古明地さとりが召喚されました   作:歩く好奇心

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 感想、指摘ありがとうございます。
 いつも読んでます。修正はしているつもりですが、あまり変わらないように感じるかもしれません。


さとり、覚醒?

 ヴェストリ広場。

 そこは円形の石畳。

 白い大地が敷かれ、周囲には同色の4つの動物像が対極線上に配置されている。

 広場周囲には花畑が設けられ、まさに高貴な中庭だ。

 その整然とする光景からも景観に力を入れていることが伺える。

 整った外観は人の心に落ち着きを与えると言うが、その整然さのある美しさとはどこか居心地が悪い。

 そんな気がしてならないのは狭い個室を好むタチだからだろうか。

 

 

 広場には多くの2年生が野次馬の如く密集し、ワイワイと騒いで環状を成している。 

 またとない決闘騒ぎのようで人垣の中空では話題が飛び交っていた。

 云わばお祭り騒ぎ。

 一人一人が興に飢えていることがよくわかる。

 学生とは常に何かを圧制されており、皆例外なくその解放を求めて止まない。

 騒ぐことこそ学生だ。

 それが本分。

 皆の顔にはまさにそう書かれていた。

 

 

 広場の中心には二人の人物が立っており、金髪の優男に赤髪の黒肌美女。

 ぴりぴりとしたにらみ合い。

 それぞれ瞳には闘志をたたえ、その手にはステッキを構えている。

 

「よく来たね。待っていたよ。」

「紳士のお務めご苦労様ねぇ。

 これからたっぷりと相手してあげるわ。光栄に思いなさいな。」

「ああ、素直にその栄誉は受け取っておくよ。」

 

 二人の間。

 先と違って幾分か落ち着いたやり取りが交わされる。

 皮肉が飛び交うが、そこに混じる険の鋭さはどこか丸いような印象だ。

 異形の瞳を持つ少女は一人。

 さとりは取り巻きに混じりポツンと突っ立っていた。

 周囲を見渡す。

 学生達は皆賭け事に夢中の様子だ。

 決闘などというイベントは滅多にないのか、とそう推測を走らせる程には皆浮き足立っている。

 熱気ある人混みは良いものではない。

 祭りとは和気藹々。

 否、孤独であってこそである。

 騒然な人込みから一歩引いた寂しさ。そこにある静かな陰。

 そこから眺めるからこそが通である。

 さとりは寂しい持論に没頭する。

 そして気分だけでもと口元を隠してその熱気を遠ざけた。

 

 気づけば隣には見知った人物。

 さとりは何気なしに隣に陣取っていた人物に声を掛けた。 

 

「おや、貴女も大人しい顔してこういうことには興味がおありのようですね。

 生真面目なキャラはその実、内面は騒がしいもの。

 十代の矛盾とも言えるでしょう。」

「……別に」

「火遊びはまたたく十代の鳳仙花。

 人形のような心持ちでもしっかり青春しているようで何よりですね。

 お年頃という欲求は皆一様にもつものであり、避けては通れない黒の過程。

 何も恥じることはありません。」

「……キュルケがいるから来ただけ。私を決めつけないで。」

 

 気のせいかやや険のこもる声音が耳に届き、視線をやれば無表情。

 しかしながらもその目付きには鋭さが垣間見える。

 隣の彼女はタバサ。

 青髪にメガネ。小柄な身長と手元に携える立派な杖が特徴的な才女である。

 彼女との出逢いは経緯が経緯だ。

 特殊な事情もあるのかこちらに対する印象は好ましくないと判断する。

 否。第三の目からの覗く思考からわざわざ判断するまでもないことだった。

 不幸な出逢いだ。

 初めの第一印象とは引きずるもの。

 思わぬ行き違いは誤解を生むが無理に解こうとすれば往々にして状況は更なる悪化を辿るだろう。

 時間は警察。

 彼らが解決してくれることを信じるしかない。

  

 さとりは髪を弄ってボンヤリとしながらも更なる声かけを試みる。

 

「友人の心配ですか。

 視線の先は本の文字。されど関心の先は決闘のようで。

 興味無さげな素振りながらも他人の心配とは、貴女も中々面倒臭いキャラをお持ちのようで。」

「……忠告。勝手に心を覗くな。」

「なら隣にいないで距離をとることをお勧めしますよ。

 人は邪険する癖に絡みたがるので不可思議なものです。 

 そう思わずにはいられません。

 実に非合理。

 忌避するなら不干渉こそが最適な選択なのに彼らの行動は常に矛盾を孕んでいます。

 石を片手に魔女を追い払う、そんな村八分な心持ちに近いのでしょうか。」

「貴女は無遠慮に人の心を踏みにじる。

 目を離すのは危険。」

「貴女もまた偏った思想の人形です。

 危険と判断しているのは貴方一人で周りは誰も気にしていません。

 過敏は恐怖の表しです。

 特段何か見られたくない心でもあるので?」

「………」

「合理主義を装った偏屈家は往々にして難儀なもの。

 周囲には無関心。

 根底は人一倍の正義と義務で満たちている。

 ほの暗い過去や才に恵まれた者によくあるまさに典型。

 彼らを絵に描いたような精神構造と言えましょう。

 まぁ、それとは別にここで静観しているということは、事と場合によってはこの決闘を止めて頂けるのですか?」

「……危険と判断したら介入する。」

「それは心強いレフェリーです。

 ルイズさんの番が回った時は、開始直後旗を上げることを進言しておきましょう。」

「ちょっとっあんたっ!? 何ふざけたこと言ってんのよっ。」

 

 沸点が人並み以下な召喚主が耳元で騒いだ。

 うるさいと耳を塞ぐ。

 音圧が鼓膜を破ることを知らないのかと問い質したくなる。

 召喚主のルイズ。

 彼女もまた周囲の熱気に当てられた一人。

 戦いを前に興奮しているのだろうと考えるも、彼女の癇癪は一種の持病と思わざるを得ない。

 自制が必要なのだ。

 しかし彼女の辞典にその文字はない。

 彼女に自制を求めることは無駄骨に間違いなく、愚かである。

 でなければ自分がここでこうして耳を塞いでいることはないのだから。

 まぁまぁと仕方なしに宥めていると、隣の青髪少女が言葉を続けた。

 

「それと……」

 

 言葉を区切って、青髪の少女は視線の先をこちらへと投げ掛けた。

 身体はお互いに隣り合わせ。

 これまでは視線が広場中央に向けられ、交わることはなかった。

 しかしここで、青髪の才女は敵意を込めた横目とともにジロリとこちらを睨み付けたのだ。

 

「忠告は二度しない。私の分析も勝手にするな。」

「失礼。

 観たものを評価するのは私の性分でして。

 私は貴女と同じ読書家であり本の虫です。

 故に批評家。

 職業柄故に、この悪い舌を許してやって下さい。」

「その謝罪に謝意はない。」

「悲しいすれ違いですね。

 謝意は送れど、受け取り手がそれを拒んでいるようです。受け手のない、虚空への謝罪ほど虚しくなる気持ちはありません。」

「…………」

「反応なしと。拒絶の意を感じますね。

 汝隣人を愛せよ。

 関係づくりはまずは許すことが大切だと言います。

 親愛は許しから。

 例え表面的でも、いずれは時間が嘘を本物にしてくれます。

 猿真似は人の得意分野。形から入る生き物です。

 私達もそれを習うべきだと思いませんか?」

「………必要性を感じない。」

「ばっさりですか。

 これだから社会は嫌なんですよ。

 社会は他者の集合。社会はいつも排他的です。

 これで私の引きこもり人生は間違ってなかったと確信できましたよ。」

「………貴女にまともな謝罪は期待しない方がいいことはわかった。」

「心外ですね。私はもう謝ったというのに。」

 

 そこにさとりの誠意は感じない。

 そうとしか聞き取れない。

 無味乾燥。隈の目立つ少女の声音には、まさにそんな響きがあるかのようだ。

 自然、苛立つタバサは無意識にも拳を握った。

 忌々しく思う。

 異形の瞳は未だこちらを向いて離さない。

 人の許可もなしに土足で入る。礼儀の知らない無遠慮な瞳。

 今度は一体、自分の何を探ろうというのか。

 箪笥の引き戸を片っ端から開けられる、そんな錯覚。

 胸の内のわだかまりができる。

 青髪の才女は処理し難い感情を持て余した。

 レンズ越しの瞳。

 青髪の下から覗くその瞳は険の色を更に強めて、ピンク髪の亜人の本質を推し量る。

 

「ちなみに。」

 

 図らずにも、ピンク髪の使い魔は視線を広場に固定して、突如そう呟いた。

 世間話でもするかのようだ。

 淡々とした調子。

 ピンク髪の濁った瞳が眼前の広場を捕らえながら、青髪の少女に問いを投げ掛ける。

 

「タバサさんはどう予測します? この勝負。

 そこらでは賭け事が発生しているようですが、レートは1:9。

 酷い比率です。

 一発逆転を期待して一山当てたい気持ちになりますが、いかんせんこれは分が悪いようですね。」

「考えるまでもない。キュルケの圧勝。」

「やはりそれは、彼女がトライアングルという根拠からでしょうか。」

「ギーシュに戦闘の経験はない。

 魔法の精度も、大したことはない。」

「なるほどなるほど。

 貴女は戦闘経験が豊富のようですね。

 人の身のこなしだけでそこまで判断できてしまうとは。恐ろしいお人です。」

 

 さとりの視線の先は金髪の優男。

 普段と変わらない気障のかかった仕草で赤髪のキュルケと相対している。

 

 さとりは腕を組んで頬杖をつく。

 ピンク髪の下から覗くさとりの瞳は、彼を捉えて離さない。

 さとりもメイジの力量差というものを整然と理解しているわけではない。

 金髪の優男はドット。底辺クラス。

 トライアングルの肩書きを持つ女性を相手しているにも関わらず、特殊なものは持っていない。

 何の変哲はないのだ。

 先の冷酷さは何処に行ったのかと思わせる飄々ぶり。

 あれは幻。錯覚だったのか。

 

 

 思考の海へと耽るさとりとは別に、相対するキュルケは口角を上げた。

 手を腰に当て、挑発染みた声音を向かい合う優男に投げ掛ける。

 

「周囲のボルテージは好調みたいねぇ。

 冷め止まない内に、とっとと始めましょうよ。

 期待に添えて派手に散らしてあげるわ。」

「……良かろう。

 では、始めようじゃないかっ。

 青銅のギーシュ。その名に抱える由縁を身を持って知るがいいっ。」

 

 開始の合図とともに、ギーシュの手に持つ薔薇のステッキが空を切った。

 花弁が舞い散り、七体のゴーレムが召喚される。

 戦士乙、ワルキューレ。

 青銅からなる鎧。

 その意匠は名の通り、女性騎士の様相である。

 そのほとんどが剣を片手に携える。

 

「へぇ。盾役もいるってわけ?

