Methuselah:Kaziklu Bey 【ヴィルヘルム×クラウディア】 ※イカベイ時期のエピソードのみ抜粋   作:桜月(Licht)

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Dies二次SS ヴィルヘルム×クラウディア
GW繁忙期にへこたれそうな社畜が推しカプの萌と癒やしを求めて書きました。
基本己の性癖にしか配慮しておりませんのでキャラ崩壊もろもろご注意ください。
同志の方はぜひに貰ってやってくださいませ。


摘み食い

【摘み食い】 ヴィルヘルム×クラウディア

 

§Side Claudia

 

 リビングから差し込む夕陽が、辺り一面を綺麗な橙色に染めていた。あと少しで終わってしまう昼の世界。今朝からずっと見渡す限りのいい天気だった。休み休みとはいえその下で、目一杯好きなことが出来た。だから今日も私にとって間違いなく良い一日だった。そんな感想が浮かんだけれど――ああ、ちょっと気が早かっただろうか。文字盤の上、短い針と長い針が仲良く天辺を差すまでは、今日は終わらないのだから。

 それに、やりたいことは日が暮れても残っている。というか、ここからが本番かもしれない。相変わらず意地っ張りな彼相手に私の目的を果たすのは、なかなか大変で骨が折れるのだ。

 以前、彼が一度だけ食事を褒めてくれたことがあった。偶然口から溢れたような他愛ない一言だったけれど、それがとても嬉しかったのだ。

 だからまた、褒めてほしいなあと考えてしまう。せっかく毎日料理を作るのだからと、欲張ってしまう。

 そういう目的があった方が作る方も張り合いがあるだとか、どうせなら美味しく喜んでくれた方がいいとか、それを助長させる理由はいくつも体よく見つかって、あれやこれやと考えながらレシピと食材とにらめっこする日々が続いている。

 ただ月並みに一言、美味しいとまた言って欲しいだけなのだけれど、食事を振る舞う度に大きく薄い唇が思う通りに動くことはなく。

 いつも残さず綺麗に完食してくれるのだから、決して不味くはないと思う。向かいで見ている限り、無理をしているようにも不満があるようにも見えない。好物を出せば、喜んでくれているように見える。素直でないから分かりづらいけれど、微かな仕草から察するに美味しいと思ってくれているようにも見えるから、決して現状に不満があるというわけではないのだ。ただもう少しと、つい願ってしまう私がいるというだけで。

 食事をすること自体は好きなようで、大きな口を開けて気持ちよく食べてくれる姿を見るのは作る側の私も気分が良かった。けれど食べたら思わずぽろりと良い感想が口をつくような食事は、やはりあの一回だけしかない。

 というか、いくら美味しい料理を作ろうと努力しても、まず食事のためのテーブルに彼を着かせることが難しかったりするのだから、困る。

 

「うーん、今日は食べてくれるんでしょうか?」

 

 ぼんやり思い浮かんだ疑問が、ぽろりと口をついて出る。

 仮初の家でいっしょに暮らしている彼は、本当に自由気ままな性格をしていて、世話を焼くのものなかなか大変なのだ。今朝だって、まだ日が昇りかけの薄暗いうちに三日振りに家に帰ってきたと思ったら顔すら合わさず自室に篭って眠ってしまった。それから一度も部屋から出てこず、今もたぶん眠ったまま。いっしょの時間帯に家にいても、生活の基準にしているものが違うから擦れ違ってばかりになることが多かった。こちらから積極的に顔を合わせにいかなければ、まるで姿の見えない幽霊と暮らしているかのような――吸血鬼なのだから案外似たようなものなのかもしれないけれど、残念な気分になりかねない。そんな状態でせめて食事だけはいっしょに取ろうとしているのだから、なかなか難しいというのが伝わると思う。それに彼は自分勝手な気分屋なのだ。こちらの事情なんてさっぱり慮ってくれない。

