――いつだったか。この感覚には覚えがある。
わからない。
忘れたことを忘れている。
そんな曖昧な記憶。
それは、初めてゴッドイーターとして戦場に立ち、アラガミを喰らった瞬間だったか。
それよりももっと前、世界の過酷さを知り、それでも誰かを守るために生きると決意したあの頃か。
あるいはもっと、もっと前、この世に生まれた瞬間。肺に空気を溜め込み、泣き叫びながら生を訴えた時か……。
透明なあぶくのように沸き起こる何かから、理性は静かに目を逸らす。
考えたくはない。考えてはいけないと本能が叫ぶ。
だが、目の前で起こる事実と向き合おうとするならば、必然、あの感覚を思い出さなければならない。
――いつか、覚えている。
おぼろげな記憶の、さらにその片隅にある違和感。
それが何なのか、はっきりと言語化できないのに、正確に捉えてしまえば「まとも」に戦うことができなくなるという確信だけはある。
だから、「まとも」な生き物は、それを持たないのだ。
あるいは成長の過程で捨て去るのだ。
それが「生きる」ということの前提であり、「喰らう」存在でいることの必要条件なのだから――
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戦いが始まる前、ラケル博士が開発した新型神機兵が高度な連携を見せるとしたら、パソコンやケータイのように互いに通信し合えることが一番の理由だと予想されていた。
しかし、防衛班との戦闘で見せた神機兵の行動に関する報告を受け、サカキ博士はこう考察した。
恐らく、新型神機兵は人の思考をAI化したものがインストールされており、疑似的に人と同等の「感情」を持っているのでは、と。
「なん……だと……」
イヤホン越しに博士の通信を聞きながら、シュンは呟く。
エイジスで戦うシュン、カレル、ジーナの三人は既に多くの神機兵を倒してきた。
現在はエイジスで最も開けた場所であり、かつて第一部隊がアルダノーヴァと戦った闘技場のような空間で3機の神機兵を相手にしている。
シュンは驚きつつも、手を休めることなく目の前の神機兵を切り裂く。
後方でバックアップするカレルは顔をしかめるが、何も言わず撃ち続ける。
サカキ博士は続ける。
『人の感情を情報化する。というのはアラガミが出現する以前から存在していた技術だからね。それを行動プログラムに応用することは可能だ。そしてラケル博士がなぜそんなことをしたのかについても合理的な理由が考えられる。
新型神機兵の最大の武器は、その『意志』なんだ。彼らにとって隣に立つ仲間は家族であり、愛すべき存在。そして仲間を傷つけ、自分たちの帰るべき場所を不当に占拠する神機使いに、皆で立ち向かう。その「意志」こそが……』
(ああ、くそ、面倒なことになってきたな)
カレルは、サカキ博士を遮って言う。
「要は、あいつらは機械でも、仲間を庇ったり少し人間っぽい動きをするから気を付けろということだろ。情報に感謝する。こっちは戦闘の最中だからもう十分だ」
「あ……、おい!」
勝手に話が切られ、シュンが抗議の声を上げるが、カレルは冷たくあしらう。
「必要な情報は得た。どうせお前の頭で考えたって理解はできないだろ。それより目の前の敵に集中しろ」
「まあ、確かに。……って、それ俺のこと馬鹿にしてないか!?」
シュンが振り返ったその時、遠くの神機兵が銃を構える。
が、突如飛来した銃弾が神機兵の腕を抉る。
撃ったのは、フィールドの範囲外から超遠距離射撃を行うジーナだった。
『カレルの言う通り、今は命のやり取りの最中なのよ。前を向きなさい』
「クソっ……」
シュンは呻く。
わかっている。
目の前にいる敵がどれだけの強敵か。
奇襲を仕掛けることで、満身創痍となった神機兵でも十分に脅威である。
こちらが気を抜けば一瞬で間合いをつめ、頭を吹き飛ばしてくるだろう。
殺らなきゃ、殺られる。
殺らなきゃ、守れない。
だから、集中しろ。
「ッググッ……フ……」
だが……、
地の底から吐くようなうめき声を上げる神機兵は、何かを我慢しているように見える。
腕が潰された怒りを、必死に抑えているような。
それでも、逆上して隊列を崩すことがないよう、堪えているような。
その葛藤は余りにも人間的で。
痛みに堪える神機兵は目に涙を浮かべているようで……。
「ああ! クソッ! こんな仕事、さっさと終わらせてやる!」
苛立ちと共に、シュンはそう吐き捨てた。
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「不味いな……」
幾つもの大型モニターが輝く薄暗い部屋で、サカキ博士は呟いた。
極東支部作戦指令室。
螺旋の樹探索と大規模防衛戦を同時に遂行する司令部は、席の暖まる暇もない慌ただしさだった。
ブラッドは新種の神融種と交戦、ムクロキュウビと名付けられたアラガミに苦戦を強いられている。
一方、防衛戦は順調だが、新型神機兵の予想外の動きに惑わされている。
職員は止まることなく計器を操り、連絡を回し、神機兵の分析に当たる。
オペレーターは不測の事態に備え、張り詰めたピアノ線のように鋭い瞳をモニターに向け続ける。
「不味い、ですか」
ヒバリが呟きに、サカキ博士は答える。
「ああ。彼らは……、防衛班は『優しい』からね」
そうだ。
