恋姫†演義   作:アロンソ

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プロローグ

 

 強き者はより強く、才知ある者はより賢く、英傑達が互いに覇を競った三国時代。

 

 その前時代にあたる漢代は後漢。儒教が国教化され、人材登用の根幹に当てられたことで、郷挙里選や孝廉といった官吏任用法では才知よりも徳目を重視するようになりました。

 

 徳目の中でも特に重要視された項目は孝です。親孝行の孝の字になります。なので未来ある若者は官吏に推挙されるため孝を重ね、自分がいかに親孝行で廉直な人物であるかを語りました。

 

 始めはそれで通っていましたが、やがては孝ある人物よりもコネある人物が推挙されるようになってしまいます。才知は誤魔化しが利きませんが、徳目は作り話などの捏造が利きます。これによって地方豪族や有力者が子息女を中央へ送り込み、より地位を盤石にすることが叶いました。

 

 早い話がこの時代は個々の能力よりも家柄や権力が大きく物を言う時代ということです。

 

 それ故に高い能力を備えていても中々立身出来ない人物もいます。それとは反対に無能のカカシであっても名家の出であれば楽に出世を果たすことが出来ました。こうした事態が盈満すると人材の質は当然落ちこみ、政治が上手く回らなくなり、それらは次第に国力の低下を招きました。

 

 そしていよいよ国が本格的に傾きを見せ始めた年代。司隷河南尹は首都洛陽でのこと。

 

「ああ、嫌だ嫌だ嫌だ。オレは働きたくない」

「で、ありますか」

 

 賑わいを見せる往来の一角に立ち止まり頭を抱える青年。その横には笑みを浮かべる少女。

 

 青年の名は楊彪。字を文先。後漢三指に入る名門弘農楊氏の生まれである楊彪は、目前に迫った出仕を前に今更ながらに愚痴を零す。それこそもう、小一時間も頭を抱える始末。

 

 楊彪が出仕することを嫌がっていることに深い理由はありません。腐敗した政治に関わるのが嫌だとか、朝廷内の権力闘争に巻き込まれるのを危惧しているだとか、官吏を務め上げる自信がないなどという理由ではなく、極単純に楊彪は働くという行為を忌み嫌っていました。

 

「でもさ、働きたくないなんて親不幸は当然まかり通らないよね。ましてやウチはさ……」

「で、ありますね」

「頭じゃ理解はしていても気持ちの整理がつかないよ。勤労の中から美徳を見出すよりも、泥水の中から美点を見出す方が遥かに容易い。まあ、今更ぼやいたところで何も変わらないけど」

 

 前述に記した通りこの時代、徳目の中でも孝という項目は特に重要視されていました。

 

 少し大袈裟に表現すると親の言うことは絶対。逆らうなんてもっての他。漢人として有るまじき行為。名門楊家の長子(後継ぎ)である楊彪が出仕することは至極当然のことでしょう。

 

 当の本人にも自覚があります。なんなら責務とさえ思っています。ですがそれ以上に楊彪は勤労に対する強く忌避する気持ちと、惰性を貪り続けることに対する憧憬の念を抱いていました。一切働かず、書物を読み更け、詩に興じる高等遊民生活を強く望んでいました。

 

「私は働きませんけどね。この後は一族の領地に戻り、悠々自適の日々を送りますよ!」

「それってやっぱりズルくない?」

 

 楊彪の横で柔らかく笑みを浮かべ、高らかと宣言する少女の名は司馬懿。字を仲達。

 

 楊彪と同じく漢の名門司馬一族の生まれ。違う点は楊家の長子である楊彪に対し、司馬懿は司馬家の次女という立場でした。軽い身というわけではありませんが楊彪ほど重くもありません。

 

 司馬懿も楊彪と同じく高等遊民生活を切望していました。二人は似通った部分が多くありましたが、その立場だけは大きく異なっていました。司馬懿の才能を一族も認識していましたが、司馬懿の姉もまた優秀であったため、背にかかる期待は楊彪に比べると軽いものです。

 

「どんな口実で一族を丸め込んだか知らないけど、君ほどの才女が働かないのはダメでしょ」

「貴方だって私の立場でしたら同じことをしていたはずです。故に正論は受け付けません!」

「もう学ぶことだって碌にないだろうに」

「真の賢人は草木の靡きからでも学ぶことがあるといいます。素晴らしいことですね!」

「ああ、そうですか…………」

 

 なんて羨ましい、と楊彪は溜め息をつきます。

 

 そして喜々とした表情を浮かべる司馬懿に楊彪は激しい嫉妬心を覚えました。千古不易。自分に無い物を持ち得る人物に対し、人という生き物は時に醜く浅ましくなるものです。

 

(立場が上がると先々面倒だ。折を見て彼女を推挙し、オレの変わりに出世させるのが妙手かな)

