恋姫無双~白狼伝~   作:あるなし

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討伐の諸将と、狩猟の二将と

「敵は無終の城に拠った。その数、推定八万だ」

 

 公孫賛が上座より語る言葉を、趙雲は左列の第二席にて聞く。

 

「とはいえ、攻城戦にはならないと思う。無終の防衛力は低いし、そもそも八万もの軍勢を治められる城じゃない。住民の反発も強いだろう。まず間違いなく打って出てくる。野戦こそ烏桓の本分だしなあ」

 

 いつものようにすくめたその肩には、いつにはない外套が羽織られていて、先の戦いにて受けた傷は人目に触れることがない。痛みを表情に出すこともない。総大将とはそういうものだ。

 

「川のこちら側に引き込むか、あちら側に寄せるか……」

 

 泃水の流れを東に見るここは、烏桓討伐軍五万余の本陣である。幕舎の内には幽州、冀州、青州から集った諸将が居並んでいる。官位からすれば、先の黄巾討伐と引き比べていかにも見劣りする面々だが。

 

「……いずれにせよ、決戦だ」

 

 公孫賛の言葉に応ずる声は意気軒昂、互いの地位や兵力の差を越えて一致団結せんとする雰囲気がある。そして一同の中には傑物も交じる。

 

「腕が鳴ります」

 

 そう発言したのは右列の席半ばに座す、黒髪の美女だ。平原の県丞・劉備の配下にして青龍偃月刀を使う武人、関羽である。

 

「『白馬将軍』の差配にて戦うことは喜びです。是非とも、この関雲長に先陣の名誉を賜りたく」

「おお、幽州にも聞こえたその武勇、是非とも振るってもらうじゃないか」

「きっとご期待に副いましょう!」

 

 軍礼を返す様も颯爽として、漲る気炎を隠すところもない。やはり強い、彼女は。直接に刃を交わさなくとも、趙雲の心身へ響いて来るものがある。小さく、震えた。

 

「では、我々はそれを支える位置に配置してもらいたく存ずる」

 

 右列第二席から青髪の佳人が、どこか楽し気に発言した。典軍校尉・曹操の配下である夏侯淵だ。今日に辛うじて間に合う形で来援した。率いてきた兵力は騎兵のみで五百である。

 

「わかった。貴軍には中軍を補佐する位置についてもらおう。騎射を専らとして槍合わせを援けてくれ」

「守勢の遊撃部隊、という理解でよろしいか?」

「ああ、それで正しい。烏桓騎兵は速いからな。その牽制も任せたい」

「承知した」

 

 五百騎という数の使いどころとして適切に思われた。この武人が騎射の上手であることは冀州戦線で知れているし、かの曹操軍の中核にあった部隊となれば期待もできる。静かなる武の気配も感じられる。

 

 その後も引き続く諸将の要望を、公孫賛は是々非々ながらも概ね承認していく。聞く内に戦の絵図面が浮かび上がってきたから、趙雲は口の端を上げた。中々に挑発的な布陣だった。

 

「では最後に……」

 

 公孫賛の視線を追うようにして、趙雲は右列の最前席を見た。

 

「左翼は、突騎兵三千騎にお任せしたい。どうだろうか」

 

 聞こえているのかいないのか、赤髪のその女は、ぼんやりとただ座るのみである。傍らの副官か従者かに促され、わかっているのかいないのか、ゆっくりと公孫賛へ顔を向けた。

 

「……ん」

「よかった。活躍を期待する――呂将軍」

 

 適当に頷いた、この女こそ最も凄まじい。大将軍・何進の配下にして虎の子の突騎兵部隊を率いる武人……呂布。字を奉先。その武の器は、趙雲にもまるで推し量れない。

 

 ふと、隣を見た。

 

 左列第一席に座る耶律休哥は、こちらもまた起きているのかいないのか、半眼で床を見つめ続けていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 呂布にとって、軍事とは狩りの変種であった。

 

 人を獲って食おうというのではない。戦場へ出て人を殺めると金銭を得られる。それは食料と交換でき、そうすることで山へ入るよりも余程に大量の食料を得られる。なるほど何進という女は肉だけでなく食の様々について詳しかった。

 

 つまりは、戦場とは狩場だ。仕事場と言ってもいい。楽しくはないが生きていくためにはそこで働かなければならない。

 

 黄色い頭巾の有象無象は、殺めやすいものの数が多くて、面倒だった。

 

 今回はどうだろうか。何が相手であれ馳せ寄って方天画戟を叩きつけるのみであるが。

 

 そういう風に呂布は考えるから、川の向こうに敵を見つけた時、その数の多さにまずは辟易とした。八万一千二百七人もいる。その内の三万とんで四百九が騎馬だ。一度に相手にできる数ではない。

 

 さて、今日の味方はどれくらい戦えるのか。

 

 呂布が冷めた思いで振り返れば、率いさせられている三千騎が軍旗を掲げたところだった。深紅の旗の中央に、大きく「呂」の字。何進が用いることを義務付けてきたものだ。つまりは仕事の規則である。味方の集団の中にも幾つか似たような旗が掲げられている。

