どうしてこうなった。
目の前には見慣れた顔二つ。横にはまだ見慣れない顔一つ。っていうか横って…なんか近い近い近いいい匂いなんだこれ。なんで女の子っていい匂いするの?それも女の子の秘密なのん?
海老名さんの匂いで一通り現実逃避していると、目の前の無表情の黒髪の少女がおもむろに口を開く。
「比企谷君」
「ひゃ、ひゃいっ」
…こんな噛み方ある?
かわいい子がやったらまだしも、俺がやっても気持ち悪さが倍増するだけだ。雪ノ下は無表情、海老名さんも「ないわー」という目で見ている。っべー、まじっベー。なにがっべーって、まじ…もういいな。あほの子だけ肩を震わせて笑いをこらえている。
「…比企谷君。あなたは偶然駅の本屋で出会った彼女と、偶然サイゼリアの前で出くわして、これまた偶然相席することになったと、話をまとめるとそういうことね」
至極事務的に、議事録を読むようにまとめられる。
「そうだ」
俺も至極まじめに返す。今度は海老名さんが肩を震わせている。いや、気持ちはわかるけど。あなただけは笑っちゃいけないと思うの。
ほら、目の前の氷の女王も下を向いて肩をわなわなと震わせている。怒りで。
今度は笑顔ではなく、無表情でもない、青筋の浮かんだ顔で彼女は続ける。
「人をなめるのも、いい加減にしなさい、比企谷君」
ひぃ!!恐怖でちびりそうになる。口調が若干ではあるが荒れる雪ノ下など、そうみられるものではない。こいつは人を攻撃する時にはきつい言葉は使うが、口調が荒れることはめったにないのだ。大方修学旅行の時のように、俺が勝手な行動をしていると思って憤慨しているのだろう。
こめかみに指をあて、トントンと机をたたく。
「それと海老名さん」
「はい」
突然話を振られ、眼鏡を直す。表情は普段とそう変わらない、何を見ているかよくわからない微笑のままだ。
「さっきのデ、デートという話についてだけれど、いったいどういうことか説明してくれるかしら」
「どうって言われても…」
うーん、と指を顎に当てる。
「ちょーーーーっとまって!」
由比ヶ浜が話を遮る。
「私もそこが聞きたいんだよ。ほら姫菜って割と、とっp…えーと、と、トッポギ?もないこと急に言うじゃん?それに私と優美子で突っ込むっていうか…。だから、今回のこともそーゆーことじゃないかと思ったんだけど」
突拍子もない、だ。ガハマさんファンなら言われなくても察しろよ‼‼トッポギはなくても問題ない。
いつもの調子の由比ヶ浜に、海老名さんは優しく笑う。
「そうだね。優美子と結衣は分かってくれるし、そういうこともあるかもしれない。でもね」
下を向く。
「少なくとも、わたしは今日のことをデ、ええっとデ、デ、デートだと、思ってたことも、なくはない、というか…」
声がしぼんでいき、最後はほとんど聞き取れない。途中までは威勢がよく格好良かったのだが、デデデ大王が出てきたところからわからなかった。
その様子を見て何を思ったのか、急に雪ノ下の表情が緩んだ。ふっ、と笑い、「そう…」とつぶやいた。
由比ヶ浜も何かを察したのか「そっか…」といったまま動かない。
このままだと下を向いた美少女三人と目の腐った男一人、という非常にシュールな画になってしまう。
はぁ。
ため息を一つつくくらいは許してもらえるだろう。
「まあ、ちょっとした冗談だろ。大体、今までほとんどかかわりもなかったんだから」
なぜか由比ヶ浜と雪ノ下が目を見開いてこちらを見るが、まだ終わっていない。
「大体そんなこと真に受けても、海老名さんが迷惑するだけだ。まあ俺ほどになれば面と向かって好き、といわれてもそれを真に受けないまである、が…」
隣から袖をつかまれる。
横を見る。そこには歯を食いしばり、こちらを見つめる彼女がいた。目には雫がたまっている。
「…さっき私が比企谷君にいったことは、信じて、くれないの?」
…まったく、その顔はずるいだろう。そんな顔をされては、都合の悪いように受け取れないではないか。
確かに彼女の思っていることは先ほど聞いた。しかし、やはり俺はそれを信じてはいなかったらしい。三つ子の魂百まで、この性癖は一生治りそうにない。
目は口よりも、モノを言う。
「そう、だな」
顏が熱い。
彼女は俺の否定とも肯定ともつかない返事から、何かを感じ取ったようだ。「なんだ。」とつぶやき、下を向く。肩まである髪が表情を隠す。
またもや沈黙が下りる。
なんだろう、目の前の二人から無言の圧力を感じる。
恐る恐る前を向くと、雪ノ下は見たこともない笑顔を浮かべ、由比ヶ浜はほっぺたをいっぱいに膨らませていた。
