Methuselah:Kaziklu Bey 【ヴィルヘルム×クラウディア】 ※イカベイ時期のエピソードのみ抜粋 作:桜月(Licht)
雛鳥は腕の中
§Side Wilhelm
暴れまくったワルシャワで、抹香臭い馬鹿女を拾ってから、はや数日。今はちょっとした事情があって、国境付近の森の中だ。
馬鹿女――クラウディアと出会った直後、黒円卓が集う必要があると招集がかかった。
詳しい事情は説明されなかったが、行かないって選択肢はもちろんねえ。むしろ頼まれんでも行くわな。
今のところ、目指しているハイドリヒ卿のお膝元、ヴェヴェルスブルグ城が拠点にしてるのは、ドイツ、パーダーボルンの田舎町らしい。
そこへ向かうわけだが、何しろ今は俺ひとりじゃなかったからな。クラウディアがいるんだよ。
生身の人間だし、強行軍でぶっ飛ばして進むってわけにはいかねえよな。
もちろん、こいつも城の近くまでは連れていくぜ。逃げられちゃこまるしな。
でだ。逆に、そこが問題なんだよ。
出会ったばっかりのこいつのことが、正直俺はまだよくわかんねえ。いやもちろん、こいつを連れていくことを選んだ俺の勘が間違ってるなんざ思っちゃいねえよ。
俺は俺の直感を信じてる。その選択は絶対にあってる。断言したっていい。次の段階に進んで、俺が強くなるために、ブレイクスルーを起こすにはきっとこいつが要るんだ。その考えも、きっとあってる。
だけど問題は、その方法がさっぱりわかんねえってことだ。なにしろ情報が少なすぎる。基本となる必要なもんを掴むには掴んだんだ。
――死にたがり、光、半分の感情。あいつを構成する要素がそれってところまで手に入れて、理解した。だからその先、それをどう組み合わせ、どうやってあいつの魂を俺好みに作り変えるのか、それをするための方法は何だって話だ。
材料はあるけどレシピがねえ、だからなんにも作れねえ。これはそんな状況に近い。黒円卓で集まるってことは、二、三年振りに同胞たちにも会うことになる。
きっと俺と似たような悩みを抱えている奴もいれば、とっくに乗り越えた奴もいるかもしれねえ。
そんな状況で、こんな中途半端な手の内晒すのはちょっと情けねえだろう。
息巻いて買い物に行って材料はばっちり買ったもののの、いざキッチンに立ったらまったく料理できない自分に気付いた、みたいなもんだからな。カッコ悪いだろ。
だからせめて同胞たちに
運のいいことに、招集っていってもそう急ぐわけでもないらしい。
もちろんそこそこは急ぐが、今すぐにでもってわけじゃあないようだ。数日ちょっとの猶予はあるんだと。
なにしろ、黒円卓の面子は世界各地に散っている。おのおのあちこちの戦場で暴れまわってるって話だし、それ以外のことに勤しんでいる奴もいるだろう。
やりかけたことをほっぽって急にこっちこいって言われても困るだろうから、って措置らしい。ありがたいことで。
まあヘタするとザミエルあたりからきつく説教は喰らいそうであるが、事情を話せば別に許してくれるだろう。話がわからん奴でもなし。
結果的にハイドリヒ卿のためになれば、あいつは文句言わん輩だしな。そこんとこ、俺と同類だからよ。
それより面倒くせえのは遅刻を不敬だ不忠だなんだからかおうとしてくるマレウスの方なのは間違いない。とりあえず叩いて黙らせれば問題ねえだろ。
そんなわけでもらった猶予を、俺はこうしてクラウディアを観察することに充てている。
まずはその人となりを観察して、どうにかこうにかこいつを俺好みの魂のカタチにする具体的な方法を探すって寸法だよ。
で、ワルシャワから人攫い同然に連れて来て、ここ数日行動を共にしてきて分かったことがいくつか。
まずこいつは、俺と同じアルビノだってこと。最初の時点でわかっちゃいたが、数日いっしょに過ごしてそれが間違いないのを確認した。だけど、同じアルビノでも在り方はまったく真逆だ。俺からしたらキチガイとしか思えねえ。
