恋姫無双~白狼伝~   作:あるなし

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涼州の乱と、幽州の乱と

 曇天の下、公孫賛軍が行く。

 

 黄巾討伐の時と同じ編成の三千二百騎および輜重隊である。負傷者の一人とてなく、兵装も身綺麗なまま、幽州への帰路を急いでいる。強行軍に近い。並の将兵であれば脱落者も出ていたに違いない。

 

 大きく息を吸い、吐いて、趙雲は西の空を見た。

 

 涼州の乱を鎮圧すべく進発したはずだった。

 

 精強なる騎馬軍を欲されての抜擢だ。先の黄巾討伐で武名を高めた別部司馬・孫堅や、羌族征伐で名を馳せた破虜将軍・董卓などと轡を並べることは、きっと公孫賛に栄達の道を拓くだろう。趙雲としても腕の鳴る思いであったが。

 

 また一つ深い呼吸をして、趙雲は北東へ、進む先へと顔を向けた。

 

 幽州が、危機にある。

 

 北東辺境より突如として異民族の大軍が侵入、遼東・遼西・北平の三郡は既に陥落し、渤海北岸は蛮行の跳梁するところと化した。幽州内に住まう諸族の不満分子を吸収しているという話もあり、その侵攻の勢いは怒涛のごとくであるという。

 

 恐るべきその敵勢は……烏桓族だ。

 

 鮮卑族と祖を同じくする彼らは、はたして強力な騎馬兵力を有する。騎射の達者が多い。趙雲の配下にも烏桓族の出自の兵がいるからそれとよく知る。

 

 朝廷は公孫賛へ命を下した。急ぎ幽州へ戻り、乱を鎮めよと。

 

 無茶な話だ。

 

 歩兵相手ならばいざ知らず、騎兵だけでも数万騎と確認されているのだ。しかもその練度は黄巾党の騎馬兵などとは比べ物にもなるまいと思われた。遊牧民族は幼くから馬と共に生きてきたのだし、そもそも馬の質からして中原とは違う。

 

 かく思う趙雲の愛馬とて北方産である。公孫賛軍の強さの一つは、まさに異民族と同じ馬を運用している点にある。そこの条件が同じになるのだから、無理は通りにくくなる。当然のことだ。

 

 号令が聞こえた。そこかしこに将兵たちの溜息がこぼれ落ちた。

 

 ここでしばしの休止となるが、それは人のためのものではない。誰もがすぐにも己の馬の手入れをする。飼葉も与える。現状、いかに馬をもたせられるかが軍の命運を左右するからだ。

 

「よし、存分に食べるのだぞ。白龍」

 

 白く逞しい首を撫で、趙雲はその場を後にした。白馬の列の先へ行く。

 

 風なき空に軍旗も垂れて、斥候が一騎二騎と行き来するそこに、公孫賛は佇んでいた。手に持った何かを覗き込み、小さな頷きを繰り返している。馬の尾のような髪が三度四度と跳ねる。何とも珍妙な動きだ。

 

 頬が緩む。趙雲は、普段通りに一生懸命な公孫賛の姿を、束の間だけ眺め楽しんだ。

 

「さて、伯珪殿。いかがしましたかな? まだ敵は遠くござるが」

「子龍、いいところに。呼ぼうと思ってたんだ」

 

 ぐいと示されたのは河北図であった。

 

「ここで軍を分ける。子龍はこのまま河北西路を北上して薊へ入ってくれ。私は河北東路へ転じて平原、南皮と援兵を要請しつつ渤海西岸へ出る」

「それは……軍略を変更すると?」

「敵の規模が十万を超えたらしいんだ。でも、州都を防衛の要にするっていう部分は変えない。幽州西部の兵も他州からの援軍も、まずは薊に集まるからな」

「さりとて、それきりで侵攻に蓋すること叶わずと見ましたか」

「さすがになあ……それに、遊牧民族は城攻めを厭う。州城に固執はしてくれないだろ」

「ふむ。そうとなれば渤海沿いに南下する恐れがありますな。烏桓勢の侵攻速度から鑑みるに、冀州どころか青州にまで及ぶやも」

「その頭を押さえるために、私が行く」

 

 公孫賛の目が、強い光を発したかに見えた。

 

「黄巾の折、冀州はもう充分に傷ついた。これ以上は絶対に荒らさせない」

「……幽州の安寧までが、伯珪殿の職責という気もしますぞ?」

「違う。それは違うよ、子龍」

 

 まるで騎馬突撃を敢行する時のような顔つきで、凛として、彼女は言う。

 

「私の職責は、漢の北辺を護ることだ。漢を脅かす外敵を打ち払うことだ。私には大志も大望もないけどさ、それだけは絶対なんだよ」

 

 覚悟だ、それは。

 

 護国の軍人としての覚悟が、今、名剣も持たない彼女の瞳に輝いている。

 

「……寡兵をもって大軍に当てられても、ですか」

「州兵指揮の虎符を下されてる。寡兵ってこともないさ。それにほら、何進大将軍閣下の虎の子部隊も来援するって話だし」

「ああ、例の突騎兵というやつですな。精鋭三千騎だとか」

「并州方面から来るっていうから、やっぱり薊で合流することになる。対応を頼むよ」

「それは構いませんが……」

 

 ひやりとしたものを覚えて、趙雲は口を濁した。

 

 公孫賛の身が案じられたのだ。

 

 冀州には黄巾の残党が多く潜伏している。決戦地・鉅鹿郡こそがまさに太平道の本拠地であったためだ。指導者を失った今も、渤海西岸から南岸にかけては特に治安が悪い。民心に不穏なものがあるという。

 

 もしも、諸郡の援兵が集まらなければ? 烏桓勢に触発されて黄巾残党も決起したら?

