恋姫†演義   作:アロンソ

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第二話 双龍の交わり

 

 一説によると漢代の識字率は出自を問わず、高い水準であったと言われています。

 

 前漢は武帝の時代に本格的な教育機関が置かれたのが始まりです。平帝の時代には地方教育機関も整備されました。支配階級の子息女だけでなく労働階級の子供も教育対象でした。

 

 農家の子供であっても農閑期には学校へ通うようにとの達しが伝えられました。狭き門ではありますが、学内で高い能力を示せばより高度な教育機関への推薦を得ることも可能でした。身分格差の激しい時代ではありましたが、このように誰にでも立身出世の道は開かれています。

 

 多くの場合、彼らの最終到達点は中央の官吏(役人)となることでしたが、それが叶わなかった者も郷里の官吏となるなど、国の人材を育成する教育機関として正しく機能しました。

 

 上記の通り前漢の時代に教育機関の基盤が整えられました。そしてそれは後漢の時代にも受け継がれましたが、後漢の時代は学校の他に私塾と呼ばれる教育機関が大流行しました。

 

 私塾とは国が定めた教育機関とは異なり、個人や知人同士で開くものです。私塾を開く人は高名な学者や中央行政との関わり合いが強い人物が多く、これが人気を博す要因となりました。

 

 教える立場の師に見込まれれば出世の糸口となることも少なくありません。有名な私塾ともなると同門の出である人物も多数おり、こちらも官吏となった際に役立つことが多くあります。学ぶ場としても優れており、縁故を作る場所としても最適とあっては申し分がありません。

 

 このような理由から私塾は大流行しました。上級階級層の間でも私塾は大いに流行っていましたが、誰もが賛同していたわけではありません。楊彪は私塾の在り方に異を唱える一人でした。

 

「なんでもかんでも流行りに便乗すれば良いってものでもない。それだと趣がないからね」

 

 楊彪は私塾に通いたくないと考えていました。理由は至極単純に面倒くさいからです。

 

 私塾に入門するには束脩と呼ばれる謝礼を収める習わしがありましたが、広く学問を広める目的で開かれていたため大した額ではありません。誰でも門戸を開くことが可能です。

 

 そのため人気のある私塾は非常に込み合っていました。楊彪が袁紹に誘われていた都の私塾はまさに鮨詰めの環境です。筆を執るものなら肘と肘がぶつかり合うのは当たり前。さらに通う門徒生は向上心が強く熱気も帯び、議論を交わせば当然のように唾だって飛び交います。

 

 自室に篭って書物を読み耽るのが何よりの至福である楊彪には不向きな環境です。勤労に対する意欲が低い楊彪にとって、名を高める可能性がある環境へ出向くという選択肢はあり得ません。

 

「同門の繋がりも不要なら師に見込まれたりしても逆に困るし。麗羽の誘いは嬉しいけどさ」

 

 一般的に利点とされていることが楊彪にはそのまま不利点となりました。

 

 それ故に楊彪は袁紹から届けられた誘いの書簡に目を通し、小さくそう呟きます。既に親の説得を済ませている楊彪には一分の隙もありません。私塾に通う意思はまったくの皆無です。

 

 師や同門同士の関係が出世に影響を与える点は必ずしも良いことばかりではありません。仮に師が不祥事を起こそうものなら、連鎖してその教え子に負の影響を及ぼす可能性もあります。楊彪はその辺りの危険性を言葉巧みに説き、親を始めとした一族の了承を得ることができました。

 

「この流れで出仕も大免除……とはならないよな。一族郎党に迷惑かけるわけにもいけないし」

 

 

 

 

 

 楊彪と時を同じく、司隸は河内郡でも似たようなことを話している人物がいました。

 

「私塾や太学へ通う意思はありません。ただ時の無駄ですし、私は働く気もありませんから!」

 

 自分の親に向かって平然と言い放つ少女。少女の親は口をあんぐりと開いています。

 

 姓名を司馬懿。字を仲達。真名を桜華。司馬一族の次女として生を受けた少女。司馬懿も楊彪と同じく高等遊民志望でありましたが、普段の言動や振る舞いは楊彪とは大きく異なります。

 