 小賢しいわね。」

 

 剣だけでない。

 細部の装備を注視すれば、両手に盾を抱えるゴーレムも存在する。

 その数は七体中二体。

 砦の如く、優男の傍で構えをとり壁役となって並んでいる。

 

「ワルキューレ隊、突撃っ。」

 

 五体のゴーレムが号令に従い、剣を掲げて突貫する。

 俊敏な動き。

 土の人形達が束になって肉薄した。

 その光景。瞳を細め、赤髪のキュルケは鼻を鳴らす。

 

「あらあら。

 そんなチンケな人形ごときで、私の情熱に耐えられるとでもいうのかしら?

 出直して来なさいっ。」

 

 手に持つステッキを前方に。

 ルーンを唱えるとともに杖先から火球が出現し、膨大な炎を放射させる。

 向かってきた青銅のゴーレムはすべからく全滅。

 黒ずんでボロボロと崩れ落ちる。

 一太刀も出来ずに消滅するその様相に、赤髪のキュルケは笑いを堪えきれない。

 

 

 何てことはないのだ。

 近づくことすらままならないのだから。

 力量差は歴然。

 メイジの戦いとは魔法力の優劣がものをいう。

 自慢の赤髪を振るって、キュルケは笑う。

 高ぶる感情に歯止めをかけるような野暮な真似はするつもりはない。

 もはや勝利は確信した。

 

 

 炎の勢いをそのままに、後衛に並ぶ二体の障壁にありったけの熱量を浴びせる。

 耐久性は先の前衛達よりは高いようだが、それも時間の問題に過ぎない。

 融点を越える高温。盾を構えるゴーレム達はなす術もなく溶けていく。

 障壁を突き抜けた炎の波。

 襲いかかる炎の波にギーシュは何とか直撃をかわすも、舞い散る火の粉が優男を襲った。

 

「ぐわぁぁぁぁぁ!!!」

 

 片腕に炎がかぶり、腕についた火の粉を消そうと転げ回る。

 間近で燃える腕に恐怖して悲鳴が止まらない。

 そんな必死に転げ回る様が滑稽なのか、嘲笑の高笑いが優男の耳に木霊した。

 

「あっはっはっはっはっ。無様ねぇ。

 ちゃんと避けないと、危ないわよぉ?」

「ぐ、がぁ……ぁ……ぁ」

 

 炎を被った左腕。

 衣類は焼け焦げ、その皮膚は火傷を刻んだ。

 ステーキの鉄板に触れたような痛みが腕に張り付く。

 優男は口元を引き結ぶも、口から漏れる苦悶は何処までも止まられそうにない。

 

「………っ。

 と、トライアングルは伊達ではないようだね……」

「はっ。

 さっさと降参したらどう?

 今なら地べたに頭を擦り付けるだけで勘弁してあげるわよ?」

「……ふん。言っているがいいさ。」

 

 薔薇のステッキが再度振られ、ルーン詠唱とともに五体のゴーレムが再度出現。

 皆盾を所有しており、明らかに耐久特化した人形達だ。

 

 

 火への恐怖。

 防衛戦に切り替えたか。

 そう判断してもおかしくないくらいには、守りの鉄壁に力を入れている。

 しかし、だからといってドットクラスの人形がトライアングルの高温熱に耐えられる筈がない。

 じり貧は必然。

 赤髪の美女はニッ、と口角を吊り上げて歯を見せる。

 その瞳には勝機の光。

 その源は太陽でなく勝利の自信である。

 光とはいいものばかりではなく、どこまでも傲慢さを孕んだ暴力的な輝きさえも持ち合わせるのだ。

 

「あっはっはっはっ。

 何よ何よっ。防戦一方じゃないっ。

 弱いもの虐めは趣味じゃないのに。これで見聞が悪くなったらどうしてくれるのかしらぁ?」

 

 自らの力に溺れそうな心地。

 自己陶酔するな、という方が無理な話である。

 この圧倒的戦局に、黒肌の美女は勝利の美酒に酔わずにはいられなかった。

 自慢の赤髪を手で払い流し、手元のステッキをかざし直した。

 最後は派手に。

 自分の名誉にふさわしき絢爛さを。

 そんな思考にならうように、キュルケは高らかと宣言する。

 

「刺激のない男なんて所詮炭酸のぬけたしょっぱい炭酸水。

 腑抜けた優男にもう用はないわ。

 終わりよっ。」

 

 ルーン詠唱とともに、更なる火力で追撃を畳み掛ける。

 

「……はっ。

 陳腐な高笑いだよ。

 やはり蛮族に優雅さを求めるのは無理があったのかな。」

「負け犬の遠吠えねぇ。

 あんたのその取って付けた澄まし顔。いつまで耐えられるか見物じゃなぁい!」

 

 苦境に落ちても尚止めない、その気障な振る舞い。

 これから来るであろう敗北を喫した際はどう弁護するのか。

 それを思えば、バタバタと倒れていく眼前の光景に僅かな憐れみさえ生まれてくる。

 

「いいや、まだだよ。」

 

 やられると同時、次から次へとゴーレムが再生。

 金髪の優男は粘り強く抵抗を続ける。

 しかし、今の赤髪の美女からすれば見苦しいことこの上なかった。

 ただの時間稼ぎにすぎない抵抗。

 そう断ずる他ない。

 最後まで諦めない、そんな粘り強さや根性だ。

 その響きは常に二面性をもち、もがく様相によって見え方は変わる。

 勇猛と無様。

 目の前の滑稽さを思えば、どちらかなど言わずもがなである。

 

「あんたも、どこまでも救えないやつねぇ。」

 

 そう言い捨てると同時。更なる火力がつぎ込まれ、拍車をかけるように青銅のゴーレム達が灰と化す。

 

 しかし、ギーシュの瞳に敗北は映らない。

 

「炎に酔うのは君の癖だ。それを見逃さないほど僕は甘くない。

 クライマックスだっ。

 驕る女王は落ちるといいっ。

 舞台を降りるのは僕じゃない。君自身だっ。」

 

 声高く言い捨てるとともに、金髪の優男は懐に手をやり、更なるステッキを振りかざす。

 更なる魔法発動。

 炎を放射する赤髪の美女。その足元から、優男の詠唱を合図に数多の平手が生え伸びる。

 突如起きた不測の事態。

 不意をつかれた展開に、赤髪の美女は驚きを隠せず仰天した。

 

「う、嘘っ!?

 二重同時発動ですって!? 」

 

 常識からしてあり得ない。

 魔法発動は一度に一つ。それが当然であり限界だ。

 二つ以上の同時発動は高度を極め、出来るものなど世界に数人とも言われるほど。

 相対するはドットクラスの優男だ。

 そんな低位なメイジに出来る道理は何処にもない。

 

「あり得ない。あり得ないわっ。あんたがそんなっ。……くっ。」

 

 風圧を伴う大地の拳が迫り、間一髪。

 火炎魔法を中断したキュルケは跳躍し、何とか回避に間に合わせた。

 白色の大地から構成される数多の拳。そして平手。

 まともに食らえば只では済まないのは確実だ。

 一度で終える攻撃は攻撃でない。

 二度三度と連撃を繋げ、敵を追い込んでこそ攻撃になりうる。

 当然、彼の攻撃はまだまだ続いた。

 追撃とばかりに大地からの数多の猛撃が身に迫る。

 状況は一転。

 数秒前の優位さが儚い幻かのよう。

 今やキュルケは、地の亡者達に勝機の灯火を取り込まれようとしていた。

 

 

 さとりは静かに傍観していた。

 周囲の視線が目の前の光景に奪われる中、濁った瞳をジトリとさせて周囲を見渡す。

 隈の酷い、濁った目付き。

 だがそれでも、正常な視覚機能は備わっているつもりである。

 取り巻きの学生達は目の前の逆転劇に大きく騒然。

 誰もが信じられないと、そんな顔だ。

 皆一様に驚いている。

 金髪の優男、ギーシュ。舞台の広場は今や彼の独壇場と化していた。

 さとりは優男との関係が薄く、これまでの彼の生活態度や経歴は記憶のメモには綴られていない。

 彼らの驚きは実感としてはわからなかった。

 

 しかし、事の重大さは理解する。

 

 胸に抱える異形の瞳とともに、自身の瞳を隣の青髪少女へと視線を映した。

 タバサ。彼女もまた二人の織り成す戦闘劇から目が離せない様子だ。

 視線の矛先は本ばかりだったというのに、今や眼前の戦闘に目が釘付けである。

 

「……あり得ない。……彼に一体何が。」

「力量を見誤った様ですね。

 目測は当てにならない。

 理科の教材にも載ってます。

 いやはや、勉学とはいつ何処で活用できるかわからないものですね。」

「違う。何か仕掛けがある。」

「いい心構えですね。

 疑いの目は真実を見通します。

 しかし、時にその否定の目は自身の非を認めない故に備わってしまうもの。

 あり得ない現実は現実でない。

 そんな盲目的な現実主義者が貴女の中にもなくはないようです。

 凝り固まった思考は誰もが持つもの。

 しかし事象は事象として認めた方がよろしいのでは?」

「……彼にこんな力はなかった。間違いない。」

「力強い断言です。

 その瞳もそう。中々豊富な経験に根付いた発言のようですね。」

「先の人形操作の技量。ギーシュはドットで間違いない。

 でも、彼は二重同時発動を成している。

 人形操作は未熟であるにも関わらず。

 これは明らかな矛盾と考える。」

「観客に紛れて、誰かが裏で支援しているとでも?」

「その手段は既に検討した。

 でも周囲に魔法を発動した者はいない。

 よって、今この場で魔法を発動している者は彼ら二人だけと断定できる。」

「貴女の理屈だと、彼は飛躍した技術を手にしたようです。しかしそれはある種、納得するのもアリかもしれません。

 技術向上とは比例グラフ。

 階段を一段ずつ登るよう、努力するだけ右肩上がり。

 人はよくそう考えます。

 しかしそれは勘違い。

 実際は二段三段と飛躍するのが常々。

 向上とは突然であり、飛躍であるのです。

 これも苦境の中の突如の成長と考えてしまってはどうでしょうか?」

「貴女のその理屈は発明の類いに当てはまる。

 これは程度の問題。

 技術差は天と地。

 長期の時間をかけて完成されるべき技。」

「なるほど。

 貴女の目には彼がちぐはぐに見えるようで。

 椅子も持てない細腕がある日突然丸太を抱える。

 そんな現実はたしかに現実ではないでしょう。

 彼の技は修練と時間をかけてなされる技。

 だからこそ、あり得ないと。」

「……何か種があるはず。」

「火事場の馬鹿力。

 苦境の中の奇跡の覚醒でしょうか。

 彼は意外にも光る原石を持ってるのかもしれませんね。

 選ばれた才能。

 陳腐な王道なことで実にありきたりだ。」

「絶対にない。」

「おや、断固否定的。

 妬みの片鱗ですね。

 自身も優れた才知に恵まれているというのに。

 人は妬む存在。

 そこに優位があるなど些細な問題だということでしょうか。」

「……勝手に決めつけないで。

 私は客観的視点から述べているまで。

 これまでの彼の魔法技術。それを観察して評価した。

 貴女のそれは単なる言いがかりにすぎない。」

「何でもない無関心ぶりは隠匿の表し。

 劣等感のひた隠しは才能に関わりません。

 いざ格上を見てしまうと反発心を抱くなんて、貴女も大人しい顔して中々気位が高いのですね。」

「彼に羨む要素はない。

 あるとするなら、二重同時発動。

 だがそれも高度すぎる故に、実践向きではない。

 よって貴女の推測は的が外れている。」

「実に十代の少女で結構なことです。

 斜に構えた視点と妥協の線引き。

 自身の惨めさを守る、誰もがもつ防衛手段です。」

「……貴女が何を言いたいかわからない。」

「ただつついてみたくなっただけです。

 蜂の巣はつついてなんぼ。

 でなければ、その過敏なまでの警戒は実に虚しいものへと変わってしまいます。

 その過剰な警戒は実は見てほしいという欲の裏返しなのではないかと思わずにはいられません。

 私の持論ですがね。

 貴女は人間味のないようで実に人間性を抱えている。

 興味を持つのは道理でしょう。」

「貴女の会話に目的が見当たらない。」

「アリとにらんだ有象無象が実はゾウのような規格外。

 下と踏んだ同級生が、実際に下にいたのは自身の方だった。

 隠れた実力者とは実に面白くない話ですよね。」

「見下した覚えはない。」

「その感情は実に人間的。

 有能を妬むのは人間の証拠です。

 貴女もまた、嫉妬に支配されうる人間の一人だったということでしょう。」

 