防衛班の中には、多くの人類を見捨てる決意をした者もいる。
それでも、彼らは戻ってきた。
今もこうして名も知らぬ誰かのために命を張っている。
だが、彼らの底にある「罪の意識」は今回の戦いにおいては不利となりうる。
サカキ博士は手に顎を乗せる。
そして思う。
(これも、ラケル博士の狙いか……)
眼鏡の奥で薄く開いた博士の瞳は、ただ静かにモニターの新型神機兵を映していた。
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『――もしかすると、いずれアラガミは「ヒト」へと進化するかもしれないね――』
数年前、タツミがゴッドイーターになったばかりの頃。
新兵訓練の一環としてのサカキ博士の座学において、こんなことを聞かされたことがあった。
『――バカバカしい。んなことありえるかよ』
タツミの同期であり相棒でもあったマルコは、そんな風に言っていたか。
タツミ自身も、似たようなことを思っていた。
人類の絶対の捕食者であるアラガミが、神を真似るだけでなくヒトそのものになるなんて――。
当時は冗談としか思えなかった。
しかし、それから数年。
極東支部に、本当にヒトに進化したアラガミが現れた。
タツミはついぞその姿を見ることが出来なかったが、事件収束の後、ふと考えることがある。
(俺は、ヒトに進化したアラガミが現れたら、どうするだろうか)
身体と本能は間違いなくアラガミ。
されど心はヒト。
もしそんな存在と出会ったら。
そしてもし、誰かに危険が及ぶなら。
(俺は、人々を守るために戦う。――その為に、ヒトとなったアラガミを喰らう。きっと、そうする)
そう、タツミは思った。そう、結論付けた。
そのはずだった――
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極東支部アラガミ防壁外周。人類最後の砦。「創傷の防壁」。
先の戦闘で多少の傷はついたものの、タツミ、ブレンダン、カノンの第二部隊はオラクル細胞による人間離れした治癒力で、ほぼ無傷の状態だった。
続く神機兵の到着までおよそ4分。
次もできるだけ有利に戦闘を進めたい。
しかし、全ての神機兵は「繋がっている」。一度使った戦法は二度と通用しないだろう。
警戒されているため、緒戦と同じく障害物に隠れて不意を突く、などという作戦は、有効ではない。
何か良い手はないか、とタツミが腕を頭で組むと、ブレンダンがポツリと呟く。
「……別に、倒す必要はないのだろう」
顔はしかめつつも、努めて冷静に、ブレンダンは言う。
「ここから攻撃は最小限にして、防御に徹して時間を稼ぐ。それでどうだ」
確かに、今回の防衛任務は「時間を稼ぐ」ことがこちらの勝利条件である。
別働隊が新型神機兵の制御を奪うまで、極東支部を守り切れば良いのだから。
だが、戦場で命を失うことは簡単だ。
いくら防衛戦といえど「殺さなくていい」などという甘い考えで生き残れる筈はない。
可能なら、喰らう。
それは鉄則だ。
勝つために、負けないために、考えるまでもなく行うべきゴッドイーターとしての在り方であり、それ以前にこの世界における弱肉強食の自然の摂理だ。
だが。
タツミは目を横に向ける。
その先には、もたれかかって倒れた神機兵の亡骸がある。
コアを失ったアラガミと同様、霧散しつつあるそれは、筋繊維が溶け白銀の骨格がむき出しになっており、人の白骨死体を連想させる。
「…………」
できるなら、「殺したくない」という思いが芽生えつつあるのは確かだった。
自分達と同じ感情を持ち、自分達と同じ痛みを知っている存在を殺す。それにはやはり罪悪感を伴う。
中身が人で、貌はアラガミ。
精神的な話だけをするなら、人を殺しているのと変わらない。
人を殺しながら、人を守る。それは防衛班として酷く矛盾しているように思われた。
…………。
だからといって、この神機兵だけ特別なのか。
これまで喰らってきたアラガミに痛みがなかったと言えるのか。
肉が裂け鮮血を飛ばしながら叫び、死んでいったアラガミに、これまでどうして何も感じなかったのか。
…………
……
「……そうだな。……そうしよう」
タツミは迷いを押し込むようにして言った。
考えても、よくわからない。
だから、なんていうか、自分の最初の直感を信じることにした。
「俺とブレンダンで前衛。向かってくる神機兵全ての攻撃を捌く。ただし、攻撃は極力控える。カノンは回復弾で援護を」
やりたくないと思った。だから、殺さない。
たとえそれが勝利の最適解から外れるものだとしても。
ああ、実に愚かな考えだ。そして、弱い。
ゴッドイーターとしての在り方を貫くため非情になりきることすらできない。
こんな隊長に、仲間は呆れるだろうか。
しかし、ブレンダンとカノンは難しい顔をしているが、こちらに強い目を向けている。
「了解です。もう撃てないのは残念ですけど……。なんか今日は調子が良くなさそうなのでもういいです」
カノンの返事に、暴走状態じゃなくて良かったとタツミは苦笑いする。
(よかった。思いは同じみたいだ)
三人は、多数の敵を相手するのに都合の良い、狭い通路に移動を始める。
……心の漂う沫のような違和感から極力目を逸らして、タツミは走った。
お疲れ様です。
すぐに次の話(後半)を投稿する予定です。