抜けるような青空に、少しの風が吹く。春らしい、いい日だと思う。
しかし私の周りだけ暑いのは気のせいだろうか。汗までにじんできた気がする。
「お…はよう、はちまん」
「お、おう。おはよう…姫菜」
「…」
「…」
ど、どうしようどうしようどうしよう!目合わせられないよ~!!!
昨日、私は彼とそのき、き、き、キッシュをした。その前に間接き、き、キスをしてて、どこかハードルが下がっていたのかもしれない。…今綺麗にフランス料理が出てきたね、噛んだだけですけどなにか。浮ついてるけど悪い?
昨日、サイゼリヤにて。
してしまったことの恥ずかしさに時間が経つにつれ気づき、あの後はお互いに顔を見ることもできなかった。
「あ、あー、じゃあそろそろ出るか」
比企谷君が明後日の方向を向きながらつぶやいた。
「う、うん」
私は机に顔を突っ伏してそう返事を返す。うぅ…顔上げたくないよ…。
しぶしぶ顔をあげると、どうも視線を感じる。比企谷君を見ると、彼もその視線に落ち着かないようだ。
…わ、わー!!!当たり前だよ、だってサイゼリヤで、ファミリーレストランで、家族連れも学生もいる中で、あんなことしちゃったんだもん。しかも意外に比企谷君の唇が柔らかくて、結構長い間、その、しちゃってた気がするし…
私と比企谷君は周りのおばさんたちと店員さんから温かい目で、男子学生たちからは若干の殺意のこもった目で見送られ、逃げるようにサイゼリヤを後にした。
そのまま恥ずかしさとともに彼と一緒に帰宅した。交わす言葉は少なかったけど、今までで彼と一番つながっている気がした。帰りはゆっくりと、二人とも自転車を押して帰った。
帰宅すると、母親の元気な声で出迎えられる。
「おっかえりー!姫菜。今日は学校どうだったー?」
彼女の名前は海老名美菜。私の母親で、専業主婦。結構若く見えると思うけど、年齢は…ゴホンゴホン、まあプライバシーということで。
いつも通り、いや、気持ちテンション高めの母親に、私は短く答える。
「…べ、別に」
今日の一連の出来事がフラッシュバックする。きちんと答えられただろうか。
「へ~…別に、かぁ」
彼女はにやにやと笑う。う、この母親は…。またろくでもないことを考えているんじゃないだろうか。
「これ、なーんだ」
にひひ、と彼女は白色のスマホを高らかと掲げる。そこには。
「あ、あ、あ」
私と比企谷君の、その、き、キスシーンの瞬間がバッチリと映っていた。
「あーーーーーーー!!!」
ちょ、何考えてるの、この母親は!!!
私は母親のスマホを奪おうとする。しかし、私より背の高い彼女の手までは届かない。
「いやー、最近妙にウキウキした様子で家出てくし、眼鏡もかけてないみたいだし、なーんかおかしいと思ってたんだよねぇ」
私を軽快なステップでかわしながら、彼女はいくつかのショットの私たちをスマホからスライドで呼び出していく。い、いい加減に…
「姫菜」
突然彼女はスマホの画面から目を離し、こちらに向く。
「な、なに?」
や、やるか。ファイティングポーズをとる私を尻目に、彼女は静かに問う。
「本気、なの?」
その目は先ほどまで違い、一人の母親のものだった。
「…うん。それだけは間違いないよ」
私はまっすぐに彼女を見て、答える。
「そっか…」
彼女は一言つぶやくと、またさっきまでのニヤけ顔に戻る。
「にしても、なかなかのイケメンくんじゃない。お母さん姫菜が面食いだったとは知らなかったな」
「え、イケメン?」
すこし意外だった。彼は私の目から見れば、そりゃあ、なんというか…格好良い。でも決して一般的にそういわれる顔立ちじゃない。
「ちょっと、キスしてた人を捕まえてそれはないんじゃない?ほれ、見てみなさい」
彼女は苦笑を漏らし、私にスマホを渡す。するとそこには
「だ、誰だこれ!」
驚いた。彼の顔は目の部分だけが私の顔で隠れ、ちょうど腐った部分以外が映し出されていた。そしてその顔は
「かっこいい…」
ついつぶやいてしまい、慌てて口をふさぐ。
「おうおう、お熱いねー」
ヒューヒュー!と彼女は煽り立てる。む、むかつく。
「うるさいなぁ!っていうか、なんでこんな写真がここにあるの?お母さんもサイゼにいたの?」
しかしそれだと彼をイケメンだと断じたことに違和感を覚える。この写真だから、イケメンなのだ。
