駅につくと、彼女は迷わずアニメイトに入る。よかった。本屋とか言ってヴィレバン入られたら、居場所をなくすところだった。
「で、なんかお目当てのものでもあんのか?」
「うん。今日発売のがあるはず、なんだけど…」
彼女は不安げにあたりを見渡す。
「見当たらないのか?」
「そうなんだよね。発売日合ってたかな…」
スマホを取り出し、調べ始める彼女。いや、それだともし発売日が合っていても、本がどこにあるかわからないと思うのだが。
…仕方ない。
彼女のスマホをのぞくと、作品名が表示されている。しかし、さすがにこの作品名をノンケの俺が口に出すのははばかられる。
「海老名さん、ちょっとスマホ借りてもいいか?」
「え、べつにいいけど…」
受け取ったスマホを店員に見せ、本の場所を尋ねる。
「それでしたら、新刊コーナーのあちらにあります」
不愛想な男の店員が親切にも教えてくれた。なぜかゴミを見る目だった気がするが、気にしない。そんなことをいちいち気にしていては、雪の下のいる奉仕部室に3分といることはできない。あれ、俺の扱いひどくない?なんか目から汗が出てきたよ?
教えてもらった場所まで行き、お目当ての本を海老名さんに手渡す。
「ほい」
「あ、ありがとう」
…どうも海老名さんから視線を感じる。何か俺の顔におかしいところでもあるだろうか。目以外はなかなかのものだと思うのだが。眼だけきれいにしたコラをネットにあげたやつ、怒らないから、手を上げなさい。
ちなみに教師のこのセリフは、「先っぽだけ」くらい信用してはいけません。あれ、このくらいでR指定入らないよね?
「なにか?」
「いやー、ヒキタニ君って、普通に他人と話せたんだね」
「そんなにこじらせてるように見えるか?」
確かに会話は決して得意ではないが、ぼっちにとって他人と事務的に行うそれは会話ではなく、ただの連絡だ。
「んー、見える。それに私が関係の薄い人とかと話すの苦手なんだよ。顔見知り程度の知り合いと会話とかどういう拷問だよ、っていうね」
「ふ、甘いな。顔見知り程度の知り合いさえ作らない学校生活を送っていればその心配もねえ。その程度でコミュ障名乗ってもらっては困りますな」
「なんで自慢げなの。私コミュ障とか言った覚えないんだけど…。まあ、私は赤の他人との事務的な会話も御免したいところだけどね。特に男子とは」
ふむ。それには同意できる。
「そうか。おれもできれば女子と話したくはないな」
海老名さんが目を見開き、俺をまじまじと見つめる。うっわ、眼鏡かけてるからわかりづらかったけど、まつ毛なっが。こんだけ長くて普段気にならないのか。八幡、気になります!
俺の表情に困惑しか読み取れなかったのか、彼女は下を向き、深くため息をつく。
「本気で言ってるの…」
「?」
海老名さんが小声でつぶやく。聞き取れなかったが、バカにされた気がする。悪意には敏感(笑)な高校三年生、どうも、比企谷八幡です。
「とはいっても、海老名さん教室では普通に男とも話してるだろ」
「ああ、あれは優美子たちが近くにいるからできるんだよ。男子と二人きりとかはちょっと怖いかな。気後れしちゃう」
ああ。
「なるほど。だから」
言いかけて、口をつぐむ。おれはいつからそんなに偉くなったのだろう。勝手に人を判断して、決めつけて、レッテルを張る。自分もしてしまうからこそ、それらを忌み嫌っているのかもしれない。特に人の好きな物、アイデンティティに関わる話を、他人が勝手に決めつけていいものではない。
「だから?」
海老名さんが首をひねる。
ううむ、まあそうなるよな。
「ええと…。ああ、だから俺のことは男としてみてないから今も話せてるってことだな。納得した」
我ながらなかなかうまい返しではなかろうか。
このあたりで適切な距離をとる必要もあった。過度な共感、シンパシーは危険だ。踏み込むべきでないところまで踏み込んでしまう。
海老名さんは唸る。一時逡巡し、意を決したのか、まっすぐこちらを見る。そして、
「別に、そういうことじゃないよ。ただなんていうか、ヒキ…比企谷君。君のことは、私、知ってるから」
そう笑った。
俺はもう一度彼女を見る。海老名姫菜という人間を、もう一度見る。
以前そんなことを誰かに言われた。そしてそれは、簡単に壊れそうになった。かたくて、もろい。その時はそうに違いないと信じても、すぐに崩れる。
「でも」
小さくつぶやく。
「俺はあんたのことは何も知らない。海老名さんが何をもって俺を知っていると思い込んでいるのかは知らないが、勝手な押し付けは勘弁してほしい」
どこからか鐘がなる。17時を告げる鐘だろう。まったく、ずいぶんなところまで来てしまった。分をわきまえねばならない。ボッチにはボッチの、リア充にはリア充の領分がある。そこには見えない壁があって、踏み越えることはあってはならない。
海老名さんは沈黙する。彼女の顔は大体想像はできる。言動から忘れそうになるが、彼女はカースト上位だ。プライドを傷つけられた人間が、どんな顔になるか。どんな行動をするか。だれも助けてくれ、といったわけでもないのに、差し伸べた手を拒まれると憤慨する。経験してきたことだ。
しかし、そこには。
「そうだよ」
まっすぐに見つめる瞳があった。
「私は君のことなんて、何にも知らない。別の場所で生まれて、別の人に育てられて、別のものを食べて、着て、性別だって趣味だって、一緒に過ごした人だって、全部違う。全部を知ってるわけがないし、理解だってできない。でもね」
文庫本で、俺の頭を優しくたたく。
「私を見て、理解してくれた君のことを。誰も理解なんてしてくれない、腐った私を見つけてくれた君のことを。私は知ってるよ」
なんと。
俺は彼女はそういう人間ではないと思っていた。そんなことを、形もわからない不確かなものを信じる人間ではないと思っていた。いや、むしろそれらを、言葉にするなら「信頼」とでもいうべきものを、どこか斜に見ているところがあるとすら思っていた。
彼女は修学旅行の前に俺に依頼をした。彼女の依頼の意味に気づいた俺は、意向に沿うように行動した。言ってしまえば、彼女は彼女のグループを信頼していなかった。それのはらんでいる危うさに気づき、信頼していないからこそ少しの傷で壊れると思った。だから俺にその傷をつけないように依頼をした。
その彼女が今、あっさりと「海老名姫菜を見つけた比企谷八幡」を、その、知っているといった。
彼女は「ボッチの比企谷八幡」ではなく、俺という人間を見ていたのだ。まったく、つくづく属性でレッテルを張って、決めつけているのはどっちなんだか。
「はぁ…」
頭をガシガシと掻く。
「まあ、それならそうなんじゃねえの。…知らんけど」
彼女の顔は、今度は見ずともわかる。
その笑顔は負けた感じが半端ではないからやめていただきたい。