 こうして二人分の夕食の準備をしているけれど、食べてくれるかどうかすら怪しい。夜になってまたふらりと出掛けてしまうこともあるし、家に居たとしても気分でないと断られることも多かった。今は夕食だからまだいいけれど、これが朝食だったなら確実にいらないと断られる。朝に食事を取るということより、その時間帯に起きていること自体が嫌なようで。結局のところ、すべて彼の気分次第。こうして理由を並べてみるとよく分かるけれど、ヴィルヘルムと食事のために同じテーブルに着ける可能性はそれほど高くないのだ。

 それでも、食べると答えてくれる可能性を信じて毎回多めに食事を作っている。出来るならいっしょに食べたいという私自身の希望も込めて、いっしょにテーブルには着けなくても温め直せば時間を置いて食べてくれるかもしれないということもあって。だからやっぱり、彼の分を作らないという選択肢はなかった。

 必ず食事が必要だと言われたわけではない。それでも、乞われたときに温めて出せば綺麗に完食してくれるものだから、決して無駄ではないようだと前向きに取った結果なのだけれど。一人分、二人分、どっちに転んだとしても自分の食事になることに変わりはないのだから、美味しくても困らない。誰かに食べて貰うなら、それこそ美味しい方がいい。食事は命の糧になるのだから、とても大切なのだ。それが永い時を生きる彼の命の糧になるなら、なおのこと。

 新鮮な食材を前にして、手を抜く理由は何一つなかった。きっと食べてくれるだろうと期待を込めて、美味しく作ろうと気合を入れ直す。

 目の前には、煮立てられてことことと小気味よい音を立てる鍋。その前に立って焦げ付かないようにお玉をくるくると回す。そうするとキッチンいっぱいに香った食欲をそそるいい匂いに、自然とにこにこと笑顔が溢れる。よく熟れたトマトが溶けた美味しそうな朱色のスープを小皿に掬って、味見を一つ。

 

「ふふっ、なかなか良く出来たんじゃないですかね」

 

 出来に満足して、ついつい溢れた独り言。あとは火を止めて一度冷まして味を染み込ませればもっと美味しくなるはず。スープはこれで完成なので、その間にメインの料理の仕上げに取り掛かろうとコンロの火をかちりと止めた――ところで、シャッと何かが擦れたような物音がして、世界がぱっと薄暗くなった。

 突然の変化に驚いて、理由を突き止めようと音がした方にぱっと視線を投げて、色が消えた暗がりに目を凝らす。そうしたら、すぐに驚きも疑問もふわっと解けて消えた。

 リビングにずらした視線の先、不機嫌そうに窓の側に立つヴィルヘルムの姿を見つけたから。

 窓ガラス越しに差し込む夕陽が鬱陶しくてしょうがなかったのだろう。突然の物音は、苛立ちのまま乱暴に閉められたカーテンが立てた音だった。

 足音も立てずにやってきたものだから驚いたけれど、ここは彼の家でもあるのだからどこにいたって可笑しくはない。それでも日が沈み切っていない中途半端な時間に顔を見せるなんて、珍しい。

 我慢できず苦笑混じり、橙色の光が遮られて薄暗くなったキッチンに明かりを灯す。黙って家を出て三日振りに帰ってきて、ひさびさに顔を見せたと思ったら、ずいぶんと気の抜けた姿でいるものだから、つい。

 あちこち白いヴィルヘルムの姿は、光を遮って薄暗いリビングにいても、灯したキッチンの明かりに照ってぼんやりと浮き上がって、よく見えた。

 寝起きのまま鏡も見ずにやってきたのか、綺麗に伸びた髪は無造作にあちこち跳ねていた。普段出掛けるときはきっちり着込んだ乱れのない軍服姿はどこへやら、だらしなく着崩された白いシャツはしわだらけだった。目に眩しい日差しが遮られたことで機嫌は直ったのだろう、大きな口で気が抜けた欠伸を一つ。そうして切れ長の瞳を眠そうにしぱしぱと瞬かせた。

 帰ってきてからゆうに半日は経ったはず。あれだけ寝たのに、まだ眠り足りないんだろうか。そういえば、夜にならないと調子が出ないと言っていたからそのせいかもしれない。まだ世界が切り替わるには、もう少しだけ時間が掛かる。