 突如さとりの瞳に空圧が飛んだ。

 視界は杖の先端で遮られる。

 目と鼻の先。

 眼前の杖とはそれだけの距離しかない。

 言うまでもなく隣の青髪少女が突きつけたのだ。

 視線を移せば凄まじい形相であり、その目付きは仇敵でも見るかのような憎悪を成している。

 

「私をそんな奴らと一緒にすることは許さない。」

 

 口元を見れば、ルーンの詠唱。

 ここで逃せば次の瞬間には魔法が放たれるのは必定である。

 

「おや、いいのですか?

 貴女もまた、あの赤髪の方と同じく他国の者です。

 貴女も貴族。

 他国で問題をあげれば責任問題として祭り上げられ、地位を追われることは必然。

 地位あるものは常にその隙を他の誰かに狙われます。

 ハイエナは味方に潜むもの。

 貴女も知っているはずでしょう。」

「………っ。」

「地位とはかなぐり捨てるものではありません。

 生活の基盤。有効な手段。

 いわば万能の利器とも言える。

 失った瞬間、貴女に手を貸す味方さえ失います。

 金の切れ目が縁の切れ目。

 地位の切れ目が縁の切れ目なのです。」

「…………」

「それも折角手にした野望への一手。

 貴女には無くてはならない足掛かり。ここでそれをふいにするのは得策ではありませんね。」

「いい加減、その口を閉じて。

 そして二度と私をそんな奴らと一緒にするな。

 ……殺したくなる。」

 

 怒らせてしまったようだ。

 青髪の才女は自分と目を合わせようとしない。彼女の視線は再び目の前の戦闘へと戻ってしまった。

 さとりも彼女にならって視線を戻す。

 

 すると今度は青髪の才女とは反対。その方角から自身の名を呼ぶ声が届く。

 そして気づく。

 いつものお決まりの癇癪だと。

 一回でわかるというのに甲高い大声での名前の連呼だ。

 声の主は自身の望んだ反応を示さない限り永遠と呼び続ける質のよう。

 酷く鬱陶しく思わざるを得ない。

 自然、その顔は苦虫を潰したようなものになる。

 

「さとりっ、ちょっとさとりっ。聞いてるのっ?」

「何回も呼ばなくても、ちゃんと聞こえてますよ。

 まったく、構ってちゃんもほどほどにしてくださいよ。

 幼年期の駄々っ子も鬱陶しいことこの上ないですが、十代ともなれば聞くに耐えない見るに耐えない話すに耐えないの三拍子ですよ。

 ほら距離をとってください。

 友人と誤解されたらどうするのです。」

「本人を前にそこまでいうとか、あんたどんな神経してんのよ!!」

 

 癇癪とは感染。伝染病だ

 苛立ちは伝播し、人々から落ち着きを奪い鬱屈をもたらす。

 実に不毛だ。

 相手が誰であろうとそこに年齢は関わらない。

 赤ん坊を抱く世の母親達は偉大と言えよう。

 目の前の癇癪持ちの大人な乳児をどうあやせばいいのか、知見を授かりたい気分である。

 おしゃぶりでも宛がうか。

 そう検討するさとりは、とりあえず耳を傾けることにした。

 

 

 

 

 呆然。

 まさにそんな心境。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 決闘を見守る野次馬達は皆唖然とした様子で眺めていた。

 無理もない。

 片やドットに対して、もう片方はトライアングル。

 有り体に言えばアリとゾウ。

 勝負は始まる前から決まっており、学生達は暇潰し程度の心持ちで騒いでいたのだ。

 しかし蓋を開けてみれば、どうだ。

 膝をついているのはトライアングルの格上メイジである。

 予想を明後日の方向に裏切るその光景。

 大盤狂わせもいいところだ。

 

 

 周囲の驚きとは別に、キュルケは苦渋を舐める思いであった。

 こんな筈でない。

 自分は何故膝をついているのか。

 自身の苦境が認めらず、憎悪を瞳に、眼前に映る優男を睨み付けた。

 

「気高い獅子様はもうへばったみたいだね。

 運動不足でも祟ったかい。

 野良にしては随分と足腰の弱い獅子のようで、僕としても拍子ぬけだよ。」

「調子に乗らないでよっ。こんな土魔法ごときで私がやられる筈がないでしょうがっ。」

 

 所詮ドットクラスの土魔法。

 焼き払えばすぐに体勢は立て直せるのだ。何も慌てることはない。

 短絡的ともとれる思考。

 その思考通りに火炎魔法を放ったキュルケは、間も無くして自らの甘さを痛感することになった。

 

「さっさとくたばりっ………っ!」

 

 言葉が詰まる。

 ルーンを詠唱して迫り来る大地の手勢を焼却。

 しかし、その焼却作業は与えてはならない隙を設けてしまった。

 気付いた時にはもう遅い。

 後方からの新たなる大地の手勢。

 不意をつかれた奇襲に赤髪の美女は為す術もなく、その目を見開き、迫り来る大地の拳を見つめた。

 

「嘘でしょ!? ドットメイジの技量を越えてるわよこんなのっ……」

 

 セリフが途切れ、赤髪の美女は宙を舞う。

 放り捨てられた人形のよう。

 その手足はまるで意思を失ったように動かない。

 自由の利かない美女の身体は、当然受け身を取れる筈がなかった。

 

 美女の瞳に白い大地がうつる。

 

 

 どしゃり。

 

 

 人が転がり落ちた音。

 物体の落下した音がしてしばらく。微かな呻き声が広場にもれた。

 硬質な一撃に、落下の衝撃。

 痛打した箇所から鈍い痛みが全身に渡るよう。

 動こうにも手足が言うことを聞いてくれず、赤髪の美女は痛みを堪えることしか出来ない。

 

 

 あり得ない。

 許せない。

 優男に対する憎悪が沸々と沸き上がる。

 格下の人間に衆人環視の元でやられたその事実が、キュルケのプライドに悲鳴をあげさせた。

 憎しみのままに、その瞳は炎を燃やし、仇を見るかのようにその顔を上げた。

 

「地べたとの熱いベーゼはどんな気分だい?

 今まで飽きるほどの男達とやってきたんだ。

 たまには趣向を変えてみるのもいい気分転換になるのではないか?」

「……は…はんっ。

 トリステインの紳士は美女を痛め付ける趣味が流行りみたいね。

 野蛮なことだわ。

 最低限の紳士の矜持すらも持ち合わせてないのね、あんた。」

「女性に手をかけることは勿論僕の流儀に反するさ。

 だけど、こんな僕でも軍人の端くれ。

 敵たる人間は獣と同義。

 雌の獣なんて、その限りじゃないさ。」

「……とんだ糞野郎ね。」

「獅子と吠えておきながら、苦境に立てば被害者面かい。

 ゲルマニアンの女性は気高いと聞いていたが拍子ぬけだよ。

 噂とは違い、虫のいい女性しかいないようだね。」

「なんですってっ。」

 

 明らかな人種差別だ。

 聞き捨てならないその言葉に、怒りの形相で立ち上がる。

 ダメージで立位がままならない。

 しかし、この胸にざわめく激情。

 我慢ならないこの憤怒からの雄叫びが、倒れることを断固として許さなかった。

 

「あんた、いい度胸じゃない。

 ゲルマニアンを敵に回したいわけ?」

「随分物騒じゃないか。

 野蛮な者は思考の先もまた乱暴な答えを出すらしいね。」

「……あんたがゲルマニアンを一段下に見ていることはわかったわ。

 ゲルマニアンを舐めたらどんな目に合うか。

 覚えていなさい。あんたは後々震えることになるわよ。」

「虚勢は止めたまえ。

 君の事情も知らずに、こんなことを仕出かすとでも思っているのかい?」

「……なんですって?」

 

 赤髪の美女は怪訝そうに眉を上げる。

 目の前の優男の発言。どういう意図があるのか。

 彼の目と声に嘘は見当たらない。

 ただのこけおどし。

 しかしそう切り捨てるには、ある種の引っ掛かりを覚える。

 ただの浅ましい男の出任せだ。

 そう断じていいのか。

 ぐるぐると回る思考とともに、正体のわからない疑念が胸に渦巻く。

 

 

 いや。

 かぶりを振るう。

 そしてキュルケは胸に抱く疑念を振り払うように、この鼻持ちならない優男を睨み付ける。

 

「はん、なによ。

 あんたなんかが、私の一体何を知ってるって訳?」

「羊の皮を被った狼ならぬ、狼の皮を被った羊。

 それが君だ。

 異国の大物気取りは構いはしないが、そのメッキがいつまで剥がれずにもつのか。

 むしろよくもった方だと褒めてあげたいよ。」

「はぁ? あんた何言って……」

「ゲルマニアンに君の居場所なんてもうないさ。

 そうだろう?

 公爵汚しのツェルプストーの息女さん。」

「なっ!?」

 

 開いた口が塞がらない。

 関係者以外誰も知らない母国の情報。一体何故この男が持っているのか。

 キュルケの脳内が疑問符で埋まる。

 しかし、混乱に極まる自身のことなど構うことはなく、目の前の優男は饒舌に言葉を紡いでいく。

 彼は一体何処まで知っているのか。

 

「何もおかしなことではないだろう?