彼女は不敵に笑う。
「ふっふっふっ、母のネットワークをなめないでね。一言で言えば友達の弓ちゃんがあなたの姿を見つけて、送ってくれたのでした~」
「…この町にはプライバシーの概念がないのかな」
あの笑ってたおばさん集団か。頭を抱えたくなる。母親の顔が広いのは知ってはいたが。
「何言ってんの、公共の場でこんなことしてる時点でプライバシーとか言える立場じゃないでしょう」
ぐぅ…、正論。
「で、彼名前はなんていうの?」
母親の追及が始まる。まずい、目が輝いてる。
「まあ、おいおい適当に話すね」
私はそういい、早々に話を切り上げようとする、が母の追及は終わらない。
「ちょーっと、待ちなさい」
笑顔の母に私は逆らうことができない。こ、こわいよぅ…。
「べ、べつにいいじゃん、誰だって!お母さんには関係ないでしょ!」
しまった。まったくらしくないことを言ってしまった。母親はクスクスと笑い、続ける。
「まさか姫菜からそんな年頃の娘みたいなセリフを聞けるとは思わなかったな。…そりゃ気になるよ、娘に初めて恋人ができたんだから」
恋人!ボン、と頭から湯気が出た気がした。そっか。私と比企谷君は、他の人から見たらそう見えるのか…
「う、しょうがないなぁ。比企谷くんって言ってね…」
気づけば私はどんどん彼の情報を母親に伝えていた。今思えば、完全に乗せられてるよね、私…。
ということで、話は気持ちの良い朝に戻る。なら最初から昨日のことから話せって?…文章構成の下手な作者に、どうぞ。
彼と一緒に登校し、どうも気まずい空気が漂う中。下駄箱に到着する。
「やっはろー!」
後ろから突然すっとぼけた挨拶が聞こえる。彼女を引き連れて教室の前まで行き、彼女と別れ、教室に入る。来た、来ましたよ…
「比企谷八幡君の、一日のスケジュール」
登校時→結衣とご挨拶、憎まれ口をたたきながらも教室まで同伴
昼休み→あざとい生徒会長とお弁当
授業間→妙に平塚先生から呼び出される
放課後→雪ノ下さんからの止むことのない罵倒
下校→戸塚君とお・た・の・し・み。…デュフフ。
※1 サキサキが怪しい
※2 たまに遊びに来るほわほわしたせんぱいが怪しい
※3 相模さんが怪しい
※4 雪ノ下姉が怪しい
※5 …小町ちゃんが怪しい
どこのギャルゲーだ。
つまり、何が言いたいかというと。
「私の出る幕がない!!!!!!」
教室の全員がこちらを向く。
「ちょ、海老名、急にどうしたし」
目の前の金髪で見るからにイケイケな娘があたふたと問う。
「いや、ちょっと最近悩んでることがあって。優美子、驚かせてごめんね?」
今私は、優美子の教室にいる。昼休みに優美子から話がある、といって呼び出されたのだ。私の前には小盛の二つに分けられたお弁当がある。彼女の前にはかわいらしいクマをあしらったお弁当箱、ウサギ、ネコ、イヌ…。さすがにかわいすぎないだろうか。というか多すぎない?それに加えていくつかのデザートも別の容器に入っている。結衣といい、栄養が全部二つのモノに集まる魔法でもこの世にはあるのだと思う。不公平だ。
優美子は相談があるようだけど、ここ数日彼のことで悶々としている私も、内心では彼女の悩みを聞いている余裕はなかった。いや、ほんとに比企谷君隙なさすぎなんだよ…。
私の言葉に少なからず驚いたのか、彼女は目を見開いて私を見る。
「へー、海老名が悩みあるって口に出すの、珍しくない?どしたん、あーしでよければ聞くけど」
「いや、それが一言で言えるような問題じゃなくてね…」
つい伏し目がちになる。顏が熱い気がするが、顔色にまで出てないか心配だ。で、出てないよね?
私の様子から何かを悟ったのか、彼女は「はーん…」と顔をニヤつかせる。
「もしかして、あんた好きな男でもできた?」
「ブー!!!!」
思わずお茶を吹き出す。
「そんな驚くこと!?海老名、これでふけし」
「う、うん、ありがとう」
優美子から差し出されたティッシュで口を拭い、気持ちを落ち着ける。やっぱり優美子はいいお母さんになりそうだなぁ…。
「で、海老名。その反応からみるに図星だし」
彼女のニヤニヤは止まらない。…そんなにおかしいことかな。
「あ、いま「別にそんなに変なことじゃない」とか思ったっしょ」
ぎくり。優美子はここまで鋭かっただろうか?
