恋姫無双~白狼伝~   作:あるなし

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将のあり方と、人の生き方と

 五百騎を率いて丘陵を駆ける。

 

 振り返れば白馬の一騎を先頭に一千騎が追いすがってきているが、耶律休哥は何ら圧を感じていなかった。むしろ引き止めようとする力があって、それで振り向かされたのだと気づいた。

 

 意図したものならば、面白いが。

 

 手信号を一つして軍を割った。二百騎ずつを左右へと向かわせて、自らは一百騎と共に正面の丘へと駆け上る。

 

 一千騎は丘の手前で僅かに躊躇いを見せた後、数をそのままに耶律休哥を追ってきた。多勢の利を活かして隊列を広げたのは、逃がしはしないという意志の表れだろう。

 

 ならばと、耶律休哥は速度を緩めた。

 

 距離が狭まる。

 

 迫る軍勢の中央に突出して、彼女がいる。一本に結んだ髪が馬の尾と同じように揺れている。

 

 姓は公孫。名は賛。字は伯珪。

 

 寡兵にて鮮卑族の一軍を撃退した武功をもって、涿郡の令に任ぜられた女である。

 

「行くぞ! 遜寧(ソンネイ)!」

 

 真名なる不可解な風習を熱弁され、せめてと字での呼び合いを承諾させられたが。

 

「今度こそは、私が……!」

 

 その表情すらを確かめて、耶律休哥は合図した。丘の頂へは至らず、半ばで右方へと折れる。一気に駆け下りる。追手からすれば唐突な機動だろう。即応しようにも、そう広がっていては指示も届くまい。急な方向転換も不可能だ。

 

 回り込む。速度を槍として、一千騎の後方部隊へ突っ込む。切り裂いていく。

 

 殺しはしない。手に持つ得物は布を巻いた木剣である。それでも突き落とすことはできる。落馬したものは死んだものとして扱う。そういう規則だ。状況によっては本当に死ぬ者も出るが。

 

 伯珪は転進しつつ兵を取りまとめることにしたようだ。

 

 巧みな指揮である。位置取りもいい。逆落としでもって一気呵成に寡兵を呑み込む構えだ。それ相応の圧が発せられている。

 

 だが、悲しいかな、前だけを見過ぎだ。

 

 まさに駆け下りんとする軍勢に動揺が走った。さもあれ、丘の頂に四百騎が姿を見せたからだ。丘の裏から回り込ませた結果である。

 

 そして、後背への逆落としだ。

 

 十分に加速できずとも、既にして兵気が緩んでいては耐えられるものではない。四百騎の衝撃は決定的だった。馬の逃げ走る本能も手伝ってか、打たれた側の丘から散り広がる様は蜘蛛の子を散らしたかのようだ。

 

 あとは掃討戦である。

 

 四百騎に任せきらず、耶律休哥も駆ける。少しでもまとまろうとする者たちを見つけては打ち崩していく。

 

「ま、まだだ! まだ私がいるぞ!」

 

 伯珪が叫んでいる。それは味方を糾合しているのか、それともこちらを招いているのか。

 

「遜寧ぃっ!」

 

 後者だったようだ。白馬を駆って迫り来る。

 

 若い。

 

 それだけならば、まだいいが。

 

 耶律休哥は伯珪を避けた。避けて、彼女に続かんとした者たちを散々に叩き伏せていった。

 

 

◇◇◇

 

 

「どうして私と打ち合ってくれないんだ!」

 

 五度目の模擬戦闘を終えるなりの怒声であった。

 

「ああも露骨に私を避けて! 偶然だなんて言わせないぞ!」

 

 元気である。全敗という結果に気落ちする様子もない。

 

 女の身で体力のあることだと耶律休哥は思ったが、口にはしない。以前それを指摘したところ阿呆を見るような目で見られた。聞けば武官にしろ文官にしろ名立たる者は女ばかりだという。実例として、涿郡の軍内に伯珪との一騎打ちで勝てる者はいない。そしてそれを大いに珍しがる者もいない。

 

 不思議な場所だ。

 

 はたしてここは夢か現か。そも己は生者が死者か。

 

 瑞々しい筋骨を取り戻した身に、青草の香りが春を教えている。

 

「な、なあ、遜寧。まさかだけど、本当に見えてなかったのか? さすがの私でも目立ってたと思うんだけど……髪型とか、馬とか、鎧とか……」

 

 伯珪がさも不安そうに言うから、耶律休哥は笑ってしまった。

 

「あ! からかってるな!」

 

 頬を赤らめて、また怒る。喜ぶにしろ悲しむにしろ感情の表し方が素直だ。

 

 耶律休哥はそれを幼さとは思わなかった。

 

 公孫伯珪は実直の人だ。その生き方には郷土への愛と使命感とがあって、頻繁に愚痴や弱音を吐きつつも、最後には困難を乗り越えていく果敢さが感じられた。ひたむきさ、と言ってもいい。

 

 出会った時から、そうだ。それがために行動を共にした。夢見心地の間に騒動に巻き込まれたようなものだったが、離れようとは思わなかった。

 

 彼女はしばしば息子を思い出させる。

 

 そのひたむきさだけではない。騎兵ついての天性の才能も似ている。そして心に秘めているのだろう憂愁もまた似通うように思われた。切なくもいじましい、悲運を生きる者の乾きとでもいったものが。

