叩き込む。
結構あっさりですね……もうちょっと戦えると思っていたのですけれど。でもまあ、早く終わってくれるのは良いことです。余計な疲労を体に溜めなくて助かります。
「さすがだねえ……」
「そっちの方が流石よ……裸にひん剥くのはどうかと思うけど……」
「ひん剝いたんじゃなくて服が千切れちゃったの」
それは災難ですね。まあ仕方がないといえば仕方がないですけれど。
「それじゃあ…後は好きにしなさい」
「そうするよ。それじゃあ……そこで見ている子によろしく言っておいて」
こいしが笑いながら私の後ろの茂みを指差す。どうやら興味本位で近づいてしまったらしい。
こいしに指摘されたことで諦めたのか華恋は立ち上がる。
「どうも…博麗の巫女です」
「うん知ってるよ。でも手は出さないでね」
こいしの言い方に一瞬不機嫌な表情を見せるものすぐにいつもの顔に戻る。
「ええ、面倒なことはお互いのためになりませんからね」
「流石だね!私もここに来たことは秘密にしてあげるからね」
そもそも秘密にしたところで何がどうということではないのですけれど…まあ本人達が納得してるならいいか。
「それで…この天狗達はどうするのですか?このまま裁いたら天狗側が黙ってませんよ」
「分かってるよ。だから流石に命までは奪わないって」
そう言うとこいしがサードアイを取り出し4人にかざす。
その瞬間天狗達は一斉に叫びとうめき声…さらには言語にならない言葉を発し始めた。その不気味な光景に華恋の顔が青くなっていく。
「1時間くらいで治るはずだから放置していても良いよね。それじゃあミスティアちゃん。帰ろっか!」
「え⁈あ……う、うん」
天狗達に気を取られていたためか少し気が動転していますね。
後でちゃんとフォローしておいてくださいね。
こっちもこっちで誤解を解いておかないといけませんし。
「華恋、帰るわよ」
「え?もう帰るんですか?」
ここに居ても気分が悪くなるだけよ。本来この領域は踏み入れちゃいけないのだからね。
でも…あの天狗達をこのまま置いておくわけにもいかないか……
「……それじゃあそこの天狗をまとめて安全なところまで連れて行きますか?」
「どうしてどこまでしないといけないんですか」
「じゃあ戻るわよ」
神社に帰る途中で肩にお空が乗ってくる。
ずっと待っていたようだ。
お礼を込めて首元を撫でてあげれば気持ち良さそうな声を上げる。
ついでにと天魔さんに先程の天狗達を回収してほしいとの手紙を渡してくるように頼む。
任せたとお空は張り切って夜の闇に溶け込んで行った。
「あの鴉…夜も飛べるんですね」
「お空は……飛べるわ」
大丈夫…あの子は強いから。
ことの結末と言うのは想定していたものよりもあっさりしていて、それでいて禍根が残らないものだった。
事前に天魔さんに連絡していただけあってその後の対応は早く4人の天狗は無事に向こうが回収した。
ただし精神の方は無事とは言いがたく、少しばかりトラウマになっているらしい。
特に弱者を弄ぶ行為にかなりの抵抗があるらしい。まあ、普通に人生を歩んでいたらそのような行為はしないだろうから大丈夫。
それに本人達も若さ故の過ちらしく相当反省していた。
余罪については私もこいしも関係ないし天狗の身内問題なのだから特に言及することはしない。
したところで裁くのは四季映姫さんであってそれは死後の話。
「へえ……あのあとそうなったのね」
私の話を聞きながら、華扇さんは葛餅を口に運ぶ。
靈夜の修行は今日だけお休みらしく。暇を持て余した2人が揃って博麗神社に来たのが半日ほど前。そこから靈夜が華恋と修行をすると言ってから2時間ほど経っている。
「まあ…結果としては良かったのですけれど」
「あんたの妹はどんなトラウマを見せつけたのやらねえ」
「それは私にもわかりませんよ」
分かってはいるけれど、あまりトラウマを穿り返すのは良くない。後からこいしに聞いた話では、精神を壊す直前でわざとやめたらしい。