 楊家の長子である楊彪は若くして達観していました。働きたくはないけど後継ぎである自分はどう足掻こうが働かざるを得ないだろうと。楊彪は無念を噛み締めながらも、こればかりは致し方ないことであると認識しています。

 

 一方の司馬懿は次女という立場でした。上に優秀な姉のいる司馬懿には選択肢がありました。

 

「専横に次ぐ専権。淀み濁り、腐敗し切った政治に関わることなど、私は真っ平御免ですね」

 

 それらしい理屈を語る司馬懿ですが、この発言は働きたくないがための方便に過ぎません。

 

 司馬懿は自分が働かない口実として数限りない選択肢を思い浮かべますが、最終的には候補を三つに絞りました。どれも一長一短があるもので結論を出すのに司馬懿も悩みました。

 

 一つ目は病弱設定を捏造して出仕を拒むこと。この選択肢が三つの候補の中でも一番角が立たずに無難でしたが、日常的に病弱を演じるというのも中々億劫なので却下となりました。

 

 二つ目は才を隠すこと。厳格な家柄である司馬家において、極めて凡庸であると見限られれば世に出る資格が無いと判断される可能性がありました。ただこの選択肢は成功したとしても事実上、失格の烙印を押されたということになります。それだとやはり面白くはありません。

 

 三つ目は才を現すこと。司馬懿は自身の才覚が灼熱のものであるという絶対の自負心がありました。その才気煥発を全面に示すことで周囲の意見を全て封殺させようと目論見ました。

 

「古く予譲は智伯のために命を賭して節義を尽くしました。私もそれに倣いたい所存ですね」

 

 司馬懿は三つ目の選択肢を選びました。そしてその目論見は見事に叶うこととなります。

 

 司馬懿の親である司馬防も、司馬一族の優秀な人物も、果ては外部から招いた高名な論客であっても同じことでした。誰も司馬懿を諭すどころか言い負かすことさえ出来ません。

 

 その才は誰もが認めざるを得ませんでした。勿論この時代の慣例から鑑みるに、親である司馬防が強く命じれば渋々ながらも司馬懿は従うはずです。それでも司馬防は娘の才を惜しみ、そうはしませんでした。押し付けるのではなく自発的に動き出してこそ娘の才は活きると考えます。

 

「働かずに食す食事は絶品ですね。この先も月日を重ねる毎に味に深みが増すことでしょう」

 

 司馬防は娘の戯言を軽く聞き流しながら、どうにかならないものかと熟考します。

 

 それからしばらく後のこと。都での井戸端名族会議の場で司馬防は楊彪の親である楊賜の話を耳にします。子が可愛いのは親であれば当然としても、子を誉め称えるかは人それぞれです。

 

 無闇矢鱈に持ち上げ過ぎると子の重荷となってしまいますし、期待値が高ければ小さな失敗でも評判倒れと笑われてしまうかもしれません。言葉の匙加減というのは中々難しいものです。

 

 楊賜は子に厳しく接する性質であると司馬防は見ていました。優れた官吏として育て上げるため英才教育を叩き込んでいるとも噂で耳にしました。ですが楊賜の口から出る子の話は何時だって賛美の言葉で飾られています。

 

 自分の見当違いであったか。それとも子が優秀だから厳しくする必要がなくなったのか。聞けば楊賜の子は非常に勤勉で素直であり、優れた循吏としての資質を兼ね備えているとのこと。

 

 どちらか判断がつかない司馬防ではありましたが、どちらにしても家から出る事のない司馬懿を外へ出す良い機会ではありました。循吏とは規則に忠実で仕事熱心な役人を意味します。ならば引き合わせることで娘が良い方向に触発されるのでは、と司馬防は楊賜に話を持ちかけました。

 

 司馬防の申し出を楊賜は二つ返事で快諾。こうして楊彪と司馬懿は出会うことになりました。

 

 

 

 

 

 地理的な話をすると楊彪の住む弘農郡は、都のある河南尹と隣接する場所にあります。

 

 立地が良く家柄も良い楊家に来訪者が来ることは珍しくありません。なので司馬家の人間が屋敷にやって来ると聞いた楊彪も特別慌てるようなことはありません。実に慣れたものです。

 

