神宮君にデートのお誘いを受けた次の日。つまりはデート当日である。
結局、あの後に二人でどこに行くかを話し合った。お互いにデートなんてものはしたことが無かったのが大きな理由だ。
情けないことに私たち二人ではこれといった案が決まらず、「インターネットで調べる」というある意味では現代っ子らしい方法で行き先を決めた。
行き先は水族館。電車で二十分程度の距離なので時間もかからず、天気などの影響も受けない。神宮君は「頼りなくてごめんね」と言っていたが、とんでもない。考えればわたしは水族館には小さい頃に行ったきりで、そんなに行ったことは無いのだ。
実は昨日の夜に何を着ていくのかで悩んでしまってまだ少しだけ眠気が残ってる。クローゼットからあんなに服を引っ張り出したのは久しぶりだ。あれでもないこれでもない、と悩んだ結果、白いブラウスに水色のワンピース、そして紺色のキュロットという服装に決めた。この服は前に雑誌の取材を受けたときに「制服じゃ味気ないから」と言うことで用意されたもので、それをそのまま貰えるというので貰ったものだ。
鏡の前に立ち、おかしなところが無いかを確かめる。よし、と意気込んで部屋を出る。時計を見ると時間は十時近く。神宮君とは公園で十一時半に待ち合わせになっているのでまだ余裕がある。とはいえ、遅刻なんてことはしたくないので少し早めに出よう。
少しそわそわしながらも時間を過ごし、そろそろかな、と時計を見る。時間もちょうど良い位だったので、荷物などに不備が無いかを確かめてから家を出た。
○
約束の公園に着いたのは待ち合わせの時間の十分くらい前。公園の入り口でキョロキョロと周りを見渡していると、
「宮永さん」
と、どこからともなく声がかかる。聞き慣れた声なので声の正体はすぐに分かった。
声のした方を振り向いてみると、思った通りに神宮君が立っていた。
「もう来てたんだ」
「ついさっきだよ」
そう答えた彼はボーダー柄のカットソーに黒のジャケットを羽織り、ボトムスは白のスキニーという装いだ。
「じゃあ、むこうで食べようか」
そう言って、近くのベンチを指でさす。「わかった」と答えて彼と連れ添って歩く。
水族館に行く前に公園で軽い昼食をとることにしたのだ。昼食、といっても本当に軽い物で『あまね』のお菓子をいくつか食べるだけだけど。
「ああ、そうだ」
歩きながら神宮君が声を上げる。それと同時に足を止めてこちらを見てくる。どうしたの、と彼を見返すと
「その服、似合ってるよ」
と、微笑みながら言ってくれた。その言葉に恥ずかしさが沸き上がるが、それを押さえ込んでこちらも言葉を発する。
「ありがとう。神宮君も、うん、似合ってる……よ」
口にしてみて、ものすごく恥ずかしくなった。私の言葉に彼は「うん、ありがとう」と答える。その様子を見た私は少しムッとする。今日の神宮君はなんでこんなに余裕があるのだろうか、昨日はあんなに慌ててたのに。
表情に出ていたのだろう、彼が「えっと、宮永さん、どうしたの?」と聞いてくる。
「なんか、わたしだけ恥ずかしがってる気がする」
自分でも拗ねているような声だと分かった。それを聞いた彼は、少し笑ってから、
「そんなことないよ、正直今もドキドキしてる」
「そんな風に見えないけど」
「ほら、やっぱり格好つけたいんだよ」
そう言った彼は恥ずかしそうに頬をかく。その様子を見てクスリと笑いがこぼれた。そのまま二人で歩き出す。
「それにしても、昨日はあんなに慌ててたのに」
神宮君は「いや、ね」と言ってから言葉を繋げる。
「昨日一日考えてね、ここまできたら思い切っちゃおうって」
ほら、座って、と言われ、二人でベンチに腰を下ろす。
そのまま紙袋からいくつかの商品を取り出して渡してくれる。ありがとう、と礼を言ってから受け取る。
渡されたのは最中でわたしが前に一番おいしいといった商品だった。チラリと彼を見ると「どうしたの?」と聞いてくる。