 僕はこれでも軍の元帥の息子だ。

 多少は情報通の自負はある。

 他国に諜報員を差し向けるのは何処の国でも一緒な筈さ。

 情報が国を制する。

 軍の基本さ。

 軍人家系の息女なんだから、これくらいは知ってて当然ではないかい?」

「だ、だとしても、あれは情報規制をしているはずよ。」

「傷つけたお嬢さんは君より位が高いらしいじゃないか。

 格下の君の家がどれほどの情報規制ができるのか、是非教えてもらいたいね。」

 

 何も言い返すことはできなかった。

 自身の犯した過ち。

 取り返しのつかない罪。

 それら全てを目の前の男に知られているというのか。

 そんな疑問に焦燥が駆り立てられる。

 

「一時の感情で人生を棒に振るとはまさにこのことだ。

 お得意の炎で同郷のお友達に手酷い火傷を与えたらしいじゃないか。

 この左腕の火傷なんてお茶目なものだろう?

 幸い向こうは軍事関係者ではないらしいけど、家が家だ。

 どれほどの人脈が使われているのか、考えるだけで目眩がするね。」

 

 おそらくこの分では全てを知っているのだろう。

 否。

 優男の顔を見れば予測するまでもない。

 赤髪の美女は悔しみに口を引き結んだ。

 

「貴族社会は縦社会。

 家の優秀さなど二の次だ。

 地位の上下が絶対さ。

 君のお友達はさぞ待ち焦がれているだろうね。

 母国で君の帰りを今か今かと待ち構えているんじゃないかい。

 仮に味方がいるのだとしたら、彼らの息がかかってないことを祈っておくことだ。」

「随分と詳しいのね。

 ストーカーの鏡じゃない。気持ち悪い男ね。」

「諜報の重要性を否定するとは、軍人家系の名が泣くよ。

 自分は他人とは違う、特別な秘密があるとでも思っているのかい?

 陶酔も甚だしいよ。

 君の家のことは、君が思っている以上に多くの人が知っているさ。

 曲り形にも異国の代表だ。

 軍事貴族だけじゃない。商関係の貴族だって探りを入れる。

 噂好きな僕ら貴族が、君のことを知らないはずがないだろう。」

 

 金髪の優男はそう言い捨てると、やれやれと肩を竦めて、憂いるように更に言葉を続けた。

 同情めいてさえいた。

 

「美女であろうと高みから落ちると無様なものだね。

 孤高の狼ぶっても、所詮は孤立した狼だ。

 真の姿を履き違えてはいけないよ。

 所詮は集団の生き物。

 群れを追われれば生きていくこともままならない。」

 

 滑らかな饒舌。

 ギーシュ自身、自分が驚くほど落ち着いていることを自覚した。

 体の芯から有能感が沸いてくる。

 眼前では格上だったメイジが今にも倒れそうな状態だ。 

 それを対して自分はまだ比較的に余裕はある。

 優位性はどちらか。

 もはや問われるまでもない。

 金髪の優男は改めて確認する。

 この立ち位置。

 そしてどんな手段であれ、それを為したのが自分であるという事実。

 周囲の野次馬達の驚きも自身の実力を認めていることに他ならない。

 この状況こそが自分の為した戦果であり、自分の力が示された瞬間であった。

 更なる有能感が自身の胸に流れる。

 最後は格好良く決めてやろうか。

 そんな持ち前の気障な性分を発揮して、優雅な所作とともに薔薇の杖を突き付ける。

 

「終幕を告げよう。

 君を舞台から下ろし、エンディングを迎えようじゃないか。」

 

 劇の終幕を告げるとともに、自前のゴーレムが赤髪の美女に向かって歩いていく。

 

 ついに決着。

 

 そう誰もが確信した瞬間だ。しかし、そこに思わぬ横槍が入ることになる。

 

 突如、謎の刺突音が木霊した。

 

 金髪の優男は目を見開いて驚いた。

 見れば、抉られたゴーレムの肩口。そしてそこに突き刺さる氷のやいば。

 明後日の方向からの明らかな攻撃である。

 不意をつかれた第三者の襲撃に内心動揺に揺れる。

 しかし、氷のやいばにハッとした。

 考えるまでもない。

 顔を上げて向けた瞳の先。

 今にも倒れそうな赤髪の美女の真ん前だ。

 自分と対峙するもう一人。

 青髪の小柄な少女。

 その少女は赤髪の美女を守るかのように、その眠たげな瞳をこちらへと向けて立ちはだかっている。

 

「た、タバサ……」

 

 キュルケは掠れるような声で呟いた。

 唯一の親友の助け。

 立つことがやっとの状況だ。

 ここぞというタイミングなだけに胸が熱くなる思いに駆られる。

 不意に目頭も熱くなった。

 

 しかしそこに、興醒めしたような白けた声が通る。

 

「タバサ君。一体何のつもりだい?

 神聖な決闘に横槍を入れるなんて、随分と不粋な真似をするじゃないか。」

「決着はついた。キュルケの杖はもう折れている。」

 

 そう言って青髪の少女は指差す。

 指し示すその先。そこに転がるのは枝のよう折れたステッキが一つ。

 

「それに……貴方は不正している。」

「なに?」

 

 怪訝そうにギーシュの片眉が上がる。

 

「ガリアの人間は礼儀を弁えていないみたいだね。

 いきなり人の勝負にケチをつけるとは。」

「本当のこと。」

「数少ない親友のために助けに入るのは見事と言おうじゃないか。

 素晴らしい友情だ。

 だけどね、難癖までいくとその友達思いはもはや醜いとしか言いようがない。

 友達のため。

 そういえば聞こえはいいが、それは単に君が納得していないだけだ。

 親友の敗北がそこまで気に入らないのかい?」

「根拠はある。

 先のゴーレムの稚拙な操作性と、二重同時発動の両立はあり得ない。」

「だから何だっていうんだい?

 そこまで言い切るからには証拠はあるんだろうね?

 僕は現に二重同時発動を使えるんだよ?」

 

 そう言って、ギーシュは自前のゴーレムを動かすともに白い肌をたたえる大地の手勢を出現させる。

 

「証拠はない。しかし、十分な状況証拠と言える。」

「はぁ。やれやれ、お話にならないね。

 優秀なガリア王国の才女様は弁舌が苦手とみえる。

 何度も言うが、僕が今二重同時発動を成している以上、君の言うことは単なる言い掛かりにしかならない。」

「……だけど。」

「証拠だ。

 証拠を出したまえ。

 出なければ君の勝手な言い分にすぎない。

 現に僕は証明した。

 理屈のつけた言葉だけに力があると思っているのかい?

 いや、そもそも君の理屈に正当性があるのかどうかすら疑わしい。

 周囲を見たまえ。

 納得していないのは君だけだ。

 タバサ君。

 君は誰もが認める天才だが、だからと言って自身の言い分こそが絶対の正義とは勘違いしてはいけないよ。

 思い上がりも甚だしいことこの上ない。」

「………っ。」

 

 畳み掛けるギーシュの弁舌に、青髪の才女は悔しげに歯噛みする。

 有無を言わさない圧力。

 目の前の優男の声音からはそんな物理的な圧さえ感じた。

 錯覚じゃない。

 彼は衆人環視の中で力を示した。

 めざましい結果を大勢の人間に知らしめたのだ。

 加えて、自分の言い分に証拠がない。

 正当性が持ててない。

 社会的圧迫とはこのことかと実感する。

 認められた者の言葉とは物理的な力さえ伴うのだ。

 自分は間違っていないのに、現状で非があるのは自分のようである。

 相手の不当を証明できないもどかしさに、憤怒をこらえるように拳を握りしめ、ただ黙ることしか出来ない。

 

 

 ただ黙る。

 無言の反抗だ。

 確かな自身の正義に基づいた確信をもっての反抗である。

 

 

 しかしそれは、集団の中でただ一人の反抗だった。

 

 

 惨めを感じずにはいられない。

 青髪の才女は言葉では言い様のない敗北感に打ちひしがれた。

 

 

 そんな時。自分と同じく、不正の意をあげる声があがった。

 

 

「証拠ならここにあるわよっ。」

 

 突如降り掛かる天恵の声。

 敗北に手を握る中、自分に味方する声があがったことに顔を上げる。

 

「ギーシュ。私はあんたをメイジとして絶対に許さないわ。」

 

 見れば、そこに立つのは仁王立ちにした小柄な少女。

 桃色の長髪。

 ウェーブの掛かった長髪を振り払い、勇ましく前に歩み出す。

 

 一体何をしでかすのか。

 そう思わずにはいられない。

 タバサは平静を装いながらも、胸中は疑念に渦巻いた。

 証拠がある。

 桃髪の少女の言葉が耳から離れない。

 自身はその証拠たるものを発見できなかったというのに、この桃髪の少女はそれを見つけたというのだ。

 動揺に瞳を揺らす。

 桃髪少女の一挙一動から目が離せない。

 

「ほう。次はルイズ君かい。

 君まで僕を疑うとは悲しいな。

 証拠があるとは。

 奇特な世迷い言を述べるものじゃないか。」

「はっ。その気取った面も今だけよ。」

「なら、出してもらおうか。

 その証拠とやらを。」

「お望み通り、出してやろうじゃないのっ。」

 

 売り言葉に買い言葉。

 勇ましげな挑戦とともに、ルイズはルーンを唱えて杖を振りかざす。

 

「ファイヤーボール!!」

 

 少女の渾名はゼロのルイズ。

 渾名の通り、杖先から名称となるものが現れることはなかった。

 火の玉は現れない故に宣言の声が虚しく響く。

 しかし代わりに、爆発音が広場に木霊した。

 何処かと思えば杖先の方角。

 そこには一匹の使い魔が煙をあげて倒れ付している。

 ブルーベリー色の皮膚を持つ眼球の魔物だ。

 何だ何だ、と桃髪少女の突然の奇行に野次馬達も戸惑いだす。

 

「お、おい、一体何をっ。」

 

 ギーシュが慌てて止めだすも、ルイズは構わずファイヤーとは名ばかりの爆発魔法を連射する。

 見事に直撃。

 さらに二匹の使い魔達が倒れ付す。

 そして、やってやった、と言わんばかりに得意顔で鼻を鳴らし、ギーシュへと向かい合う。

 

「これで準備は済んだわ。

 さぁ、やってみなさいよっ。

 あんたお得意の二重同時発動をね!!」

 

 

 

 時は少し戻り、さとりがひっきりなしにルイズから呼び掛けられた時へと遡る。

 

 ついさっき隣の青髪少女に怒られたばかりであるというのに、続けざまにぶつけられる怒りの感情。

 会う人会う人、この世界の住人は沸点の閾値が些か低いようだ。

 眼前の桃髪の主にしてもそうである。

 現に目の前で怒る少女の顔はとても人間のものとは思えない。

 知性がかけた獣の顔である。

 動物には博愛主義を掲げるさとりであるが、目の前の動物には愛情を向けることができない自信がある。

 

「さとりっ、ちょっとさとりっ。」

「あの、耳元で喚かないでくれませんか。

 介護老人に呼び掛ける娘さんか何かですか、貴方は。

 難聴の心配はいりませんよ。

 心配するなら無視されていることに気づけない、その可哀想な無神経ぶりを心配しなさい。」

「はぁ!? 