 楊彪は外へ出向くのは気乗りしないことが多いですが、家へ招くことは歓迎します。自分の知らない知識を得る良い機会ですし、来訪者が来ると食事が普段の三割増しで豪華になるからです。

 

 司馬防と司馬懿がやって来る当日。楊彪は普段通りの朝を過ごし、来る時刻がやってきます。そして応接間に通された司馬懿を見た刹那、楊彪の脳裏に電流が奔りました。

 

(……今の感覚はいったいなんだ)

 

 楊彪は曰く形容し難い違和感を覚えました。五感以外の何かが楊彪に強く訴えかけてきます。

 

 楊彪は自分の前に座った少女を見ます。長く伸びた艶のある黒髪に黒目。珠のようになめらかで美しく白い肌。眉にかかる一線で水平に切り揃えられた前髪と長いまつ毛。

 

 座る姿は牡丹の花に例えるのが相応しい程に上品でいて気品がありました。年は自分と変わらないであろうと予想します。離れていても上下二つ程度の差。今この瞬間において年や容姿の考察は必要性がありませんでしたが、楊彪は冷静になるために一つ一つ丁寧に分析してみます。

 

 そして楊彪は自分の心の乱れを目の前の少女に読み取られないように努めて平然を装います。

 

 一方の司馬懿も楊彪を見た刹那、なんとも名状し難い感情に襲われました。自分が感じた事柄を正しく認識できず、上手く説明出来ないという状況が司馬懿には初めてのことでした。

 

(彼を見ていると、なぜか心が乱れますね)

 

 司馬懿は目の前に座っている少年を見ます。名族に多い優雅にして豪奢な金髪。薄蒼色の瞳。

 

 髪は分け目を付けずに全て後ろに撫で上げている。押し黙っていると凛然とした印象を受けるが、口を開けば涼しげな雰囲気も感じ取れる。年は十二歳前後と司馬懿は予想しました。

 

 楊彪も司馬懿同様、外見だけでも十分に育ちの良さと高い気品を周囲に印象付けます。そして両者共に個の能力も十全に兼ね備えており、本来なら非の打ち所の無い人材ではありますが、両者共に共通している欠点がありました。それは知れば誰もが頭を抱える程の生来の怠け者思考です。

 

 二人は形式ばった挨拶を交わした後、親同士が話しているのを耳にしながら互いの様子を注意深く観察します。お互い一向に答えを得ることが叶いませんが、ふいに事態は動きをみせました。

 

 親同士の会話が世間話から仕事の話へと移る際、二人の表情がほんの一瞬小さく曇ります。

 

(そういうことか。しかし驚いたな)

(合点がいきました。事実は奇なものです)

 

 その一瞬の間に二人は状況を正しく理解しました。相手もまた同胞の士であると。

 

 こうなると俄然面白味を感じますが、二人の中には共通の認識があります。楊彪は勿論として司馬懿もまた一族の者以外に高等遊民志望であると声高に宣言するつもりなど毛頭ありません。

 

 外部で宣言するものなら一族の名を落とすことになるでしょう。司馬懿は内部の意見は封殺出来ていましたが外部ともなると流石に不可能です。優秀なら一層励んで働け、と言われることは目に見えています。あまりにも正論過ぎて然しもの司馬懿であっても打つ手無しです。

 

 このように外部での表明は危険ですが、相手が同胞であれば話は別です。希少種といっても過言ではない思想を抱く二人。両者共に打ち明けて交友を深めたい欲求に駆られますが、この手の人種は住々にして慎重なものです。それは空振りであった時が非常に不味いからです。

 

(確信に近いものはあります。が、感覚的なものに判断を委ねるのも憚られるものですね)

 

 司馬懿は慎重に様子見を選びます。完全に看破した上で行動に移そうと考えました。

 

(ここは無難に見に徹する? いや、それだと弱い。活路は前にこそある。ならば試すか……)

 

 一方の楊彪は果敢にも攻めの姿勢を選択します。楊彪には地の利がありました。

 

 この手の人種は慎重。ですが人の業とは深いものです。二人は同胞と出会えた喜びよりも、相手より自分の方が勝っている。格が上だということを示したいという証明欲求に駆られます。

 