彼女はため息をつく。
「十分変だっての。最近のあんた、変わったと思う。前は正直あーしにも海老名が何考えてるかよくわかんなかった。でも今はなんか、感情が表に出やすくなった気がする」
…変わったのは彼女じゃなくて、私だったんだ。
彼女の顔に笑みが戻る。
「しかも最近海老名、眼鏡してないじゃん。あーしがいくら『コンタクトにしなよ』って言っても聞かなかったあんたが、いきなり眼鏡をしなくなった。正直これだけでも十分判断材料になるし」
ふふん、と豊満な胸を誇らしげに張る。く、くそう、二重に負けたみたいで敗北感がすごい。
「で、誰なん?言ってみ?」
しまった。この手の話題は、優美子の大好物だった。
「い、いや、別に好きとかそういうことじゃなくて」
「じゃなくて?」
顔をのぞき込まれる。う…。
ふと以前結衣が同じようなタイミングで言っていたセリフが思い浮かぶ。
「気になる、っていうか」
そう顔をそらすと、優美子は下を向き、机をバンバンとたたく。…周りの人見てるよ。
「ま、まさか海老名からそんな女子みたいなセリフ聞けるとは思ってなかったし!」
「私だって一応女子だよ…」
「で、どういう風に気になるの?」
ま、まだ来ますかこの乙女は。
普段の私だったら、いつもの海老名姫菜だったらこんなこと絶対に口に出さなかっただろう。親にも兄弟にも、友達にも。
しかし気づけばポツリポツリと口を開く私がいた。…なんで話してしまったのか。
眼鏡をかけてくるべきだったのかもしれない。
「…どうって、そうだね。私、その人に嫌な思いさせちゃったことがあったの。…ううん、本人はそんな自責お門違いもいいとこだ、とか言うかもしれない。むしろ私に悪いことしたとか思ってるかもしれない。でも、私は確かに彼を傷つけた。それなのに今更彼の近くにいるのが私なんかでいいのかなって…」
私は、彼のことを気にしている。更に続ける。
「それに、彼の近くには私なんかよりかわいい子が、たくさんいるの。だから私じゃなくたって…」
私の中には二つの罪悪感がある。
気持ちを確かめ合っても、それはなかなか消えてくれない。一つは今言った比企谷君へのもの。もう一つは優美子には言わない、というか言えないけど、奉仕部の二人へのもの。雪ノ下さんはどう思ってたかわからなかったけど、結衣はたぶん修学旅行の時の私の思惑に、彼の私への告白と私の受け答えによってなんとなく気づいたと思う。そして私は結衣の彼への想いに気づいていたし、責められても仕方がないと思った。でも彼女は、何も変わらず、変えようとせずに私と接してくれた。
だから私は彼女に、彼女たちに引け目を感じてしまう。
「ふーん、そっか」
優美子はオレンジジュースを一啜りする。
「あーしさ、むずかしいこととかこまかいこと考えるの嫌いだから」
頭をガシガシと掻く。そのしぐさが彼を思いださせて、つい笑みがこぼれる。
「…だから、海老名の気持ち、わかるとは言えない。だっていくらがんばっても過去は取り返せないし。だったらその男が近くにいることを素直に喜んで、楽しんだらいいんじゃない?」
彼女らしい。でも。
「それは優美子だから言えるんじゃないの」
まっすぐに彼女を見る。
「…」
彼女から目をそらされたのは初めてだったかもしれない。
「あんた、ほんとに変わったね。…ちょっと悔しいし」
彼女は苦笑を漏らす。
「少なくとも、あーしはそう思うことにした。…今と、先だけ見るって」
その一言に重みを感じた。そっか。優美子の相談って…。
「うん」
一言、返すだけでよかったと思う。
「に、しても」
優美子はブスリ、とフォークでソーセージを刺す。
「その男、ろくでもないし。海老名の話を一言でまとめれば、他の女の影が見える、ってことっしょ?」
「いや、そーゆーことじゃ…」
低い声を出す優美子に、比企谷君の身が危ないと思い、言いかけて私は冷静になって考えてみる。あれ、優美子の言う通りじゃない?
黙ってしまった私に彼女は厳しい目で続ける。
「それに、海老名。あんたもあんただし。さっきから「私なんて」って言うのやめな。…今あんたかわいいのに、ブサイクになるよ」
優美子…。
「お母さん!」
気づけば私は優美子の胸に飛び込んでいた。
「は、はぁ!?何言ってんのあんた…。あーしがばばあみたいじゃん。ってか、さっさと離れるし!」
そう言って顔を赤くする優美子に抱き着きながら、思う。
…単純でもいいかもしれない。
昼休みも終わりに差し掛かり、優美子の教室を出る。
すると猫背で目が濁った、アホ毛の少年が目に入る。…よし。
廊下にはほかにちらほら生徒もいた。見知った顔はいなかったけど、もしかしたら私と彼を知っている人はいるかもしれない。それでも、
「比―企谷くんっ」
ふわりと後ろから抱き着く。彼の匂いがいっぱいに広がり、思わず頬が緩む。
「うわ、ちょ、海老名さん!?な、なにやってるんですかね」
反応に成長がない。
「何って、ハグだよ、ハグ。そんなことより、比企谷君」
いまだに緊張した様子の彼にの前に回り込み、彼の顔を正面からのぞき込む。あ、目そらした。
「今週末、デートに行きましょう」
「…はい?」
…その反応は、点数をつけるとしたら0点だよ。
目を丸くする彼を尻目に、私はすでに頭の中でデートプランを組み立てていた。
既成事実って、大事だよね♪