なんとなく八幡センサーが告げている、まずい、と。
「ま、まああれだよな、海老名さん。軽い冗談のつもりだったと」
ハッ、と目の前の二人を見た海老名さんは、俺の話に同調する。
「そ、そうなんだよー。私としてはやっぱりとつはちなのかはやはちなのか、はたまたとべはちなのか、ヒキタニ君にそろそろはっきりしてもらいたくてね。偶然会ったついでにその辺のことをサイゼででも聞こうかと思ったんだ。やっぱり私としては大穴のとべはちを推したいところではあるんだけどねっ!」
二人はこの話に全く納得した風ではなかったが、海老名さんは話していて普段の調子が出てきたらしい。
「ところで雪ノ下さん、前もちょっと話したけどそろそろどう。今週末にでも池袋散策しない?やっぱり実地で教えたほうが…」
「いえ、その申し出は謹んでお断りさせていただくけれど」
「そう?絶対気に入ってもらえると思うんだけどなぁ」
人のいい由比ヶ浜のことだ。実際に連れまわされたことがあるのだろうか、「あはは…」と苦笑を浮かべ、頬をかく。お疲れ様です。大体実地って何だよ。
ゴホン、と一つ咳ばらいをし、雪ノ下が時計を見る。
「時間も遅くなってきたことだし、今日のところはそろそろお開きにしましょうか」
時刻は18時半を示していた。サイゼに1時間以上いたのか。サイゼってついつい時間を忘れてしまうところ、あるよね。…マックスコーヒー製作会社コカ・コーラとサイゼからはそろそろ何かもらってもいいと思う。
「そうだね、早く帰らないとママも心配するし」
由比ヶ浜も同調する。
そうはいっても。俺は外を見る。窓に打ち付ける雨は一向に弱まる気配がない。この雨の中自転車で帰るのか…。
ちらりと横を見ると海老名さんも同じようなことを思っていたのだろう。外を見て顔をしかめている。とはいっても帰らないわけにもいくまい。
「んじゃ、会計にするか」
それぞれの伝票をもって席を立つ。ちらりと由比ヶ浜たちの伝票を見ると、「シチリアレモンのソルベ」「シナモンフォッカチオ」「イタリアンプリン」「アイスティラミス」etc…。あの、ガハマさん?物には限度があるだろうが。そのカロリーは全部二つのメロンに持ってかれてるんですか?横にいる人が気の毒じゃないですか。
「ヒ、ヒッキー?」
「比企谷くん?」
「ヒキタニ君?」
三人が怪訝な視線をこちらに向ける。
つい由比ヶ浜のメロンを見つめてしまった俺は、さっと視線を外す。
気づかれただろうか?
由比ヶ浜は赤面する。
「そんなみられると…ちょっと、はずかしいかも…。」
どうもすいませんでしたああああああ。
「まったく、この男は…。いつ性犯罪を起こすかと思うと、気が気ではないわね。でも安心しなさい。実際に起こしたとしても、取材には『彼ならやると思っていました』とコメントしておいてあげるわ。サカりガヤくん?」
いつもなら何か皮肉の一つでも返すところだが、今日ばかりはそんな気にならない。不憫だ…。
「雪ノ下」
彼女をまっすぐに見つめる。
「な、何かしら」
突然見つめられ、雪ノ下は視線を泳がせる。
由比ヶ浜と見比べ、ため息を一つ。
「まあなんだ。…がんばれ。遺伝的に考えれば望みはある」
「…殺されたいのなら、素直にそういいなさい。大丈夫よ、痛いのは一瞬だから」
はい、ごめんなさい。
そんなやり取りの中、海老名さんは一人「そっか、やっぱり男の人は大きいほうが…」とかつぶやいている。いま海老名さんに偏った男性像を植え付けてしまったかもしれない。海老名さんのご両親、ごめんなさい。
だが、勘違いされたままというのも癪だ。
「いや、べつにそういうことではなくて…」
「でも、ヒキタニ君は大きいほうがいいんだよね?」
「う…」
そうはっきりと問われると、言葉に詰まる。
煮え切らない態度が気に入らないのか、海老名さんはせかす様に言う。
「たとえば、ヒキタニ君は去年の林間学校のお手伝いの時、ここにいる全員の水着姿を見ているわけだよね?一人だけ川遊びもせずに、じっとりと、ねっとりと」
おい、その言い方には激しく語弊があるだろうが。
そのあと少しためらったが、後に引けなくなったのか。顔を紅くして、彼女は問う。
「で、それを踏まえて、ここにいる3人のなかだったら、だ、誰の水着姿がよかったの?」
「…はい?」
彼女は慌てて手を振る。
「だってヒキタニくん、さっきから全然にはっきりしなくて、一般的な参考にすらならないんだもん!具体性を持たせた方が話も分かりやすいでしょう?」
ぐ。一理ある、のか?