 自分の方がより高度な思想を抱いていることを証明した上での歓談。これが望ましいと両者は思います。実に馬鹿馬鹿しい話ですが、当の本人達は真剣も真剣。瞳の奥が静かに燃えています。

 

「司馬懿殿。粗野な提案ではありますが、宜しければ一刻後。私の自室にて言葉を交わしたい」

「願ってもない申し出。謹んでお受けします」

 

 楊彪の提案を司馬懿は即座に快諾しました。

 

 結果から先に述べると司馬懿はこの後、生涯初の敗北を喫することとなります。賢明であろうとした司馬懿と捨て身の道を選んだ楊彪。その差こそが勝敗を大きく分けることとなりました。

 

 

 

 

 

 それからきっかり一刻後、楊彪の自室前。

 

 先に席を立った楊彪に遅れること数分。司馬懿が楊家の家令に連れられてやってきました。

 

 司馬懿はまず腹の探り合いから行われると確信します。先に相手からボロを出させた方が主導権を握るであろうと。思考実験も万全。敗北の二文字など端から頭にありませんでした。

 

「司馬仲達入ります。…………なっ!?」

「いらっしゃい」

 

 故に部屋へ入った司馬懿は愕然としました。

 

 自分に背を向け、ゴロゴロと寝転がりながら書物を読む楊彪。これは完全に司馬懿の想定外。

 

 瞬間、司馬懿の脳裏に態度を指摘するのは三流。ただ愕然とするのは二流という言葉が過ぎります。そして自分が咄嗟に二流の反応を示してしまったことに司馬懿は苦虫を噛みしめます。

 

 当てが外れ無防備の状態で先制打を受けた司馬懿。自分の認識の甘さを痛感します。同胞同士の場であれば、わざわざ己を取り繕う必要など皆無です。それでも司馬懿はつい先程の凛然とした楊彪の残像が強く頭に残っていました。まさか、と思う気持ちが既に受けに回っています。

 

「まあ、立ち話もなんだしさ。しばちゅーも立ってないで楽に座りなよ。そう、楽にね」

「…………あ、はい。そうですね」

 

 背を向けたまま言い放つ楊彪。まだ頭の整理がつかない司馬懿はここでもミスを犯します。

 

 言われるがまま、ほとんど無意識の内に司馬懿は普段通り正座をしてしまいました。膝を揃え、背筋をピンと伸ばし両の手を膝の上に置きます。誰が見ても文句のない満点の姿勢です。

 

 ここから司馬懿は挽回を図ろうと思考を深く巡らせます。が、次の瞬間。司馬懿は、僅かに体を起こし、視線を後ろに向けた楊彪と目が合います。そして自分の犯した過ちに気付かされました。

 

「ふっ」

「くっ…………!」

 

 楊彪は小さく笑みを浮かべると、それ以上は何も言わずにまた悠然と背を向けます。

 

 楽にしろ、と二度も言われておきながら司馬懿は正座をしてしまいました。今この場において楽な姿勢とは個人の意志など関係なく、万人が共通する楽な姿勢を指すことは明白です。

 

 司馬懿は最低でも足を崩して座るべきでした。司馬懿は自身の思慮の浅さを心の中で大いに嘆きます。「お前はその程度なのか。自分の領域を出ると満足に怠けることもできないのか」と楊彪の背中が言葉よりも雄弁に司馬懿に語りかけます。ですが今更姿勢を崩すわけにもいきません。

 

「こ、この程度で勝った気にならないで下さい。まだまだ勝負は始まったばかりです!」

「そうこなくっちゃ面白くないね」

 

 ものの三十秒ほどで敗勢必至にまで追い詰められた司馬懿。だがまだ諦めてはいません。

 

 後の歴史書にて双龍の交わりと評される楊彪と司馬懿の出会い。【五知】楊彪と【軍神】司馬懿は国の未来について熱論を交わし合い、互いの才を認め合ったというのが通説ですが……。

 

「貴方は死ぬまで馬車馬の如く働かされるのが確定的に明らかです! はい、お気の毒!」

「それ本気で落ち込むから止めて…………」

 

 歴史が常に正しく伝わるとは限りません。

 

 そして歴史とは視点の違いにより、多様な見解を見出せるのが面白い点でもあります。

 




次話 くだらなくも壮絶な戦い。予定日は1月12日(木)

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