なんでもない、そういってから二人で「いただきます」と声を合わせる。
口を開けて一口かじると、サクリと生地が音を立てて中の餡が顔を見せる。甘さを抑えたこしあんでなめらかな口当たりだ。うん、おいしい。
「どうしたの?」
ふと、神宮君が私のことを見ていることに気がついた。
「相変わらずおいしそうに食べてくれるなって」
そう言って嬉しそうに笑う。「そうかな?」と返すと「そうだよ」と返ってくる。
「そういえばさ――」
前置きをおいてから話題を振ってくる。内容は麻雀部の事だったり、学校の行事についてだったり様々だ。お互いに三年生なので進路の話も出たりした。
お互いに話題を振ったり、振られたりして会話を弾ませ、彼が持ってきてくれた和菓子を食べ終える。話していると、やっぱり彼と一緒にいるのは楽しい、と再確認する。
幸せな気持ちになりながら二人での時間を過ごした。
○
昼食を取り終えた私たちは、少し休憩を挟んでから公園を出る。いつもよりどことなく近い距離を保ったまま駅へ向かう。
駅に着いてから二人で切符を買い、改札を通ってホームで電車を待つ。少ししてからアナウンスが鳴り、電車が来る。電車内にいる人がそこまで多くなかったことに安堵しつつ、電車に乗る。
電車に揺られて二十分、目的の駅に到着した。駅から出て、水族館前のまで乗せてくれるバスに乗る。席が空いていたために二人で座席に座り目的地まで待つ。
「そういえば気になったんだけど」
ふと、彼に聞きたいことがあったので切り出してみる。「ん?」という反応が返ってきた為に続きを話す。
「神宮君の家って和菓子屋だよね」
「そりゃあ、そうだけど」
今更かい? と言ってくる。ただ、これは簡単な確認だ。本題は次。
「新しいメニューの開発のために食べ歩きとかってするの?」
たまたま見たテレビでそんなことをしている職人さんがいたのだ。もしかしたら神宮君もやるのだろうか、と気になったのだ。
「新しいメニューって言っていいのかな、期間限定物とかの時にそういうことしたりもするけど。でも、そういうのは父さんがやることが多いかな」
「……そうなんだ」
「どうしたの?」
そう聞かれてどう答えようかと迷う、でも、言ってしまおう。
「もし、そういうのをするなら、わたしもやってみたいなって」
「食べ歩きをかい?」
「うん」
「なんとなく分かってるけど宮永さん一人でとかじゃ――」
「二人で」
喰い気味に言葉をかぶせたわたしに少し驚きを見せつつ神宮君が答える。
「うん、そっか。じゃあ、今度そういう時間を作ろうか」
その言葉が耳に入るのと同時に、左手に何かが乗っかる感触を感じた。視線を向けると神宮君の手がわたしの手の上にのせられている。視線をあげて彼の顔を見ると「ダメかな?」と言ってくる。表情は穏やかに笑っているが、少しだけ声が震えているのが分かった。
「ううん、大丈夫」
そう答えて手の向きを変えて神宮君と手をつなぐ。「手をつなぐ」ただ、それだけの行為なのに、自分の心臓がバクバク鳴っているのがわかった。気恥ずかしくなって顔を背ける。
お互いに何も言わない時間が流れ、そのまま、アナウンスによって到着したことを知らされるまで、左手に感じる熱っぽさを忘れないようにと彼の手をしっかりと握っていた。
○
宮永さんとつないだ手を離さずにバスを降りる。一世一代の大勝負のつもりで提案してみたが彼女に受け入れてもらえて本当に良かった。なるべく自然な感じに表情なども気をつけていたが出来ていただろうか。
バス停から水族館は本当にすぐ近くで、歩いてすぐに水族館に入ることが出来た。チケットを買うために売り場に向かう。宮永さんに「じゃあ買ってくるよ」と言ってから、二人分のチケットを買って宮永さんのところへ戻る。
「本当にいいの?」
はい、といってチケットを渡した際に宮永さんが聞いてくる。
「いいんだよ、誘ったのは僕だし、このくらいは格好つけないと」
「じゃあ、ありがとう」
