ソードアート・オンライン・リターン
第四十話
「決着は、紅玉宮にて」
突如、98層フロアボスの間に現れたヒースクリフ。
その姿を見るのは75層での戦い以来であり、あの時と何も変わらない姿に懐かしいと思えば良いのか、相変わらずのふてぶてしさに苛立てば良いのか。
「まずはキリト君、須郷君の企みを潰してくれた事を感謝しよう。彼は私の大学時代の後輩でね、当時から私と比べられて随分と劣等感を持たせてしまったことに罪悪感を感じてはいたのだが、この世界を汚されるのは、流石に我慢ならなかった」
「だろうな、アンタのこの世界に対する情熱を思えば当然の言葉だ」
茅場晶彦は、この世界に並々ならぬ情熱を持っている。それを理解しているからこそ、それを汚した須郷の行いにヒースクリフが憤りを持っているのも判る。
「既に彼の行いは現実世界のメディアやレクト本社、警察にリークしてある。もうじき現実世界の彼らの肉体は拘束されるだろう」
後は、ゲームをクリアして意識が戻れば現実世界の法によって裁かれることになり、仮にクリア出来なくとも待っているのは死だ。
須郷伸之という男は、ここでゲームオーバーという事になる。
「ふ、ふざけるなぁ! 茅場先輩、アンタはいつもいつも! そうやって僕を見下して!! 今度も僕を!!」
「須郷君……私は一度だって君を見下した覚えは無かったよ。大学時代、確かに私は君よりも電脳関係において優秀な成績を残していたのは事実だが、その私を追い掛ける君の実力、才能、努力、その全てを私は評価していたのだがね……君なら、もしかしたら私の相方として、良きパートナーとして、この世界を作り上げる事が出来るかもしれないと」
とても残念そうに言ったヒースクリフの言葉だが、須郷は信じなかった。
彼の長年積もりに積もった劣等感は、今更言葉で拭えるようなものでもなく、最早ヒースクリフの……茅場の言葉は届かない。
「本当に、残念だ……システムコマンド、ギルド“ティターニア”の全メンバーを黒鉄宮の牢獄へ転移」
ヒースクリフのGM権限が発動し、須郷を含むティターニアのメンバー全員が転移していった。
恐らく行き先はヒースクリフの言った通り、犯罪者プレイヤーが送られるという黒鉄宮の牢獄なのだろう。
「さて、これでゆっくりと話が出来そうだ。改めて諸君、久しぶりだね」
「てめぇ! 何のつもりだ!! 今更のこのこと!!」
「いや、本当にすまないね。75層での事は、流石に私も予想外だったのだよ。須郷君の横槍の結果、私の……ゲームマスター茅場晶彦のアカウントにバグが生じてしまい、そこから派生するようにゲームシステム全体にバグが広がってしまったのだからね」
結果として、ヒースクリフというプレイヤーが維持できなくなり、茅場は慌ててヒースクリフの本来の姿、最終ボス“魔王ヒースクリフ”として100層へと転移したらしい。
もし、これが間に合わなければ最悪アインクラッドそのものが崩壊し、全プレイヤーが死を迎えていた可能性があるとのことだ。
「ところでキリト君、君のカウンターアカウントは何処で入手したのかな?」
「アンタとの戦いの後、気がついたらあった。多分、バグが発生したのが原因じゃないのか? アンタっていうGM権限者に異常が発生したための救済処置として、カーディナル辺りが機能低下する直前に俺にインストールしたのかもな」
本当は未来の茅場晶彦から貰ったものなのだが、そんな事を言うわけにもいかず、辻褄が合いそうな嘘を述べていく。
ヒースクリフもそれで一先ず納得したのか、特に何も言わなかった。
「だが、その権限はプレイヤー一個人にいつまでも持たせるわけにいかないものだ。ストレア君に移したスーパーアカウントも含めて、デリートしておいて構わないかな?」
「……そうだな、俺もアルベリヒが居なくなった以上、持ってる必要が無いと思うし、構わないぜ」
どのみち、スーパーアカウントとカウンターアカウントはヒースクリフの持つマスターアカウントに届かないので、もう持っている意味が無い。
ヒースクリフが二つのアカウントを完全にデリートしたのを確認し、改めて向き直った。
「さて諸君、残すところ99層を攻略するのみだ。99層フロアボスを攻略したら、100層になる。100層は99層から上がって直ぐに転移門があり、そこから一本道の通路の先にボスの間が待ち構えている」
そのボスの間で、ヒースクリフは待っている。
今、この場にてそう宣言したという事は、ヒースクリフから攻略組全プレイヤーへの正式な宣戦布告だ。
「キリト君、100層で決着を付けようじゃないか」
「ああ、今度こそ終わらせてやるよ。お前との因縁も、このゲームも」
最後に不敵な笑みを浮かべてヒースクリフは転移して行った。恐らく、100層の紅玉宮でキリト達を待つのだろう。
