感想は喜んでお受けしますが、キツイ誹謗中傷はやめてください。作者のガラスのハートが粉々に砕けます。
倉橋家の姫君
日本、東京都内某所にある大豪邸。表門から屋敷まで徒歩10分以上あり、庭師が迷子になると揶揄される程広い池泉回遊式庭園の先にある豪奢な二階建て和風住宅には、日本における魔法の大家、倉橋本家の者が住んでいる。
倉橋家当主・倉橋道泰の二男、泰成の娘である怜奈もこの家の住人である。文机の前に座り魔法薬学関連の本を読んでいた怜奈は、聞こえてきた声にふと顔を上げた。
「失礼します、怜奈お嬢様。沙希でございます」
「入ってちょうだい」
怜奈が応えると引き戸がすっと開いた。怜奈付きの侍女である沙希が頭を下げ、部屋に入ることなく告げる。
「スピカ様がお呼びでございます」
「お母様が?一体何かしら」
「スネイプ様がいらっしゃったようですわ。怜奈お嬢様にお伝えしたいことがあると、そうおっしゃっておりました」
沙希の言葉で、怜奈はなぜ自分が呼ばれたのかわかった。今の時期に、あの両親の友人たる英国人が来訪する理由など一つしかあるまい。
「わかったわ」と答え、怜奈は沙希に案内されて客間に向かう。声をかけて許しが出てから部屋に入ると、怜奈の母・スピカと客人が彼女を迎えた。
「セブルス、お久しぶりね。お変わりないようで安心したわ」
「君も元気そうで何より。少し背が伸びたかね?」
怜奈が笑いかけると、彼の眉間に刻まれた皺が幾分和らいだ。黒いローブを着た黒髪の神経質そうな英国人、彼は怜奈の両親の友人であり、名をセブルス・スネイプという。幼少期から付き合いのあるセブルスは、怜奈にとって兄のような人物であった。
「それで、セブルス。今日あなたが家に来たのは、もしかして・・・」
「彼はホグワーツの入学許可証を届けに来てくれたのよ。おめでとう、レイナ」
スピカが嬉しそうに言うと、セブルスが頷いてローブの中から黄色みがかった羊皮紙の封筒を取り出した。封筒の宛名はエメラルド色のインクで書いてある。裏返すと、紋章入りの紫色の蝋で封がしてあった。
「レイナには是非とも我がスリザリン寮に入ってほしいものですな」
「あら、きっとスリザリンよ。私もヤスナリもスリザリンだったし、お義父様もお義祖父様もスリザリンなんだから」
大人たちが和やかに話す中、怜奈は人知れず小さな溜息をついた。ついにこの時が来てしまったか・・・と。
倉橋怜奈には前世の記憶がある。何を世迷いごとを、と思われるかもしれないが事実であった。
かつて、怜奈は凡庸な日本人女性だった。しかし二十歳のある日、不幸な事故によって死亡した。彼女は自分の命の灯が消えていくのを確かに感じた。人間とはこうも呆気なく死ぬものなのか、と思ったのを覚えている。
そして、目を覚ますと外国人女性の腕に抱かれ、日本人男性に微笑みかけられていた。
当初、二人があまりに美形なので、彼らは天使で自分は天国にいるのではと思った。だが、怜奈はすぐに己が赤ん坊になっていることに気付いた。
きっと夢だと思ったが、何度目覚めても現状は変わらず、ようやく現実を受け止め、第二の人生を歩もうと決心した怜奈の前に現れたのがセブルス・スネイプだった。
その名を聞いた時、怜奈はファンタジー小説の登場人物を思い浮かべた。前世で読んだことのある児童書「ハリー・ポッター」シリーズに出てくる魔法薬学教授の名前だ。そういえば映画で彼を演じた役者に似ている気がする。同性同名で顔まで似ているなんて、と怜奈は思ったが、似ているのではなくて本人なのだと知ったのはその直後だ。セブルスは懐から取り出した杖を振り、怜奈の目の前に綺麗な花束を出現させたのである。
その後、怜奈はここが「ハリー・ポッター」の世界だと認めざるを得なかった。両親も魔法使いと魔女らしく、さらりと杖を振って不可思議な現象を起こすし、怜奈の親族や屋敷に勤める使用人達も同様だった。
決定的なのは、怜奈の誕生から一年後、「ハリー・ポッターが“例のあの人”を倒した」と聞いたことだ。日本に“例のあの人”の脅威が届いていなかったため、新聞の一面を飾ったり、歓喜した人々がお祭り騒ぎを起こすことはなかったが、英国出身の母・スピカや倉橋家当主の道泰を始めとするホグワーツ卒業の一族の人間が酷く驚いていたことを、怜奈は今でも鮮明に覚えている。
