「おはよう、神宮君」
「おはよう、宮永さん」
先日、宮永さんと話してから僕たちはお互いに挨拶をする程度の仲になった。席は互いに離れているために教室の入り口が近い僕の席の近くを通るときに宮永さんが挨拶をしてくれるのだけれども。
今でこそ当たり前のように挨拶を交わしているが、はじめに宮永さんが僕に挨拶をしたときはクラスの空気が変わったものだ。後にクラスメイトに聞いたところによると、どうやら宮永さんは挨拶をすれば返してくれるが自発的には麻雀部の人間にしか挨拶をしていないとのことだった。
だからなのか、クラスメイトには「お前、宮永さんと何があったんだよ」と聞かれることが多々あった。昼休みに一度話しただけのなのでこれといって特別なことがあったわけではない、と答えても納得した様子を見せてはくれなかった。
○
それから数日たち、宮永さんと初めて話してから一週間が過ぎた。週が明けて月曜日になり、また一週間学校の授業があるのかと思うと気が滅入るが、それでも理由もなく学校を休むような度胸を持ち合わせているわけではない為に素直に登校する。家を出る前に母さんからいつものように在庫のあまりや仕込みで失敗したものを詰め合わせた紙袋を渡される。チラリと中を覗くと定番のどら焼きが顔を見せる。やっぱりあるのか、と思いながらも口には出さずに母さんに礼を言ってから学校に向かう。
学校に着き、自分の席で適当に時間を潰していると、にわかに廊下の雰囲気が変わるのを感じた。感じたといっても毎日起きることで、宮永さんが登校してくるといつもそうなるのだ。
「おはよう、神宮君」
「おはよう、宮永さん」
クラスに入ってきた宮永さんがいつものように挨拶をしてくれる。それに対し僕もいつもと同じように言葉を返す。が、宮永さんは自分の席に向かわずにその場でじっとしている。
「えっと、どうかしたの?」
と聞くと「ううん、なんでもない」と言ってから自分の席に行ってしまった。なんだったんだろう、と疑問に思ったがそれ以降何かが起きるわけでもなく昼休みまで時間が進んだ。
○
昼休み、昼食を食べ終えた僕はふと、中庭に行って和菓子を食べようと思い立った。なんとなく先週の同じ時間帯にそこで宮永さんと話したことを思い出したのも理由の一つだ。
紙袋を用意してから中庭への道を歩く。廊下から出て中庭に出るとベンチに先客がいることに気がついた。場所を変えるか、と思ったがその先客が顔見知りであり、僕自身が中庭に足を運ぶ理由になった人物だとわかり声をかけようと近く。しかし僕が声をかける前に先客である彼女はこちらへ振り向き、
「神宮くん」
と、声をかけてきた。
「やあ、宮永さん。よく僕が来たって分かったね」
「お菓子の香りがした」
それでわかるんだ、と少し笑いながら彼女に「隣、いいかい?」と聞いてみる。
「大丈夫」
と了承を得られたので彼女の隣に腰を下ろす。それと同時に彼女は自分の手に持っていた本をパタリと閉じて横に置く。
邪魔しちゃったのかな? と聞いてみるが「そんなことはない」と返される。それよりも、と僕の持っている紙袋に目を向けて、
「また、和菓子食べるの?」
と聞いて来た。なんとなくだが何かしらの期待が込められているような目を向けてくる。
「まあね、また食べるかい?」
「いいの?」
構わないよ、と返すと彼女の表情が明るくなった……気がする、多分。
「適当にとって構わないよ」
自分の分として饅頭を取り出してから、持っている紙袋を宮永さんに手渡してそう告げる。
彼女はありがとう、と言ってから紙袋の中を覗き、
「じゃあコレをもらう」
そう言って紙袋の中から団子を取り出した。それから二人で「いただきます」と声を合わせそれぞれ手に持っているものを口にする。「ん、おいしい」と宮永さんが言い、「それは良かった」と返す。
二人で和菓子を食べながら時を過ごしていると、宮永さんが口を開く。
「中庭にいれば、また神宮くんが和菓子を食べにくると思ってた」
「え?」
「なんとなくだけど」
そう言った彼女は穏やかに微笑んだ。まただ、雑誌やテレビでは見たことがない笑顔。それにしても、何か話があったのだろうか、今朝も何か言いたそうだったし。
「何か用事があったのかな?」
「そういうわけじゃない。でも……」
そこで言葉を途切らせ、こちらを見る。そして手に持っている団子をこちらに見せつけるようにしてから言う。
「もし一緒にいたらまた和菓子をもらえるかと思って」
「気に入ってくれたんだ」
「うん」
それはよかった、と笑いながら彼女に応える。だが、ふと「あれ?」と思い宮永さんに質問を投げかける。
「もしかしてなんだけど、先週から昼休みに中庭にいた?」
「うん」
「言ってくれれば良かったのに、なんかごめんね」
問いかけた疑問が正解だったことにも驚いたが、それ以上に申し訳なくなって来た。いや、元々約束などを交わしたわけではないので僕が悪いと言うわけではないのだが、それでもなんとなく約束を破ったような気持ちに陥る。
謝る僕を見てか宮永さんはこちらを向いて慌てるようにして言う。
「わたしが勝手にしてただけだから、謝らないでほしい」
「でも、少しくらい言ってくれたらちゃんと来たのに」
そういうと今度は目を逸らしながら、何かに葛藤しているかのようで、
「さすがに、自分から催促するのは図々しいというか……申し訳ないと言うか……それにいつ持って来てるかもわからなかったから……」