 夜になり切っていないからだろうか、決して剣呑な気配はそのものは薄れないけれど、眠いのか、怠いのか、夜の更けた頃よりは屈強な体躯からだらりと力が抜けているように見えて。何というか、自然というか、気負いなくくつろいでいるような、そんな気がする。相手が何一つ警戒しなくてもいい、弱く力のない私だからかもしれない。そうであったらいいなあと思う。

 いつも誰かれ構わず敵意を剥き出してばかりでは、気負って疲れてしまうこともあるのではないかと案じてしまう。たとえそれが彼にとって自然なことであるのだとしても、世界にたった一人くらい、気を抜ける相手がいてもいいと思うのだ。

 もちろんそれは怪物である彼にとっては余計なことで、そんな彼の側にいたがる稀有な人間の私の勝手な考えでしかないけれど。

 ぐしゃぐしゃなのが気になって仕方がないと側に寄って跳ねた髪に手を伸ばしたら、手負いの犬のように牙を剥いて怒るだろうか。ああ、きっと怒るだろうな。そう考えて、キッチンから足を動かさなかった。跳ねた髪に触れるかわりに、遠くから声を掛けるだけにした。

 

「おはようございます、ヴィルヘルム。寝癖、すごいですよ?」

「…………」

 

 挨拶をしても、返事はない。そんな無愛想はいつものことだから気にならない。届いているのならいいと思う。彼の薄く尖った耳に声が届いている証拠に、まったく見目に拘りがないというわけでもないのか、シャツの袖から伸びた白い腕が面倒臭そうに持ち上がってがしがしと荒っぽく頭を掻いた。手櫛で適当に髪を整えたことで、さっきよりはましになった肩の高さで揺れる白い髪にまたくすくすと笑い声が溢れてしまう。それが気に障ったのだろうか。ふいに、じろりと赤い視線が窓の側から私を射抜いて。そのまま、怠そうにのんびりとした歩調でこっちに向かって歩いてくる。

 ああ、珍しい。こんな時間に起きてくつろいでいることもそうだけれど、私が嬉々として料理しているときにキッチンに近寄ることなんて今までなかったのに。あったとしても、世話焼き女を構うと鬱陶しいとばかり、リビングのソファーに寝転んで遠くから面倒臭そうに声を放るだけ。この場所で、この瞬間に、こんなにも彼との距離が縮まることになるとは思わなかった。

 

「ヴィルヘルム?」

「メシ。腹減った」

 

 こっちに向かって歩いてくる理由が分からず怪訝に思って問えば、あっさりと単調な理由が返ってくる。

 キッチンの中へ長い足で踏み入ってきたと思ったら、私の肩越しにひょいと湯気が立つ鍋の中を覗き込んだ。そのまますんすんと鼻を鳴らして、ぐるりとキッチンをひと周り眺める。

 ああ、なるほど。空腹なものだからいい匂いにつられて、今晩の献立が気になって、珍しくキッチンに入ってきたのかもしれない。興味があることを隠さずに赤い瞳に映ったテーブルの上の出揃わない料理を眺めて納得した。

 

「おい、腹減った」

 

 頭二つ分ほど高い位置にある白い顔をじっと見上げて呆けていると、もう一度呆れた声で急かされる。

 ああ、大変。珍しかったものだから、どうしてか気になるあまりすっかり返事を忘れていた。

 

「あ、ええと。あの、もう少し待ってくださいね。日が暮れた頃には完成しますから」

「…………」

 

 夕暮れの空気の中に放られた無愛想な催促に、今晩は食事を取ってくれることが分かって嬉しい気持ちになりながら、急かす声に慌てて答えた。そうしたら、不機嫌そうに白い顔がぐしゃりと歪んだ。その表情に、面白くなさそうに喉を鳴らす吐息までついてきたものだから、困ってしまってつい眉が下がる。

 そんな風に不満を表現されても、出来上がっていない以上はどうしようもない。元々私は、いつも彼が起きてくることが多い時間帯に合わせて料理が仕上げられるように準備していた。だから予想より彼が起きてくるのが早くて、あと少しが間に合わなかったのだ。そんなわけだから、ちょっとくらい譲歩してくれてもいいと思うのに。

