降伏したランポッサ三世と王国貴族、それらに就き従って国民の弾圧に加担していた軍人や官僚といった者に、ジルクニフは寛大な処置をとった。これには元リ・エスティーゼ王国戦士長にして帝国征威大将軍ガゼフ・ストロノーフ、元リ・エスティーゼ王国六大貴族でもあったエリアス・ブラント・デイル・レエブン帝国侯爵、元リ・エスティーゼ王国第三王女ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフ(無職)の非公式での強い嘆願があった為だ。
嘗ての主君、同輩、家族、部下…複雑な事情があったにせよ、3名の願いに心打たれたジルクニフの慈悲深さ、器量の大きさを印象付けるエピソードである。ジルクニフは彼らの助命だけで無く、彼らが生活に困らない為に、幾ばくかの財産と領地まで与えたのだ!ジルクニフの寛大な処置に、元王国の人間は涙を流しながら感謝した。
この一見甘いともとれる処置に。一部から非難の声があがったが、戦火が収まった後での流血を嫌ったジルクニフの意向により、その声は治まった。周辺国家も人道的な観点から肯定の姿勢をとった。
政治的な問題から、元王国領や帝国内に住む事が望ましくない彼らに対して、事態を憂慮した竜王国のドラウディロン・オーリウクルス女王の格別の厚意で、竜王国内に租借地が提供された。これについてドラウディロン女王は帝国、元王国の双方に一切の租借料を求めなかったばかりか、元王国に対して少なくない物資を毎年援助し続けた。
これは竜王国の帝国に対する政治的な配慮という一面があった事は否めないが、亡国の主従や民に、嘗ての竜王国の惨状を重ねた、うら若き女王のセンチメンタリズムの顕れだったのではなかろうか?国民もそんな女王の想いを慮って、元リ・エスティーゼ王国の主従と民を温かく迎え入れたのだった。
ビーストマン国と国境を接する、シベリア地域の殆どを占める「リ・エスティーゼ自治領」にランポッサ三世と王国貴族、領民10万人が移住したのは、帝国歴196年秋の事だった。
リ・エスティーゼ自治領が位置するシベリア地域は、昔からビーストマン国との交流が盛んな地域であった為、リ・エスティーゼ自治領も、ビーストマン国とは深い関係を持つ事になった。これが功を奏したのか、あまり良好な関係とはいえなかった竜王国とビーストマン国との関係が好転したのは、リ・エスティーゼ王国では暗君といわれたランポッサ三世の唯一にして最大の功績であるといえるだろう。毎年ビーストマン国からの不法入国者による、竜王国内での違法な狩猟行為に悩まされていたドラウディロン女王は、ランポッサ三世へ感謝状を贈ったという。
シベリア地域は昔から牧畜が主産業だった為、自治領もこれに倣い牧畜を主産業にしていく事になる。ビーストマン国の協力もあり「リ・エスティーゼ牧場」のブランドは隣国のビーストマン国だけでなく、はるか遠方のトロール国やミノタウロス国、そしてア○ンズ・ウ○ル・ゴ○ン魔導国でも圧倒的な支持を得るまでに成長する事になる。
この「リ・エスティーゼ牧場」は将来、ローブル聖王国の「デミ○ルゴス牧場」と業務提携を結び、食肉だけでなく、羊皮紙のブランドとしても名声を得る事になるのは余談である。
旧リ・エスティーゼ王国の大部分を版図に加えたバハルス帝国は、困窮する旧王国領に、門閥貴族から選出された優秀な人物を封じ、優秀な官僚団を赴任させた。これによって旧王国の治安と、国民の生活が大幅に改善されることになった。
竜王国ではビーストマンによる被害が激減した事による、GDPの大幅な増加と、建国以来初の快挙ともいえる人口の大幅増を達成出来た。このベビーブーム(駐屯する帝国軍兵士の影響も大きかった)は数年間続き、後の竜王国発展の礎となった。
スレイン法国ではバハルス帝国との間に成立した、人類条約機構の影響で戦力の温存と強化を図れた。悲願であった聖地ヴェルザスカル奪還と、神殿建立計画による国威高揚も凄まじい。
こうして帝国歴196年は過ぎていった。大陸に住む誰もが激動の年を振り返って、来年の平穏無事を祈った。しかし翌年の帝国歴197年、周辺国家を激震させる存在が降臨する事を知る者は大陸に唯一人であった。
その男の名はガゼフ・ストロノーフ
帝国英雄伝説 (完)