そういった彼女は受け取ったチケットを少し見つめてから、それじゃあ行こう、と言って僕の手を引っ張る。
受付の係員にチケットを渡し、同時にパンフレットを渡される。少し進んでから、他の人の邪魔にならないように通路の脇に行ってからパンフレットを開く。
「幸い天気もいいから屋上にも行けるかな?」
この水族館は一階と二階、そして屋上にそれぞれエリアがあり、屋上のエリアは当たり前だが雨が降ったりした際には見ることが出来ない。
「大丈夫だと思う」
「だよね、じゃあ行こうか」
パンフレットをしまってから二人で水族館の中を歩いて行く。ほのかに薄暗い館内で魚たちのいる水槽が淡く光っている。
サンゴ礁が集められている水槽を見てから、隣の水槽へ。そこにはクラゲが展示されているようで、水中でふわふわとクラゲが漂っていた。
「綺麗……」
隣からそんな彼女のつぶやきが聞こえてきた。チラリと目をやると水槽に目が釘付けになっているようでこちらが見ていることに気がつかないようだ。
ふらり、と宮永さんがが水槽に近づき始めたので、それに合わせて歩を進める。水槽の前に立ちしばらくジッと見ているだけだったが、ふいに右手の人差し指を水槽に押しつけた。そして、一定のリズムで動かしている。なんだろう、と思っていたが、そのリズムとクラゲが水中を移動するリズムが同じ事に気がつき、クラゲのことを指で追っているのだと分かった。
どうやら彼女はその行動に夢中になっているようで、それからも指でクラゲを追う事を続けている。そんな姿が可笑しくて自然と笑みがこぼれてしまう。
と、それまで指を動かしていた宮永さんだったが、動きを止めて思い出したかのように僕の方を見る。僕はそんなことをしていた彼女を見ていたので自然と目が合う。ジワジワと宮永さんの顔が赤くなっていくのが見て取れた。彼女はプイッと顔を背け、
「つ、次、行こう」
そう手を引っ張りながら足を進める。彼女に連れられるままに次の水槽へと行き、展示されている魚を見て回る。
そうやって館内を進んでいると、アーチ状の入り口から続く海中トンネルに入った。
トンネルに入るとスタッフの人に声をかけられる。
「お客様、写真撮影はいかがですか?」
どうやらトンネルの入り口で写真を撮ってから後でもらえるようだ。「どうする?」と聞くと、一緒に撮りたいとの旨が返ってきたのでスタッフさんにお願いをする。
「それでは、はい、チーズ!」
パシャリと写真を撮られてから、仕上がりを確認してほしいとのことで撮った写真を見せてもらう。
そこには手をつないでいる僕と宮永さんの写真があるわけだが、少しだけ僕の笑顔がぎこちない。写真を撮る習慣が無いのも一つの理由だろう。隣に移っている宮永さんを見てみると、とても自然な笑顔をしていた。やっぱり、慣れてるのかな。と思いつつも、そういうのとは関係なしに楽しんでいてくれているからだったらいいな、と思う。
スタッフさんにこれで大丈夫、と伝えると、番号が書かれた紙を渡される。お土産屋さんの受付で渡せば写真を用意してくれるそうだ。
スタッフさんにお礼を言ってからトンネルを進む。トンネルの中頃で上を見るとサメが通っていくのが見え、宮永さんが「サメの裏側っていうのかな? なんか新鮮」と言ってくる。
「たしかに見たこと無いかな、あっ、エイもいるね」
「一緒の水槽でも大丈夫なんだ」
「どうなんだろう」
小さな疑問を二人で話したりしながらトンネルを抜ける。トンネルを抜けると階段があり、「こちらからお上がりください」と看板が立っている。それに従って二階に上がり、水槽を見ていく。
途中、アザラシに対してさっきのクラゲのときのように指先で誘導してみたり、クマノミのところでカクレクマノミが出てくるまで粘ったり、カエルのコーナーで宮永さんが無言で首を振り続ける、といったこともあった。どうやら彼女はカエルが苦手なようだ。
