闇鍋   作:OKAMEPON

8 / 10
こちらはペルソナ4の二次小説で、主人公(鳴上悠)と天城雪子のカップリングを含みます。


【ペルソナ4】
『あなたに恋をする過程の始まり』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 別に一目惚れと言う訳では無かった。

 綺麗だな、とは思ったけれど、そう感じたからといって“彼女”と特別親しくなりたいと言う欲求は生じていなかった筈だ。

 

 転校した先の学校での、クラスメイト。

 自分と“彼女”との最初の関係性は、たったそれだけ。

 そもそもの顔合わせだって、隣の席に座っていた千枝の仲介によるものだった。

 明るく積極的で親しみやすい……そんな印象を受けた千枝とは違い、どちらかと言えば消極的で少し天然と言うのか変わっている……、そんな第一印象だったと思う。

 

 陽介や千枝と共にあの世界に迷いこんだ時も、そしてその後真実を知る為に陽介と共に再びあの世界に訪れた時も。

 自分の十七年の人生の中で、極めて衝撃的であったあの出来事に於て、彼女と共有した時間は無い。

 “彼女”はその時点では俺とは大した関わりを持っていなかった。

 後になって知った事だが、当時の“彼女”は実家の事で忙しく、ただの転校生に関わっている暇など無かったのだろう。

 

 そんな関係性に変化が訪れる切っ掛けは、やはりあの《マヨナカテレビ》の件からか。

 何も映る筈の無いテレビ画面に何処か妖しく映し出された“彼女”は、初めて出会ってから数日程度の、大して知りもしない間柄であった当時の俺から見ても明らかに異常で。

 尋常ではない何かが彼女の身に起きたのだろうとは、容易に思い至る事が出来た。

 ただその時は、“死なせたくない、助けなくてはならない”という正義感と、それを実行し得る“力”があった事による義務感の様なものが大半で、それ以外の雑念はあまり存在していなかったと思う。

 偶発的な出来事であった陽介の時とは違い、“彼女”のシャドウと遭遇するであろう事は既に予測が付いていた。

 その当人にとっての心の暗部とも言えるシャドウを見てしまう事に、後ろめたさが無い……訳では流石に無かったと思う。

 それでも、“彼女”を助ける為なのだと、そんな思考を振り払って俺達は彼女のシャドウと対峙した。

 

 そこでの出来事及びそれに対する主観的な感想は多少割愛するとしよう。

 自らを籠の中の鳥と見なしそこから連れ出してくれる“誰か”を待ち望んでいた“彼女”の心の影は、多少の紆余曲折はあったものの、自身である“彼女”に認められる事によって“彼女”を守る心の鎧……『ペルソナ』となった。

 

 “彼女”のペルソナは、コノハナサクヤ。

 コノハナサクヤ……木花咲耶姫は日本書紀や古事記にその名を残す女神である。

 山の神である大山津見神の娘であり、姉の磐長姫と共に天照大神の子孫である瓊瓊杵尊に嫁ぐが、瓊瓊杵尊は美しい木花咲耶姫とは結婚したが磐長姫は醜さを理由に追い返された。

 “永遠”の象徴であった磐長姫を選ばなかった事により、人の寿命は短くなったのだとされている。

(なお似た様な話は他地域の様々な神話等に散見される)

 また一夜で子を身籠った事から不貞を疑われた木花咲耶姫は、正しく瓊瓊杵尊との子である事を証明する為に火の中で子供を産んだとされ、その逸話から火の神としての信仰があるそうだ。

 

 神話の中で態々語られる程の外見的な美しさや、そして火の中で出産する様なある種の思い切りの良さと言うか内面の激しさと言うか……、まあそういった部分が、“彼女”の一面をよく表現しているなと客観的に思う。

 

 閑話休題。

 過程やそれに付随した諸々は一旦脇に置き、俺達は“彼女”の救出に成功した。

 そして“彼女”は共に“真実”を追う仲間となったのである。

 この時、ただのクラスメイトという関係性は、同じ目的を持つ仲間という関係性へと変化した。そして。

 共に過ごす時間が増え、更には“彼女”の個人的な相談事を受けたりしている内に。

 俺と“彼女”の関係性は…………。

 いや、より正確には俺個人からの“彼女”へと向かう感情の性質は、少しずつ変化していったのである。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 俺こと鳴上悠の人生に於て、両親以外には一定以上に親しい関係性の間柄の人間は存在していなかった。