 やっぱあんたわざと無視してたのねっ。

 主人を蔑ろに扱うとか。もはや私に対しての宣戦布告にしか見えないんだけどっ?」

「対応するだけ徒労なのは目に見えてます。

 どうせ彼の覚醒ぶりに納得いかないだけなんでしょう?」

「そうよっ。

 何なのあいつっ。

 あんな力。絶対あり得ないわっ。

 ギーシュがあんな力持ってるなら、私だって持ってても可笑しくないわよっ。」

「因果関係もビックリです。

 失敗の爆発が自身の力。才の片鱗。

 そう自覚してから謎の自信にみなぎったところ、突如突き付けられたあの光景と。

 妬んだり怒ったり。

 忙しいお人ですね。

 浮き沈み激しい前の方がよかったかもしれません。

 今の貴女は浮いて浮いて癇癪上げて、もはや天井が見えません。」

「だってあんなのってあるっ?

 折角いつもの鬱憤をぶつけてやろうって時に、あんな訳分かんない力目覚めちゃってさっ。

 私だって才能あるのにっ。」

「不平等な世界。人は平等を謳いますが、貴女のそれはもはややっかみ以外の何物でもありませんね。

 ストレートすぎて、反って清々しいほどですよ。

 その潔さを使って頭下げに行ったりしません?」

「するわけないでしょっ!

 馬鹿にすんじゃないわよっ。何であんな最低野郎に頭下げなきゃなんないのよっ。」

「私も能天気が過ぎたみたいです。

 彼がドットと聞いて、まぁルイズさんでも頑張れば勝利の一つもなくはないような気がしないでもないかな。

 と思ったんですがね。

 夢のまた夢のようで、御愁傷様です。」

「何で忠実な使い魔が主人の勝利を信じられないのよっ。むしろそこは、何が何でも主に勝利の光を、って使い魔のあんたが気張るくらいはしなさいっ。」

「信徒とは贅沢ですね。

 忠誠が欲しいなら相応の人徳を集めてからにしてください。」

「つーか、こんなことをしゃべりたいんじゃないのよ私はっ。」

「またげば越えられるハードルが、断崖絶壁の障壁に変貌したんですよ。

 頭のこすり方以外に、何を話題に?」

「だから謝んないって言ってんだしょっ。 

 心よっ。あいつの心っ。

 あんな覚醒、絶対何か種があるわっ。

 それを暴いて来なさいっ。これは命令よっ。」

「……はいはい。

 わかりましたよ。では、ちょっと付いてきてください。」

 

 は?

 桃髪の召喚主は困惑した。

 隈の目立つ使い魔。さとりは戸惑うルイズを気にする様子は無く、取り巻きの後方へと行ってしまう。

 自分を誘導する気遣いはない。

 気の利かない使い魔である。

 そんなさとりに文句を垂らすも、肩を怒らせながらついていく。

 野次馬の群れから外。

 異形の瞳を持つ彼女はここで一体何がしたいのか。 

 

「で、こんなところに連れてきて何のつもり?」

「種明かしですよ。」

「……種明かし?」

「ルイズさん、あの使い魔を見てどう思いますか?」

 

 そう言って、目の前の使い魔はあるところを指差した。

 指し示す先は浮遊している生き物だ。

 一つ目の眼球の魔物。

 ブルーベリー色の皮膚に、多数の触手がウネウネと揺れている。

 眼球という点を言えば、自身の使い魔と共通点があるように思える。

 見るに、誰かの使い魔であろうことは分かる。

 野次馬に混ざるかのように最後列から眺めている。

 だがそれだけ。

 だから何だという話である。

 使い魔が魔物というのは珍しいが、それは今問題ではないはずだ。

 使い魔は沢山ここにいる。

 野次馬の生徒達が連れてきているのだから当然だ。

 ルイズはさとりの意図が読めなかった。

 

「別に。

 ただ使い魔がいるだけじゃない。だから何だっていうの?」

 

 瞳を険しく、そうたずねる。

 

「まぁ見ただけでは分かりませんよね。

 他人の使い魔なんて親しくなければ覚えませんし。」

 

 こちらの答えを始めから期待していない口振りだ。

 勿体をつけるのが自身の使い魔の悪い癖。

 単刀直入こそが至上と掲げる自分とは、とことん反りが合わない。

 遠回しに長々と話すことが知的とでも言うのか。

 否。

 真の賢者は端的であり簡潔。

 この使い魔は主の自分を馬鹿にしているに違いない。

 そう思わずにはいられないルイズは声を荒くする。

 

「勿体つけないでズバッと言いなさいよっ、イライラするわねっ。

 私はあんたの主で、あんたの生徒じゃないの。

 要らない質問してないで端的に言いなさいっ。」

「はいはい。

 実はあの使い魔、傍に主がいないんですよ。

 そして他にも二匹ほど同様に、傍に主がいない使い魔がいるようです。」

「何か用事があってどっか行ってんじゃないの?

 でもこんな面白いことは見逃せないってんで、視覚共有して見物でもしてんでしょ。」

「おや、中々冴えてるじゃないですか。

 加えてサラッと出てしまう覗き見思考。良くも悪くもルイズさんも貴族してますね。

 流石公爵です。

 諜報を放って全ての情報を握りたがる。下の者は全て支配。大物要人の生理現象といっても過言じゃありません。

 立派な支配欲をお持ちで将来有望ですね。」

「褒めるかと思えば何貶しくさってんのよっ。

 あくまでも可能性を挙げたまででしょうがっ。

 一々揚げ足とっちゃってさっ。

 あんたの悪い癖よっ。さぞお友達は少なかったんでしょうねっ?」

「友達関連でよくそこまで言えますね。

 撃った弾丸が跳ね返ってますよ?

 言ってて辛くないですか?」

「うっさいわねっ。放っときなさいよっ。」

「でも貴女の答えは的を得てますよ。

 結論から言えば、あのギーシュさんとやらは不正を行っています。」

「不正ですって!?

 やっぱりね。おかしいと思ってたのよ。

 どういうこと、さとり。詳しく聞かせなさい。」

「魔法は一度に一つまで。

 二重同時発動は至極至難と聞きました。

 ならば、単純に考えて予測されるのは他者の協力でしょう。」

「そんなの私だって予測ついたわ。

 でも外野の中で魔法を発動している人はいなかったわよ?

 発動していたら誰だって気付くはず。」

「そうですね。

 なのでそれがバレないような工夫をしたのですよ。」

 

 そこまで聞くと、ルイズは鼻で笑った。

 眼前の講釈を垂れたがる使い魔。いつも反抗的だ。

 ここで一つやり込めてやろうと思考が走り、彼女を見下ろすようにやや顔を上げた。

 腰に手を当て、皮肉げな笑みを張り付ける。

 そして諭すような、呆れるような声音をもって言葉を返す。

 

「もしかして、遠く離れた木陰でやってたとでも言いたいの?

 使い魔を紛れさせておけば、視覚は共有できるし、狙いは定められる。

 中々考えた作戦じゃない。

 凄く陰湿。

 でも残念ね。それは無理よ。」

 

 やれやれと、かぶりを振る。

 出来の悪い生徒を諭す教師のように、ルイズは指を振りながらで説明を続けた。

 

「魔法にはね、射程距離というものがあるの。

 いくら万能の魔法でも、離れすぎると魔法は届かないわ。

 野次馬の周囲で隠れられる場所といったら、精々花壇の陰くらい。でもヤッパリダメね。

 広場から離れすぎてる。

 視覚共有で見えていても、魔法が届かなきゃ意味ないわ。

 支援なんて出来やしないわよ。」

「いえ、それが出来るのですよ。」

「は、はぁ? あんた私の説明聞いてた?

 だから出来ないって……」

「説明は最後まで聞いてなさい。

 対抗心は不毛です。

 良く言えば向上心。好敵手、高め合う関係とやらの意識高い系がよく持つものです。

 言葉を置き換えれば聞こえはいいですが、往々にしてその結果に待つものは相互不理解。

 自身のことに躍起になって、意志疎通すらままならなくなる。

 会話ができない猿への退行です。  

 ルイズさん、人間になりなさい。

 でなければ話は始まりませんよ。」

「あ、あああんたは、いっつもいっつも御主人様に向かってぇ。

 だぁれが猿ですってぇぇ?」

 

 桃髪の主はぶちキレる。

 不敬を通り越す罵倒の数々。何度も結び直した堪忍袋の緒が切れたのだ。

 むしろよくここまで耐えたと、自分で自分を褒め称えたい心持ちでさえあった。

 この怒りは正当。

 何度言っても態度をたださないこの不敬千万な使い魔に裁きの鉄槌を下してやるのだ。

 

 しかし髪を逆立てるルイズに対して、さとりの瞳は動じる様子はない。

 濁った瞳は濁ったまま。

 先と変わらない声音で、彼女は淡々と言葉を告げていった。

 

「支援者は広場の地中に潜んでいたのですよ。」

「………はい?」

 

 突如投げ込まれる、突拍子のない内容。

 桃髪の主は間抜けな返事を返さざるを得なかった。

 

「言葉の通じてない猿の顔ですね。仕方ありません。

 もう一度言いましょう。

 支援者は広場の地中に潜んでいたのです。

 他者からは目視出来ず、かつ魔法の射程内。

 別に不思議がることはないと思いますがね。」

 

 変わらない口調で告げるその言葉は、まるで不変の事実を告げられているようだ。

 冷たい事務官と相対する感覚。

 そんな錯覚を覚えた。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。

 いくらなんでも地中ってのは、突拍子もないというか……」

「まぁ、確かに同級生達がそこまで凝った工作員紛いのことをしていたら驚きますよね。

 喧嘩一つに裏でこそこそとしているのです。

 薄気味悪さすら覚えるでしょう。

 ですが、あり得ないことではないのです。

 権力抗争でも見られます。

 貴族の裏の一端とでも言えば理解できるのではないでしょうか?」

「それって……」

「そうですよ。

 あらかじめ集団で襲えるように、あの場所は仕組まれていたのです。

 だからギーシュは一人先に決闘の広場へと向かったんですよ。」

 

 ルイズは愕然とする。

 確かに権力の争いというものは表だって行われる前に、秘密裏に根回しをしたりするものだ。

 ルイズも公爵という立場上そういった裏事情はある程度知っていたが、いざ行われると心の芯が薄ら寒くなる。

 その陰湿さにややゾッとする。

 それも同じ年齢の同級生達がやっているのだから尚更である。 

 

「ルイズさん。貴女はギーシュさんの使い魔を見たことがありますか?」

 

 えっと、とこめかみに手を当てて考える。

 目をつむって思考を巡らすも、ルイズは唸るばかりだ。

 記憶の引き出し。

 そこから掴みとれるのは、頼りなく朧気なもの。

 しかし、確かに彼の使い魔を視界に納めたはず。

 その覚えはあるのだ。

 

 茶色の体毛で巨躯を持つ。

 ずんぐりとした四足歩行。

 

 ルイズの脳内。靄のかかった記憶が徐々に鮮明に映りだす。

 思考の果て。

 そしてついにははっきりした輪郭を描き出し、答えを引っ張り出すことに成功した。

 目を見開く。

 

 そうだ。

 

 思い出した

 

 彼の使い魔は確か。

 

「そうだわっ。ジャイアントモールよ。」

「ええ、その通り。

 人の身大のあのデカさ。しかももぐらです。

 地中に人が入れる空間をつくるくらい、造作もないことでしょう。

 見るに三人ほどの支援者がいるようです。

 道理で手数が多く見える訳ですよ。」

「なるほどね。

 ……ていうかっ。わかってたんならさっさと言いなさいよね。

 まさか、わざと負けを誘おうとした訳じゃないでしょうね?」

「キツイお灸とするなら吝かでもないですがね。

 いい薬じゃないですか。

 その天をつくような怒髪天も多少は収まりますよ?

