Methuselah:Kaziklu Bey 【ヴィルヘルム×クラウディア】 ※イカベイ時期のエピソードのみ抜粋 作:桜月(Licht)
2017/2/13 シリーズを大分書き進めたので、全体の雰囲気に合わせて内容修正しました。
雛鳥は腕の中
§Side Claudia
ワルシャワの戦禍の中で運命の出会いを果たしてから、はや数日。
あの日以来、私は命を救って貰った恩を返すため、ヴィルヘルムと行動を共にしています。
あちこちでいろいろと揉めつつ目的地を目指して街から街へ。空き家を利用しながら点々と移動して進んでいるのですが、毎回うまくはいかないみたい。
そんなわけで今日は初めての野宿です。ヴィルヘルムといると予想もしなかった初めての経験ばかりが起きてわくわくして楽しいですね。呑気に浮かれるなって、毎回怒られちゃうんですけど。
とっぷりと夜も更けて、冷えた空気にそっと息を吐く。
夜目が利かずに無茶が出来ない私がいるので今夜の移動はこのあたりでおしまいと足を止めた、ときおりフクロウの鳴き声が響く広い森。その片隅にひっそりとあった、月明かりの差し込む薄暗い洞窟に、二人。
ひんやりと冷えた洞窟の奥の方に、脱いだ頭巾を側に置いて膝を抱えてちょこんと座る私。それよりニメートルくらい離れた場所に、ごつごつとした岩肌に凭れかかってヴィルヘルムが座っている。この配置はたぶん、私が逃げ出さないように。
逃げません、大丈夫って何度も言っているのに、まだ完全には信用して貰えないみたい。
ちらりと横目に様子をうかがうと、片膝を立てて目を瞑った横顔。差し込む月明かりに照らされて、黙っているととても綺麗。
無骨な景色と綺麗な顔と着こなしている厳粛な軍服姿がバランスよく噛みあって、ちょっとした一枚の絵画みたい。いざ口を開けばあんな口汚い言葉を吐くなんてウソのよう。
とても綺麗なのでじっと見ているのもそれはそれで楽しくていいですけど、差し迫ったお願いがあるのでそれはまた今度の機会に。
「ヴィルヘルム」
そっと、冷えた空気に名前を乗せて呼びかけてみる。あ、無視された。ヒドイです。
「あの、ヴィルヘルム」
「……」
ちらっとこっちを見て、また無視。
もう、ヴィルヘルムったらつれない。野宿になってしまって機嫌が悪いのは分かりますけど、相手して貰わないと私だって困るんですってば。返事してくれるまで、諦めませんからね。
「ねぇ、ヴィルヘルムったら。こっち向いてください」
「……何だよ」
三度目の声がけでやっとこっちを向いてくれたけれど、やっぱり不機嫌そう。
だけど、ここでその不機嫌顔に屈するわけにはいかない。自分の要望はきっちり伝えないと洒落になりませんから。
「あのですね、こうして夜も更けてくると昼間とは違って寒いじゃないですか。だからね、なんとかして欲しいんですけど……」
「ああ? なんとかって、具体的にどうしろってんだよ」
あら、意外。てっきり知らねえの一言で終わると思ったのに。具体的な案を求められましたけど、特に思い当たる意見がなかったので口元に指をあててしばらく考え事。
「うーん、そうですねぇ。血生臭いのはこの際ガマンしますから、その立派なコートを貸してくれるとか」
「はッ、やなこった。血生臭いは余計だ、この馬鹿女」
あら、残念。断られちゃいました。
じゃあ他の案を探すことにして首をこてんと傾けると、ニメートル先から呆れ声が飛んできて。
「寒いんなら焚き火でもおこせばいいだろ。好きにしろよ。俺は寒くねえからいらねえがな」
「むー、私は寒いんです。あなたと違って生身の人間でしかも女性なんですからね。もっと大事に労ってくれないと困っちゃいますよ」
頬を膨らませて不満を訴えると、盛大に溜息を吐かれて。
もう、ほんとうに私の扱いが悪いんですから。自分から私を拾ったくせに、ヴィルヘルムったらヒドイです。
女性ですから、もっと大切に扱われたいんですけど。
あなたに紳士なエスコートなんて期待してもダメでしょうけど、そこはやっぱりちょっとくらい優しくされたいんですよ。
「あのですね、ヴィルヘルム。焚き火をするとして、ここには薪がないから拾いにいかないといけません。好きにしろってあなたは言いましたけど、私がひとりで出歩いてもいいんですね? 危ないかもしれないですよ? 真っ暗で迷子になったりとか、オオカミに襲われたりとか、お化けが出てきて拐われちゃったりとか」
「……あーァ」
墓穴を掘ったって顔をして、困ったように半開きの唇。いい感じかも。うん、これはもう一押しでいけそうですね。では、にっこりと笑ってダメ押しを。
「それでもいいって言うなら私は薪を拾いに行きますけど、そうなったら全部、ぜーんぶヴィルヘルムのせいですからね?」
「……はぁ、もう面倒くせえなてめえは」
がしがしと頭を掻いて、乱暴な溜息がひとつ。