さっきも言ったが、こいつは光に憧れてる。
そのせいで、普通の人間を――光に灼かれても平気な人間を、自分より凄いと勘違いしてやがる。そして、光に受け入れられていない自分は、普通の人間と違って半分なんだ、と。
最初に出会ったときと変わらず、相変わらずズレてて頑固な馬鹿女だ。正してやるのも面倒くせえと思ったし、逆にそれが使えるとも思った。
うまくすれば化けるかもしれないと、直感した。外れてない、いけると思った。この女からはいつだって美味そうな匂いがする。どんな生き物にもある程度の好き嫌いはあって生きるためにこそ食い物は選ぶ。肉食、草食、雑食、いろいろあるだろ。喰えないもん、喰いたくないもんってのは生き物なら何かしら存在するんだよ。こんだけ美味そうないい匂いがするんなら、俺にとって明らかにいいもんに違いない。
これが、俺を次に押し上げるための切欠になる。この女は確かに最悪に馬鹿でイカレてやがるが、それでも間違いなく俺には要るんだと。
だから約束してやったんだ。
俺が、おまえの足りない残り半分を見つけて、満足させてやると。
で、約束してやったらよ、想像以上に効いたらしくて、懐いてきて参った。まあ逃げられたり嫌われたりするよりマシだがよ。都合がいいっちゃ、いい。
そもそもこいつは足りない半分を見つけたいがためにここまで光に灼かれながら生きてきたわけだ。その重要さを分かった上で口にした俺も大概だろ。
もちろん、約束を違える気はない。それを見つけるのは、そもそも俺のためにもなる。だからどうにかして、こいつをうまく使って、俺もうまく立ち回ってって、この女の足りない半分とやらを手に入れなければいけないんだがよ。
「ヴィルヘルム」
ああ、うるせえな。俺は今考えごとしてるんだよ。しかもてめえについてだよ。そもそも頭使うの苦手なんだよ、出来ることならこんなのはしたくねえ。空気読めや、馬鹿女。
「あの、ヴィルヘルム」
「……」
だからうるせえっつんだよ。
一言でも会話しちまえば、また面倒くせえ問答が始まるんだろう。女ってのはどうしてこういっつもお喋りで口煩えのかな。
ちらっと横目で見てみれば、俺の態度に不満そうな可愛くねえ顔。だが拗ねて顔を顰めてるだけじゃなさそうだ。寒いのか、ぎゅっと縮こまって身体を抱きしめていた。心なしか、顔色が青い気がする。
「ねぇ、ヴィルヘルムったら。こっち向いてください」
「……何だよ」
風邪でもひかれたら面倒くせえなと思って、しょうがねえから相手をすることにした。
ここが建物の中なら自分でなんとかしろって放っておくんだけどな。今回はついてないことに野宿なんだよ。
適当に見つけた洞穴ん中。外よりマシかと思ったが、こいつにはしんどかったかね。
明日は無理やり国境越えする予定だからな。あちこちの戦禍の影響で国境周辺が物騒だって話はマジらしい。
単身なら気にせずどこでも突っ込むが、馬鹿女ってお荷物がいるからな。身なりがSSの軍服って見ての通りだしよ。多少は厄介事が起きそうな予感がするんだよな。何があるかまだわかんねえし悶着起すのも面倒で、人目を避けようと思っての措置だったんだが、失敗だったか。
「あのですね、こうして夜も更けてくると昼間とは違って寒いじゃないですか。だからね、なんとかして欲しいんですけど……」
「ああ? なんとかって、具体的にどうしろってんだよ」
困ったように眉根を寄せて要求してきた内容は、予想通りだった。やっぱり寒いのか。だけどそのわりに、具体的にどうして欲しいって言ってこねえから、仕方なく聞き返す。
「うーん、そうですねぇ。血生臭いのはこの際ガマンしますから、その立派なコートを貸してくれるとか」
「はッ、やなこった。血生臭いは余計だ、この馬鹿女」
ほんとにてめえは一言多いな。そんなに殴られてのか。おまえが要るんじゃなかったら、俺の特別じゃなかったら、とっくにぶっ飛ばされてるって自覚しろよ。
