「・・・すぅ・・・・すぅ・・・・」
とある船の中で彼はパソコンに向かっていた。普段報告書を遅らせて部下や上司から嫌味を言われている彼にしては珍しく事前に準備しているようである。
「・・・んっ・・・ぅん〜・・・」
(重い・・・それに腰もそろそろキツくなってきたな)
普段と違うことがもう一つ。彼の膝の上に一人の少女の頭が乗っていることだ。先ほどから小さな寝息をたて彼の太腿の上で気持ち良さそうな表情を浮かべ眠っている。
彼女の名は大和。最強の艦娘として建造され今日まで研究所のなかでのみ生活してきた。鎮守府での活動を実際に体験すると言う名目で今回初めて本格的に外の世界に触れることになったのである。
何故彼が膝枕をすることになったのかーーー時間は少し前に遡る。
「わぁ・・・広い客室ですね。ソファもフカフカですっ」
舞鶴からの迎えとして来た客船に乗り込むと大和は興奮を抑えられない様子で辺りを見回す。ずっと研究所のなかで過ごしてきた彼女にとって見るものの多くが新鮮なのだ。
「あまりはしゃぎ過ぎると舞鶴につく頃にはくたびれてしまうぞ」
「べっ、別に大和ははしゃいでなんかいません!!」
そう言いつつもフカフカの感触を気に入ったのか満足気な表情でソファにお尻を沈ませる大和。対照的に彼の表情はあまり明るくない。
(さて、早めにやっておくか)
彼は荷物のなかからノートパソコンを取り出すと何やらカタカタと打ち込み始めた。
「あっ!博士、あれきっと漁船ですよ!何かたくさん引き揚げてますね。うわぁ、美味し・・・大変そうですね」
「ん?う〜ん・・・・・そう、だな」
「あっ、あの大っきい雲、何だか鯨に見えません?ねえ博士?」
「そう、だなぁ・・・」
彼にしては珍しく大和の言葉にも生返事で返す。
(報告書でも何でも良いからやっていないと・・・)
舞鶴行きを決めたことを後悔はしていない。だがやはりまだそこにほんの僅かに穏やかでない気持ちが残っていた。彼は何か作業に没頭することでそれを無意識に振り払おうとしていたのだ。
(書式は普段と変えず・・・室長が所望してた演習のデータはどんな形にするかな・・・・!?)
考え事をしていると目の前のが真っ暗になる。
「は・か・せ〜〜聞いてますかー!?」
先ほどから生返事ばかり返してたせいで大和はご立腹らしい。後ろから両手で視界を塞がれたようだ。
「あ、あぁ、すまん」
「むぅ〜大和一人で見ててもつまらないです・・・」
正直に言えば海を眺めて浮かび上がるのは楽しい思い出ばかりではない。とは言え目の前でジト目&ふくれっ面の少女にそれを言うのも何である。
「まあ私は今のうちにやっておかなきゃならん報告書もあるから、な?」
適当な言い訳をしてパソコンに向き直ると大和は面白くなさそうに窓のほうへ戻って行った。
「ふぁぁ・・・博士ぇ、何だか大和、体が重たいですぅ・・・」
あれから約一時間、しきりに外の風景を楽しんでいた大和だったがさすがに疲れてきたらしい。彼の横に腰を下ろすとそのまま船を漕ぎ始め、すぐにコロン、と横になった。
(だいぶお疲れみたいだな)
そんなことを思いながらこめかみや首筋の汗を軽く拭いてやった。だが大和は
「んっ、んぅ・・・」
ゴロゴロしながら何となく寝苦しそうな印象を受ける。ソファ全体がフカフカなので体を支える場所がないのだ。
(・・・膝で支えてやったら少しは寝やすいか?)
彼は決して世のカップルがイチャイチャしてやるようなノリで思いついたのではない。横でゴロゴロ寝返り打たれては集中出来ないし、さっきはほとんどかまってやらなかったのも少し可哀想なことをしたと思う。
「よっ、と・・・・う、意外に重いな」
パソコンをサイドボードに乗せ大和の頭を膝に持ってきてやるとグッ、とその重みが伝わってくる。だがそれから大和は寝苦しそうに寝返りを打つことなく眠った。
「大和、もう少しで着きそうだぞ。そろそろ起きろ」
気分良く寝ているところ悪いがいい加減太腿の感覚がなくなってきたので彼女を起こすことにした。
「ふぇっ?ね、寝てませんよ!?」
慌ててバッと身を起こした大和は寝ぼけ眼で辺りを見回しながら弁明する。寝顔も可愛かったが目をこすりながら慌てて飛び起きる様子もいじらしい。
「あと少ししたら舞鶴に着きそうだ。外を見てみろ」
やがて彼の見慣れた風景が目に入ってきた。かつてこの海で多くの艦娘達と絆を育み、そしてーーーー
複雑な思いが去来したが隣の大和は物珍しそうに辺りを見回している。
「綺麗な海ですね。あっ!あっちのほうに何人かいますよ!あれは・・・水雷戦隊の方達ですかね?」
まるで空港に来て飛行機を眺めている子供のようにはしゃぐ大和。だがそれも無理からぬこと、今回の実地見学は彼女にとって初めて他の艦娘と接する機会なのだ。
「そろそろ入港しますので準備して下さい。船はこの後別の港に送りますで、くれぐれも忘れ物などにお気をつけ下さい」