98層が攻略され、99層へとこれから探索は進む。早ければ1週間もしない内に99層フロアボスの間は見つかり、攻略されるだろうから、次にヒースクリフに会うのは遅くとも2週間後くらいになる。
「さあ、行こう……99層へ、最後の探索へ」
この日、99層のアクティベートが済まされ、アインクラッド攻略も残すところ2層になり、プレイヤー達の心の希望が大きくなった。
とうとう、開放されるまで残り僅かになったという喜びの声と、2年も暮らしたアインクラッドでの生活とのお別れに、寂しさを感じる声が、アインクラッド全域で聞こえるようにんるのだった。
99層アクティベートの翌日、キリトとアスナは二人ではじまりの街に来ていた。
全てが始まった場所、大広場に立ち、自分達の感覚で4年前の事を思い出す。
「あの頃は、何でこんな事に巻き込まれなきゃいけないんだって、そればっかり考えてたな……」
「わたしも、家のしがらみとか、ストレスとか、そういうのを少しでも解消しようと思ってお兄ちゃんのナーヴギアを被っただけなのに、どうして? って、そればっかり」
本当なら、楽しいゲームになる筈だった。
ただ純粋にゲームの中で冒険を楽しみ、他のプレイヤーとも切磋琢磨しながら、本当にただただゲームを楽しむつもりだったのだ。
それが、4年前のあの日から、全てが狂ってしまった。
「思えば、随分と遠くに来ちまったなぁ」
「だねぇ、4年もゲームの世界に居るからかな? 現実の事とか殆ど思い出せない事があったりするよ」
「俺もだよ……でも、ようやく帰れる」
99層をクリアして、ヒースクリフとの決着を付ければ、必ず帰れる。
4年に渡るキリトとアスナの戦いが、もう間も無く終止符が打たれるのだ。
「ねぇ、キリト君は現実世界に帰ったら何がしたい?」
「俺? そうだなぁ……リーファの言ってたALOってゲームがしてみたいかな」
「え~? 4年もSAOに居るのに、まだゲームがしたいの?」
「だ、だって仕方がないだろ!? SAOじゃゲームを楽しむ余裕が全然無かったんだし、今度はちゃんとゲームを楽しみたいんだよ」
デスゲームじゃない、純粋なゲームを楽しみたい。それがキリトの願いだ。
4年も命を賭けたゲームをしてきたからこその願い。命を賭けなくても良い、純粋なゲームを楽しみたいという願い。
「そっか……じゃあ、やるときは教えてね? わたしもやるから」
「え? でもアスナって家が厳しいんじゃなかったっけ? SAOの事もあるし、やらせてもらえないんじゃないか?」
「そこはほら、命懸けの戦いを終えたわたしの心の癒しの為にとでも言えば良いのよ」
それで済むのだろうか、と疑問に思うが、アスナの頑固さは良く理解しているキリトだからこそ、アスナならきっとALOを一緒にプレイ出来るようにするだろうと確信していた。
「じゃあ、その時は一緒にリーファに教わろうぜ。SAOでは俺達の方が先輩だけど、ALOじゃあいつの方が先輩なんだしな」
「そうだねー、リーファちゃんの話だと空も飛べるって話だもん、ちょっと楽しみかも」
SAOをクリアしたら、そんな話が出来て、そしてそれが本格的に希望が見えてきたのはつい最近の話だ。
90層を超えた辺りから、プレイヤー達はよくクリアしたらどうするかという話をする様になった。それは攻略に希望が見えて、本当に帰れるかもしれないという期待が高まっている証拠。
「俺達だけじゃない、この世界に生きる全ての人が、夢見てた現実世界でやりたい事……それを叶える為に、俺達は負けられない」
「うん」
「ヒースクリフとの決着は、俺個人の我が侭も含まれてるけど、でもそれだけじゃないんだ……ヒースクリフを倒して、それで漸く俺達のアインクラッドでの物語は終われる」
「攻略組が全プレイヤーの希望だなんて言われてたけど、何だか現実味を帯びてきたよねぇ」
そう、今やキリト達を含む攻略組は全てのプレイヤーの希望そのもの。
いつの日にか、ではなく、もう間も無く現実世界へとプレイヤー達を開放してくれるであろう、希望なのだ。
「待っていろ……もう直ぐ、そこへ行くからな」
迷宮区の塔の先、そのずっと先へと目を向けながら、キリトは静かに宣言した。
その視線の先、100層にて待つヒースクリフへと向けて。
「帰ろうか、アスナ」
「うん。ユイちゃん達が待ってるもんね」
愛娘達の待つログハウスへ帰るため、転移門に向かって歩き出す二人。
決戦前の穏やかな時間が終わりを告げるのはこの4日後のことだ。99層フロアボスの間が見つかったという報告が入り、最後のフロアボス攻略へ向けての攻略会議が行われるのだった。
次回はついに99層が攻略され、100層最終ボス、ヒースクリフとの決戦前の、本当に最後のひと時。