ほんとはとっくに死んでるんだぞ、数日前に俺に殺されてるはずだったろう。
馬鹿女。てめえはどうしてそんなに面の皮が厚いんだろうな。俺相手にただの女がそんな口きけてるとかマジでびびるわ。
はァー、もうほんとうに面倒せえ。このくだらないやり取りをさっさと終わらせたくて、適当に思いついた案を口にする。
「寒いんなら焚き火でもおこせばいいだろ。好きにしろよ。俺は寒くねえからいらねえがな」
「むー、私は寒いんです。あなたと違って生身の人間でしかも女性なんですからね。もっと大事に労ってくれないと困っちゃいますよ」
はいはい、そうかよ。たしかにおまえは性別女で、たしかに生身だ。男で人外羅刹な俺とは違わあな。
だけどな、可愛くねえ口聞く女に優しくする男もいねえって、そういう一般常識も覚えろ、馬鹿が。そんでもって、おまえはほんとうに可愛くねえ、マジでな。
「あのですね、ヴィルヘルム。焚き火をするとして、ここには薪がないから拾いにいかないといけません。好きにしろってあなたは言いましたけど、私がひとりで出歩いてもいいんですね? 危ないかもしれないですよ? 真っ暗で迷子になったりとか、オオカミに襲われたりとか、お化けが出てきて拐われちゃったりとか」
「……あーァ」
言うに事欠いて迷子、オオカミ、お化け。おまえどんだけ俺のこと舐めてんだよ。迷子とオオカミまではリアリティあるから許すがよ、残り一つはマジでねえわ。いや、そりゃある意味俺だっておまえからしたらお化けみてえなもんかも知れねえが――って危ねえ、話が脱線する。
とにかく、おまえはマジで迷子になりそうで一人で行かせられねえ気がする。
おまえの寝ぼけっぷりは嫌っていうほどこの数日で見せられてるんだよ。たくましいのはその口だけだろう、どうせ。
そんで結局一人で行かせたら、ほんとうに迷子になって戻ってこられなくなって、結局そのまんま森の中で朝日に灼かれてじゅーじゅーなるんだろ。全身真っ赤なおまえがぐったり森にごろんと転がるんだろ。
どうせ、俺が朝になってわざわざ探しにいくところまでセットなんだろうが。勝手に灼かれて死なれちゃたまんねえぞ、おい。オチが見えてるんだよ、阿呆が。
「それでもいいって言うなら私は薪を拾いに行きますけど、そうなったら全部、ぜーんぶヴィルヘルムのせいですからね?」
「……はぁ、もう面倒くせえなてめえは」
がしがしと頭を掻く。溜め息つくなとか無理だろう。ほんとうにこの女は質が悪ぃ。下手に頭の回る悪女よりよっぽどな。
一人でここから出すわけにはいかねえ。迷子とか洒落になんねえ。
だけど態度が可愛くねえからコートも貸したくねえ。かといって薪拾いとかマジで面倒くせえ。
俺が一人で行ってぱぱっと拾ってくりゃあ話は早いしすぐ済むのかもしれねえが、負けたみたいで嫌だ。
女の口車にのせられて動くとか、お断りだぜ。仕方ねえから、そのどれでもないのを選ぶことにした。
「ほら、こっちこいよ」
適当に手を差し出す。まともな女扱いなんてしてやらねえ。気分はアレだ、餌付け。そんな感じ。
鳥みたいな見た目してるからな、豆でもまいとけば寄ってくるだろう。
可愛げ振りまいて、チチッと鳴いて手の上にでも乗っかってみやがれ。もう面倒くせから、さっさとこのヘンで折れろよな。
「なるほど。コートを貸すのも嫌、薪を拾いに行くのも面倒くさい。だから、風除けになってくれる、と。うん、お手軽でいい考えですね」
「……ちッ。嫌ならくんじゃねえ。おら、どうすんだよ」
ほんっとうに可愛くねえ。人の心情探ってる暇あったらさっさとこっちこいよ。
寒いんだろうが、だんだん顔色も鳥肌もひどくなってきてんぞ。下手な意地はんなよ、馬鹿が。
「えーと、あのですね、ヴィルヘルム。私はそっちに行きたいんですけど……ヘンなことしない、ですよね?」
あ゛ー、いくら俺のためとはいえこんな女欠片でも気に掛けた俺が馬鹿みてェ!
