*5年前
「たくと、テレビみよー」
「みない」
「じゃあ、ゲームしよー」
「しない」
「ほんじゃ、たくとは何がしたいの?」
「なにもしたくない」
この家に来て数時間が経った。
従姉のこなたは苦手だ。うるさいし、やたらと干渉してくる。
「せっかく一緒に暮らしてるんだから、仲よくしようよ」
「しない」
「どして?」
「どうせ、すぐ別れることになるから……」
両親の仕事の都合上、俺は1か所に長く留まった事がない。
転校と転居の繰り返しは、俺に一つの答えを教えてくれた。
それは、『執着しないこと』だ。
あまり入れ込み過ぎると、別れが辛くなる。最初から冷めた心で暮らしていれば、いざ別れの時に苦しい想いをしなくて済む。
「そうか。たくとは寂しんぼさんなんだね……。よぉーし、あたしが慰めてしんぜよう。よーしよしよし」
「や、やめっ……」
こなたが、その小さい手で俺の頭を優しく撫でまわす。
振り払う事は簡単に出来たが……何故か、それが出来なかった。
なんだろう、胸の奥が……すこし暖かい感じがする。
「んん~、遠慮はいらないよ。こなたお姉ちゃんに甘えなさい」
「俺よりチビの癖に、お姉さんはないだろ」
「なんですとー! むぅぇ~~~っ!」
こなたはぷくーっとほっぺを膨らませた。
まるでリスが頬袋にエサをため込んでいるかのような絵面に、俺は思わず吹き出してしまった。
「やっと笑ってくれたね」
「お前が笑わすからだ」
「確かに、たくととはすぐにお別れしちゃうかもしれない。だから、一緒に居られる今を、全力で楽しみたいんだよ」
「そんなの、別れるときに辛くなるだけだろ……。なんでそんな考え方ができるんだよ」
「だって、楽しかったら、また会いたいって思えるでしょ? 確かにお別れは悲しいけど、生きてさえいればまた会えるじゃん。何年か後に、あの時は楽しかったなー、また会いたいなーって思えるように、今と言う時を、胸に刻み込むのだよ!」
こなたはそう言うと、恥ずかしそうにポリポリと頬をかき、
「な、なーんてね、うひゃー! あたし、いまめっちゃカッコいいこと言っちゃったー!」
顔を両手で覆い、ゴロゴロと床を転げまわった。
「バカか、お前は」
バカだが、なんていうか、悪いやつではなさそうだ。
俺はポケットの中から携帯ゲーム機を取り出した。
「なあ、ホゲモン持ってるか?」
「え? うん、持ってるけど」
「対戦、するか?」
「……うん!」
嬉しそうにほほ笑む従姉を前にして、俺は久しぶりに心が和むのを感じた。
*
ジリリリリ
やかましい目覚ましの音で目が覚めた。
見慣れない天井が視界に入ってくる。
ああ、そういや昨日からこなたの家に厄介になっているんだったな。
だから、あんな懐かしい夢をみたのか。
俺はベッドから起き上がり、軽く伸びをする。
むにゅ。
ん? なんだこれ。
右手に伝わる柔らかい感触に、俺は戸惑いを感じる。
視線を向けると、そこには穏やかな寝顔をしたこなたの姿があった。
どうやら、俺はこなたの胸に手を当ててしまったようだ。わざとじゃない。事故だ。
にしても……ないように見えて、少しはある。
子供の頃一緒に風呂に入った時はぺったんこだったのに。この5年で、こなたも少し大人になったという事か。
「てか、なんでこいつが一緒に寝てんだよ。おい起きろ」
「ふぁあ~……。あ、たくと。おっはー」
「ああ、おはよう」
俺は軽く挨拶をかわし、ベッドから降りた。
「ちょちょちょ、ちょーっと待ってよたくと!」
「なんだ」
「寝起きの添い寝イベントを無視するとは、けしからんよ! 何か一言あってもいいんじゃない!?」
「ナンデコナタガオレノフトンニー。これで満足か?」
「うわーものっそい棒読み。せっかく起こしにきたついでに添い寝もしてあげたのに、たくとは相変わらずドライですなぁ」
「そうか?」
「そうだよ。普通、女の子が隣に寝てると分かったら、もっとこう、ドキドキするもんだよ」