 ここにいる私が出来るのは、空腹だと訴える彼を宥めて、催促された食事をなるべく早く出せるように背中を向けて料理の続きに戻ることだけ。

 

「はい、はいはい。なるべく早く完成させますから、あっちで座って待っててください。ね、ヴィルヘルム?」

 

 思う通りにならないからと拗ねる様子は駄々っ子と変わらない。孤児院でこんな姿はいくつも見たなあと懐かしい記憶と重ね、口にした途端どやされるだろうことを脳裏に思い浮かべながら、宥める言葉を口にする。随分命知らずな考えを抱いてしまう自分に呆れるけれど、そう見えるのだからこればっかりは仕方がない。もちろん、いくら見かけがそう見えるからと相手は年上の青年、果ては人外の吸血鬼なのだ。どう扱っても年下の子供たちほど簡単にいくわけはなく、穏やかに言葉を掛けても相変わらず表情は不機嫌に歪んだまま。

 思い通りにならないと分かって、つまらなそうに私の顔からふいと赤い視線が逸れた。そのままキッチンのテーブルの上に並べられた二つのお皿の上についと視線が落ちる。調理済みの食材が乗ってはいるものの空白が目立つ未完成な料理、それにじっと考え込むように視線を注ぐ横顔をどうするのかと思って見ていたら、まさかのまさかで。

 

「あっ!」

 

 するりと持ち上がった、しわだらけのシャツを着た右腕。ひょいっと伸びた白い指先が、お皿の上の付け合せの野菜のソテーを摘んだ。驚いて素っ頓狂な声が上がる。止める間もなく、ぱかりと大きく開いた唇に、薄茶色のソースの絡んだ人参が止める間もなくぽいっと放り込まれてしまった。お皿の縁から彩り良く綺麗に二色並んだインゲンと人参のソテーのバランスが崩れて不格好になってしまう。

 

「もう、行儀が悪いですよ。子供じゃないんですから待てないんですか?」

 

 駄々っ子みたいと思ったけれど、今度は悪戯っ子。自由な性格だとは思っていたけれど、こんなにも子供っぽいところがあるとは思わなかった。もぐもぐと咀嚼して、ソテーを摘んだ指先をぺろりと満足げに舐めたヴィルヘルムを思わず反射的に窘める。そしたら案の定、悪びれもせずに反論といっしょに浮かんだ見慣れた顰めっ面がこっちを向いた。

 

「うるせえ、俺に行儀なんて求めんな。さっさと作んねえおまえが悪い」

「ええ? ちょっと、もう。ヴィルヘルムってば――あっ!」

 

 相変わらず自分勝手な言い分に呆れているうちにお皿に向かって二度目の手が出た。今度も制止の声が間に合わず――間に合ったとしても止めてくれないだろうけれど、大きな口にまた付け合せの彩りが綺麗な人参のソテーがぽいっと放り込まれる。

 ああ、一度ならず二度までも。テーブルの上に並べたお皿の片方の見た目がすっかり寂しくなってしまった。あとはメインのステーキを乗っけるだけで、完成だったのに。あともう少し待っていてくれれば、綺麗な状態で出してあげられたのに。

 

「何だよ、俺に食べさせたくて作ってたんだろ。じゃあ、俺がいつ食ったっていいじゃねえか」

「……むぅ。それはそうですけど、なんというか、こう。あなたに食べて欲しいのはその通りですが、完成してもないものに手を出されると中途半端で悔しいじゃないですか。せっかくあなたに喜んで欲しいと気持ちを込めて一生懸命作っているわけですし。出来るならこう、見た目も味も良いものを食べて欲しいというか。それはまあ、あなたは見た目とか気にしないんでしょうけど、私は気にするというか……」

 

 もぐもぐと口を動かしながら、ある種正論めいた言葉を放ってくるから年端のいかない子供たちより質が悪い。それはそうだけれど、そうではないのだ。そもそも、摘み食いは行儀が悪いものだから今後の彼のためにも窘めるべきであって。