 

 楊彪は司馬懿を非常に高く評価していました。確実に次代を担う一角になるだろうと。

 

 なのでここは泳がせておいて後々重要な局面で登場させようと考えます。その時は外堀から内堀まで入念に埋め、拒否権などない状況まで追い詰み、雁字搦めにしてやろうと企てます。

 

 そして楊彪自身は出仕した司馬懿が存在感を示すにつれて徐々に鳴りを潜め、あわよくば適当な理由を見繕って官職を辞そうかと考えます。名家の柵もあって辞めるといっても容易な道ではありませんが、世の趨勢に上手く乗れればワンチャンスあるのではと胸に淡い期待を抱きます。

 

(……私を働かせようと考えているんでしょうが、その謀は我が全身全霊を以って阻止しますよ)

 

 そして司馬懿もまた楊彪のことを非常に高く評価していました。

 

 楊彪はまともに働きさえすれば位人臣を極める人物だろうと司馬懿は考えます。やる気が無いという一点を除けば、家柄も人格も本人の秘める能力だって申し分がありません。

 

 同じ志を持つ同士が官庁という監獄へと旅立つことに対し惜しむ気持ちも勿論ありましたが、それ以上に司馬懿は愉悦を覚えていました。これから先、楊彪の活躍を耳にする度に司馬懿は自らの置かれている状況を喜び、慶び、小躍りの一つでもしてみるのも悪くないかと考えたりします。

 

「ふふふっ。貴方の活躍の報を耳にする日が、今から待ち遠しくて仕方ありません」

「含みのある言葉に聞こえるんだよな……。ああ、嫌だ嫌だ嫌だ。オレは働きたくない」

「で、ありますか」

 

 ガックリと肩を落とす楊彪。一方の司馬懿は今日一番の笑みを浮かべます。

 

 司馬懿仲達。後に臣下の最高峰の一つである【大司馬】の地位に就く少女。然しもの司馬懿であってもこの時はまだ、後々自身の身に降り注ぐ禍事を知る由もありません。

 

 

 

 

 

 この物語は後漢の一時代を渡り歩いた、楊彪という青年を中心に据えた話。

 

「名門袁家と名門楊家。お互いに一族の名に恥じぬよう、優雅に華麗に精進致しましょう!」

「麗羽はともかくオレには荷が重いかな……」

「そんなことありませんわ! 目指す先は三公位! 四世三公を五世四公とするのですわ!」

「三公が四公に増えてるよ麗羽。お互い偉大な親を持つと大変……そうでもないね。君は」

 

 同期の桜は向上心に溢れる。

 

 世が大きく動く時代には奇しくも才が結集するもの。楊彪の同期には金色の桜が二輪。

 

「儒教は理に適ってない部分が多いのよね。実力重視の方が能率的だと貴方も思うでしょ?」

「儒教批判とかマジ勘弁してくれよ……」

「覇道にして法治主義こそが私の理念よ。徳治主義も寛治主義もホント受け入れ難いわ」

「君は始皇帝の生まれ変わりかな?」

 

 楊彪は計らずも後々大輪の花を咲かせる金色の蕾と親交を深めていくことになります。

 

 名家の蕾は自分と良く似た立場の楊彪に強いシンパシーを感じていました。親同士が懇意であることや、楊彪の常に人を立てる尊重した人柄を非常に好ましく思っていました。

 

「法治主義における陰と陽について私に説明する栄誉を与えるわ。貴方の意見を述べなさい」

「ああ、うん。そうだね。月並みな意見だけど、法は秩序を得るために必要な反面、時として言動さえも強く縛ってしまうのが難点なのかな」

「…………続けなさい」

「法家は絶対で完全な法を求めるけども、それが却って不完全さを招いているんだよ」

 

 独立意欲の高い蕾は自分と対等に話せる楊彪との問答を非常に好んでいました。

 

 他者と比べて毛色が違うことに楊彪は気づいていましたが、わざわざ口には出しません。君子危うきに近寄らずです。ヒッキー志望の自分とは関係のないことと割り切ります。

 

 結果として楊彪の取り繕わない態度が、後の人材コレクターの強い関心を集めることになってしまいますが、仕事を辞める方法ばかり考えていた楊彪はそのことに気づきませんでした。

 

 

 

 

 

 出仕した楊彪は本人の意思に反して出世しました。家柄も能力も優れているので当然です。

 

 一定の地位まで出世すると地方領主の話が楊彪の下へやってきます。領主となれば領内のトップとなり、自由に振る舞うことができそうなものですが、楊彪はこれを即座に突っぱねました。

 

(中央高官は地方領主を経由するのが通例。よってオレは太守や刺史を絶対にやらない)

 