 それにはやはり両親の仕事の都合上転校続きであったという事が大きく関与しているのは否めない事であろう。

 まぁまぁ親しい程度の間柄であった人間ならば、数えるのが億劫に感じる程度には存在する。

 しかし、転校した先でも何時までも関係性が維持される程の相手は今の所存在しない。

 手紙、電話、メール、SNS……。

 他者と繋がる手段が少なくは無い現代でも、己と地続きのコミュニティーからは外れた相手との交友関係を保ち続けるのが存外容易で無い事には変わらない。

 交友関係が途絶えるのは大体はあちら側からである。

 その事について何も感じない程感情が鈍麻している訳では無いが、まぁ仕方が無いかと諦めてしまえた。

 結局はその程度の関係性だったのだろう? と問われてしまえばそれを否定は出来ない。

 

 自分は他人に対する執着が薄いのでは無いか? と疑念を抱いた事はあった。

 誰かが自分に好意を以て何かをしてくれた(或いは自分がそう感じた)のならそれにはちゃんと喜びを感じるし、悪意を以て行われた行為を哀しむ事はちゃんとある。

 誰かが困っているのなら力になりたいし、実際多少なりとも力を貸す。

 だがそれだけだ。

 相手との関係性を無理に繋ぎ止め様とするまでにはあまり至らなかった。

 基本的に人間関係に関しては、受動的である事が多かったのかもしれない。

 

 “あった”と過去形で語っているのは、最近は少々事情が変わってきたからだ。

 最近と言うか稲羽にやって来てから、今までの自分では考えられない位に、他人との“繋がり”を意識している。

 “絆”によって力を増す自身のペルソナの力の事もその要因であるとは思うが、それだけでは無い。

 態々理屈を付ける必要を感じない位に、みんなと過ごす時間が楽しかったからである。

 自分でも思わず困惑してしまう位に、俺はみんなとの“絆”に執着しているのだ。

 

 先日の久保美津雄の影との戦いでは、その部分を突いた精神攻撃を受け、極めて危険な状況に陥ってしまったのである。

 ……まぁ、あの幻覚のお陰で、自分がどれだけ“絆”に執着しているのかが分かった、とも言えるのだが……。

 自分がそこに居るのにも関わらずに、少しずつ薄れていく“絆”。

 それを自覚して、そしてそれに恐怖を感じているのに、それでも尚動き出せなかった自分。

 ……今思い出しても吐き気がする程にクソッタレな幻覚だった。何よりも腹が立つのは、そんな幻覚を一瞬でも現実と誤認してしまった自身に対してだが。

 

 そして。あの悪夢の中で、最も胸を切り刻まれているかの様な痛みを感じたのは、“彼女”との関係性が消えていってしまった事であった。

 筆舌に尽くしがたい喪失感。

 手の中にあったかけがえの無い宝物が、まるで幻の様に消えてしまったかの様な、虚無感に似た悲しみ。

 そして、そんな状況になっても彼女を繋ぎ止め様ともしなかった自分への後悔や憤り。

 ……それらの思いを自覚する事によって、漸く俺は思い至ったのだ。

 

 俺、鳴上悠は。

 “彼女”……天城雪子に、恋をしているのである、と。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 雪子への恋情を自覚して、直ぐ様自身に沸き起こったのは、『何故?』という疑念であった。

 恋とは落ちるものとはよく言われるが、そもそも落ちる切欠など何処にあったのだろうか。

 雪子の手料理を食べて意識がオチた事ならあるがまさかそれが恋に落ちた瞬間ではあるまい、てかそれは嫌過ぎる。

 

 一目惚れでは無かったのだろうし、過ごした時間云々を言えば千枝とだって同じ位に共に過ごした時間がある。

 千枝との絆もかけがえの無い物だ、絶対に無くしたく無い。

 だが、千枝に感じているものは何処まで突き詰めていっても、“親愛”の情でしか無いのである。

 

 特捜隊のもう一人の女子であるりせはどうなのかと考えてみる。

 りせは疑い様の無い程にその好意を全面に押し出して接して来てくれている。

 勘違い云々では無く、一定以上の好感をりせが俺に抱いているのは間違いないだろう。

 あれで気が付かない人がいるのなら、そいつは男とか以前に人間かどうかを疑いたい。

 逆にあの好意が全て演技であると言うのなら、りせはアカデミー主演女優賞どころでは無い程の大女優である。

 