だが、ここが「ハリー・ポッター」の世界だとしても、怜奈が原作のような事件に巻き込まれる可能性はないと思われた。幸い怜奈は日本に日本人として生まれたため、原作の舞台である英国との接点は、母のスピカが関連する位しかなかった。父や祖父はホグワーツの卒業生だが、彼らは揃って日本で就職し、その上一族の中でも重要な位置にいたため、そう易々と渡英はできないからだ。日本にも魔法学校はある。その学校に通い、ホグワーツにさえ近づかなければ怜奈の安全は保障されていた。
それが覆ったのが、怜奈が6歳になった春のことである。
詳細を理解するには、日本の魔法界と「倉橋家」について知る必要があるだろう。
日本で魔法使い・魔女の存在が認識されたのは19世紀に入ってからだと言われている。それまで、日本国内の呪術界に君臨していたのは陰陽師達であった。陰陽師が日本の政に関与していたのは江戸時代までとされているが、それは間違いだ。公には明治時代、陰陽寮が廃止されたのだが、裏ではきちんと存続しており、妖魔や呪術者から国を守ってきた。現在、陰陽師の殆どは安倍清明から続く安倍氏流の者である。陰陽術は魔法と違い、万人が会得出来る可能性があるが、陰陽師達は一般人に対して安易に門戸を開かない。そのため、平安より陰陽師の筆頭として活躍していた安倍氏流が多くを占めるのは必然ともいえた。
安倍氏流の二大勢力が土御門家と倉橋家である。この二つの家は華族として認められていた程の名家であるため、詳しい説明は不要だろう。陰陽師でない一般人でも、両家のことは調べればある程度知ることができる筈だ。さて、この後者の「倉橋家」こそ、怜奈の生まれた家系である。
19世紀、列強が日本に来航するようになった頃、ある陰陽師は南蛮に奇妙な呪術を使う者がいることを知った。彼はその呪術について研究を始めるのだが、この陰陽師こそ当時の倉橋家当主だった。彼はそれを「魔法・魔術」と呼び、陰陽術とは異なる体系の呪術であることを解明し、そして日本人の中にもこれが使える者がいることを発見したのである。彼は自分自身が「魔法・魔術」が使えることを知ると、益々研究に熱を上げた。
こうして、時代が経つにつれ、倉橋家は魔法に特化するようになった。もちろん安倍氏流であるので陰陽術も使えるが、魔法の方が使いやすいという者が多い。日本で西洋化が進むのに比例して、国内の魔法使い・魔女は数を増やし、ついに明治期には日本魔法学校まで誕生したのである。反対に、残る安倍氏流の土御門家は陰陽術を極めた。いつしか両家は「陰陽術の土御門、魔術の倉橋」と言われるようになった。
そういう倉橋家、それも本家に生まれた怜奈も当然ながら魔法が使えた。怜奈の母・スピカが本場英国の純血魔法族出身の魔女だったことも大きく影響しているだろう。
中身が器とつり合っていない怜奈は、同年代の子供たちより随分と賢く理知的だった。もともと知的好奇心の強かった彼女は、陰陽術並びに魔法に大いに魅せられ、スポンジの如く知識や技術を取得し、神童と呼ばれる程になった。
怜奈はやりすぎたかと思ったが、周囲は「きっと将来、彼女が倉橋家を継ぐだろう」と期待していた。その期待に応え、すくすくと成長した怜奈が6歳になった春、土御門でも指折りの占術師がある星のお告げを行った。
「倉橋怜奈は母の生まれた地で真の力を得る」
これを聞いた一族は、怜奈をホグワーツ魔法魔術学校に通わせることを決めた。日本呪術学校魔法学科に行くという怜奈の計画が潰えた瞬間だった。
魔法の本場で学べることは嬉しい。原作ファンとして、我が目で物語を見ることが出来るのも良い。しかし、自分が危険に巻き込まれることは遠慮したかった。
とはいえ、家の決定を覆すだけの権力を怜奈は持っていないし、何より、既に関わってしまったセブルスを見殺しにすることが出来なかった。数年前に読んだきりなので細かいことは忘れてしまったが、セブルスは最終巻で殺される、という事実だけは鮮明に覚えている。怜奈は本で読んでいた時から彼を気に入っていたし、赤ん坊の頃から自分に色々なことを教えてくれる、不器用ながらも優しい彼が好きだった。