てっきり薪を拾いに行くのについてきてくれるために立ち上がるのかと思ったのに、違うみたい。
「ほら、こっちこいよ」
乱暴に差し出された、白い手袋をはめた腕。不機嫌そうに眉根を寄せて、やっぱり口調も乱暴で。
だけど、彼なりに大事にしてくれるみたい。きっちり手袋のはまった白い掌はこっちを迎える優しいカタチで、月に淡く光っていて。
「なるほど。コートを貸すのも嫌、薪を拾いに行くのも面倒くさい。だから、風除けになってくれる、と。うん、お手軽でいい考えですね」
「……ちッ。嫌ならくんじゃねえ。おら、どうすんだよ」
ダメですよ、女性に舌打ちは失礼です。ヴィルヘルムのことせっかく見直したっていうのに、もう。
でも、そうですね。嬉しいから許してあげます。
だけどやっぱり私は女性ですので、大事なことの確認は確実に。
「えーと、あのですね、ヴィルヘルム。私はそっちに行きたいんですけど……ヘンなことしない、ですよね?」
やっぱり恥ずかしかったので、ちょっとモジモジしつつ聞いてみたんですけど。
「はぁッ? バカ、しねえよ! てめえみたいな胸もケツもねえヤツに手えだすわけねえだろうが。俺の好みはもっとこうグラマラスなんだよっ」
「うーぅ、そんなにはっきり言わなくても。分かりました、その言葉を信じてそっちにいきますね」
「もういい、こなくていい。そっちでひとりで凍えてろ、馬鹿女」
悪態を吐いて、またガシガシと頭を掻いて、ぷいっとそっぽを向く。
だけど、素直でない彼はやっぱりどこか優しいんです。
そっぽは向いたまま。こっちを見てもくれない。それでも、一度勢いで真下に振られたはずの白い手袋の掌がしれっと宙に浮いていて。それが、やっぱり嬉しくて。
きっと放っておいたら自分が困るからとかそんな残念な理由でしょうけど、それでも彼なりの不器用な優しさを私に向けて貰えることが幸せで。優しい声で軽口を叩いて、嬉しくてくすくす笑って。
「イヤですよ。側に行きますから、ちゃんと温めてくださいね。女性なんですから、大事にして欲しいんですよ」
「あー、はいはい。それならさっさとこっちきやがれ、寒ぃんだろうが。風邪ひいてもしらねえぞ、馬鹿女」
促されるまま冷たい岩の上をよちよちと這って、ヴィルヘルムの側へ。近づくと、差し出されていた掌に腕を取られてぐいっとひっぱりこまれて。
無造作にがばっと開かれていた長い足の間にちょこんと収まってみると、うん、たしかに。冷たい空気も、吹き込んでくる冷えた風も、さっきまでほど身体の熱を奪うことはないみたい。
「どうだよ。少しはマシになったか?」
「うーん、なったんですけど……」
「あ? まだなんかあんのかよ。またコートが血生臭えとか言いやがってもどうしようもねえからな」
すぐ側から、呆れ返った声。見上げると、情けなく歪んだ口元に、ぎゅっと眉根の寄った顰めっ面の顔。
うーん、もったいない。なんだかほんとうにもったいない。血生臭いコートはもう諦めてるので大丈夫ですけど、そこじゃなくってなんだか、もういろいろと。
せっかくの綺麗な顔が顰めっ面してるのももったいないですし、この体勢もなんだかもったいないです。物足りないって、言えばいいんでしょうか。もっと、こう、暖かくできそうな気がするんですけど。
この距離なのに、なんだか意味がないというか、やっぱりもったいないというか。とにかく、残念な感じなんですよ。
「ぁっ!」
「……ア?」
しばらく軍服を着た足の間に座ったまま考えこんで、辿り着いたひとつの答え。思わずはっと声を上げれば、真後ろから追いかけるように怪訝な声が降ってきた。
もったいなくて物足りないの正体は、きっと距離感。きっと、こんなに近くにいるのに触れ合ってないからヘンな感じがするんじゃないかと。
温めてくださいっていったのに、ただ風除けになってるだけでは効果も薄いし、直接温められてないわけですし。寒いとき、人肌で暖を取るのは定番ですよね。これはヴィルヘルムにはないしょですけど、実は私一回くらいこういうシチュエーションを経験してみたくて。これはたぶん、やっちゃえっていう神の思し召しかと。どう取るかは人の自由なので、この
「ふふーっ、えいっ!」
「はあァ? ――って、おい! こら、クラウディア、やめろって」
そんなわけで、にっこり笑って気合をいれて、元気よく掛け声をひとつ。制止の声なんか無視してぐりぐりと軍服に頬ずり開始。
ぴったりと引っ付いてみて気付いたんですけど、ヴィルヘルムの体温はとても不思議。何だか上手く言い表せない体温をしている。
だからって不快ではない。確かに普通ではないですけど、私はむしろ好きで落ち着ける、そんな暖かさのある身体。