 好意を寄せて貰えるのは嬉しい。

 だが俺は、その好意に本当の意味で応える事は出来ないのだ。

 誠意には誠意を、信頼には信頼を、想いには想いで応えるべきだ。

 勿論、俺はりせに好意を抱いている、“絆”を感じている、かけがえの無い存在だとそう感じている。

 だが。

 りせが求めているであろう性質の好意を、俺は彼女に返す事は出来ない。

 今の所りせに感じているのも“親愛”であり、これが恋情に変わるにはそれこそコペルニクス的転回でも起きる必要があるだろう。

 

 何故なのか。

 何故雪子が好きなのか。

 “答え”は必ず自分の中にある筈なのに、その“答え”に全く見当すらも付かないと言うのは酷く不安になる。

 あった筈の過程が消失して、結果だけを見ているかの様で……。

 まるでふとした瞬間に崩れ去ってしまいそうな不安定な足場の上に立っている様な感覚を覚える。

 

 ……いやそうじゃない。

 “何故”という部分を見出だせないと、そこから何も進む事が出来なさそうだから、……だからその“答え”が欲しいのだ。

 想いの核となる部分をちゃんと見付けておかないと……何時かあの悪夢の様にその“絆”を喪ってしまう瞬間が訪れてしまいそうで、……それを恐れているのだ。

 

 だが一人で考え続けても“答え”は見付からないまま。

 出会いから今までの記憶を遡ってみても、明確に恋した瞬間と言える箇所は無い。

 それこそ、あの悪夢が無ければずっと想いに自覚すら出来なかった可能性の方が高かった。

 だが自覚した瞬間がアレだっただけで、雪子に無自覚にでも恋をした瞬間は他にあった筈なのだ。

 しかしそれが分からない。

 分からないまま……二週間が経ってしまった。

 

 暦の上ではもう八月の半ば過ぎだ。

 夏休みももう半分を切っている。

 今の所、事件解決の打ち上げの時を最後に、雪子とゆっくりと過ごす時間は無かった。

 雪子は書き入れ時である旅館の手伝いに忙しいし、俺だって陽介に頼まれたジュネスでの臨時のバイトに追われていたからだ。

 …………こうも会えない時間が続くと、あの悪夢が脳裏にチラついてしまう。

 雪子と直接顔を会わせられれば、悪夢を振り払う事が出来るだろうし、ともすれば“答え”も見付かるかもしれないのに……。

 

 

 そうやって一人悩む内に、夏祭りの日が訪れた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 普段は人気が殆ど無い辰姫神社もこの時ばかりは大いに賑わっている。

 町の商工会などのテントが立ち並び、夜店が所狭しと軒を連ねていた。

 既に日が暮れて辺りは薄闇に覆われているが、数多の電球で照らし出された境内は明るい。

 夏祭りのこう言ったちょっとした非日常感がある雰囲気は何ともワクワクする。

 それに、特捜隊のみんなと過ごせる事が何よりもたのしい。

 特に着替える予定の無い男連中は先に神社に行って待っているが、特捜隊女性陣と菜々子は天城屋旅館にて浴衣の着付けをして貰っている。

 もうそろそろ来る頃合いだろうか、と時間を確認していると。

 

「お待たせ」

 

 と涼やかな声が聞こえ振り返ったそこには。

 色鮮やかな浴衣に身を包んだ雪子たちがこちらに歩いてきていた。

 

 その姿に思わず息を呑んでしまう。

 雪子の浴衣姿は、どう表現して良いのか言葉に迷う位に、美しかった。

 和服は着なれているからなのか、その着こなしは完璧だ。

 恋心を自覚した相手の普段とは違う姿に、有り体に言えば心を射ぬかれてしまっていた。

 

 俄に顔が火照ってくる。

 どちらかと言うと感情が表情に出にくい質なので傍目からはあまり変わり無い様に見えるのかも知れないが、間違いなく顔が赤くなっている事だろう。

 今が夜で良かったと、思わず安堵した。

 電球の光が作り出す明るさの中なら、きっと気付かれる事は無い。

 早鐘の様な鼓動を数回静かにゆっくりと深呼吸して落ち着かせる。

 

 そんなこんなで平静を装う事に成功し、早速みんなで夏祭りを堪能し始めた。

 一旦遊び始めれば、深く意識をしない限りは大した労力を割かずとも平静を装う事は容易である。

 大丈夫だ、きっと気付かれてはいない筈だ。

 と、そこまで考えてふと我に返る。

 

