ソードアート・オンライン・リターン
第四十二話
「決戦前・リーファ編」
リーファの部屋に入り、キリトは備え付けてあるソファーに腰を下ろすと、リーファもその向かい側のソファーに座り、用意していた紅茶を差し出した。
礼を言って出された紅茶を一口飲み、キリトはこの部屋に来た理由を話すためにリーファと改めて向かい合う。
「悪いな、こんな時間に」
「ううん、アタシもまだそんなに眠くなかったから」
「そっか……今更こんな事を聞くのもあれだけど、SAOでの暮らしには慣れたか?」
「うん。ギルドホームで寝泊りしたり宿に泊まって本当に寝るなんて経験、ALOじゃあり得なかったから、最初はちょっと新鮮で興奮したりしたけど、最近は自分の家みたいにくつろいでるよ」
「なら良かった……でも、漸く帰れるんだ」
「……そうだね、そう考えるとちょっと、寂しいかな」
SAOでの暮らしに慣れた分、それが終わってしまうと若干の寂しさを覚えるリーファだが、それはこの世界に暮らす誰もが思っていることだ。
本当にゲーム開始時は早く脱出したいということばかり考えていたプレイヤー達も、2年という月日で生活に慣れてしまい、ついにゲームクリア目の前だという現状に違和感や寂しさを覚える者ばかりだった。
「お兄ちゃん達はこの世界で2年間、ずっと生活を送ってきていたんだよね」
「そうだな」
「なんていうのかな。改めて思い返すとALOとは違ってSAOの人たちってみんな、生活感があるっていうか、ログアウトしないでゲームの中で暮らすってこういうことなのかなって、そう思ったよ」
「まぁ、ここは2年も暮らして皆それぞれの生活を営んできたから、ある意味ではもう一つの現実って言っても良いくらいだろうな……ニシダさんとかなんて、釣り師として目一杯楽しんでるだろ?」
「あのおじさんね、お魚分けてもらったことあるよ」
そう、2年という月日で築き上げてきた生活が、いつの間にかアインクラッドという仮想現実の筈の世界をもう一つの現実世界と呼んでも良いくらいの雰囲気を作り上げていた。
おそらく、リーファが知るALOというゲームや、その他のゲームではあり得ないほど、この世界の空気は現実に酷似している。
「そういえば、2年でお兄ちゃんも随分と変わったよねぇ」
「俺が?」
「うん、剣道辞めて長いのに、今じゃアインクラッド最強の黒の剣士様なんて呼ばれてるんだもん」
「最強って名乗った覚えは無いんだけどなぁ」
黒の剣士は前の世界でもキリトの通り名として有名だったので、今更違和感は無いが、最強という言葉にはどうしても頷けない。
確かに、キリトのレベルはアインクラッドで現在生き残っている全プレイヤー中最高のものだろうが、キリトは自分が最強だと思ったことは一度だって無いのだ。
「でも、アタシはね……嬉しかったんだ」
「?」
「だって、お兄ちゃんがゲームの中でとは言え、また剣を握ってくれてたんだもん……お祖父ちゃんだってきっと喜んでるよ」
「だと、いいな……」
厳しい祖父の指導に耐えられず剣道を辞めた嘗ての自分だが、やはりキリトと剣は切っても切り離せない繋がりがあるらしい。
「そういや、スグの剣筋見てて思ったけど、まだ剣道続けてたんだな」
「うん! 去年なんて全国大会のベスト8に入ったんだよ。そのお陰で高校の推薦も貰えたし」
「へぇ……そっか、スグももう高校生なんだよな」
キリトがSAOに囚われた時、あの頃はまだ直葉は中学1年生だった。
ついこの前までランドセル背負っていた妹が、いつの間にかもう高校生になろうとしているという現実に、改めて月日の流れを感じた。
「なぁ、スグ……聞きたいことがいくつかあるんだ」
「……何?」
「この世界で死ぬと、本当に……現実でも、死んでるん、だよな?」
「……うん、お兄ちゃんが入院してる病院でも、何人かSAO被害者が入院してるんだけど、アタシが知る限り半分くらい、死んじゃったみたい」
「そっか……」
やはり、本当に死んでしまうらしい。