 どんなに害悪で非道に見えても、有効性があり、有益さに軍配が上がるならそれは確かな薬となるのです。

 貴方の癇癪は病気といってもいいくらいなので、一度治療してみればどうです?」

「主に対する紛れもない反逆よっ、反逆っ。」

「冗談が通じませんねぇ。

 心配せずとも、私も知ったのはついさっきですよ。

 読心は万能ではないのです。

 いくら心を読めても、いつでも記憶を探れる訳ではありません。

 言葉を投げ掛け、会話し、そこに伴う思考と記憶を読んでいるのです。」

「え、そうなの?」

「ええ。

 なのでファインプレーでしたね、ルイズさん。

 先の大声での命令がギーシュさんにも聞こえてたようで、彼の焦りが私に流れてきました。

 ルイズさんの癇癪声も時には役立つようです。

 誇ってください。」

「……あんた、人を褒めることを知らないのかしら。」

 

 しかし、これで納得である。

 ある日突然ドットクラスのメイジが高度な魔法技術を扱い、トライアングルのメイジを圧倒。

 そんなことは起こり得るはずがないのだ。

 

 許せない。

 

 桃髪の少女の胸中に、激しい感情が渦巻く。

 メイジの決闘は神聖なるもの。

 誇りを賭けたメイジ同士の高潔な対峙でもある。

 自分は魔法を使えない。

 しかし、だからこそ。

 魔法を使えないからこそ、誰よりも誇り高く、高潔であろうとしてきた。

 故に許せない。

 桃髪の少女の瞳に炎が灯る。

 

「ギーシュのやつ。絶対に許せないわ。

 神聖な決闘を汚すような真似。断じて認められない。

 メイジの誇りを私が直々に叩き直してやるわ。」

「叩き直すって。

 肝心の叩き直す金ヅチがへなちょこでは逆に叩き折られそうなんですが。

 あの赤髪の方でさえ押されているというのに。」

「力に驕った猪突猛進なあの感情馬鹿と一緒にしないで頂戴っ。

 私は頭脳派よ。

 策くらい講じるに決まってんでしょ。

 座学筆頭を舐めないでもらえる?」

「はぁ。なるほど。

 私に抱えてもらって空中から狙い射つのですか?

 確かにあの亡者のような手からは逃れることは出来そうですが、些か間抜けな格好ですね。

 いつもの品格云々は宜しいので?」

「なっ!?

 誰が間抜けな格好よっ。

 見てなさいよっ。もっとスマートにぶっ飛ばして見せるんだからっ。」

 

 そう言ってやる気を突き付けると同時、桃髪の少女は為すべきことを為すべく、取り巻きの中へと戻っていった。

 やる気は期待の現れだ、

 やるぞ、と拳を挙げて取り掛かる。

 そんな姿を彷彿させるが、往々にしてそこには期待が内包しており、空振った意気込みは挫折するまでがセットである。

 パターン化された運命。

 そこから逃れるには器量の良さが物をいうだろう。

 やる気とは基本的には邪魔となる重荷であるのだ。

 

 さとりは濁った瞳でその背をみつめる。

 勇ましくも小さい。

 その小さい背中は今にも広場へと飛び立とうとしていた。

 あの癇癪持ちに器量の良さなど似合わない。

 そんな繊細さを求めるのは期待するだけムダということだ。

 人の性質は変わらない。

 猪突猛進。

 それが彼女である。

 

 

 

 

 

「──つまり。

 あの使い魔達が倒れて、あんたが二重同時発動を使えなくなったのが何よりの証拠よっ。

 あんたのそれは、他人に手助けしてもらった偽物に過ぎないのよっ。

 ねぇ、ギーシュ。

 あんたはこの決闘で不正を働いたの。

 あんたはメイジの決闘でやっちゃいけないことをやってしまったのよ。

 覚悟、できてんでしょうね?」

 

 

 衆目の中、朗々としたルイズの声。

 ギーシュの二重同時発動は偽物である。

 彼女は強かにそう主張した。

 ルイズは金髪の優男に挑発を叩きつけたのち、彼の不正を訴えに出たのだ。

 

 パチパチ、と拍手が寂しく生まれた。

 その発生源は非難の的へと担ぎ上げられたギーシュ本人だ。

 

「はは。

 素晴らしいじゃないか。

 ゼロのルイズも舐めたものではないらしいね。」

 

 褒賞の意。

 そんな含みのこもる優男の声が届いた。

 

 ルイズの突如の奇行とともとれる爆破行動のあと、ギーシュは人形操作と同時に亡者の手を発動することはできなくなった。

 さぁ、やってみろ、という桃髪の少女の挑発に、事実彼は応えることができなかった。

 ただ黙るのみ。

 故に彼は肯定した。

 もはや、肯定せざるを得なかったのだ。

 

 自作自演。

 二重同時発動が虚構のものである。

 彼自身の現状自体が紛れもない不正の証明であった。

 

 感覚共有という使い魔の特性。

 ギーシュの使い魔、ジャイアントモール。

 地中に潜む支援者。

 使い魔達の再起不能後、二重同時発動の不発。

 

 衆人環視の元、桃髪の少女は声高らかにこれらの不正の意をギーシュへと叩きつけた。

 明確なる根拠の伴う非難の剣先はどこまでも鋭い。

 単なるいつもの癇癪が厳格な圧力さえ伴っているかのような錯覚をきたす。

 力強い態度。

 彼女の主張はどこまでも強い厳しさを乗せていた。

 

 決闘において、ギーシュは不正をしている。

 

 声強く、証拠とともにここまで言われてしまえば、誰もが信じざるを得ない。

 周囲の野次馬達はざわめきを大きくする。

 証言に対する信憑性など、もはや問われるまでもない。

 証拠は目の前のギーシュ自身。

 今問われるべきなのは決闘の不正だ。

 メイジの決闘という、神聖なる儀式とも呼べる高潔な決闘を彼は汚した。

 それが問題だった。

 ギーシュに向ける視線が一気に厳しくなる。

 感嘆から侮蔑へ。

 憤怒さえ伴った。

 大勢からの非難の視線は物理的な圧迫さえ伴うものだ。

 社会的圧迫に晒される金髪の優男。しかし、彼は気障ったらしい振るまいを今だやめることはしなかった。

 

「ギーシュ、あんた。状況わかってんの?

 あんたはね、メイジとしてやっちゃいけないことをしたのよ。

 メイジの誇りを汚す。

 それがどういうことか、わかってんでしょうね。」

「はは。

 ああ、勿論わかってるさ。」

 

 桃髪の少女は眉を吊り上げる。

 目の前の金髪の優男からは反省の色が見えない。

 

「だから何だって言うんだい?

 これは確かに決闘という名目だけど、その実は学生の喧嘩に過ぎない。

 そもそも、この決闘に明確なルールなんて無いんだよ。

 僕は一言も一対一とは言ってない。

 誰かに手助けしてもらってはいけない、なんて決まりはない。

 喧嘩にルールも何もあったもんじゃないさ。

 彼女が勝手に勘違いして、勝手に地面に這いつくばっただけのことだよ。」

「あんたがそこまでの外道野郎だなんて知らなかったわ。見損なったわね。」

 

 そこに加えて、青髪の才女が前に出る。

 その瞳は怒り。どす黒い何かがグツグツと燃えているよう。

 そんな錯覚さえ覚える瞳だ。

 彼女もルイズと同じく怒気の孕んだ声を発した。

 

「………人道に背く人間を見過ごすわけにはいかない。

 不当な決闘でキュルケは傷ついた。

 借りは返させてもらう。」

 

 敵意を明確に、隣の青髪の才女杖を突き付ける。

 

 しかし、対するギーシュは今だ気取ったような飄々とした態度を崩さない。

 まるで道化を演じるピエロのよう。

 恐い恐い、と茶化す素振り。

 ルイズの握る拳が震えた。

 一体どこまでふざければ気がすむのか。燃える憤怒に更なる薪をくべられる。

 ルイズは喉から出る声に怒りが漏れた。

 

「あんた、覚悟しなさいよ。

 今からとっちめて、その腐った根性を叩き直してやるわっ。」

「………それは私の役目。」

 

 ぶつけられる二人の闘気に、尚も金髪の優男はそれを気にする素振りはない。

 それどころか、やれやれと呆れる始末。

 誇りを汚している分際で何だというのか。

 苛立ちを募らずにはいられない。

 まさに怒りを怒声に変えようとした時、すんでのところでギーシュはかぶりをふって、なだめるような口調で言葉を紡ぎだした。

 

「君たちは勘違いしているね。

 僕は君たちと闘うつもりは毛頭ないよ。」

「はぁ?

 あんた、そんな都合のいいことが罷り通るとでも思ってんの?」

「君らの掲げる正義に正義はないよ。

 僕が不正をしたからってそれを正す資格が君たちにあるのかい?」

「不正を正すのに資格はいらないわ。

 証拠も状況もそろってる。

 何をくっちゃべっても、言い逃れはできないわよ?」

「………決闘で、貴方は複数人よるリンチを犯した。

 たとえルールを決めてなくても、非難の的には変わりない。」

「非難だと?

 そもそもこの決闘自体、学院では禁止されていることだ。僕とキュルケはそのリスクを踏まえて決闘を行った。

 そこにとやかく言われる筋合いはない。

 口を出すなら決闘前にしたまえ。

 非難の的は君たちも同じだ。

 禁止行為に口を出さず、ただ眺めていただけなんだからな。」

「な、なんですって!」

「君たちは喧嘩は止めないのに、複数人で叩くとそれは汚いと非難するのかい?

 やり方の問題が重要なのかい?

 そこに一体何の正当性があるのか、是非お聞き願いたいね。」

「誇りの問題よっ。貴方はそれを踏みにじった。

 その癖何自分は悪くないみたいなこと言ってんのよっ。」

「まるで子どもの理屈じゃないか。

 気に入らないから悪いとでもいいたげだ。」

「子どもはあんたよっ。

 私たちはメイジの学生なのよ。

 メイジのなるべくこの学院に通って魔法を学んでいるの。

 当然、メイジとしての品格と志も自覚しないといけないわ。

 メイジとして、やっていいことと悪いこともあるのはあんたもよく知っているはずよ。

 なのにあんたはメイジの禁に触れた。

 非難もされるし、罰も受けるのはもはや問われるまでもないわ。」

「禁に触れるか。

 僕に言わせてもらえば決闘自体悪いことだ。

 規則に抵触してしまっている禁則行為を僕とキュルケ君は理解した上で行った。

 同じく何も言わずに傍で傍観している君たちも同罪さ。

 そこに、ああだこうだと正当性を突き付けるなんて滑稽だと思わないのかい?」

「あ、あんたねぇ、言わせておけばぁ。」

「………これは決闘でない。

 公平性がないからこそ非難している。

 貴方の行いは集団リンチ。

 一方的な暴力を非難しない理由はない。」

「だったら尚更馬鹿げたことを言うんじゃない。

 僕はドットだよ。

 一体どういう理屈があってトライアングルの彼女に勝てる道理があるんだい?

