「生きてて辛いことばかり、か」
博士はそれを聞いて視線をカレーの方に戻してしまいます。でもなぜかカレーは見てないような・・・って、私、なんで初対面の方にこんなこと言ってるんだろう・・・
「すみません・・・」
「何も謝られることはないが」
苦笑しながら博士は残りのカレーを食べ終え、片付けようと立ち上がりました。
「この世に生きれば辛いことは必ずある。だが辛いことを"辛い"と感じるのは"生きている証"とも言えるんじゃないか?」
その言葉は何か大和以外の誰かに言い聞かせているようにも聞こえました。でも、大和にはわかりません。だって、普通は辛いことは"辛い"と感じたくないはずです・・・
「納得いかんか・・・まあ、かく言う私も辛い時は逃げ出したくなるものだしな」
そう言うと博士は今度こそ食堂を出て行かれました。
「あ、大和、こんなところにいたのね」
食堂から部屋に戻る時に声を掛けてきたのは専属の技官さん。きっとまた大和のスケジュールのお話か何かでしょう。
「はい」
「またお腹でも空いたの?」
「え、あ、少し気分転換に・・・」
「はぁ、あなた艦娘なんだから前線に立ったときのことを考えなさい。現場では一分一秒も無駄にできないのよ?気分転換なんかしてる暇があるなら早く休みなさい」
「・・・・・」
「まあそんなことよりあなたに伝えとかなきゃいけないことができたのよ。今度予定していた戦術論のレクチャーなんだけどね」
やっぱり、またそんな話ばかり。大和はテストを受けたり、束縛されるために生み出されたわけじゃないのに・・・
「教官の都合で予定を繰り上げて明後日から始めることになったから。そのつもりでいて頂戴」
言うべき事は言ったとばかりに技官さんは早々とそこから立ち去ってしまいました。本当に大和のことを考えてくれる人って、いないのでしょうか?
「ここですか」
二日後、指定されたのは八畳ほどの部屋にホワイトボードとコピー機、対面で四人座れるように長机とパイプ椅子が用意されている小会議室。少しすると階段を上がってくる足音が聞こえました。たぶん教官でしょう。
「教官、これが大和です。大和、教官にご挨拶しなさい」
振り返るといつもの技官さんと如何にも軍人と言った感じの、筋骨隆々の男性が立っていました。この方が教官ですか。
「は、はじめまして。大和型戦艦一番艦、大和です。よろしくお願いいたします」
「全く、何で俺にこんなお鉢が回ってきたかのかね。俺は現場で指揮を取る人間なんだが」
「まあまあそう仰らず、どうぞよろしくお願いします」
大和に接する時とはだいぶ違った技官さんの態度にちょっとビックリしたりもしましたが、それより初対面とは言えここまで無愛想に接する教官の対応に驚きました。
教官は大和の挨拶など聞いてないかのように一人ブツブツ喋りながら手元の資料をめくると
「とりあえず最低限の知識は教える。あとは配属先で経験を積むなりして自分で勝手に補え」
そう言って教官は向かいのパイプ椅子にドカッと座ると何枚かの紙を取り出し何か書き始めました。初対面でいきなりこの接し方って、どうなのでしょうか?軍人さんって皆こうなのですか?
「まず戦闘の流れについて、航空戦力がいる場合には航空戦から始まり、特殊な場合を除いて次に砲撃戦に移る。そして最後に雷撃戦だ、わかったか?」
「え、あの、」
そんないきなり言われてもよくわかりません。そもそもテキストも何もないのにどうやって教えるつもりだったんですか?
「次に陣形だ。これが単縦陣、これが複縦陣、これが輪形陣、これが梯形陣、そしてこれが単横陣」
教官はホワイトボードに四つの点縦に並んでいる図などを五つ描いてその下名前を書くとさらに早口で色々な説明をされました。
説明が早すぎて私はほとんど理解出来てませんし、そのことを教官はわかってらっしゃらないんじゃないでしょうか?
