恋姫無双~白狼伝~   作:あるなし

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疾風の騎馬軍と、恩師の将軍と

 公孫賛は馳せる。疾風のごとくに。

 

 掲げる旗には「公」の字も燦々として、率いるは白馬でそろえた一千五百騎である。

 

 前方に見えるは冀州黄巾党の第四軍八千卒で、陣形は鶴翼、装備はそれなりで軽装の者が多いものの武器がいい。こちらはその左翼側へと迫る形勢であり、右方へ迂回する余地も残している。

 

 見る。敵の兵気は盛んなれど受け身にして頑なだ。

 

 変化に弱い。そう見極めた。 

 

 その八千卒の後ろには二千騎あまりが遊撃の構えで控えているが、そこには明白な戸惑いが見受けられた。動くに動けないという態だ。

 

 さもあれ、別翼からも同じ旗を掲げた一千五百騎が駆け迫る。

 

 その先頭では紅の名槍を引っ提げた武人が気勢を上げていよう。早々と名乗りをすら上げているかもしれない。最近では新たな異名もついて本人はそれをいたく気に入っていた。自称するものでもないが。

 

 さても、先は取った。

 

 後は速さの問題だ。

 

「一番槍は……また子龍かな」

 

 見切って公孫賛は剣を抜いた。麾下の者たちもそれに倣う。やや速度を落とした。それで生じる時間差が敵二千騎を動かすだろう。その動きに応じて変化したい。

 

 趙雲が仕掛けた。

 

 左方へ迂回し敵騎兵に当たると見せて、急に旋回し、八千卒の右翼横合いへと突っ込んだ。部隊を槍の穂先のように尖らせる、趙雲得意の隊形だ。敵軍全体に衝撃が走る。左翼側にまで動揺が伝わって来た。きっと趙雲が己の武威を存分に発揮しているのだろう。

 

 さて、敵二千騎はどう動く。

 

 そちらか。趙雲隊の尾に喰いつく、その素振りを見せた。 

 

「縦列!」

 

 公孫賛が命じれば、一千五百騎は即応する。手信号だけではまだ心許なく、また、声にして己を奮い立たせる意味もあるものの。

 

「最速!」

 

 動かせる。己の思うままに。

 

「抜けるぞ!」

 

 迂回する。白き駿馬を能う限りの速度で疾駆させる。

 

 敵歩兵は置き去りだ。槍を寄越させない勢いで、身体が外側へ振られるほどの猛烈さで、一気に八千卒の後背へと出た。目前には敵二千騎がいる。先頭付近に位置するだろう指揮官はまだ気づいていまい。

 

 気の抜けたそこへ。隙だらけのそこへ。

 

「突撃!」

 

 突き刺さる。

 

 切り裂き、分断する。逃しはしない。

 

「三部! 崩せ!」

 

 五百騎ごとの三部隊に分かれ、敵騎兵を更に細かく崩していく。もはや半壊させた。しかしもう半分の側に指揮官がいる。糾合させるわけにはいかない。その余裕を与えない。

 

「各部、当たれぇ!」

 

 二部隊を先行させ、敵一千騎余りを挟み込ませた。当たりは浅い。しかし絡みつく。焦りを誘う。無理矢理に振り切ろうとした、その乱れへ。

 

「行く!」

 

 馳せ入った。二つ三つと黄色い頭巾の首を飛ばす。いざや死地かな。ここは愛馬に跨り渡りゆく、速き熱き闘争の巷ぞ。積み上げ、練り上げてきたものを、出し惜しみなく炸裂させて。

 

 そこか。

 

 白馬を染める鮮血の霧の、その向こう側に、上等な戦衣を羽織った姿あり。

 

「おおおっ!!」

 

 公孫賛の得物は何の変哲もない普通の剣だが。

 

 斬れるのだ。

 

 その刃に込めたるものが、敵を、斬らずには置かない。

 

 

◇◇◇

 

 

 冀州黄巾党第四軍の渠師は、趙雲の槍先にてその首級を挙げられた。歩兵の列の最奥に隠れていたところを一合のもとに刺し貫かれたという。

 

「はー、今日も凄かったわねえ」

 