「ドキドキならしたぞ。俺はそういったのを表には出さない性分なんだ」
「え?」
「なにせ、女の子の胸を触ったのは初めてだからな」
「なっ、なぁああああんですとぉおお! あんたって人はぁあああ!」
こなたがベッドから飛び起きると、俺に詰め寄ってきた。怒ってはいない、寧ろ嬉しそうだ。
「見直したよ!」
「いや、見損なえよ」
「あの朴念仁のたくとが、女の子の体に興味を持つようになるなんて……あたしゃ従姉として嬉しいよ」
「いや、事故で触っちまっただけだ。謝る、すまん。なんなら2~3発殴ってくれても構わん」
「いやいや、嬉しいねぇ、はっはっは!」
「話聞けよ」
結局、こなたは最後まで俺の聞いてはくれなかった。
****
「おー、たくと君、おはよう」
「おはようございます、そうじろうさん」
居間に行くと、椅子に腰かけたそうじろうさんが新聞越しに笑顔を向けてきた。
俺はそうじろうさんの向かいの席に腰を下ろす。
「いやーごめんね、昨日は帰りが遅かったから挨拶ができなくて」
「いえ、いいんです。こちらこそ、急な申し出を受け入れてくれて、本当にありがとうございます」
「いいんだよ、家族が増えて賑やかになるし。そういえば、ひなたちゃんは元気かい?」
ひなたとは俺のお袋の名前だ。お袋の姉のかなたさんの旦那さんが、このそうじろうさんで、お袋、かなたさん、そうじろうさんは仲良し幼馴染だった……という話を聞いた事がある。
「ええ、今頃オーストラリアで恐竜の化石を掘り起こしていますよ」
「はっはっは、ひなたちゃんらしいや」
古生物学者として活動している両親は、この度めでたくオーストラリアの化石発掘チームの一員として迎えられる事となった。
そこで、俺には2つの選択肢があった。
1、一緒にオーストラリアへ行く
2、一人暮らしをする
俺は2を熱望したのだが、一人では堕落した生活をするのではないかと心配した両親の意向もあって、俺の行先はそうじろう叔父さんの家へと決定した。
「それにしても5年ぶりかぁ……たくと君ももうすぐ高校2年生になるんだね」
「ええ。この春休みが終わったら、晴れて高2です」
「あの小さかったたくと君が、こんなに立派になっているだなんて、感慨深いよ。彼女はできたのかい? ん?」
「いえ、そういったのはまだ」
「おいおいたくと君、青春は待ってはくれないよ? 今しかない、高2の人生をフルスロットルで楽しまなきゃ!」
「大丈夫だよ、おとーさん」
トレーを持ったこなたがキッチンから出てくる。
こなたはトーストとコーヒーを俺たちに配りながら、
「たくとはちゃーんと青春してるよ」
「ほう、そうなのか?」
「だってさっき、あたしおっぱい揉まれたもん」
「んぶっほぉっ!」
そうじろうさんがコーヒーを噴出した。新聞紙がみるみる茶色に染まっていく。
「こここ、こなた……そそそそ、それは、どどどど、どういったことで」
「いやー、寝起きドッキリイベントを仕掛けたら、ラッキースケベで揉まれちったみたい」
「うぉおおおおおおお! ストロンガァアアアア!」
そうじろうさんはビリビリと新聞を破り捨てると、肩で息をしながら鋭い眼差しを俺に向けてきた。
「あの、一応弁解しますが事故なんです。わざと揉んだわけじゃないんです」
「た、たくと君……君は良い子だ……君にならこなたを任せられるとも思っている」
「話聞いてください」
「だがら! おでは! ふだりをおうえんずる!!」
そうじろうさんは泣いていた。……なぜ泣く?
「うわぁあああああ! 青春、ばんざぁあああい!」
そして、そのままどこかへと走り去ってしまった。
「ごめんねー。お父さん、まだ娘離れできてないんだよ」
「そうなのか。しかし、なぜ泣く?」
「きっと、お前に娘はやらん! って気持ちと、君になら娘を任せられる! って気持ちがぶつかり合って暴走したんだよ」
だからって、泣きながら走り去る事はないだろう……。
泉家の人間は変わっている。そう思った居候初日の朝だった。