基本的にいろは視点の補完という形になると思います。
では、今回もよろしくお願いします。
昨日、見慣れない夢を見た。
僕はどこかの学校の教室にいた。
紅茶の香りが漂ってくる、暖かで柔らかな雰囲気の部屋だった。
誰がいるかは分からないけれど、僕の他にも三人いた気がする。
一人が何かを言えば一人は返す。
また一人はその様子を眺めていては、その話に参加する。
そしてもう一人が僕に話しかけてくる。
せんぱい。
その一人にそう呼ばれた気がした。
僕はなんて返したのだろうか。
出てこない。なんて答えたのかも、その人の顔も、名前も、何も思い出せないままだ。
けれどそんな夢は心地が良くて、僕は幸せな気持ちに包まれていた。
ふと気が付くといつのまにか目が覚めていた。
夢のおかげだろうか、なんだか不思議な力に包まれているような、何かに見守られているような気がする目覚めの良い朝だった。
☆ ☆ ☆
モーニングの時間も終わり、お客さんが居なくなったお昼時少し前、オーナーさんがやってきた。
オーナーさんはカウンターに座りいつもと同じサンドイッチを食べながら言った。
「あれ?八幡君今日はご機嫌がよろしいようだね〜お姉さんと付き合う気になったのかな?」
オーナーさんは僕の考えていることなんてすぐに見抜く。
そしてオーナーさんはそんな事を言っていつもからかってくる。
見た目は美人なんだからもっといい人を探せばいいのに、なんて思ったりする。
どこか仮面を被ったような、けれど僕の前ではすこし寂しそうに笑うそんなミステリアスな女性。
なんでもオーナーさんは名家のお嬢様らしく、そんな人がなんで古い喫茶店を自分のお金で買って僕をマスターとして雇ってくれているのかは不明だ。聞いたって教えてくれない。
そんな彼女に僕は釣り合わないし、多分あの人も冗談で言っている。
でも、もし僕が記憶を失わないままであの人と出会っていたら。
なんて、そんな事を考えても意味は無いか。
昔の事は分からない。憶えていない。
今の僕にあるのはこの店と、事故にあったらしい僕が意識を取り戻した後からずっと、そして今でも毎日家で家事をして僕のことをお兄ちゃんと慕ってくれる優しい妹と毎日働いて僕たち兄妹を養ってくれている両親だけだ。
オーナーさんが去った後は、そんな事を考えていた。
☆ ☆ ☆
チラホラと来ていたお客さんが全員帰った後、一人ぼっちの店内で時計を見ると時間は午後三時過ぎを指していた。
昨日、あの人が来たのもこれくらいの時間だった。
つい、外に目がいってしまう。
あの人が来るのを心待ちにしているような、そんな気分になる。
そして、少しの間仕事をしながら外をチラチラと見ていると、その人はやって来た。
昨日と同じ位置。
またガラス越しに見つけた。
今日は泣いていない。よかった。
その女性は店の前で少し立ち止まった後、入って来てくれた。
そして僕の目の前、カウンターに座った。
予め用意しておいたブラックコーヒーと、昨日より少し多めのミルクと、昨日のものより一回り大きいサイズのスティックシュガー。
昨日は少し苦そうに飲んでいたから工夫してみた。
それを彼女の前に出す。
彼女が不思議そうな顔をしたので、
「昨日はブラックコーヒーにミルク全部とスティックシュガーを一本で飲まれていたので、ミルクを多めにしてみました。お嫌いでしたか?」
と説明すると、彼女は一瞬何かを懐かしむような笑みを浮かべていた。
そしてコーヒーを飲んで
「おいしいです」
彼女はそう言ってくれた。
それから無言が訪れた。
彼女がチラチラと見てくる視線を感じながら洗い物をする。
なぜだか、こんな距離感でチラチラと見られた事があるような気がした。
……生徒会室
頭に浮かんだ単語。
けれど、急にそんな単語が浮かんだ意味が分からなかったのでなんとなく意識を切り替えるために彼女に話しかけてみた。
確認の意味も込めて、
比企谷八幡です。と。
彼女は一瞬ハッとしたような表情を見せた。
やっぱり…この人は僕の事を知っている。