「ーーーと言う訳だ。今日教えたのは必須事項だからきちんと頭に入れとけ。インプットした知識を活かすも殺すもお前次第だ」
そう言って教官はそそくさと部屋を出て行かれました。質問する暇も与えず一方的に教官が喋り続ける一時間。話す側も大変でしょうけど、これは聞く側も相当なストレスになりますね。たぶん教官は"教える"と言うよりただただ話すと言う"作業"をこなしてただけなのでしょう。
「はぁ・・・・」
今のでだいぶ幸せが逃げたんじゃないかな。そんなことを思わせる溜め息が漏れたのと扉がノックされたのはほぼ同時でした。
「は、はい!」
「申し訳ないが、第二研究室のコピー機が不調なのでちょっと貸していただき・・たいのだが?」
見ると入ってきたのは例の博士でした。分厚い紙の束を手にキョロキョロと室内を見回すと
「大和だけか?教官はどうした」
「教官はもう帰られましたけど」
「そうか、早いな」
そう言って博士はコピーし始めます。分厚い束だったのでだいぶ時間がかかりそう。お互い無言のまま時間が過ぎていきます。
(これが輪形陣で、こっちが単縦陣。たしか海域最深部までは・・・?)
今日教わった内容をノートにまとめようとしてると後ろから視線を感じたので振り返るとすぐ後ろに博士が立っていました。
「あ、すまない。覗き見するつもりはなかったんだがあまりに熱心だったので気になってしまった」
「あ、いえ・・・」
「今日は陣形について聞いたのか」
「はい。たしか海域最深部まで辿り着くにはよく・・・」
あれ?最深部で輪形陣でしたっけ?それとも最深部に行くまでは輪形陣でしたっけ?知識が整理しきれていないせいでどっちがどっちだかわからなくなってきました。
「海域の最深部に行くまでは旗艦を大破させない為に輪形陣を選択するケースが多い。最深部に強敵がいる海域もあれば最深部に行くまでに強敵に遭遇する場合もあるから一概には言い切れんが」
「え?」
何でこの方はそんなことを知ってるのでしょうか。そう言えば前の会議の時も何か普通の研究員の方達とは違ったことを仰ってましたけど。
「おっと、余計なお世話だったかな。教えるのは教官の領分だ」
「え、あの、」
そのまま博士はコピーを取り終えて部屋を出ていこうとされました。たぶんこの時の私は、もうちょっとお話を聞きたいと思い焦ってしまったのでしょう。
「あ、あの!待ってくだしゃい!」
(〜〜〜!!なんでここで噛むの私!!)
「・・・・・どうした?」
何とも言えない沈黙の後、博士の方から声を掛けてくれました。まだ恥ずかしさの引かない顔を何とか取り繕いながら
「あの、もし宜しかったら、もう少しお話、聞かせて頂けませんか?」
これだけ言うのが精一杯でした。
「と言う訳で、弾着観測射撃に成功すると通常より大きなダメージを与えられる。逆に敵から弾着観測射撃されないためにも制空権の確保は重要なんだ」
「なるほど、そういうことなんですね。教官は制空権は重要なファクターだ、とは仰ってましたけど理由までは言ってくれなかったので」
博士の説明は難しいことでもシンプルに分解して教えてくれるのでとってもわかりやすいです。それにあの艦娘がどうした、この艦娘がこうしたという例えや経験談を交えてお話されるのでスラスラ頭に入ってきます。まるで、新しい物語を読んでいるみたい。
でも、だからこそ疑問が浮かびます。
「あの、どうしてそんなに艦隊戦や艦娘にお詳しいんですか?」
すると博士の表情がちょっと強張りした。もしかして私、聞いちゃいけないことを聞いてしまいましたか?
「・・・・聞きたいか?」
「あ、いえ、その、」
心なしか声のトーンも少し低くなった博士に慌てて返事をしようとしますが言葉が出てきません。謝ったほうが良いのかな?そんなことを考えていると博士は表情を和らげて
「いや、良いんだ。ただの研究員がこんなこと知ってるのも不自然だしな。・・・・・・・・もう二年前のことだが私は提督として鎮守府で働いていたんだ」
手元を見つめながら驚くほど優しい声で教えてくれました。
「とは言え今ではただの研究員さ。ただまあ、大和を見てるとつい昔を思い出してな。また何か気になることがあったら聞いてくれ」
「は、はい!ありがとうございます博士!」
「は、博士?」
博士は初めて大和に何かを"していい"と言ってくれました。それからと言うもの、一日のどこかで博士に色んなお話しを聞かせてもらう時間が、大和にとってとても楽しみな時間になったのは言うまでもありません。何故か博士と呼ぶと毎回訂正されましたが。