 どうにか伝わってくれないものかと、つらつらと言葉を重ねるものの段々と自信がなくなってきて最後には声の大きさが萎んでいった。摘み食いくらいで目くじらを立てず、笑って許してあげるべきなのか。彼の行儀の悪さは本人に自覚がある通りいまさらという気もするし、注意したところで聞く耳を持ってくれるとは限らない。そうは思っても、こういうことは今後のためにちゃんとしなくてはと思う気持ちも捨てきれず。

 孤児院にいた頃にお行儀に関してだけは年下の子供たちの善き見本となれるように振る舞いつつ――それ以外はだいぶお転婆で困らせる側だったのだけれど、きっちり諭してきた私としては、目の前の態度も図体も大きな悪戯っ子を見過ごすわけにはやっぱりいかなかったのだ。

 

「……ふぅん、そうかよ」

「え?」

 

 どうやって諭したものかと頭を傾けて悩む私を見下ろして、咀嚼した人参を飲み下したヴィルヘルムがつまらなそうにぼそりと零した。てっきり、そんな事情は知らないしどうでもいいと呆れ声で手酷く突っぱねられると思ったのに違った。驚いてか細く声を上げれば、どうしてか神妙な顔をしたヴィルヘルムがそこにいて。

 一体どの部分がどう効いたのかよく分からないけれど、運良く彼の胸に響くものがあったのだろう。摘み食いに対して反省の色はないものの、私が残念がっているということだけは伝わったようだった。

 摘み食いは窘められなかったけれど、こちらの言い分があっさり通ってしまったことに驚いて、明日はてっきり雹でも降って地震でも起きるのかと焦ったけれど――なんてことはない、ヴィルヘルムはやっぱり聞き分けがなくて自由奔放で乱暴な悪戯っ子だったのだ。まさかそんなことを、年上の青年に思うことになるとは思わなかったけれど、そんな彼に好き勝手振り回されることが私自身が選んだ最後の日常なのだ。

 

「はッ。おい、クラウディア」

 

 いつの間にか、もう一度寂しくなったお皿の上にじっと落ちていた視線が乾いた笑い声といっしょにちらりとこっちを見た。その視線は明らかに何か良からぬことを考えている顔で、名前を呼ばれた以上その矛先が向く対象はもちろん私しかおらず。

 ああ、よくもまあそんな悪い顔を浮かべることが出来るものだと感心しているうちに、ぬっと持ち上がった白い左手が伸びてきて私の顎をがっと勢い良く掴んだ。

 

「おら。いいから黙って口開けろ」

「むぐ、ふぁっ! ――……んぅッ?」

 

 顎を覆った掌から伸びた長い指先が両側から頬を押さえ、ぐっと強い力でぱかりと口を割り開かされた。口を開いたまま顔を動かせないように大きな掌に拘束されて、そのまま強引に口の中に何かを押し込まれて息が詰まった。身に覚えのある不思議な体温が唇と上顎を擦りながらぐいぐいと入ってきて、意地悪くさんざん奥まで乱暴に差し入れるものだから苦しい。苦しいと訴えるためにふぅふぅと呻き声を漏らせば、ぬるりと滑った感触をした塊が舌の上にごろりと転がった。そうしてやっと、ざらりと舌先を擽るように撫でて抜けていった指先に出来た唇の隙間から息を吸おうとすれば、吐き出せないように顎から口元に迫り上がった大きな掌に押さえつけられて唇を塞がれる。

 抵抗するのを諦めて、苦しいのを堪えながら仕方なく舌の上から転がした塊を奥歯で噛み締める。そうすると、じわりと甘い味が口いっぱいに広がった。口の中に押し込まれた塊を受け入れる姿勢を見せたことで、それでどうにか許してくれる気になったようだった。

 

「はっ、ごほっ、……こほっ。うぅ……」

「カハハッ、これでてめえも共犯だなァ。文句言えねえだろ、ざまあみろ」

 

 するりと離れた掌に、背を反らせて息を大きく吸えば咽てしまって、無理やり食べさせられた人参のソテーが溢れないように今度は自分の掌で口元を慌てて押さえつける。

 私の唇から引き抜いた指先が、満足げにふらりと宙で揺れる。口元を押さえつけ呼吸を整えながら拗ねて睨みつければ、ソースで汚れた指先をこれ見よがしにぺろりと舐められたものだからさすがに許せないとぷいと視線を逸らす。