「はぁッ? バカ、しねえよ! てめえみたいな胸もケツもねえヤツに手えだすわけねえだろうが。俺の好みはもっとこうグラマラスなんだよっ」
「うーぅ、そんなにはっきり言わなくても。分かりました、その言葉を信じてそっちにいきますね」
「もういい、こなくていい。そっちでひとりで凍えてろ、馬鹿女」
腹立つ。マジでいい加減にしろボケ。ガシガシ頭を掻いて、癇癪をぶつけようとそこらへんの壁殴りつけようとしたが、これで洞窟くずれちゃたまんねえなと思ってやめる。
崩れちまったら、てめえで崩した責任取ってこの馬鹿女かばわなきゃいけねえし、それが面倒くせえしよけい腹も立つ。
そんでもって風邪でもひかれたら、やっぱりもっと面倒くせえことになる。大事な用事でひさびさの招集が掛かってるんだ。それの邪魔になるようなのはごめんだ。
だから、仕方ねえ。腹は立ったまんまだが、こいつが寒そうなのはほんとうだ。
それに、こっちが恐いからとガマンして無理して黙っててぶっ倒れられるより、考えたらマシだった。逆に、こういう女で良かったのかもしれない。
そろっと手を元に戻すと、離れた場所で、きょとんとした顔が浮かぶ。じっとこっちの手を見つめたあとで、嬉しそうな顔をする。
ああ、最初からそうやって素直にこっちにくれば可愛いのに。ほとほと呆れてたらよ、こてんと小首を傾げて鳥みたいにさえずって声をあげて笑った。
「イヤですよ。側に行きますから、ちゃんと温めてくださいね。女性なんですから、大事にして欲しいんですよ」
「あー、はいはい。それならさっさとこっちきやがれ、寒ぃんだろうが。風邪ひいてもしらねえぞ、馬鹿女」
楽しそうに這って寄ってくる腕を取って、開いた足の間に引っ張りこむ。
触れた手はしっかり冷えきっていて、顔を覗きこめばやはり血の気が引いていて、まずかったなと少し焦った。
身体を少しだけずらして、洞窟の入口に背を向ける。囲い込むよう膝を立てて、吹き込む隙間風を遮る。
「どうだよ。少しはマシになったか?」
「うーん、なったんですけど……」
「あ? まだなんかあんのかよ。またコートが血生臭えとか言いやがってもどうしようもねえからな」
さすがにこれ以上はどうしようもできねえぞ。どうしろっていうんだよ。結局、焚き木を拾いに行ったほうが早いってか。選択ミスったか、俺。
あー、まいったな。最悪、コート貸すしかねえかな。
頭を悩ませながらちらっと見下ろすと、うーんとうなって何かを考えこんでるクラウディアがいる。
ヤバイな、なんか嫌な予感がする。
「ぁっ!」
「……ア?」
その予感は的中したんだろう。俺の足の間で閃いたとばかりに楽しそうな声が跳ねて、思わずつられて怪訝な声が漏れた。
「ふふーっ、えいっ!」
「はあァ? ――って、おい! こら、クラウディア、やめろって」
にっこりと楽しそうな笑顔を浮かべたクラウディアが、なにを思ったか俺の胸に突進してきた。
そんで、ぐりぐりと頬を擦りつけはじめる。
止めたって聞きゃしねえ、無理やり引き剥がしてもよかったが、そうすると本気で薪拾いのフラグ立つだろ?