まあ俺がはっきりしなかったのは確かだ。気づくとほかの二人もかたずをのんでこちらを見ている。
さて、ここではどんな選択肢があるのだろう。シミュレーションしてみよう。
1.由比ヶ浜→やっぱり巨乳好きの変態なのね。
2.雪ノ下→ひんにゅ…そういう趣味の変態もいるよね。
3.海老名さん→スク水好きなんだね。変態だね。
はい詰んだ。
いや、逆に考えろ。どうせ変態になるんだったら、一つ選択肢があるじゃないか。絶対的で、決して揺るがない、俺なりの、俺だけの解が。俺は、おれは、オレは。
千葉の変態になる。
深呼吸をすると、彼女たちの体もびくっと動く。窓の外をぼーっと見る。
「…小町」
「「「変態」」」
やったぜ。
会計をすまし、自転車を駅においてある俺と海老名さんは二人と別れ駐輪場に向かう。どうも、会計が終わってから彼女たちの態度がよそよそしかった気がする。小町ぃ…。お兄ちゃんもうだめかもしれない。
「やー、それにしても」
カギをぶんぶんと回しながら、こちらをのぞき込む。
「今日はずいぶんとヒキタニ君とお話しちゃったね」
さりげなく視線は外しておく。
「だな。…一生分話したまである」
「あはは、一生分って…案外、付き合い長くなりそうな気がするけどな?私たち」
彼女を見る。いつもの笑みを浮かべている。が、
その顔は紅い。
「…できれば今日限りにしてもらいたいもんだ」
どうも調子が狂う。
駐輪場についたが、ここで問題があった。
「あ、傘、持ってない」
「…まじか」
ここまでは駅のサイゼから屋根伝いできたから彼女も気づかなかったのか。俺は折り畳み傘があるが、決してそんなに大きいものではない。べ、べつに相合傘とか意識してるわけじゃないんだからねっ。
「はぁ…」
「ど、どうしよう。まあこのくらいの雨だったら濡れて帰っても…」
悩む彼女を遮り、
「ん」
某トトロの寛太君ばりに、傘を差しだす。
「え?」
「いや、うちここから近いし、傘なしで帰って風邪でもひかれたら寝覚めが悪い。よければ使ってくれ」
「いや、でも悪いよ…。それにヒキタニ君のうちそんなに近く…そうだっ」
ポン、と両手を合わせ、両手越しにこちらを上目遣いで見る。う、そのしぐさはやばい。
「あ、相合傘で帰ればいいんじゃないかな?」
口にしたことで恥ずかしさがあとから襲ってきたのか、合わせられた手は開き、彼女の顔を覆う。
ちょっとまて、だからなんで今日この人こんなに…。やばい、一刻も早くここから離脱せねば、俺の何かが決壊する気がする。
「い、いや、この傘そこまで大きくないし、二人で自転車押しながら帰るのは無理があるだろ。っていうことで、はい」
海老名さんの荷台に強引に傘を押し付け、ペダルに足をかける。
「あ、ちょっと…」
「じゃあ、雨降ってるし気を付けて帰れよ。じゃあな」
「あ、比企谷くん、私ね…」
何か言いかけた彼女を残し、雨が打ち付ける夜の千葉で、俺は一人自転車を飛ばした。
…寒い冷たい着替えたい。