 ああ、掴まれた頬がひりひりする。強引すぎる、酷すぎる。年端のいかない子供だってもっと上手に好意的に食べさせてくれるでしょうに、まったくどれだけ傲慢なんだろう。

 

「おい、拗ねてんなよ。待っててやっからさっさと作れ。美味くなかったらどやすからな」

 

 強引だった白い指先にむくれながら、口の中に残った甘い人参をしゃくしゃくと奥歯で噛み締める私に、相変わらず配慮も遠慮もない言葉が呆れ混じりに降って来る。ああもう、こんな気持ちになっているのは誰のせいなのかとじとりと上目遣いで睨みつける。それでもまったく効果はなく飄々と目の前に立たれるものだから、拗ねていた気分がすっかり削がれてしまった。自由奔放で自分勝手、我が儘で意地悪なヴィルヘルムの性格はこの先もきっと相変わらずだろう。これだけ捻くれていたら改心するにはきっととてつもない時間が必要だと思う。けれど、この性格が彼なのだ。素直で聞き分けのいいヴィルヘルムなんて考えてみたらちょっと気持ちが悪いし、そう思うならいっしょにいる以上は上手く付き合っていくしかないのだ。それに、呆れもするし拗ねもするけれど、性格の悪い彼に嫌気が差さない私も案外どうかしていると思う。

 それもこれも、彼から与えられる善いものが多すぎるせいだ。救われて拾われた恩は返さなければいけないし、いっしょに暮らし出してからの日々に新しく貰ったものが多すぎて、いくら世話を焼いたところで追いつきそうもないのだ。それにそう感じるのは、彼の性格がああだからという理由も多分にあると思う。普通でないからこそ、尊さに気付くことだってあるのだ。さっきも合意でないといえ、この歳にして人生初めての摘み食いを体験させられたばかりだ。

 味見をするのは料理に必要なことだから別として、貧しかったからこそ食事に関しては厳しく躾けられてきた。出来上がった食事に許可なく手を着けると、はしたないと厳しくシスターに怒られるものだから実際にしたことはなかったけれど、実はちょっと憧れていたのだ。怒られても平気でお皿に手を出す小さな子供たちが羨ましかった。薄い身体のことで周囲に迷惑をかけている自覚はあったものだから、光に関する以外の素行だけは振り返ってみれば実に優等生だったと思う。いざ実際にやってみてこんなに強引で痛くて苦しい思いをするとは思わなかったけれど、じわりと染みる甘い味は美味しくて、ごろりと転がる食感は面白かった。普通に食べるよりどきどきしたし、今もしゃくしゃくと口を動かしながらちょっぴりわくわくしている私がいる。もちろん、それを口にすると摘み食いを助長させてしまいそうだからヴィルヘルムには黙っているけれど。

 こくんと小さくなった人参を飲み込んで、こほんと咳払いを一つ。我が儘な彼の言いつけ通り、今日も美味しい食事を作ろうと思う。それが私に出来る精一杯の恩返しなのだから、やっぱり手は抜けないのだ。

 

「はいはい、分かりました。ちゃちゃっと作っちゃいますから、乱暴者はあちらへどうぞ」

「ははッ。おう、出来たら呼べよ」

 

 しっかり美味しく料理を完成させるために、もう少し待っていて欲しいと可愛くない口調でお願いをする。強引な彼を乱暴者と評したところで、事実だから意にも介さないらしい。けらけらと愉快に笑って猫背気味に去っていく背中を見送って、くるりと流しに向き直り途中だった作業に戻ることにする。

 

「……ううん、痛い」

 

 一人になったキッチンで料理に集中しようとしたけれど、遠慮なく摘まれた頬がひりひりと痛んだ。

 火傷の痕がない白い指先に与えられた痛みを我慢できず頬を擦りながら小さな声でぽつりと零せば、リビングからくつくつと忍び笑う声が聞こえた。ちらりとソファーの方に視線を投げれば、いつもの定位置に寝転がった肘置きからはみ出した長い足が愉快そうに揺れていた。