ついでに言うなら、彼は見た目だけは普通の人のようですが、やはり纏う気配はただの人とは言えずとっても怖い。彼の機嫌が悪いと特に酷くて、側にいて苦しくなったりすることも。それは出会った瞬間から知っていたことですし、彼はそういう存在なのだと割り切ってだいぶ慣れちゃったのでもう気にしてません。だけどこうして直に触れ合ってみると、やっぱり彼は人とは違うのだなあと思い知る。
もちろん、だからって遠慮なんてしないんですけどね。彼が普通の人でないという理由で距離を作ってしまったら、それこそ身体を張って恩なんて返せませんし、こうして引っ付き合って暖なんて取れない。だからやっぱり拭えない恐怖はありますが、それでも半分の私の恐怖は薄い。だからそれを都合よくとって遠慮なんてしません。そんなわけなので、今は寒い夜を乗り越えるために暖を取るべく頬ずり続行。
たしかに定番な手段ですけど相手がグラマラスじゃない私じゃ嫌だってヴィルヘルムが抵抗するでしょうから、そこはもう実力行使。暖かいって身体に教えるしかないじゃないですか。
普通にひっつくだけだとすぐに暖まらなそうなので、スピード勝負で頬をぐりぐりすりすりと。しばらく胸元にぐりぐりと頬を押し付けて、ぬくぬくになったのを確認。ふっふっふー、ばっちりです。
「ふふっ、ね? 暖かいでしょう?」
すっかり満足して視線を上げると、ぽかんと呆れた顔。あらら、突然過ぎてびっくりしちゃった?
しばらくそのまま固まってた表情が、ふいに呆れ混じりの弾けるような笑い顔になって。
「くはッ。おい、おまえってやっぱ鳥みてえだな。 あー、見た目もそうだけどよ、ピーチクパーチクうるせえし、今はほら、アレだ。育ってちょっと大きくなった雛鳥同士がよ、よく狭い巣んなかでぎゅーぎゅーひっついてるだろ。アレみてえ。それじゃあおまえを囲ってる俺は
あんまりにも屈託なく笑ってそう言うから、びっくりしてぽかんとしてしまって。
ぽかんと呆けた顔のまんま、ぽわんと思い浮かべた雛鳥の姿はとても愛らしい。すっかり大きくなって、ふわふわの羽が生えている雛鳥。巣立ちまであとちょっと、そんな感じ。それが丁寧に木で編まれた巣の中にひしめきあって三羽くらい。
ぎゅーぎゅーと押し合いへし合いして、身体をすりあわせて暖かそう。三羽とも、楽しそうにちーちーと鳴いている。
「ふふっ、可愛いです。想像した雛鳥もですけど、それを考えついて想像しちゃったヴィルヘルムも」
「似合わねえってか? おまえが鳥みてえなのが悪ぃんだろうが。こんな羽みてえにふわふわした髪の毛してっから想像しちまうんだよ」
「それは悪口じゃないですね。雛鳥に似てるのも、可愛くて嬉しいですよ。褒め言葉ばっかりで、どうしちゃったんですか?」
「ははっ、知らねーよ。おまえが勝手に褒められてるって思ってるだけだろうが。俺は褒めてねえぞ、バァカ」
触れ合いながらうんと近くで、軽口を叩き合う。楽しそうな声が、珍しくほんの少しだけですけど優しい雰囲気。こんなにも穏やかな気持で彼の側にいるのは初めてで、ドキドキしてしまいそう。それに私からこうも好き勝手ひっついているとなんだか大胆な気分にもなってきて。
「ねえ、ヴィルヘルム。雛鳥は今、一羽しかここにいないので、ちょっと巣が大きすぎるんです。私にぴったりの巣の大きさになったりしませんかね?」
「ったく、おまえはほんとにピーチクパーチクうるせえな。……はぁ。ほらよ、これでいいだろ」
可愛くない悪態をついて合間に小さく溜息もついて、それでもぎゅっと雛鳥を守る巣のように包み込こんでくれた軍服を着た逞しい腕。寒さから守るために抱きしめられて、その不思議な暖かさに頬が綻んだ。
もう一度頬を胸元にすり寄せると、真上から呆れたような、どこか楽しそうな吐息が落ちてきて。
きっとまた、私がやっぱり雛鳥みたいだって思っちゃったんでしょうね。そんなヴィルヘルムが可愛いって、私もまた笑ってしまいそう。
だけど声をあげてほんとうに私が笑ってしまったらきっと、俺は可愛くなんかないって顰めっ面をするんでしょうけど。その顰めっ面すら、思い浮かべたらなんだか微笑ましい。
ああ、ほんとうに暖かい。私だけの巣だなんて、考えてみたらとっても贅沢。
こんなに気持ちがいいなら、たとえ成長して巣立ちの時を迎えても、また何度でもこの巣に帰ってきたい。そう、思うくらい。
とはいえ私は雛鳥に似ていても雛鳥ではなくて人間なので、空へ羽ばたく巣立ちのときはないのかも。
じゃあ人間でいうところの親元を離れて独り立ち、という例えとしてみてみるとどうでしょう。うーん。世間一般の扱いでいえば、もうすっかり大人の女性のはずなので、あったとしても通り過ぎちゃってますね。
だけどこの場合、親元を巣立ったあとに他の人が作った新しい巣を手に入れたのだから、やっぱりちょっと違うのかも。
そうなると正しい例えは、人間でいうところの――結婚でしょうか。
あれ、なんだか例えがすごいことに?