 公平なんてはなっからないさ。

 正義を語りたいならこの無理な格差のある決闘自体を止めようとする心意気を見せてもらいたいね。

 これは遊びじゃない。

 禁止された危険行為だ。

 ルール違反も何もない。

 この左腕をみたまえっ。

 怪我を負っているのは僕も同じだ。

 この大きな傷害リスクを飲んでるからこそ、僕達はここにいる。

 決闘自体非難されこそすれ、その内容について正義を問われる謂れはない。

 君たちの正義は単なる独り善がりだ。」

「あ、あんたがそんなこと言える立場じゃないでしょうがぁぁぁ!!」

 

 

 突き抜けるような怒声とともに、ルイズは杖を振りかざす。

 ルーンを唱え、杖の矛先はギーシュへと突き付けられる。

 当然、爆発。

 失敗魔法が標的を爆破させ、煙を上げさせた。

 

 しかし。

 

「驚いたよ。

 まさかそんな方法をとってくるとはね。

 いつもの爆発でも利用次第じゃ凶器に成り変わるいい例だ。

 勉強になったよ。ゼロのルイズ君。」

 

 皮肉げな声音が届く。

 煙を上げているのはギーシュ本人ではない。

 彼の前に守るように立ちはだかるゴーレムが爆発したのだ。

 爆破と言ってもほんの一部。

 頭部がやや欠けた程度である。

 まだ七体も目の前に立ちはだかるゴーレム達を前に、その爆発の威力はあまりにも頼りない。

 こんなものなのか。

 ルイズは絶句した。

 

「そ、そんなはずがないわ。

 私の、私の魔法があんなやつに負ける訳がないっ。」

 

 認められない。

 目の前の結果を是としないルイズは何度も杖を振り続ける。

 爆発。

 爆発。

 爆発。

 一向に成功する兆しのない失敗魔法は、爆発でもってゴーレムを攻撃し続ける。

 ギーシュの前に立ち続けるゴーレム。

 初めは頭部を、次に胴体、そして次に腕と。

 次から次へと爆破され、とうとうそのゴーレムが膝を屈したかと思えば、また他のゴーレムがギーシュの前へと立ちはだかる。

 この作業に終わりがくることはない。

 それは火を見るより明白であった。

 

「もう止めたまえ。

 君の爆発はただのゼロではないことはわかった。

 だがあまりにも力が不安定だ。

 火力が足りないよ。」

「まだよっ、まだ……」

 

 さらに杖を振ろうとして、突如誰かの手で制される。

 ルイズ言葉が詰まった。

 当然、制したのは自分の手ではない。

 その手の持ち主は隣にいるタバサだ。

 

「ちょ、ちょっとあんた退きなさいよっ。」

「………やめる。」

「………何でよっ。あんたにそんなこと指図される謂れは……」

「……やめる。徒労にしかならない。」

 

 ルイズは歯を噛み砕かんばかりに奥歯を食い閉める。

 ギリッと鳴る歯ぎしり。それは我慢ならない悔しみに満ちていた。

 

「タバサ君は理解してくれたみたいだね。

 理解が早くて何よりだ。

 ルイズ君。君も杖を下ろしたまえ。

 これ以上はお互いに不毛な上に、この戦いにもならない戦いに意味はない。

 いいかい。

 次にその杖を振るった時、君のメイジとしての矜持は偏執な自己本位へと成り代わり、単なる自己満足へと成り下がるんだ。」

 

 桃髪の少女は瞠目する。

 突きつけた杖をどうするべきかわからず、その判断に迷いが生じた。

 杖をもつ腕が震えだす。

 

 決闘自体が非難の的。

 それに参加して傍観している以上、何も言う資格はない。

 それが目の前の優男の言い分である。

 非難を非難で返された。

 力強い優男の言葉に反論しようにも言葉が詰まる。

 言葉にならない言葉が小さな呻きとなって喉にたまった。

 悪いのはこの男なのに。

 メイジの誇りを汚されたのに。

 なのに、何故こうも反論が出ないのか。

 自分の言い分に間違いはないはずなのに、正当性がまるで向こうにあるかのよう。

 彼があまりにも自身満々にいうため、周囲の取り巻きでさえ何も言えなくなっている。

 皆微妙そうな顔だ。

 納得がいかない。

 皆そう思っている。

 だがルイズと同じく、どんな根拠をもって、どう返したらいいのかわからないのだ。

 

 ルイズは奥歯を噛みしめた。

 

 やるせない激情が胸に疼き、言葉の限り罵倒したくなる。

 感情に任せてあらんかぎり叫びたい。

 欲求の渦が奔流する。

 しかし、僅かに残った自制が歯止めをかけた。

 それは出来ない。

 何であろうとも、やってはならない。

 それは敗北も同義。

 敗北など、自身の矜持が許すはずがないのだ。

 

 

 

 

 沈痛な面持ちに浸る中、憤怒とともに諦観が混じる。

 

 まさにその時にだ。

 

 ルイズの耳に一つの声がかかった。

 

 

 

 

 

「あれだけ息巻いておいて、もう諦めてしまうのですか?」

 

 

 透き通った声。

 微妙な空気になりつつある広場で、その声は鈴の音のように木霊した。

 

 広場がしんと静まり返る。

 

 声の発生源は取り巻きの中。

 足音が鳴り響き、次第に野次馬達が道を開けた。

 ルイズ達の瞳に一人の少女が映る。

 先程話したばかりだ。

 よく見知った人物であり、小柄な背丈。

 一人の少女がそこにいた。

 

「猪突猛進。

 それが貴女の取り柄とするなら、せめて額縁通りの突破力は見せてほしいものです。」

「さ、さとりっ。」

 

 さとりだ。

 馴染み深い、使い魔の顔と声がルイズの瞳に映る。

 

 しかし。

 

 

「さ、さとり?」

 

 その使い魔に纏う、不可思議な雰囲気。

 

 ややいつもと違う、知らない少女がそこにあった。

 

 誰もが言葉を失う。

 ルイズでさえ目を白黒させた。

 濁った瞳に目立つ隈。

 気だるげな物静かさは変わらないのに、そこから放つ不気味さが得も知れない圧迫感を孕んでいた。

 ゆらゆらと揺らめくピンクの髪。

 そして極めつけとばかりに、手に持つ目玉が幻惑的に発光している。

 そこから何となく、彼女の周囲に魔力が渦巻いていることが知覚させられた。

 

「その真っ直ぐさは清蒹の表れ。

 貴女に根差す貴族としての立派な心構えでもあります。

 心地良いものですね。

 しかしその信条は人を選びます。」

 

 しかし、口から出る言葉はいつも講釈。

 ルイズは戸惑った。

 

「履き違えれば馬鹿と頑固の石頭。

 それは救いようがなく、壁をこえられないものは挫折の道を選ぶしかなくなるのです。

 貴族たれ、とその孤高ともいえる信条。

 その志。

 つらぬくのは構いませんが、相応の力がなければ成せることも成せなくなるとだけ言っておきましょう。」

「な、何よさとり。

 ここに来てまた説教垂れるつもりなわけ?」

「使い魔として役目を果たしてるだけですよ。

 忠誠とはなん足るか。

 主と同じく道を踏み外してでもついていく。

 そういう人もいるでしょうが、私はあくまでも諫言すべきことは諫言しようと思うまで。

 貴女は人に言われなければとことこん突っ走る方ですからね。」

「それギーシュの言ってたことじゃないっ!

 あんたも向こうに肩をもつわけっ?」

「思い込みが激しいですね、ほんと。

 貴女の在り方は正しくもありますが、誤りでもある。

 立派な志をもっておいでですが、同時にその高い志故に焦燥に駆られ、そして誤った行動へと出てしまっています。

 だからこそのつっこみですよ。」

「余計なお世話よっ。

 私は私の道を行くのっ。

 それは誰にも邪魔させないし、口も出させないっ。

 あんたはただ黙って私についてくればいいのよっ。」

「貴女は本当に我が道を突き進みますね。

 呆れを通り越して尊敬しますよ。

 自分の選択を常に是とし続ける。

 まさに覇道。

 誰もができることではありません。」

「それが何よっ。

 あんたは誰の味方をしにきたのよっ。

 さっきまでは私が戦うことに否定的だった癖に。」

「まぁ、そうなんですけどね。

 しかし、私にも気まぐれというか、心変わりというものもあるのです。」

 

 そう言って、さとりはルイズより前に出る。

 

「ああまで愚直に立ち向かわれては、私も柄になく勝たせてやりたい、などと思ってしまうではありませんか。」

 

 愚直。

 一つ覚えの馬鹿を指すその単語は、往々にして否定的な意味合いをもつ。

 無能をさすことさえある。

 しかしその愚直さは、今や一種の魅力へと変貌しようとしていた。

 負であって正とは言えない、ただただ真っ直ぐな不器用さ。

 だが本人は正しくあろうとはしている。

 ルイズの魅力だろう。

 彼女はまさしく物語りの主人公に相応しい。

 

 髪の揺らめきや不可思議な魔力をそのままに、さとりはギーシュと向かい合った。

 

「やれやれ、今日はやけに人に歓迎される日だ。

 君は弁が鋭いから一体どんな正義を突き付けてくるのか楽しみだよ。

 ただ、ルイズ君と同じだとか言わないでくれたまえよ?

 それなりの弁を期待しているのだからね。」

「いいえ。

 文句などありませんよ。

 貴女の言う通り決闘に何らかの形で参加してしまった以上、そこに正当性を上げることはできません。

 私はただ使い魔として参加しているだけですよ。」

「なんだいそれは?

 十八番の弁舌は何処にいったんだい?

 拍子抜けな回答でガッカリだよ。

 それだと、君はルイズ君の言う正義を後押ししに来ただけではないか。

 それについてはもう不毛だし、僕は戦う気はないよ。」

「何を言っているんですか?