 何故、雪子に気付かれてはいけないのか、と。

 俺が雪子に恋をし、好意を抱いているのは動かし様も無い事実だ。

 その恋心を気付かれ様とも問題は何も無い筈であるし、寧ろ今の関係性から俺が望む関係性へと変化させる為にはどのみちこの想いを伝えなくてはならない。

 今気付かれたって、何も不都合は無い筈なのである。

 

 だけどそれを躊躇わせるのは、やはり“答え”がまだ見付かっていないからだ。

 “答え”がなくては、想いの“核”をしっかりと見付けなくては、どんな関係性を築いていても、何時か崩れ去ってしまいそうだからだ。

 

 ……そう。……俺は、“喪う”事が恐いのだ。

 

 変わらない物など何処にも無い。

 大なり小なり、時の流れと共に“繋がり”も変化していく。

 その時に、“核”を見失ってしまっていては、きっとこの手の中から零れ落ちていってしまう……。

 そう感じるのは、あの悪夢が今も俺を苛んでいるからだ。

 

 あれはただのシャドウの精神攻撃であり、現実ではない。

 あれは夢だ。

 夢はもう醒めた。

 今いるのは、現実だ。

 

 …………本当に……? 

 

 ここが幻覚の中の世界で無いなどと、何故言い切れる? 

 あの悪夢だって、見ている最中は現実と認識していたじゃないか。

 五感も確かに感じていた。

 いやここが実際に“現実”であったとしても、あの悪夢が現実になってしまう可能性だってあるじゃないか。

 

 ふとした瞬間に、あの悪夢の残滓に囚われそうになる。

 果たしてここが現実なのか、それともまだあの悪夢の中なのか……分からなくなる。

 目の前で楽しそうに笑うみんなが、今この瞬間にも幻であったかの様に消え去ってしまいそうで。

 ……怖いのだ。

 

 

「鳴上くん?」

 

 ずっと黙りこくっていたからだろうか。

 ふと気が付くと、斜め前を歩いていた筈の雪子がいつの間にか少し後ろで立ち止まり、こちらを見上げてきていた。

 その目の中に自分の姿が確かにある事に安堵を覚えると同時に、嬉しさと気恥ずかしさも込み上げてくる。

 悪夢の残滓によって蒸し暑い夏の夜であるにも関わらず冷たくなっていた指先に、じんわりと熱が戻る。

 いつの間にか屋台の並びから少し離れた、人気の無い境内の一画にまで来ていた。

 陽介たちは、夜店巡りに勤しんでいるみたいだ。

 まるで雪子と二人きりになったかの様な状況に、再び鼓動が速くなっていくのを感じる。

 

「どうかしたの?」

 

 首を微かに傾げて訊ねてくる雪子に、「何でも無い」とだけ返す。

 今感じている想いも、自分を捕らえて離さない悪夢も。

 それを今雪子に語る事は、出来ないからだ。

 しかし、雪子は何処か納得がいかなかったのか、思案するかの様に目を僅かに伏せる。

 そして、ポツリと呟いた。

 

「……鳴上くん、この前……あっちの世界でシャドウから攻撃を受けてから、ずっと悩んでるみたいだから……」

 

 心配なのだ、と。

 そう言外に滲ませて、雪子は俺を見上げる。

 

「私、何時も鳴上くんに助けて貰ってるから……。

 だから、力になりたくて」

 

 その気持ちが嬉しくて、俺は自然と微笑んでいた。

 

「……そうか、心配してくれてありがとう。

 少し、夢見が悪かっただけだから。大丈夫だ」

 

 他人に心配をかけるのはあまり好きじゃないが、好きな相手にこうやって気にかけて貰えるというのは、申し訳なさを感じると共に、幸せな事であり嬉しい事だ。

 雪子に安心して貰える様にそう言うと、少しホッとした様に雪子は息を溢した。

 そして、ふと何かを決めた様な意志を湛えた目を俺に向ける。

 

「……あのね、鳴上くん。

 私、ここを出ていくの、……止めようと、思うの」

 

 思う、と口にはしているが、それは確固たる意志であった。

 それに、「そうか」とだけ答えて頷く。

 雪子は俺が頷いた事に少し嬉そうに微笑む。

 そして、ポツポツと語り始めた。

 

 旅館を継ぐ事が嫌なのは確かな事であったが、より本質的には、継ぐ事を自分の意志で選択してきた訳では無かったが故にであった事。

 離れたいと思っていても、旅館は自分にとって大切なものであり、守りたい場所であるという事。

 

 雪子の想いを聞いている内に、胸にストンと落ちてきたモノがある。

 