それはマジで面倒だなと思って、いったん様子を見ることにした。別に攻撃されてるわけじゃねえし、マジで意味はわかんねえが悪意があるわけでもねえからな。
真下で、ふわふわの髪の毛がぐりぐりと頬を擦りつけるたびに揺れる。白くて細い髪の毛が長いから、ずいぶんと綺麗に舞うんだな。羽みてえ。
仕草そのものは猫とか犬とかがマーキングがてらよくやってるそれだが、見た目がふわふわすぎてな、獣って感じがあんまりしねえ。
なんだろうな。なんかに似てるんだが。
羽……、鳥、あー、なるほど。そういう仕草って、鳥でもやんのか。
毛づくろい的なアレだ。一羽でもそうだが、鳥同士でも、木の枝とか巣とかでもごしごしやってるよな。それっぽい。
身体が発展途上って意味じゃ、雛鳥か。まだまだ成長途中ですって思ってそうだからな。そういうことにしておいてやろう、俺の温情だぜ。
全力でこっちに突っ込んできてるからな、その貧相な胸がぎゅうぎゅうあたってんぞ馬鹿女。
はッ、なんにも感じねえよ、残念だったなァ。自分であんなフリしといて結局気付かずに自分からありもしない胸擦りつけてるところがやっぱりおまえは阿呆だよ。
ごしごししやがるから、摩擦で胸元が温い。ひとしきり擦りつけて、満足したんだろう。
「ふふっ、ね? 暖かいでしょう?」
ぱっと上がった顔に、またふわっと白い髪の毛が舞う。
差し込む月明かりに照らされて、綺麗な羽。楽しそうな横顔が、明るい声が、楽しく鳴いてる鳥みてえ。
すっげえ満足そう。お手軽でうらやましい限りだぜ。いいな、おまえ。
「くはッ。おい、おまえってやっぱ鳥みてえだな。あー、見た目もそうだけどよ、ピーチクパーチクうるせえし、今はほら、アレだ。育ってちょっと大きくなった雛鳥同士がよ、よく狭い巣んなかでぎゅーぎゅーひっついてるだろ。アレみてえ。それじゃあおまえを囲ってる俺は
俺は鳥ってガラじゃないしな。そんな可愛いもんじゃねえよ。それならまだ巣の方がそれっぽいだろう。
例えとしては、あながち間違ってもない。
実際こうして物理的に囲ってるわけだし、こいつの生殺与奪の権利は俺にあるわけで、真実こいつを囲ってる。
俺が守って、俺が拾って、俺のために育てて、これから俺のために散る命だ。
「ふふっ、可愛いです。想像した雛鳥もですけど、それを考えついて想像しちゃったヴィルヘルムも」
「似合わねえってか? おまえが鳥みてえなのが悪ぃんだろうが。こんな羽みてえにふわふわした髪の毛してっから想像しちまうんだよ」
「それは悪口じゃないですね。雛鳥に似てるのも、可愛くて嬉しいですよ。褒め言葉ばっかりで、どうしちゃったんですか?」
「ははっ、知らねーよ。おまえが勝手に褒められてるって思ってるだけだろうが。俺は褒めてねえぞ、バァカ」
考えたら、気分がよくなった。軽口を叩き合ってやるくらいには、機嫌がいい。
俺が囲ってる雛鳥だ。俺のところに帰ってこないと困る。帰る場所はここなんだと教えこまないといけない。
逃げられてしまったら、巣が空っぽになるだけだ。それじゃあ困るんだよ。だから逃げないように、俺のところに帰りたくなるように、少しくらい甘やかしてやったっていい。
そう思った矢先、雛鳥の方から甘えてきた。好都合だった。
いつもこうやって可愛げを振りまいていれば甘やかしてやるのに、と内心苦笑いする。舐められちゃ困るから、本音を隠すために悪態も溜め息も忘れねえ。
「ねえ、ヴィルヘルム。雛鳥は今、一羽しかここにいないので、ちょっと巣が大きすぎるんです。私にぴったりの巣の大きさになったりしませんかね?」
「ったく、おまえはほんとにピーチクパーチクうるせえな。……はぁ。ほらよ、これでいいだろ」
そっと腕を伸ばして、細い背中に回す。
壊さないように力加減をして抱き締めてやれば、嬉しそうにまた鳥みたいな仕草で胸に頬をすり寄せる。