 もともとルイズさんとは戦う予定だったはずです。

 正義など関係なく、戦う理由はあるじゃないですか。」

「それはそうだけども、もう決着はついてるじゃないか。

 自らの無力さに打ちひしがれて、そこで立ち尽くしている主が見えないのかい?」

「私の目は節穴ではありませんよ。

 杖はまだ彼女が握っていますので、敗者の条件は成し得ていません。」

「はっ。

 だとしても、これ以上彼女の意地のためだけに付き合うのも、彼女のためにも良くないと思うのだけどね。

 彼女はただ僕を殴りとばしたい一心でいるだけだ。

 見苦しいことこの上ないよ。」

「勝負に白熱してお忘れかも知れませんが、元々は貴方の浮気の話です。

 この決闘は浮気した態度の是非を問いていたのですよ?」

「……あれは使用人の過失さ。

 彼女のふざけた記憶違いのせいで、不幸にも二輪の薔薇達が痛ましく散ってしまった。

 全く悲劇なことだ。」

「貴方の浮気と使用人の過失。

 その二点が重なった故に起きた今回の事件は、喜劇か悲劇かなんて私は知りませんよ。

 少なくとも貴方が浮気してなければ、避けられた事態であることは間違いないのです。」

「……人の付き合い方についてとやかく言われる筋合いはないな。」

「中々のクズ回答で結構。

 女として非難する大義を得られました。

 嬉しく思いますよ。

 私、色事で幅を利かせる人物というのは、人種・性別を問わずに大嫌いでして。

 これで心置きなくやれそうです。」

「………君、本音が出たな。

 使い魔の役目だとか何とか言って、でしゃばってきたのはそのためなんじゃないのかい?」

 

 ギーシュは呆れるような口調でそう尋ねた。

 質問の形を取っているが、それはもはや形骸化していた。

 既に確信は得ている。

 不貞を働いた自覚はあるのだ。

 この事件の概要を聞いて怒らない奇特な女性はいないだろう。

 

 瞳の先では今も尚怪しげな雰囲気を纏い、不可思議な魔力でそのピンクの髪がゆらゆらと揺れている。

 

 自身の視線が自然と彼女の手元に移る。

 謎の光を発光させる眼球だ。

 

 幻惑的な光。

 

 そのせいだろうか。

 その身に纏う不気味さとともに、彼女の存在に得も知れない圧力が伴う。

 そんな不可思議な感覚だ。

 錯覚とは違う。

 

「さて、どうでしょうかね。──想起。」

 

 

 その言葉を最後に、目の前の少女は変貌を遂げた。

 

 

 

 

 ドクン、と大気に波が生じる。

 

 

 否、そう感じたに過ぎない。

 変貌だ。

 だが外見は変わっていない。

 しかし、間違いなく目の前の少女はつい先ほどまでの彼女とは明らかに違う。

 

 圧倒的拍動が目に映る。

 

 巨人の心臓が眼前にあるのかと錯覚するほどに、暴力的な内圧が彼女の身の内からバクバクと伝わる。

 天に座する太陽が眼前にでも降りてきたかのような破壊的なエネルギーが彼女の内側で爆発したのだ。

 

 凄まじいほどの存在感が肌に張り付く。

 

 外見は変わらずとも、その在り方の変わりようは目を疑うことも烏滸がましい。

 彼女は一体誰なのか。

 ギーシュは呼吸も忘れたかのように立ち尽くす。

 

「光栄に思っていいですよ。

 貴方はその身をもってこの世にない鬼の力を味わえるのですから。」

 

 ルイズを含め、その場全員の時が止まる。

 誰もが動作という概念を忘却の果てに置き去りにしたかのような硬直。

 そう錯覚する中、いち早くこの呪縛から逃れた人間が一人。

 怖じ気が走る心を押さえ込み、震える唇を動かして声を発した。

 

「………さ、さとり?」

 

 まるで殺人鬼や強盗犯、予測のつかない恐怖の対象に声をかけるような響きがそこにある。

 ルイズである。

 硬直から逃れた今、喉も体も全てが震えて抑えが利かず、次から次へと恐怖が沸いて止まらない。

 しかし、聞かずにはいられなかった。

 確かめずにはいられなかった。

 目の前の少女は本当に自分の使い魔だったのか。

 

 沈黙が鳴り響く。

 

 カチカチカチカチカチカチ。

 恐怖に駆られるように歯が鳴り続けた。

 返事はない。

 駆られるような何かに抑えが利かず、もう一度尋ねようとしたその時、他の方面から絶叫が木霊した。

 

「ワルキューレ全部隊っ、

 あいつを殺せぇぇぇええぇぇぇええええ!!!!」

 

 死にたくない。

 何としてでも、何をしてでも生き残る。

 そんな虎に窮地へと追われた鹿のごとく、焦りと恐怖が内在した叫びが木霊する。

 ギーシュの雄叫び。

 その目は血走り、額には大量の汗粒が流れていた。

 

 ギーシュの必死の号令に応えるように、ゴーレム達が剣を掲げて絶対者然とする『鬼のような』さとりの元へと殺到する。

 凄まじい猛進ぶりの突貫。

 まさに忠誠。

 その姿はどこまでも主を守ろうとする真の騎士。

 圧倒的な存在に腰も引けずに立ち向かうその様は、無謀にも関わらずあまりにも勇猛果敢で輝かしかった。

 

 しかし。

 

「物騒ですね。」

 

 暴力的な存在感を放つ一方、さとりの声音はどこまでも単調だ。

 

 そして、片膝を上げて静かに一言。

 

 

 

「力業──『大江山嵐』──」

 

 

 宣言と同時に、力強くその足を踏み鳴らす。

 

 

 その瞬間、大地が空を飛んだ。

 

 

 否。

 

 大地が岩片となって宙へと弾け飛び、大地が浮上したかのような震撼が走ったのだ。

 

 悲鳴と怒号が轟く。

 

 周囲にいた学生達の騒ぎが目に入った。

 しかしその光景もすぐに視界から外れることになる。

 

 広場は放射状へと蜘蛛の巣のごとく亀裂が走り抜き、ボコボコと山脈のごとく岩片が隆起する。

 

 亀裂の隙間は眩しいほどの発光が迸る。

 その発光はまるで、足元のすぐ下にはマグマがあることを知らしめるかのようですらある。

 

 そして、弾け飛んだ岩片が殺到するゴーレム達を吹き飛ばし、大地に落ちる前に原型を留めないガラクタと化したのだった。

 

 周囲は変わり果てた地形で埋まり、取り巻き達の悲鳴が遠くなる。

 聞こえるのは大地の軋み、ただそれだけ。

 

 

 空に飛び立った大量の岩片。

 

 それが今や指向性の伴う雨粒となり、ギーシュの元へと向かって飛来した。

 

 

 ギーシュの瞳に硬質な雨が映る。

 

 いやだ。

 死にたくない。

 

 万感の思いでそう願うも、迫る来る岩片はどこまでも無情。

 

 視界が岩片で埋まる。

 

 涙で視界がぼやけた。

 

 ギーシュはあらんかぎりの思いを声に絶叫した。

 

 

「うわぁぁぁああぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギーシュは絶命した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボムッ、と腹部に圧痛が伴う。

 

「え?」

 

 大して痛くない腹部の痛み。

 そして気付けば岩片で覆われた視界が嘘のように姿を消して、整然と整えられた元の広場が瞳に写った。

 

 ギーシュは目をパチクリとさせる。

 

「へ?」

 

 無意識に間抜けな疑問符が声に出る。

 体をあちこちとさする。

 どこにも怪我は見当たらない。

 

 何が何だかわからず、疑問符を繰り返して挙動不審な動きをとる。

 状況の展開に理解が追い付かないのだ。

 

「中々の絶叫で何より。

 知性が抜け落ちたような顔色ですが、いい悪夢は見られましたか?」

 

 目の前には異形の瞳を抱える少女が一人。

 見れば、その手は握り拳。

 その拳に一体何の意味があるのか、ギーシュは未だに思考が定まらなかった。

 

「い、一体何が………」

 

 ピンク髪の小柄な少女の顔をまじまじと見つめる。

 濁ったような生気のない瞳に、目立つ隈。

 身に纏うは、気だるげな雰囲気。

 そこには、先ほどあったような不可思議な雰囲気もなければ、絶対者然とした圧倒的な存在感も見当たらない。

 いつものルイズの使い魔だ。

 

「目覚めの気付けにと腹パンを試みましたが、中々鍛えているのですね。

 こっちが痛いですよ。

 流石軍人家系の息子。

 実は腹筋バキバキで見せびらかすタイプだったりするんですかね。

 見てくださいよこれ、手が赤くなったではないですか。

 全く、骨折したらどうしてくれるんです。」

 

 混乱が解けず、受け答えがまともに行えない。

 ギーシュは声を出そうとするも、何を言えばいいかわからず、結局なにも言えないままになってしまう。

 

「おかしいですね。

 その瞳には現実が見えているはずですが、もしかして持病で統合失調症でもお持ちで?

 幻覚が残るようなことはしてないのですがね。」

 

 ギーシュはもう一度自身の体を見回した。

 

 やはり何もない。

 記憶を探ればあの光景。

 自分は飛来した岩片に潰されたのだ。

 自分は確かに命を落とした。

 記憶にはハッキリと残っており、あれが幻覚とは思えなかった。

 

 しかし、目の前の少女はそれを否定した。

 

「いいえ、それは錯覚です。」

「そ、そんな筈は。」

「私の能力とも思って頂ければ結構です。

 貴方は私の謎の雰囲気に当てられて幻覚を見てしまったのですよ。

 私の振るまい一つ一つが大袈裟なほどに誇張されて映ったのです。」

「げ、幻覚だと?」

「ええ。

 まぁ、こちらでもそう感じるように誘導したところもありますがね。

 その証拠にここにいる皆さんが同じ幻覚を見ていますよ。」

 

 周囲を見れば、皆一様に動揺と疑問に混乱している様子であった。

 耳を澄ませば、その話している内容も自分の見た光景と一致している。

 あれは全て幻だったというのか。

 今だ信じられないと、ギーシュはこの複雑な心境から抜け出せなかった。

 

 そんなギーシュの混乱などお構い無しといった感じに、さとりが尋ねる。

 

「それでどうするんです?」

 

 再び視線を目の前の少女に戻すも、ギーシュは返答に窮した。

 質問の意図がわからない。

 

「敗けを認めるのか認めないのか、ですよ。

 杖はこの通り頂いておりますので、勝負としては敗け確定なのですが、こういうのは心の問題が重要ですから。

 元々の件がアレですからね。

 認めるのなら、ちゃんと謝っておくことです

 一応、使用人さんも含めてですよ。」

 

 

 ああ、なるほど。

 

 呆然とした頭ながらも話の内容を何とか理解したギーシュは、心から肯定の意をもって頷いた。

 

 この意をもって、決着はついたのだった。

 

 

 

 

 

 




 長くなってしまいました。
 なんやかんやで偉そうなことを言いましたが、結局僕も無双が好きということでしたね。
 人によっては幻覚ではなく現実のほうがよかったという人もいるかもしれませんね。
 所謂『想起』を使った『憑依』のネタなんですが、元ネタは言わないでおきます。
 戦闘描写は難しいですね。あまり迫力が出てないですが、今後も何とか上手く書いていきたいです。
 それと、これを最後にしばらく更新はできなくなります。
 次の更新は未定です。
 リアルで試験が差し迫っておりまして、すいません。
 正直やりきった感がすごくて、『私たちの戦いはこれからだ』みたいな打ちきりになるかもですが、そうならないよう気を付けたいところです。


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