 それは、ここの所ずっと、俺が求めてきた“答え”であった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 きっと切欠は、“同じ”だと感じたからなのだ。

 

 決められた道を歩いている様な人生を窮屈だと感じているのに、自分では動き出せず“王子様”を待ち望んでいた雪子と。

 本当は寂しくて仕方が無かったくせに、理屈で言い訳を重ねて“仕方が無い事なのだ”と諦観して自分からは“繋がり”を繋ぎ止めようとしてこれなかった自分が。

 似てると、思ったのだ。

 自分たちは、似ている、と。

 

 だから気になった。

 だからいつも何処かで意識して雪子を目で追っていた。

 “似ている”と思ったからと言って、それで雪子を好きになった訳では無いと思う。

 しかし、それは雪子に関心を向ける切欠にはなった。

 相手に関心を向けるという事は、それだけ相手の情報が自分の中に入ってくるという事だ。

 “好き”の反対は“無関心”だと言うのは当にその通りである。

 雪子の事を見ている内に、彼女の様々な面に気が付いた。

 誰と居る時にどんな表情を見せるのか、どんな事にどういった反応を示すのか。

 自分の中に、雪子に関する情報が止め処無く蓄積されていく。

 しかしそれでもそこまではやはりただ情報が蓄積されたというだけに過ぎなかった。

 

 しかし。雪子が……それこそ一番の親友であろう筈の千枝にすら相談出来なかった想いを知り、そして自分で自分の道を探そうとするその姿を見て。

 

 見守ってやりたいと、思ったのだ。

 自ら道を選ぼうとする勇気を、その強さを。

 自ら動き出した雪子を見て、ほんの少しの羨望と、そしてそれ以上に、その力になりたいと感じたのだ。

 

 自分の世界の殆どを占めていたものから、自らの意志で離れようとする事も。

 だけど離れようと思ったそれは、雪子にとってとても大切なものであり、それ故に悩んでいる事も。

 雪子に関わる内に俺にだって理解出来た。

 何を選ぶにせよ、それは一つしか選べず、選ばなかった何かを諦める必要がある。

 この町を出て生きていくのなら、自分にとって大切な場所であった旅館を。

 旅館を守る事を選ぶのなら、町を出たのならあったのであろう他の選択肢全てを。

 失わなくてはならないだろうものは、雪子にとってどれも大切なものだろう。

 だからこそ。

 雪子が本当に心から、“これで良かったのだ”と思える選択をして欲しかった。

 そして、俺はそれを見守りたかったのだ。

 例え俺では答えを返せないのだとしても、一緒に考え、側にいてあげたかったのだ。

 

 ……きっとこの時には既に雪子の事が好きだったのだ。

 

 見守りたかったのだ。守りたかったのだ。

 雪子が自分の意志で自分の道を選べる様に。

 ……何処かでその姿に俺自身を重ねながら。

 

 そう、それこそが始まり。

 恋に落ちた瞬間……とは言えないのかもしれないが、恋をしていく過程の出発点。

 

 ……気が付いてしまえば、何も悩む事は無かった。

 心の何処かに何時も住み着いていた悪夢が薄れて消える。

 

 何をうじうじと悩んでいたのだろうか。

 未来は誰にも分からないというのに。

 まだ起きてもいない“もしも”に怯えるなんて、なんて馬鹿らしい。

 それに、例えあの悪夢が本当になったとして、だからどうだと言うのだ。

 “絆”が薄れ消えてゆくというのなら、何度だって紡ぎ直せば良いのだ。

 

 俺は雪子が好きだ。

 

 出発点が、“見守りたい”という思いでも。

 今はただただ側に居たいのだ。

 力になりたい、支えたい。

 自分の選んだ道を歩もうとする雪子の、その側で力になりたいのだ。

 なら、万が一繋がりが薄れても、意地でも再び結び直してやれば良いのだ。

 開き直りかもしれないが。

 だが、それの何が悪いと言うのか。

 だからこそ、今俺がするべき事は一つであった。

 

 何故こうも親身になってくれたのか、と雪子が訊ねてきた。

 その頬は、この暗がりの中でも分かる程に、赤みを帯びている。

 もしかしたら、俺の顔も同じ位赤くなっているのかもしれない。

 それでも構わない。

 

 一つ息を大きく吐いて呼吸を整える。

 そして、真っ直ぐに。

 絶対に目を逸らさない様に、雪子の目を見詰めて。

 

 想いを、伝えた。

 

 

 

「俺が、雪子の事が好きだからだ」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆


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