 領主となることが最終到達点の人もいれば一時的な腰掛に過ぎない人もいます。

 

 楊彪の場合は後者でした。地方へ赴任してもやがて中央へ戻されることが確定的です。それはまずいとばかりに楊彪は同期の桜が地方へ向かう中、一人不動の姿勢を貫き通します。

 

 楊彪はここが自分の分岐点になるだろうという予感を感じ取っていました。なので多岐に渡る要請を固辞し続け、周囲の雑音にも一切動じることなく自分の意思を押し通しました。

 

「さらにもう一手、打つ必要がある」

 

 そして楊彪は文官の名門の出でありながら武官への鞍替えを強く志願しました。

 

 平時の世でありながら武官という出世コースから外れる道を選んだ楊彪を理解出来る人はいません。疑問や揶揄の言葉を投げ掛けられても、楊彪は黙して多くを語りませんでした。

 

 練兵や軍事演習に明け暮れる日々。軍費の支出の多さを咎められることがあっても楊彪は引きません。「問題あるなら自分を罷免してくれて構わない」とばかりに強気の態度を崩しません。

 

「このまま失格の烙印を押されれば完璧だな!」

 

 この選択こそが楊彪の分岐点となりました。

 

 後の歴史家は口を揃えて楊彪は黄巾の乱の到来を予知していたといいます。当時の官吏達も世が大乱の兆しを見せ始めるにつれ、楊彪の評価を再び高く改めることになっていきました。

 

 

 

 

 

「どうしてこうなってしまったのか」

「それは私の台詞だと思うのですが……」

 

 やがて大陸全土で黄巾の乱が勃発。楊彪は大軍を率いる立場にされてしまいました。

 

 拝任を受けた楊彪は孤憤をグッと堪えるも抗う術がないことを察します。楊彪は自分の無力さを噛みしめます。そして腹いせに惰性を貪っていた司馬懿を謀り、自分の副官に据えました。

 

 楊彪の鍛えた精兵は大いにその役割を果たしました。虚ろな表情で精兵を指揮する楊彪と参謀の司馬懿。官軍本隊を率いた楊彪は破竹の勢いで瞬く間に賊を打ち破っていきました。

 

 そして黄巾の乱最終戦は広宗の戦い。楊彪は黄巾賊との決戦に集った諸侯らを束ねます。見知った顔もいれば新顔もいます。官軍だけに留まらず中には義勇軍の姿も見かけられました。

 

「みんなが笑顔で暮らせる平和な世か。掛け値なしに素晴らしい目標だと思うよ」

「ホ、ホントですか!?」

「オレも笑顔になりたいものだ。本来ならこんな場所に立つ必要なんてなかったのにさ」

 

 楊彪は義勇軍を率いる将の前で嘆息を洩らしました。それはそれは深いため息を吐きます。

 

「それってどういうことですか? 楊彪さんはお仕事するのが実は嫌いだったり??」

「お、君は珍しく話しの通りが良…………」

「はわわ! 失礼ですよ桃香様。将軍が仰った言葉の意味は世の趨勢を愁うというものです」

「ああ、やっぱりこうなるのね」

 

 有望な義勇軍。そして天の御遣いこと、未来人である北郷一刀との邂逅。

 

「司馬懿って……あの司馬懿仲達なのか!? どうしてこの年代に司馬懿がいるんだ!?」

「私は後世に名を残すのですか!?」

「物凄く有名だよ。東奔西走。めちゃくちゃ働いてたってもっぱらの評判だったなあ」

「それは私じゃないですね。間違いないです。ですから嘘だと言ってくださいよ…………」

 

 流星と共に現れた天の御遣い。その不明瞭な存在は人心を大いに揺らしていきます。

 

 その御遣いもまた混乱していました。タイムスリップしたかと思えば男女の性別がなぜか反転していたり。楊彪が自分と同じ現代人かと思って色々洩らしてみるも空振りに終わる有様。

 

 そして聞かれたことを素直に答えただけなのに文句を言われる北郷。失言は無かったはずだと振り返ります。司馬懿に睨まれていることや、なぜか楊彪が二ヤついていることも理解できませんでした。それでもなんとなしに受ける雰囲気は両名とも険悪なものではないと感じました。

 

「楊彪さんの名前は聞いたことないかな」

「やったぜ」

「はわわわわわわ……。ご主人様も桃香様も将軍相手に無礼な言葉遣いは不味いですよ……」

 

 この物語は後漢の一時代を渡り歩いた、楊彪という青年を中心に据えた話。

 

 物語の中心たる楊彪が動く時に世の行方で定まることになります。蜀、呉、魏の三王と並び立ち国を興すのか。それとも滅び行く漢王朝を再建させるのか。はたまた別の道を選ぶのか。

 

 こうして外史の突端は開かれる。

 


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