なるほど、と納得してから「でも気にしないでいいよ、むしろこっちとしては消費量が増えて助かるんだけどね」と彼女に告げる。宮永さんは「ほんと?」と首を傾げながら聞いてくる。
「本当、本当。基本的に毎日持って来てるから欲しい時は言ってくれれば分けるよ」
僕の言葉に対して、宮永さんは嬉しそうに「じゃあ、明日からはそうする」と言葉に出す。
なんか少ししか関わってないのに彼女の感情の変化がなんとなくわかるようになって来たなあ。
「それにしても」
と一旦空気を変えるように言葉を発する。その言葉に宮永さんはこちらへ顔を向けることで対応する。
「そこまで気に入ってくれるとは思わなかったかな」
「わたしにとっての理想の味。今まで食べた中で一番」
そんなにか、と苦笑してから宮永さんの方を見る。
「それじゃあ、今は無理でも将来はウチの有望なお客さんだね」
そういうと彼女は、ムッと少し顔をしかめてから、
「そんなことはない今度ちゃんとお店に買いに行く」
「無理しなくてもいいんだよ」
「大丈夫、さすがに貰ったのに何もしないのは後味が悪い」
そう言った彼女は選んだ団子を食べ終えたようで、ガサゴソと紙袋を漁って今度は最中を取り出した。そして袋から取り出して食べ始める。
「それじゃあ、時間があるときに来てくれるの待ってるよ」
宮永さんはそれに対して頷くことで返すが、その後に最中を食べることに集中しだした。
今までも食べることを優先している節があったが今まで以上に夢中になって食べている様で、おもわず見続けてしまう。
最後の一口をパクリと口に入れた彼女はゆっくりと味わうように口を動かしていた。そしてこちらを向いてから興奮気味に一言。
「今のが一番おいしかった」
まだそんなに種類食べてないでしょ、とは口に出さずに興奮気味な彼女を見る。どうやら商品名を知りたがっているようで店での注文の際に必要になる商品名を伝えると、携帯を取り出してメモを取る。
「そんなに?」
「ちゃんとお店に行ったときに頼むから」
一応母さんに言っておこうかな、もしかしたら多少の値引きくらいはしてくれるかもしれないし。
「そういえばこの前の時にあげた分は全部食べたのかい?」
ふと、気になったことを聞いてみた。前回に宮永さんに渡した紙袋にはまだある程度の量が入っていたはずだったが、一人で食べたのだろうか。
「うん、全部おいしかった」
本当に食べたんだ。何というか食いしん坊? なイメージがついてきたけど間違ってないのかな。
「あ、でも」
何かを思い出したかのように宮永さんが声を上げ、そのまま続きを口にする。
「部活の休憩中につまむにしては一つ一つの大きさがあったから、菫や淡に分けたりもした」
「いや、僕はその二人を知らないんだけども」
「あと尭深にもあげた。『あまね』のこと知ってたみたいで結構喜んでた」
「うん、その人のことも知らないね。僕」
あんなに喜んでる尭深初めて見たかも、と宮永さんが呟く。
「部活の人たちも皆でおいしく食べてくれたのならよかったよ。でもさすがに休憩中につまむには量があったか……。あ、だったら雛あられとかはちょうどいいかもね」
「雛あられ……」
「母さんに入れるように言っておくよ」
どうせいつもの残りがあるだろうから言えば入れてくれるだろう。と思っていたが宮永さんから声がかかる。
「さすがにそこまでされると……」
「迷惑かな?」
「迷惑……じゃないけど、ただでさえ分けてもらってるのに種類まで気を遣われるともうしわけない」
数ある余り物から選ぶだけだからそんなに手間じゃないんだけどなあ、と思うが確かにあんまり親切が過ぎると彼女も気を遣うだろう。「じゃあ、そこまではしないよ」と宮永さんに言っておく。
校舎の時計を見ると昼休みの終わりの時間が近づいていることに気がつく。宮永さんもそのことに気がついたようで「そろそろ時間」と言ってくる。その言葉に「そうだね」と返し、確認しておきたかったことがあったので宮永さんに問いかける。
「あのさ、明日からはどうする? 朝に教室で会うときに紙袋ごと渡そうか?」
「え?」
「それとも昼休み始まったら渡すようにしようか?」
この問いに対し宮永さんは少し考えてから、
「もし迷惑じゃなければ今日みたいに過ごしたい」
「今日みたいに?」
「うん。昼休みの途中から中庭で」
だめかな? とこちらを不安そうに見て聞いてくる。そんな目をされて断れるわけがない。もとより断る気もないのだけれど。
「まさか、でもいいの? せっかくの昼休みなのに僕と一緒で」
別にたいした話とかできないよ、と確認をとっておく。
「そんなことない、神宮君は話しやすいから」
「そうかな」
「うん、わたしのペースに合わせてくれるし」
そこまで意識したことはないんだけどなあ。しかし宮永さんから高評価を受けて悪い気はしないしこれからも続けていくことにしよう。
「あっ、連絡先交換しておこうか。用事があったりしてこれない日もあるかもしれないし」
雨が降ったりしたときもね、と加えてから宮永さんに連絡先交換を申し出る。彼女は快く応じ、携帯を差し出してくる。自分も携帯を出して連絡先の交換を行う。
「じゃあ、今度から昼休みにココでお茶会みたいな感じかな?」
「うん」
お互いに確認をしてから「じゃあ教室に戻ろう」と二人でベンチから立ち上がり中庭を後にした。