指先に触れた白い髪は想像通りに柔らかく、やっぱり羽みたいだった。
触れ合ったところが、温い。ふと、その温もりに気付かされる。ずいぶんと可怪しい事態になってるなあと。
消去法で仕方なくとはいえ、俺はこの女に手を伸ばした。その挙句に抱き締めている。過去を振り返れば直に手を引いたこともあったし、そもそもこの数日、連れ立って歩いて離れずずっと側にいた。
よく考えたら、そのどれもがまともに成立しねえことなんだよ。慣れねえことをしてるからな。俺もこいつを連れて行くのに手一杯で気付くのが遅れちまったが、やっぱりこれは異常だ。
俺と当たり前のように関われる存在なんて、それこそ黒円卓の連中か頭がイカレて壊れた奴だけだ。もっと簡単に言えば、人間を止めてるか、止めかけの奴だけなんだよ。
こいつは確かに光に憧れてて俺からしたらイカレてるって判断は下せるが、それはそういう基準とは違う部分にあるもんだ。怪物と肩を並べられるくらいイカレてるってのは、もっと狂気を感じるような輩のことを指すんだよ。こいつは過剰なまでに光に憧れているが普通の感性を持ってる、俺に言わせりゃただの人間。だから、そもそもこうやって触れ合えることがまず可怪しい。
ただの人間なら俺が怖いはずなんだ。俺は人間の命を狩る怪物だから、恐ろしくてやれないはずなんだよ。強者を前にした恐怖、それは生き物なら当然に存在する。だけどこいつは半分だから大丈夫、普通じゃないから平気って、そう思い込んで俺と過ごすことが平気だと考えている節がある。それに恩を返したい、約束を果たして欲しいから側にいたいって欲求が上乗せされて、この異常事態が成立しているんだろう。
馬鹿だなあと思うぜ。囲ってる俺が言うのも何だがよ、俺みたいのに関わるのはこいつにとっちゃ不幸だろう。
だからって、絶対に逃がす気はない。俺にとって必要だと思うから、囲う腕を解いたりしない。このまま俺の都合がいいように、半分だから大丈夫、怖くないって言い聞かせて勘違いしたまま腕の中にいればいい。
思えば、こうやって何をするでもなく誰かとひっつくなんざ初めてだ。
それも、こんなそそらない女抱きしめてるなんて考えたら笑えた。喰いたくなる美味い匂いがするのに、あんまりにも可愛げがないからこれぽっちもそそらないんだよ。
ほんと、俺らしくねえ。でもまあ、悪くない。たまにはこういう気まぐれもいいだろう。
これは俺のもんなんだから、どうしたって俺の自由だ。温いのも事実だ。俺だってどうせなら温い方がいい。人肌であたためあうのは常套手段なわけだしな。死なれちゃ俺が困るんだから、仕方ねえよ。
顔色を覗きこめば、だいぶマシにはなったらしい。血色が戻ってきて、もう寒くはなさそうだ。それに少しだけ、ほっとした。
白い顔を見ていたら、クラウディアと視線が触れ合った。
そしたら、綺麗な顔してにっこりと笑う。そうして、ふわりと形のいい唇が開いて紡がれた声。
笑ったまま届いた言葉が突然で、だけど俺が欲しかったもんで、驚いたし、それと同時に呆れたよ。
「
ああ、こいつはほんとうに馬鹿な女だ。
俺は俺のためにおまえを好きに作り変えて殺そうとしてるのに、逃げる気がないとか言うんだからな。
たしかにその方が俺にとっちゃ都合がいいが、おまえほんとうにそれでいいのかよ。俺は殺すっていったら、殺すからな。本気だってわかってんのかな。
もちろん、逃さねえ。もうとっくに俺のもんだし、おまえだってそれでいいって言ったろう。
だから離さねえけど、やっぱり馬鹿女だよ、おまえは。
俺はたぶん、おまえが思ってる以上にろくな男じゃねえんだぜ。おまえは何も知らないから、分からないだろうけどよ。
「そうかよ。まあ、おまえは俺のもんだからな。勝手にどっかいくとか許さねえぞ」
「はい、ちゃんと恩返ししますから。助けて貰った命はあなたのために使いたいんです」