僕の知らない僕を知っている。
昨日から考えていた仮説が、現実味を帯びようとしていた。
そんな彼女の名は一色いろはだという。
自己紹介をして頭をぺこりと下げる一色さん。
一色。
珍しい苗字だと思った。
けれど、彼女の口から出てきた一色という音はスッと綺麗に溶けた。
そしてその溶けた何かは頭に染み込み、身体を巡り、心に訴えかけ、頭の奥の栓を、心の中のわだかまりをほんの少しだけ解いた。
そんな気がした。
僕はその苗字を呼んだことがある。
亜麻色の髪をした女の子に、そう呼びかけた事がある。
そんな気がしてやまない。
何かを思い出したわけじゃない、ただ漠然とそう思っただけ。
けれど、そんな経験は初めてだった。
そんな初めての経験が
一色さんが目の前にいるだけでどこからか感じるこの懐かしさが
つい一色。と呼び捨てで呼んでしまいそうになる感覚が
そして、昨日一色さんの口から出た『せんぱい』という言葉が
夢で聞いた気がする『せんぱい』という言葉が
全てが寄り集まって、そうして一つの答えを導き出した。
一色いろはというこの女性は、僕の過去を知っている。
僕はそれを知りたいのだろうか、思い出したいのだろうか。
それは分からない。
けれど、目の前の彼女にはもう一度会いたいと思った。
なぜだかたまらなく愛おしいから。
離してはいけないと思った。
昨日、僕に再会出来たと思って泣いていた彼女と、
今日、またここに来てくれた彼女と、
ここでお別れしてはいけないと思った。
だから言う。
記憶喪失かと聞かれ、記憶喪失だと告白した。
彼女は驚かなかった。
どこか安堵のような表情を浮かべていた。
それで仮説は本当に真実と化したから。
だから言う。
彼女とまた会うために。
「また、会えますか?」
これだけ言うつもりだった言葉は勝手に溢れ、なんだか恥ずかしい事まで言ってしまった。
みるみる赤くなる一色さんと、その口から飛んでくる早口言葉のような何か。
その言葉はしっかりと届いた。
届いてしまったからたまらなく恥ずかしさを感じたけれど、一色さんがまたこの店に来てくれる。その事実だけでたまらなく嬉しかった。
恥ずかしそうに俯く一色さんの頭を撫でたくなったけれど、さすがにやめた。
それから一色さんは黙ってしまった。
その頬には朱色が差したままで、こくこくとコーヒーを飲む彼女を眺めながら、昨日見た夢のような暖かさに包まれていた。
彼女の帰り際、ある約束をした。
「明日。明日だけまた来てください。その約束をしてください」
そう言って、一色さんと指切りげんまんをした。
「明日だけでいいんですか?」
そう言う彼女の不思議そうな顔がなんとなく愛おしかったから、少しだけからかうようにして言った。
「明日は、明後日も来てくださいって貴女に言います。そうしてまた指切りげんまんをしましょう。そうすれば、貴女にまた触れられるから」
その言葉でまたその顔を真っ赤に染めた彼女を見送った。
明日からが、ひどく楽しみだった。
止まっていた僕の時間が、二年ぶりに動き出すような気がして。
その日、僕は違う夢を見た。
亜麻色の髪の少女が居眠りをしている横で、何かの書類のチェックをしている夢だった。
パソコンがあって、机がいくつか並べてあって、その机にはたくさんの書類が積まれた、そんな部屋。
その部屋の黒板にはいろんな仕事の締切や会議の日程が所狭しと書き込んであった。
居眠りをしている少女の肩に自分の着ていたブレザーを掛けて、そうしてまた書類に向かう。
そんな夢だった。
思ったより甘くなってしまった。
これじゃ主人公いろはとオリジナルヒロインのお話みたいになってますね。逆に新しいかもしれない。
このお話の本当のスタートはここからですので、これからもよろしくお願いします。
オーナーさん。誰か分かったでしょうか。分かりましたよね。
そのうちでてきます。
では、今回はこの辺で。
感想、評価等、お待ちしております。
今回もお読みいただき、ありがとうございました!