 北中郎将・盧植は感嘆をもってその戦振りを思い返した。

 

「本陣から見ているとね? 一千五百騎がまるで一頭の龍のように敵陣へ襲いかかって、ぐいぐいと身をくねらせながら食い破っていって……そうね、黄色い雲をまとって空へ昇るようにも見えたわ! そう思うとなるほどよねえ」

 

 諸将の同意を集めつつ当の本人を見やれば、我が意を得たりとばかりに彼女は頷くのだ。

 

「まさに! 『常山の昇り龍』とは、まさにこの趙子龍のことでござる。付け加えるならば、龍の牙は紅色であったということ」

 

 確かにそうだと大幕舎の中は盛り上がった。誰も表情が明るい。

 

 ついつい漏れた吐息を、盧植は微笑みでもって誤魔化した。安堵するにはまだ早い。予断も禁物だ。官軍五万を預かる指揮官として常に緊張感を持っていなければならない。

 

 しかし、思うのだ。

 

 よくぞここまで来れたと。

 

 この冀州戦線は、主戦場となった豫州潁川郡に比べて容易いと思いきや、いざ進軍してみればいずこにも勝るとも劣らない激戦地であった。特に鉅鹿郡に入ってからは苦しい戦が続いた。一万人規模の「方」と称する軍団が複数確認されており、想定外に組織立った抵抗であった。

 

 あるいは一時撤退も止む無しか。

 

 洛陽より援軍が派遣されてきたのは、そんな局面における朗報だった。

 

 騎馬ばかりで編成された三千二百騎からなるその一軍は、来援するや否や二万からの敵戦列を突破してのけた。その後の働きも物凄まじく、戦局を優勢へと傾ける要となった。たかが三千ばかりでと落胆していた諸将も手のひらを反したように絶賛を繰り返している。

 

 騎馬軍の掲げる軍旗は、いつしか連戦連勝の象徴とすら見られるようになったのだから。

 

「……本当に、立派になったわねえ」

「は、はは……戦功第一位になったことないですけどね、私」

 

 盧植の傍らで苦笑いを浮かべているのは、その騎馬軍を率いてきた人物だ。幽州涿郡の令にして「白馬将軍」の異名で畏怖される勇将、公孫賛である。

 

「あら? 配下の手柄はあなたの手柄よ?」

「それはまあ、そうなのかもしれないですけど……私の行く手には、何でか手柄首がないんですよね。この不思議をどう思いますか、先生」

 

 かつて盧植が私塾を開いていた折、公孫賛はそこの塾生だった。理解が早く努力家ではあったものの、強く印象に残るような人物ではなかったが。

 

「でも、すっごくカッコよかったわ! 敵陣の背後へ回り込む様は、速くて綺麗で、白い疾風みたいだったわよ? 遊撃部隊を蹴散らす様は、そうね、白き烈風とでも言いましょうか。敵を吹き飛ばす勢いだったものね。最後の突撃もとっても勇猛果敢で、私、ビックリしちゃった!」

「おお……こ、こっぱずかしい……!」

「でも、公孫賛ちゃんのカッコいいところ、私しか見てなかったかもねえ……ほら、手前で趙雲ちゃんが大暴れしてたから」

「ですよね! やっぱりね!」

「あ、あのね?」

 

 慰めようと思案した盧植の言葉は、しかし、公孫賛の笑顔に止められた。

 

「でも、もう報われてます」

 

 心底から嬉しそうに、言うのだ。

 

「先生に褒めてもらえたなら、十分なんです。だって恩返しに来たんですから」

 

 真直ぐな眼差しが盧植へと向けられていた。虚勢のない真摯さが、静かで確かな自負が、中肉中背の彼女を何かしら大きなものに感じさせる。

 

 盧植はふと、桃色の髪の教え子を思い出した。

 

 公孫賛が何かと面倒を見ていたその少女は、鈍く、見ていて危なっかしいほどであったが……只者ではなかった。天与の器としか言いようのないものがあって、盧植の目にはそれが計りきれなかった。

 

 当時の公孫賛は、計れた。こう伸びるだろうと察せられた。

 

 ところが、どうだ。

 