舞鶴から護衛として付けられた艦娘の一人、不知火が中に入ってきて二人に下船の準備を促す。大和は今から内心の期待と興奮を抑えきれない様子だ。
「着きました。足元に気をつけて下さいね。あ、大和さんの艤装はすぐ運ばせますので大丈夫ですよ」
もう一人の駆逐艦、白雪が二人を港から鎮守府の正門まで案内してくれた。背の低い門は彼がいた頃と全く変わっていない。すると門のところで待っていたらしい、一人の艦娘が近づいてきた。
「お待ちしていました。ようこそ、舞鶴鎮守府へ。秘書艦の能代です」
恭しく一礼した能代に目もくれず彼は辺りを見回す。門だけではない、港から続く道のりも鎮守府の奥にわずかに見える舞鶴の街並みも意外なことに殆ど変わっていなかった。
(あぁ・・・)
言い尽くせない思いが彼の胸につき上がってきた。
「えっと、それでは中をご案内しますね。提督もお待ちです」
能代が二人を中に招き入れようとしたが
「いや、必要ない」
彼は彼女のことなど気にかけず一人、工廠のほうへ歩き始めた。工廠、食堂、大広間ーーー
鎮守府は今どうなっているのか、自分の目で確かめたい場所が沢山あった。
「あ、あの主任さん!そちらは、勝手に入られると困ります!」
慌てて能代が彼を引き止める。大和も普段と違う彼の様子に戸惑っている。
ーー何が困る。ここは私のーーー
そう思ったところで彼ははっとして
「あ、いや、すまない・・・」
バツの悪そうな顔でそれだけ言うと押し黙った。ここはもう、彼の居場所ではないのだ。能代は苦笑しながら
「いえいえ、初めていらっしゃる方は皆さんそんな感じですよ。やっぱり鎮守府って独特の雰囲気があるんですよね」
(っ!)
能代は気を遣ってくれたのだろうがその言葉は却って彼の心に剣のように突き刺さった。
当然と言えば当然だが彼は新たに着任した艦娘とはほとんど面識がない。能代が事情を聞かされてないのであれば彼女の目には一研究員が鎮守府を物珍しそうに見ていたとしか映らなかったのだろう。
「博士・・・」
大和が何かを言いかけたが、彼はそれを手で制し能代の案内に従って鎮守府の中に入って行った。
「お待ちしておりました。お久しぶりですね、先任。今回はよろしくお願いします」
執務室に通されるとデスクから目鼻立ちの整った女性が立ち上がり会釈とともに二人を迎えた。
彼女こそ舞鶴に後任として着任した提督である。彼や呉の提督よりさらに若く、二十代半ばで舞鶴の提督に任命されるという異例とも言える出世であった。
「いや、こちらこそ今回はよろしくお願いします」
彼のほうが一回り年上だが今や階級もかつての自分より上である彼女には相応の礼儀をもって応える。すると大和が
「ま、舞鶴の提督って女性だったんですか!?」
相当驚いている様子だった。もっとも、研究所も彼女の身の回りに数人女性技官がいるだけで男ばかりの世界だったので大和が驚くのも無理はない。
舞鶴の提督はやや自嘲気味に
「ふふっ、よく言われるわ。『お前みたいな小娘に舞鶴の提督など務まるものか』ってね。本当は先任もそう思ってらっしゃるんじゃありません?」
「いや、まさか」
そんなことを話していると
ーーーコンコン
「大佐、午前の演習は全部終わりマシター。モチロン全勝ネ!」
巫女のような服をまとい、若干イントネーションのおかしな日本語を話しながら務室に入ってきた艦娘。彼女こそ舞鶴のエースにして彼と長い間共に戦ってきた最も信頼の置ける相手、金剛だった。
「お疲れ様。入渠した娘達が上がったら間宮に連れて行ってあげて」
「わかりマシタ。あれ?お客さんデスカー?」
二人が座っているのはドア側のソファ、つまり入室した時には顔は見えない。提督との事務連絡を終えた金剛は二人に気がつき
「金剛型戦艦の金剛デース!ヨロシクお願いしマース」
と近づいてきた。
「あ、はじめまして。大和型戦艦一番艦の大和です」
大和が立ち上がり金剛に自己紹介する。同じ戦艦という艦種に少なからず親近感を覚えたらしく、金剛も笑顔で応じる。
「そっちの方は・・・」
金剛が視線を自分に向けてきたのが背中越しにもわかった。一瞬、このまま執務室を出ていこうかとも思った。だがここで逃げ出しては舞鶴に来た意味がない。だからーーー
「久しぶりだな、金剛」
振り返り目線を合わせる。次の瞬間、大きく見開いた金剛の瞳にみるみる涙が溜まり、
「あ、あ・・・」
声にならない声を漏らしながら金剛は信じられないと言った顔でふらふらと彼のほうに歩み寄ってきた。
「テートク・・・・・テートク、デスカ?」
「ああ、元気にしていたか?」
「ッ!」
すぐ目の前に来た彼女の肩に手を伸ばし再び声をかけると金剛は堰を切ったかのように涙を流し彼の胸に顔をうずめてきた。
「こ、金剛?」
「え?・・・ええっ!?」
舞鶴の提督と大和は何が起きたのかわからず戸惑いを隠せない。
「テートクッ!ずっと、ずっと会いたかったデース!」
すっかり静まり返った執務室のなかで彼女の泣く声だけがこだましていた。