 あんなに強く摘む必要はなかったのに、もっと優しくしてくれてもと非難の視線を送れば、それを見えなくとも察知したのかまた愉快そうにけらけらと笑い声が聞こえた。今度はまったく隠す気のない笑い声に呆れて肩を竦めてしまう。

 そろそろ痛みも引きそうだし、今度こそ料理に戻ろうと視線を手元に戻したところで――ふと、痛む頬を撫でていた動きがぴたりと止まる。

 去り際に聞こえた、ヴィルヘルムの言葉をはたと思い出してしまったからだ。拗ねるな、待ってやる、美味くなかったらどやす。いつも通りの自分勝手で乱暴な言葉だけれど、引っかかる部分があったのだ。

 少しの間小首を傾げてみたら、何に引っかかってしまったのかに気づいた。

 ヴィルヘルムは言ったのだ、美味しくなかったらどやす、と。それはつまり俺の期待を裏切るな、ということで今から作る食事を態度には出さなくても楽しみにしてくれているという意味に取れる。どやされなかったら、それはつまりは美味しいということだ。さらにいうなら、いつもどやされないということは、いつも美味しいということで。もしも本当に不味かったなら、もっと直接的に味に難癖をつけたり、どうにか美味しくしろと指示を飛ばしてくるだろう。そうせずに、私の好きにさせてくれているのは、やはりそういうことなのだ。

 

「ふふっ」

 

 摘まれてひりひりと痛むはずの頬がじわりと熱くなって緩む。

 これは、なんとも、いいことを聞いてしまった。そういうことなら、今日も愛情(こころ)を込めた美味しい料理で彼のお腹を満足させてあげなければいけない。

 こういう部分の詰めの甘さが私を喜ばせることに彼はさっぱり気づいていないのだから質が悪い。いざ指摘すれば、そんなつもりはこれぽっちもないだの言葉のあやだの、愛想のないことばかりを並べるのだろう。だから決して指摘はしないで、私の胸の内だけにしまっておくけれど。

 肩越しにちらりとテーブルの上を振り返れば、揃って並んだ二枚のお皿。手付かずで綺麗に緑と赤の付け合せの野菜が彩りよく乗ったものと、手を出されて不格好に一色だけになってソースが散ったもの。隣のインゲンには手を出さず、人参のソテーだけすっかり我が儘で大きな口に食べ尽くされてしまった。確かに明るく鮮やかで美味しそうな色をしていたから、摘み食いしたくなる気持ちは今の私は分からんでもないのだけれど。そのうちの一つは、唇を割り開いた強引な指先のせいで私のお腹の中だから。

 彩り良く作り直そうにも、人参は使い切ってしまってあれが最後だった。明日また買い物に行って買い足さないといけない。だから今日は、ほんの少しばかり見た目が貧相になってしまうけれど、綺麗なお皿に乗った人参のソテーを仲良く半分こで許して貰うことにして。

 彼が満足しそうな焦げ目が食欲をそそる大きなステーキがお皿にどっかりと乗った頃に、こっそり均等になるように移そうと思う。お腹が空くあまり摘み食いを仕掛た張本人も、それに文句はつけられないだろう。なんていったって、ヴィルヘルムと私、二人揃って摘み食いの共犯なのだから。

 出来上がった料理が乗ったお皿の完成図を思い浮かべて、自然とくすくすと笑い声が溢れる。今晩はきっと楽しい夕食になるだろうなあと期待を込めて、取り出した愛用のフライパンを片手に、トマトの香るスープが温まった鍋の隣、わくわくと胸を躍らせながら空いていたコンロにかちりと火を灯した。

 

 




ちょっと待てそこのチンピラ何を摘み食いしてるの?というネタでした。
マザコンっぷりとバブみに日に日に拍車が掛かっている気がしますが性癖です、どうかご容赦ください。
シリーズ最終話近くまでキスシーン一ついれられないという血迷ったヴィルクラ信者の暴挙でした。許してやってくださいorz

閲覧ありがとうございました!

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