 現状の彼女は、既に盧植の予測を超えようとしている。趙雲のような、いずれ国中に名が知れるだろう傑物と並んでしまえば、その存在を忘れられてしまいかねないとすら危ぶんでいたのだが。

 

 今、この軍議の場で、公孫賛は盧植の隣に座している。

 

 そしてそのことを誰も咎め立てしない。

 

 盧植と親しく話すことを邪魔しない。

 

 諸将は察知しているのだ。趙雲が公孫賛へと向けている強い尊敬の念を。諸将は理解しているのだ。趙雲の活躍が公孫賛の戦術の上でこそ成り立っていることを。なにより、精強無比な騎馬軍を創出せしめた彼女の手腕こそが諸将を唸らせる。

 

 しかし、それらだけではまだ足らない。

 

 盧植にあの天稟の傑物・劉備を連想させたものとは、何か。

 

「ねえ、公孫賛ちゃん?」

 

 様々に問うことで、その正体が知れるだろうか。

 

「援軍に来てくれたことは凄く嬉しいし、助かってるんだけど……任地の方は大丈夫なの? 鮮卑の侵入はまだ続いていると思うのだけど」

「あ、それは問題ないです」

「そ、そうなの? 物凄く簡単に言うのね……私、公孫賛ちゃんの武威があってはじめて、幽州の平和が保てているって思うのだけど」

「鮮卑対策を担う一軍があるんですよ。それをそのまま残してきてるんで」

「それも、もしかして騎馬軍?」

「はい。こんなこと言うとちょっと語弊があるかもですけど、うちの最精鋭部隊です」

 

 聞いて、はたと思い当たることがあった。

 

「……確か公孫賛ちゃんって、他郡への行軍許可の節を下されていたわよね?」

「ええ、はい。幽州様より北辺の守護をと」

「此度洛陽へ登る時には?」

「……道中のいかなる場所へも、現地の許可なく、自由に行軍できます。黄巾党の討伐終了宣言が出るまでの間ですけど」

「そう。そういう節だったのね。道理で……」

 

 冀州戦線が持ち直したのには、もう一つの要因があった。

 

 公孫賛軍が来援したことと時期を同じくして、冀州北部を正体不明の遊撃軍が駆けまわったことである。その軍は各地の黄巾党を炙り出し、撃滅し、風のように去っていく。義勇軍であるとも、公孫賛軍であるとも噂されていたが。

 

「まあ、何と言うか、機に応じるのがとんでもなく上手い奴でして」

「きっと素晴らしい部将なのね」

「敵わないですよ。軍人として勝負したら、私じゃ到底及ばない」

「『白馬将軍』にそうまで言わせるなんて……人柄も信頼してるの?」

「独立行動権を与えてます」

「え、それって」

「あいつはいつでも私を滅ぼせます。それでいいんです。それぐらいの腹積もりでなきゃ、あいつと一緒に駆けられませんから」

 

 ああ、そういうことか。

 

 盧植は大いに納得した。計り知れなかった劉備と計り誤ったらしき公孫賛とを、諸共に深くわかり得た。何が共通しているか、合点がいったのだ。

 

 劉備の器には、高祖・劉邦の風あり。

 

 かの者は天に愛され、地を愛し、人を治める者なり。

 

 そして公孫賛にもまた、高祖・劉邦の風あり。

 

 この者は将を愛し、将に愛される、将の将たる者なり。

 

 最精鋭部隊の部将へと彼女が寄せる信頼は、まさに高祖・劉邦が国士無双・韓信へと寄せたそれに等しいではないか。

 

「その『あいつ』さんのお名前、教えてもらえるかしら」

「耶律休哥。白い狼みたいな男ですよ」

「え!? え、男の方なの? え? そういうことなの?」

「は? そういうことも何も……あ! ち、違います違います! そういうんじゃなくて!」

 

 いつの間にやら二人の会話は諸将の注目するところとなっていて、したり顔の趙雲が「それにつきましては私から」などと解説を始めもする、冀州戦線本営の夜に。

 

 夜陰に紛れ、じわりと不穏の風が吹いてきていた。

 

 「討伐への意欲に欠ける」として盧植が捕縛されるのは、それから数日後のことである。軍監に求められた賄賂を拒絶したための、讒言による収監だった。


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