自分が存在する時点で、この世界は原作とは異なる、言わばパラレルワールドだ。原作通りにセブルスが死ぬ必要はない。怜奈は”例のあの人”からセブルスを助けるつもりだった。ただ、その他の人間については興味がなかった。関わりのない者を助ける気になる程、怜奈は慈愛に満ちていないのである。
「私もスリザリンがいいわ。だって、セブルスはスリザリンの寮監なんでしょう?」
「スリザリンの方が、セブルスの動向が把握しやすいだろう」という本音は胸に隠し、怜奈が微笑む。言うまでもなく、彼女はスリザリン気質である。
「ふふふ、レイナは本当にセブルスが好きね」
スピカが上品に笑う。怜奈が頷いて「博識で優しくって、まるでお兄様みたいなんだもの」と言うと、セブルスがほんの少しだけ耳を赤くした。
「それに、ドラコもきっとスリザリンよ。同じ寮じゃなきゃ、あの子が拗ねちゃうわ」
その言葉にスピカもセブルスも笑った。
ドラコとは、英国魔法界の貴族とも呼ばれるマルフォイ家の子息のことだ。実は倉橋家とマルフォイ家は親戚関係にある。スピカの生家は純血名家のブラック家なのだ。スピカとドラコの母・ナルシッサが従姉妹で、つまり怜奈とドラコは再従姉弟なのである。
まるで姉妹のように仲の良いスピカとナルシッサは、よく自分の子供を連れて会っていた。そのため、怜奈も幼少からドラコのことを知っており、しかも精神年齢が高い怜奈はまるで姉のようにドラコを可愛がった。ドラコも怜奈をよく慕っている。
二人の関係を知るスピカとセブルスは、寮が別れたら先の怜奈の言葉通りになるのが簡単に想像できた。
「ねえ、お母様。ダイアゴン横丁へはいつ行くの?」
封筒を開け、許可証を読み飛ばして学用品などのリストに目を通しながら怜奈が尋ねた。
「7月31日よ。シシーと相談して決めたの。その日ならルシウスの都合がつくらしくて・・・ああ、でもヤスナリは行けないのよ」
「ドラコ達と一緒なのね。楽しみだわ」怜奈は目を輝かせた後、申し訳なさそうにしているスピカに言った。「お父様はお忙しいから仕方ないってわかってるわ。夏季休暇でも学会があるもの」
怜奈の父・泰成は日本呪術学校魔法学科の魔法薬学教授だ。30代半ばにして次期学部長候補と名高い泰成は、学校が休みでも何かと忙しい。その上、倉橋家の次期当主候補でもあるから、家族と過ごせる時間は少ない。
普通の子どもならば、そんな父親に不満の一つでも持つだろうが、怜奈は父の多忙さを理解していたし、彼がきちんと家族に愛情を持っていることを知っていたから、一度も文句を言ったことがなかった。
「ごめんなさいね。その分、今日の入学祝のパーティーは盛大にしましょう。ヤスナリも出席するし、お義父様を始めにお義姉様達もいらっしゃるから」
「あら、パーティーなんて開くの?知らなかったわ」
「驚かせたくて内緒にしてたの。使用人たちは朝から大忙しよ!なんたって、怜奈の将来に関わる一大イベントですもの」
スピカがくすくすと笑う。怜奈は初めて聞いたことに目を丸くしていたが、すぐに口角を上げるとセブルスを見た。
「もちろん、セブルスも出席するのよね」
すると、彼は眉間の皺を深くしてゆっくりと首を縦に振った。
「私は断ったのだ。身内だけのパーティーに出るのは気が引けるとな。しかし、ヤスナリもスピカも絶対に出席してくれと言って聞かぬのだ」
「セブルスはホグワーツの教師よ?これから7年もレイナがお世話になるんだから、家族一同でおもてなししなくちゃ」
スピカはそう言ったが、多分セブルスも巻き込んで騒ぎたいだけだと怜奈は思った。セブルスも怜奈と同じことを考えているようで、仕方なさそうに溜息をついた。
その夜、倉橋家では怜奈のホグワーツ入学を祝して、近しい親戚だけで祝宴会が開かれた。砕けた雰囲気のそれを怜奈は思い切り楽しみ、ホグワーツに行く予定だったが時の情勢が悪かったせいで行けなかった叔父・泰明の恨み言を聞き流しながら、実弟の泰生と共に父親からホグワーツがどんな所かを聞いた。泰生はしきりに「楽しそう」とぼやくも、怜奈と離れたくないと言って彼女の横にひっついていた。セブルスは、予想通りスピカに早口で呂律の回っていない英語で何かをまくしたてられ、最後には彼女に「シレンシオ」の呪文を使っていた。