 

「な、何だよ。今更そんな、じっと見たって」

 

 コロコロと表情が変わる。そういう人間は伯珪が初めてだ。

 

「いや、私だって、負けは認めてるさ。でも釈然としないんだ。上手くあしらわれたっていうか、いいところなしっていうか……相手にしてもらえなかったっていうか……負けるなら負けるで、いっそ馬から叩き落されたいんだよ。私は」

 

 今度は愚痴か。聞き流していればその内に泣き言に変わるだろう。

 

 つまるところが甘えられているのだ。

 

 それもまた初めての経験だった。あるいは娘をでも持てばこういう風なのかもしれない。そう思うから、耶律休哥は世話を焼く。似合わぬことだと知りつつも、である。

 

「伯珪。お前は遠目にも目立っていた。際立っていたさ」

「え? あ、そうなんだ? それならいいんだ、それなら……いや、よくない! ならなんで私を避けて」

「だから負けた」

「……え?」

「俺は五百騎で戦ったが、お前はお前とその他大勢で戦ったからな」

 

 言って軍を見渡した。

 

 既に野営の準備は粗方が整い、兵たちは思い思いに座り込んで過ごしている。傷の手当てをする者もいれば、早くもウトウトと舟を漕ぐ者もいるようだ。夕餉の支度が予備隊の役割だ。炊煙が暮れなずむ空に昇っていく。

 

「私の用兵が、拙かった?」

「お前を打ち倒せばそれで終わる群れだった。それは、お前さえ惑わせば手玉にとれる群れ、という意味でもある」

「それは、まあ、私が指揮してるんだし……遜寧の方は違うのか?」

「俺が死んでも相応に戦っただろう」

「し、死んじゃダメだろ……でも、どうして戦えるとわかる?」

「今日で言えば、四人の将校にそれぞれ一百騎を預けていた。その序列も定めてあった。一百騎の内にも同様の決まりを定めさせた。騎兵に求められる速さとは、馬の脚の話ばかりではない」

「徹底してるなあ」

「戦い続けるための軍とは、そういうものだ」

 

 篝火が灯されると夜は濃さを増す。暖を取るための火まで燃されている。

 

「……ぬるいな、私は」

「兵から慕われている。そういう将の在り方もある」

「将。将か……」

 

 伯珪が空を見上げたから、耶律休哥もつられて上を向いた。

 

 もう星が見える。その配置は見慣れたもので、ここがかつて生きていた場所とそう変わらないことを示している。漢という国号も共通していた。耶律休哥は漢民族を侵略する側の人間だったが。

 

「ちょっと勘違いしてたなあ」

 

 大きなため息が放たれた。

 

「でも、わかった。すっきりしたよ。目指すべきものも見えてきた気がする」

「そうか」

「あと、また一つ遜寧のことがわかった気もする」

 

 真直ぐな瞳で見つめてくるから、耶律休哥はまた息子のことを想わされた。

 

 息子も漢民族だった。そして、自分のことを見てほしいと、貴方のことをわかりたいと、無防備なまでの心を向けてきた。だから苦悩もまた伝わってきた。それがどうにも捨て置けなかった。

 

「根掘り葉掘り聞く気はないよ。でもわかる。遜寧は、きっと大きな戦をしてきたんだな。精強な軍を率いて、過酷な戦場を駆け抜けてきたんだ。それこそ、国の命運を左右するような……」

 

 頷かず、ただ聞く。戦争の行く末を知らぬ己には、何を言う資格もないと思った。

 

「……でも今は、私と一緒にいるんだよな?」

 

 心細げに、しかし期待を指先にわだかまらせて、伯珪が問うてきた。

 

 見る。伯珪を。真っ直ぐなその瞳を。

 

 公孫伯珪は漢帝国の人間である。国は彼女に、国の北辺を荒らす異民族・鮮卑を打ち払えと命じている。北方騎馬民族である鮮卑は、契丹族である耶律休哥にとって無関係ではない。詳しくはわからないものの、きっと近しい。耶律休哥にはその確信がある。

 

 伯珪と共にいるということは、漢民族に味方して同胞の敵となることだ。血を裏切る生き方をするということだ。

 

「ああ、そうだな」

 

 するりと答えていた。

 

「そういう生き方も、ある」

 

 ああ、まさに息子がそうであった。

 

 耶律休哥の息子は、漢民族でありながら契丹族に味方した。父と兄弟とを裏切る形になってまでだ。数奇な運命と言うは易しい。しかしそこには計り知れない苦悩と葛藤があった。自裁しようともしていた。そうさせないために斬った。斬って生かそうとした。その際の手応えが、今もまだ手の内に残っているように思う。

 

「俺はお前と共にいよう」

 

 娘のような彼女へ、そう告げた。

 

 そうかそうかと安心したように笑うから、耶律休哥もまた笑った。

 

 息子は契丹族の姫に出会い、恋をした。それが強力に作用して、第二の人生が始まった。省みて己はどうか。この伯珪が己にとっての姫か。またぞろ真名がどうのと愚痴りはじめたこの伯珪が。

 

「遜寧、お前ちょっと笑いすぎじゃないか!?」

 

 食事ができたことを告げる鐘を聞きながら、耶律休哥は笑い続けた。


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