心の何処かで期待していた自分が居たのだ。この世界で死んでも、現実ではまだ死んでないのではないか、ということを。
だけど、やはり間違い無くこの世界で死んだ人は現実でも、死んでいた。
「ほんと、遣る瀬無いよ……ほんとは現実世界ではちゃんと無事で、向こうで会えるんじゃないかって、ほんの少しは期待してたんだけど……ごめんな、スグ、こんな世界に巻き込んで」
「お兄ちゃん……」
「今日のパーティーでヒースクリフに聞いたんだ……スグとシノンがこの世界に巻き込まれた原因は不明だって、リーファもやっぱり心当たりは無いよな」
「う、うん……ALOで遊ぼうと思ってログインしたら、いつの間にか」
「ヒースクリフ……茅場はさ、もしかしたらスグとシノンはSAOの根幹を成すプログラムに関係ある何かが原因で巻き込まれたんじゃないかって、言ってた。あいつは、スグ達が巻き込まれたのは本位じゃないって」
そう、あの男はこの世界に並々ならぬ情熱を持っているからこそ、この世界での不正は許さないし、何よりこの世界に最初の1万人以外の無関係な者を巻き込んでまでデスゲームをするような人間ではない。
それは茅場明彦という男のポリシーや美学に反する事だということは、長い付き合いのキリトには解る。
「なぁ、スグ……本当にこの世界に来た原因、解らないか? 何か心当たりがあるなら、教えてほしい」
「……それは」
何か迷っているような素振りを見せるリーファだったが、やがて決心したのか、それとも観念したと言うべきなのか、噤んでいた口を漸く開いた。
「はぁ……アタシが他のゲーム、ALOで遊んでいたっていうのはホント。でもこの世界に来た時にALOにログインする為にアミュスフィアを被ったっていうのは、嘘なんだ」
「どういうことだ?」
「ホントはね、アタシ……SAOにログインしたの。友達が隠し持っていたナーヴギアを使って」
「なっ!?」
衝撃の事実を、リーファは口にした。
そもそも、リーファがこの世界に来ることになった原因というのが、ALOを一緒にやっている学校の友人が政府に回収された筈のナーヴギアを隠し持っていたのを知り、そしてその友人自身はプレイしなかったがSAOのソフトも持っていたので、ログインしようと思えば出来る状態だったのだ。
そして、リーファは兄が目覚めない現実を何とか打開したい、もう一度兄に会いたいという思いから自宅で友人から譲り受けたナーヴギアを被り、SAOにログインした。
「な、何考えてるんだ!! 解ってるだろ!? この世界で死んだら、お前も死ぬんだぞ!?」
「解ってるよそんなこと!!」
「っ!」
「解ってる……解ってるよそんなの。でも、しょうがないじゃない! お兄ちゃんがいつ死んじゃうんじゃないかって、ずっと不安だった! 病院で、同じSAO被害者の人が亡くなったって聞いたとき、次はお兄ちゃんの番じゃないかっていう恐怖を、ずっと味わってきたんだよ!? だったら、せめてお兄ちゃんに……現実じゃなくても良いから、会いたかった、会って……昔みたいにお話したかったの!」
「スグ……」
何も、言えなかった。
ずっと、蔑ろにしてきた妹への罪悪感と、2年も不安にさせてきた申し訳無さが、キリトの胸を締め付けて、これ以上……命の危険を冒してまで自分を蔑ろにしていた兄に会いに来てくれた妹を、責められなかった。
だから、キリトは目の前で泣いている妹をそっと抱き寄せ、現実とは違う見た目であろうと、随分と大きくなった妹の温もりをかみ締める。
「ごめん……スグにも、母さんにも、親父にも、心配掛けた」
「っ……ホントだよ、お母さんもお父さんも、口には出さなかったけど、お兄ちゃんが死んじゃったらどうしようって、いつも不安だったんだよ?」
「うん……本当に、ごめん。でも、もう直ぐだから……必ず、帰るよ、スグと、母さんと、親父の待ってる家に」
明日の戦いで、全てが終わる。
長かったアインクラッドでの戦いに終止符が打たれる。そしたら、必ず帰るのだ。
家族が待っている、現実へ。
次回はシノンのお話。
これもインフィニティ・モーメント未プレイの方はネタバレ注意です。