思ったことは顔にも出さず呆れきった苦笑いに変えて、当たり前の事実だけを口にする。
こいつはほんとうに、もう俺から逃げないんだろう。半分の心が生み出した、体のいい偶然が噛み合った結果だ。今この瞬間、見つめた金色の澄んだ瞳の中に俺への怯えは見つからない。ただ信じてる、そんな感情だけが見つかる。それはそれで、なんだかくすぐったかった。
俺の側にいるなんて言った馬鹿女は、これで二人目だ。ああ、そんな女をまた俺は殺すんだな。
おまえは俺に殺されるのを、喜ぶんだろうか。いや、どうでもいいか、そんなこと。そこは俺が喜ばせてやればいい。無理矢理でも満足させるんだよ。
そもそもこいつが望むものを俺が与えてやれねえと、こいつを殺すこともできやしない。交わした約束は果たされるべきだろう。
ああ、そう考えると俺の手でこいつは満足して死ねるのか。俺のものが俺の腕の中で満ち足りて微笑って逝く、それは悪くない話だ。
いいだろう、俺の腕の中で吸い殺してやる。絶対に、満足だと言わせてやる。
そしておまえもその命で俺を満足させるんだよ。約束、しただろうが。絶対に、そうしてやるから覚悟してろ。
黙って心に誓って、細い身体を引き寄せた。大人しく腕の中に収まって、気持ちよさそうに頬を綻ばせる。
楽しそうに笑ってるが、どうせまたろくでもないことを思いついたんだろう。
出会ってからこの数日、暇があれば楽しそうに浮かれて光の中に突っ込んでいってたからな。また止めなきゃいけないんだろう。面倒くせえが俺が拾った以上は仕方ない。勝手に死なれちゃ、困るんだ。
死ぬんなら俺の腕の中じゃねえと、許さねえ。だからちゃんと生きろよ、クラウディア。俺がいいって言うまで、満足させるまで、てめえはくたばったらダメなんだ。勝手にどっか行くのも許さねえし、勝手におっ死ぬのも許さねえ。
生きろよ、死にたがりの馬鹿女。光ばっかり見上げてないでよ、ちゃんと地面を歩く足も見なきゃ掬われて転けちまうぜ。
そんなことを考えているうちに、ふるりと震えた形のいい後頭部がそっと胸元から持ち上がる。
そうして上向いたクラウディアの顔。金色の瞳が、じっと俺を見つめてきた。それは近すぎる距離ですぐにかちりと触れ合って、優しい微笑みがふわりと浮かぶ。
「ありがとう、ヴィルヘルム。おやすみなさい、また明日ね」
「…………ッ」
いつもなら、この馬鹿女しか言わないだろうありがとうも懲りずに欠かさないおやすみも遠慮なく
だけど、出来なかった。何ていうか胸に込み上げてきたもんに、跳ねるように華奢な背中に置いていた手が跳ねて。
指先に、柔らかく細い髪の感触。視界の端っこで、ふわりふわり羽みたいに舞う。意志に反して動いた感情、クラウディアの髪を掻き乱した自分の指先が信じられなかった。
ああ、クソ。俺はおまえに応える気なんかないんだと、どうにか誤魔化そうとそのまま柔らかい髪に埋まった手でぐいぐいと俺の胸元に小さい顔を押し付けた。柄にもねえことをしたと自覚があるから気恥ずかしくて、顔を見られたくねえ。らしくない行動に出てしまった悔しさに、呻く。
乱暴な手つきが苦しかったんだろう。腕の中から息を詰めたような小さな吐息が溢れた。それを聞きつけて、こんなにきつく抱いていたら苦しくて寝れるもんも寝れねえだろうと仕方なし締めていた腕を緩めようとしたときだった。
「――ァ」
驚きに、びくりと身体が跳ねる。まさかクラウディアの腕が俺の背中に回されるとは思わなかった。そんなことは予想外で、おまけに回された腕からクラウディアが馬鹿みたいに喜んじまってるのが直に伝わってきて。ああ、ほんとうにらしくねえ。こんなただ触れるだけの腕に驚くようなことなんて今までなかったろう。女を抱くのが初めてなわけでもなし、どうしちまったんだ俺は。こんなに密着していたら跳ねた身体を隠しようがなくて、またじわりと悔しさが滲む。俺をこんな気分にさせるなんて、ほんとうに頭がイカレててふざけた女だと思う。