 

「私が河北東路へ、というわけには」

「無理だよ。交渉にはどうしたって官位と肩書が必要になるし」

「では、私の方は二百騎のみにして、伯珪殿は三千騎を」

「おいおい。状況は流動的だってのに、臨戦態勢でないでどうするんだ」

 

 苦笑して、公孫賛は言った。

 

「遜寧じゃあるまいし」

「そう、耶律休哥殿だ」

 

 趙雲は手を打った。忘れていたわけではない。忘れられるような男ではない。

 

「薊には彼が近い。そちらは任せて、私たちは軍を分けずに……」

「子龍。子龍。心配してくれてるのはわかるんだけどさ?」

 

 ぽんと趙雲の肩を叩き、公孫賛は笑った。

 

「遜寧、もう所在が知れない」

「は?」

「二千騎で進発、漁陽郡で烏桓の先鋒一万五千を潰走させた後、北平郡へ入って音沙汰無しだそうだ」

「はあ?」

「敵の混乱っぷりから察するに、あっちこっちで烏桓部隊を襲ってるんじゃないか?」

「……なんともはや」

「ぶつかる強さとか駆け引きの上手さとかも凄いと思うけど、あいつの埋伏の凄まじさって、ちょっともう意味わかんないくらいだからなあ」

「それは確かに」

「何でか知らないけど、幽州全域の地形に詳しいしなあ」

 

 遠く北東の空を眺めながら、公孫賛は呟くように言った。

 

 まるで何十年も幽州を戦場にしてたみたいにさ、と。

 

 どう答えていいかもわからず、趙雲もまた北東を見た。雲間から差す光芒が照らすものは何であろうかと、そんなことを思った。

 

 

◇◇◇

 

 

 夜明けを待って、耶律休哥は動き出した。

 

 斥候は四方八方に放つ。そういう戦をしている。ほどなくして烏桓の部隊を一つ捉えた。その数は六千あまりで、騎兵が半数を占めている。輜重車が多い。運び込む先は知れている。追い込むべき地形もまた、わかる。埋伏に適した場所も、避けるべき場所も、全て把握している。

 

 ここでは、いかようにも戦える。

 

 当然だ。ここは「遼」なのだから。

 

 この辺りは漢族から割譲され、支配していた地域である。燕雲十六州と呼んでいた。ここばかりか冀州や并州の北部も含む。そもそも幽州とはそのままに「遼」だ。耶律休哥の故国だ。遼西郡、遼東郡という名称を聞いた時には感じ入ったものだ。

 

 どこを眺めやっても、思い出されるのは戦いの記憶である。

 

 山で、丘で、野で、河で、どれほどの熾烈な戦を重ねて来ただろうか。まさに燕雲十六州こそが「遼」と「宋」の係争地であった。国主の宿願がぶつかり合い、譲らず、何十万何百万の将兵が戦場の土となった。耶律休哥もまた死んだ。激闘の中、命尽きた。

 

 そして、今もまた戦っている。

 

 およそ人というものは、戦わなければ生きていけない生物なのだ。それぞれに譲れない思いを抱えながら、争い、何かを得る代わりに何かを失う。死ぬために生きている。

 

 耶律休哥は公孫賛を思った。

 

 娘のような彼女は、息子に似ているその一方で、宿敵にも似ている。軍人としての力量はまるで及ばずとも、抱えている思いが似通うように思われるのだ。ひたむきに軍人たらんとする姿勢の出所が、己とは違うと。

 

 そんな彼女の不在時に、大規模な侵攻を受けた。諸郡の軍は役に立たず、役人たちも混乱した。彼女が帰還しなければどうにもならない状況となった。幽州を水桶に例えるなら、強い衝撃を受けて水漏れの激しい状態だ。彼女ならば桶を直せるだろう。しかし時が足るまい。水が残るまい。

 

 こういう時のための独立行動権であった。

 

 水を残すために、動く。

 

 烏桓の六千は山間を避けて行軍している。警戒しているのだ。また、多少でも開けた場所でならばどんな襲撃であれ対抗できると考えているのだろう。騎兵は精兵で、歩兵は降兵混じりの弱卒と窺える。

 

 そこへ、五百騎で寄せた。遠間からだ。

 

 すぐにも騎兵が反応してきた。やはり動きがいい。こちらを討たんとする気迫がある。歩兵と共に残ったのは五百騎ばかりで、二千五百騎が横に広がりつつ駆けてくる。一騎も逃さぬ構えだ。

 

 反転し、迫る敵に背を向けた。

 

 それで敵が勢いづく。歩兵から更に離れる。散発的ながらも矢を飛ばしてきたから、呆れた。鳥でも狩っているつもりかと思った。

 

 背後で喊声が上がった。敵のものではない。次いで上がった悲鳴こそが敵のものだ。

 

 再び反転する。敵は浮足立っている。さもあれ、伏せていた一千五百騎が歩兵を目がけて殺到していく。山間でなくとも兵を伏せる場所などいくらでもある。そも敵地で強気に動くことが誤りなのだ。

 

 さても、脆い。歩兵三千卒は碌に陣も組めずに崩れ始めた。残っていた敵五百騎も迎え撃つでなし、二千五百騎に合流するでなし、半端な動きで鋭気を失っている。

 

 怒鳴り散らす一騎を見定めた。あれか、敵将は。

 

 二百騎ずつ二隊を突っ込ませた。中央をかき乱させる。動揺を拡大させる。

 

 そして、一百騎の先頭でもって馳せ入る。切り裂いていく。

 

 一つ二つと首を飛ばし、三つ目で、髭面のそれを刎ね飛ばした。


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