そうして二階のエリアも見終わって、屋上に上がった。屋上ではペンギンのパレードが行われており、沢山いるペンギンを飼育員が誘導して道を歩かせたり、餌を与えるような事をしていた。
ペンギンか餌をもらって食べている様子をみて、なんだか宮永さんみたいだなあ、と考えた。そうしているとほんの少しだけ右手に圧力がかかる。隣を見てみると、宮永さんがこちらをジトッとした目でみており、
「わたしはペンギンじゃない」
と言ってきた。
「口に出てた?」
さっき思ったことが口に出てしまったのだろうか、と思ったがどうやら違うようで、
「目が同じだった」
と言ってくる。
「目?」
「目」
宮永さんが食事をしているのを見ている時と同じ目をしていたそうで、それが気に入らなかったらしい。
ゴメンゴメン、と謝ると、「別にいいけど」と返してくれた。
屋上エリアもあらかた見て回り、屋上から二階へ、二階から一階へ階段を降りていく。
一階に降りると目の前にお土産屋さんがあり、宮永さんと顔を合わせてから入ることにした。
二人で商品を見て回っていると宮永さんがしきりに見ている物があったので一緒になってみてみる。
それは本の栞で、木製の栞をイルカの形に穴を開けて、ひもの先端にイルカの尾びれがチャームとしてくっついている物だった。
「それにする?」
そう聞くと、彼女は「うん」と答えてそれを取ろうとする。それより先に僕が取ることで彼女の動きが止まる。
「じゃあ、買ってくるよ」
「待って」
そう声をかけて止められる。
「それくらいだったらわたしが買う」
「そんな高い物じゃないから大丈夫、逆に高い物だと宮永さん遠慮しちゃうでしょ」
「それは、そうだけど……」
納得していない彼女に僕は「じゃあ」と言ってから言葉を続ける。
「海中トンネルで撮った写真は宮永さん持ちって事でどう?」
「それなら、うん。分かった」
納得してくれたようで、二人でレジに向かって歩いて行く。レジで精算を済ませてから、写真の受付に行ってから番号の書かれた紙を見せる。
少しすると写真とフォトフレームが用意され、フォトフレームを選んで下さい、と言われる。それぞれ、僕は水色、宮永さんがピンクのフレームを選び、今回は宮永さんが精算をして商品を受け取る。
買う物も買ったので二人して売店から離れて一息つく。
時間を確認してみると、四時半を過ぎる頃で、そろそろ帰ろうか、と彼女に言う。そうだね、と返事が来たので二人で水族館から出てバス停でバスを待つ。
しばらくするとバスが来て、それに二人で乗り込み行きと同じように二人で座る。帰りのバスの中は水族館であったことを話しているだけであっという間に時間が過ぎて行ってしまった。
○
到着したバスから降りて、切符を買ってから駅の改札を通る。電車がすぐに来たので二人で乗り、空席を見つけて座る。バスの中での話の続きをしていたが、しだいに宮永さんの反応が薄くなっていく。
「宮永さん」
「……ん?」
「もしかして、眠い?」
「……ん」
じゃあ寝てもいいよ、駅に着いたら起こすから。そう言うと彼女は「ん……、分かった」と言ってから、コテンと頭を僕の肩に乗せてきた。
体が一瞬強張るが、すぐに隣から規則正しい寝息が聞こえたので緊張がほぐれる。
ただ、もしかして宮永さんはすごく疲れたんじゃ無いかと思ってしまった。実際に電車内ですぐに眠りについてしまったわけだから。
もし、次があるとしたらしっかりとそういうことにも気を配ろう。
隣の彼女を起こさないようにしながら今日のことを思い出す。短いながらも濃い時間だった。宮永さんのいろいろな顔が見れたのも良かった。
宮永さんの方を少し見てから、自分の事を考える。
今日一日彼女と過ごしてみて分かった。僕は宮永さんのことが好きだ。
今日のデートで自覚したこの感情をいつか彼女に伝えなければいけないな、と。
それをいつにするかはまだ分からない。
でも、それでも、今はいいだろう。このまま彼女の隣にいることが今一番の幸せだ。