ぎゅうと抱きついてくるクラウディアは、もう何も言わなかった。普段と違う反応を見せただろう俺をからかうこともなく、だからって素直に嬉しいと言葉にすることもなく、次も応えて欲しいと求めることもなかった。普段ならそのどれかをたとえ俺相手でも遠慮なしにしてくる馬鹿女なのに、今はただ黙って俺を抱きしめている。言葉はないかわりに俺の背中に回った指先は雄弁で、それが逆に妙にくすぐったくて耐えられず、目の前にある華奢な肩にごつりと額を落とした。
そうしたら、吐息だけで幸せそうに俺に囲われた馬鹿な女が微笑ったんだ。
ああ、こいつはまたそうやって俺の側で微笑う。幸せそうに、微笑う。そんな女、俺はおまえしか知らない。
俺の側がいいだなんて、やっぱりこいつは気が狂ってる。だけどそれを選んだのは、この女自身だ。連れて行きたがったのは俺だが、選んだのはクラウディアだ。なら好きなだけここにいさせて、逃げようとしても逃さない。その魂を奪う瞬間まで囲って、ずっとこの腕に抱きしめてやる。
しばらくしてすぅすぅと聞こえ出した寝息に、さてどうするかと考える。
夜は俺の時間だから寝るつもりなんてなかったが、こうしてクラウディアがひっついている以上、他にすることもない。
……たまには、いいか。明日は国境越えだし、想像より面倒くさくて、体力を消耗する可能性もある。
それぐらいのことでへこたれる気は毛頭ないが、精神的な余裕も体力的な余力もあった方がいい。ひさびさに夜に眠るのも、悪くないかもしれない。離れるわけにもいかないし、抱きしめた身体は温いし柔らかいから抱き心地が悪いわけでもない。
肩に埋めていた顔をそっと傾けて、ふわりと羽みたいな白い髪に頬を寄せる。
くすぐったそうに無意識に捩った細い身体をこっちが眠りやすいように、ちょうどいい位置に抱きしめなおす。そしたら寝ぼけたクラウディアの方からもこっちに擦り寄ってきて、それがやっぱり雛鳥の仕草みたいで面白くて喉からくつくつと吐息が溢れる。
いつもこうやって可愛げがあるなら、本当にもう少しくらい優しくしてやるんだけどな。ちゃんと女扱いしてやってもいいんだぜ。まあ、明日も起きたら起きたでピーチクパーチクうるさいだろうから、無理だろうな。
そんなわけで、諦めろ、馬鹿女。
明日もどうせやいやい言い合いながら、二人並んで進むんだろう。
それを考えたら面倒くさくて呆れたが、ほんの少しだけ気持ち楽しくなってきて口元が緩む。
「――――」
機嫌が良かったから、気が向いたから。そういう理由を取ってつけて、今晩だけは特別だと、クラウディア意識がないのをいいことに形のいい耳元にぼそりと囁いた。
白くて手触りのいいさらりとした髪に頬を埋めて、瞳を閉じる。
眠ろうと思えば簡単で、あっさりと重なって一つに溶け合っていく寝息。
怪物になってから誰かの寝息をこんなに近く感じたのは初めてだ。それどころか、誰かとただ寄り添って眠ることすら初めてだ。やっぱりこの女は可怪しい。怪物の俺の側で無防備に眠るなんて、血と罪に塗れた俺を真っ直ぐに信じているなんて、有り得ない。ここまで必死に生き抜いてきて、そんな瞬間は昨夜までの俺には一度だって起きなかった。
しかし今夜、それは起きた。俺の腕の中に温もりとして確かに在る。
クラウディアが、だらりと身体を弛緩させて気持ちよさそうに寝息を立てている。怖がることなく、安心した表情で穏やかに眠っている。
――ああ、そんな奇跡みたいなことが起きたのか。
ぼんやりと頭の片隅で思う。それに湧いた感情は眠くて上手く掴めない。でもきっと、それでいい。
触れ合う熱をただ真っ直ぐに信じて眠る温い身体を抱きしめて、辺りを包んで濃く満ちていく闇に身を預けて静かに意識を手放した。
閲覧ありがとうございました!
読んで頂けて嬉しいです(*´∀`*)