「でもこいしでよかったんじゃないかいら?」
「それってどういう意味です?」
「だってさとりなら多分やっちゃってたでしょ」
そう言いながら彼女は葛餅に爪楊枝を突き刺した。それで察しろと…まあ察しましたよ。
「失礼な…私は精神を壊すくらいでやめますよ」
そこまで鬼じゃないですからね。
「いやいや、十分鬼よ!」
どこがです?精神なんて壊してもすぐに治せますから。発狂して自殺される方が余程鬼ですよ。
「あんた…それだから恐れられるのよ」
うーん…よくわからないですね。
首を傾げていると、ため息をつかれた。
「……それさえなければねえ」
それさえなければ…一体なんなのでしょうか。
だけど気になったことを疑問にする前に襖が開かれる。
「ただいま」
そこには靈夜と華恋がいた。なぜか華恋の方はボロボロになっていて少し汚れていた。
明らかに様子がおかしいですね。
「おかえりなさい………妖怪と戦いました?」
「あらご名答。一応理由を聞いても良いかしら」
疲れ切っているのか喋る様子のない華恋に変わり靈夜が聞いてくる。
別に…大した理由でもないんですけれどね。
「その土汚れは少し赤みがかかっていてやや粘土質ですね。でもそのような土は神社周辺にはない。似たような土があるのはここから少し離れたところ…わざわざそんな所に行ってまで修行をするのは常識的におかしいですし、靈夜ならもっと相手を優しくしますからそのようにボロボロにはならないはずですよ」
「あら、見てきたかのような言い方ね」
状況証拠から簡単に結末を想像しただけですよ。
「ふうん……それで、大丈夫だったの?」
華扇さんが華恋を抱き上げながら問う。
「大丈夫…です」
「私も居たんだから安心しなさいよ。ちょっと実戦経験を積ませてあげようと思ったんだから」
悪びれもせずそんな事を言う靈夜。私より彼女の方が余程鬼畜だと思うのですけれどね。
「だからって…天狗相手に戦うんですか?」
「どうしてわかったのよ」
「だって華恋の傷…それは刃物や鋭い爪で引っ掻かれたものとは明らかに違う…何か恐ろしく早いものが擦れた時に出る擦過傷ですよね。それも木とか腕とかじゃなくて結構大きいもの。だけど質量がないようね。当たった後に威力が分散しているから継続的に傷が付いていない。そのような独特の攻撃を行えるのは風…それも鎌鼬とかではなく風そのものを利用する方。ここら辺では天狗だけです」
「あんた…探偵にでも転職したら?」
それ良いかもしれませんね。
そんな冗談はさておき、華扇さん、傷の手当てをしますから華恋をこちらに渡してください。
後風呂の用意をしないといけませんね。疲れているでしょうし……
「風呂の準備は私がやってくるわ」
そう言い捨てて靈夜は部屋から出て行った。
「このくらいの傷…平気ですよ」
「ダメですよ。肌に傷跡が残っちゃうじゃないですか」
汚れてボロボロの服を脱がし、一時的に浴衣に変える。それと並行して傷口の消毒を行なっていく。
見た目に反して服の中は切り傷が多い。これも風を操る事で起こる一種の特徴のようなものです。
妖気を含んだ突風の場合は普通の風邪とは違って動きが複雑怪奇な事になる。それが服の隙間に入り込むと乱流となり真空波が生まれてしまう。一種の鎌鼬のようなものです。
「……随分傷だらけね」
「華扇さんの場合はこの程度の傷すぐ治っちゃうので気づかないだけだと思いますよ」
「それもそうね」
話しながらではあるが手当てを止めることはない。
結局手当が終わった頃には包帯が体のいろんなところに巻かれてた華恋の姿があった。
「なんか大げさな気がするのですけれど」
一番怖いのは破傷風ですからね。ちゃんと消毒しておかないと、大変なことになってからでは遅いのですよ。
「過保護ねえ……」
華扇さんだって似たようなものだと思いますよ?
「私はさとりだ……なんでもないわ!」
……?一体何を言おうとしたのですかね。
「少し動きづらいです」
我慢してください。明後日くらいには治りますから。