 

 一つの旗が、気になった。

 

 「休」の字が書かれたそれ。

 

 それは徒歩兵の群れの後ろ、最も逃げやすい位置で風にはためいている。旗の下には二千一騎がいて、どの一騎からも油断できない気迫のようなものが感じられる。呂布は既視感を覚えた。過去にああいうものと戦い、傷を負ったような気がしてならない。

 

「……っ!」

 

 狼だ。

 

 あれは獲物を見定める狼に似ている。無暗に跳びかからず、囲んで、一気に噛みついてくる狼の気配そのものだ。美しくも恐ろしく、まるで懐くところのない、生粋の「狩る」ものども。

 

 本当に味方なのか、あれは。背を向けていいのか。

 

 確信が持てなかったから、呂布は距離を開けることにした。進む。すぐにも渡渉し、とにかくも殺すべき敵へと向かう。

 

 太鼓の音がする。連打されている。それで気が急く。味方も動くのだから、あの狼も来る。

 

 前方の敵は動きが鈍い。だいたい五千騎ずつの三つに分かれているから、最も近い真ん中の一つに狙いを定めた。方天画戟を握りしめる。馬腹を蹴る。馳せ寄せて。

 

 一振りで三騎、二振りでもう三騎、三振りもすれば計十騎を殺した。

 

 次々に殺す。蹴散らす。敵がまとまっている内が殺し時だ。無心で殺す。できるだけ早く殺し尽くしたい。斬って突いて叩いて、裂いて穿って抉って、血肉を撒き散らしている内に終わりが見えてきた。もうすぐ突き抜けてしまう。転身だ。左右どちら側にも別のまとまりが認められる。なら左だ。なるべく外側の方が、いざという時に逃げやすい。

 

 そう、呂布は今、逃げ出すことを常に念頭に置いていた。

 

 傷つきすぎてまで戦うことなど、ない。逃げることは必要なことだ。生き残ることが勝ち残ることだ。死んでしまっては、食べられず、食べさせてやることも出来なくなる。狩りとはそういうものだ。

 

 敵の多さに怯んだのではない。あの狼の群れが、怖いのだ。

 

 見れば味方は大いに攻めていて、徒歩兵同士の殴り合いは押しに押しているし、その向こう側では白馬の群れを中心とした騎馬兵が敵を翻弄している。いい動きだが。

 

 しかし、恐るべきは、その更に向こう側を駆ける群れだ。

 

 いる。「休」の字を掲げた狼たちは、既にして敵騎馬兵の群れを突破していた。呂布よりも後から攻め始めたはずだというのに、同時か、あるいはより早く駆け抜けてしまったのだ。白馬の群れはその後の混乱を拡大しているに過ぎない。

 

 来る。あれはきっとこちら側にまで来る。呂布にはその確信があった。

 

 だから殺すことを急いだ。競争なのか闘争なのか定かならぬ思いで、焦った。大いに殺して、稼いで、いつでも逃げ出せるようにしておかなければならない。あれが迫り来た時、別のことにかかずらっていては危険だ。あれはそういう相手だ。

 

 飛来した矢を手刀で払った。敵が、しつこい。思うように殺せない。もっと早く殺したいのに。

 

 方天画戟を空振りした。滅多にないことだ。跨る馬のせいだ。どうやら馬の目に血が入ったらしい。敵の血だ。すでに鬣は血の色に染まっている。こういうことは、ある。あるが、鬱陶しい。腿で締めつけて御す。

 

 それが隙となったものか、周囲に敵がいなくなった。逃げられたのだ。追おうにも、かくも散り散りに駆けられると手間がかかる。それでも追う。何も騎馬兵に限らずともよいのだ。徒歩兵も逃げている。その無防備な背中を撫で斬りにしていく。

 

 鐘が打ち鳴らされた。それは終いの合図だ。狩りはここまでか。

 

 呂布は息を吐き、振り向いた。深紅の呂旗が風に音を立てている。その旗の下には一千八百二十八騎の味方が、思い思いに血塗れとなって待機している。随分と減ったように思う。

 

 勝鬨が上がっている。繰り返し、繰り返し、それは上がる。

 

 狼は、どこだ。

 

 呂布はそれを遠くに見つけた。そして納得した。やはり狼は狼だ。人間の規則に縛られることなく、自由に狩る。どこまでも鋭く獲物を切り裂く。

 

 狼は、敵の騎馬兵を好き放題に食い散らかしていた。

 

 騎乗する人間を容赦なく突き落とす。馬を導いてこちらへと駆けさせる。徒歩兵は視界にも入っていまい。そうやって馬を得ている。恐らく、それでまた群れを増やすのだ。狼が増えるのだ。

 

 そうやって満腹するのなら、襲ってはこないだろう。

 

 呂布は安堵して、方天画戟を下ろした。

 

 ぐうと、お腹の虫が鳴いた。


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