それでいうと、これはヴィルヘルムが私に贈ってくれた愛の巣ということに。あらら、言葉の意味までぴったり。もしかしなくても新婚さんでしょうか。
いえ、私は神に仕える身なのでそもそも男性との恋愛は禁止。それはもちろん分かっていますよ。する気だって、もちろんこれぽっちもないのですけど。
ですけど、うーん。例えとしてはなんだかあながち間違っていないような気が。恋仲になんてなれないものの、一蓮托生に違いはないし。
だって私、ヴィルヘルムにこの身体全部捧げちゃってますからね、命ごと。おまえは俺のものだーなんて、プロポーズみたいなことはとっくに言われてますし。一人の女性としては、できればもうちょっとロマンチックなのがよかったですけど、強引な男の人も嫌いじゃないのでそこはよしとしましょう。だって誰にもそんなことを言われることなくこの世界を立つのだと思っていた、そんな私がたとえ色気のある意味でなかったとしても、そうやって言ってくれる誰かに出会えただけで凄いことだと思うから。
――ああ、そういう意味では私、もうこの
一生、ここにいていいんですね。それこそ最後の瞬間まで。だって私は、もうあなたのものだから。
それを嬉しいと思いますよ。だから、素直にその気持ちを唇から音にのせて。大切なことをカタチにしたい、伝えたい――こういうときのために言葉ってあるのだと思うから口にしないともったいない。
「
腕の中から飛び出した突然の一生愛の巣宣言。私を抱きしめたまま驚きにぽかんと呆気にとられた彼の顔が、やがて唇の端を吊り上げた苦笑いに変わって。
「そうかよ。まあ、おまえは俺のもんだからな。勝手にどっかいくとか許さねえぞ」
「はい、ちゃんと恩返ししますから。助けて貰った命はあなたのために使いたいんです」
嘘偽りなく真っ直ぐに気持ちを込めた私の言葉を彼は受け入れてくれたみたい。たとえ魂を奪われるのだとしてもあなたから逃げないって、やっと信じてくれた気がする。
ふいに抱き締めてくれる腕に力がこもって、荒っぽい手つきでもっと側へと引き寄せられる。たぶん、俺のものだってことなんでしょう。本当にその通りだから、その腕の力に抗うことなく身体を擦り寄せて甘えることにした。
ぴったりと不思議な熱に包まれている。もうすっかり寒くない。
いい夢が見られそう。だからあなたもいい夢を。できれば二人揃って、可愛い雛鳥の夢でも見れたら楽しい気がする。夢の中ですけど、愛らしい小さな雛鳥を、あなたと揃って眺めるのもいいかなって思うので。
ああ、そういえば森の中にいるだから、明日の朝、起きてから本物の雛鳥の巣を探しながら進むのも楽しいかも。もちろん目指す目的地はあるので急ぎ足ですが、歩きながらきょろきょろするくらい構わないでしょう?
朝日は嫌だと駄々をこねず、ちゃんと付き合ってくださいね。きっと素敵なものが見れますから、大丈夫。
あなたは勘が鋭いし普通でないおかげでいろいろなことが上手そうですから、たぶん野鳥を見つけるのは得意でしょう。期待してますよ、ヴィルヘルム。ただの乱暴者じゃないんだぞーって、デキる男のカッコいいところ、私に見せてくださいね。
そうしたらちょっとくらい恩恵があるかもしれませんよ。あなたのことを見直せば見直すほど、道中私の憎まれ口は少なくなると思うので。どうもあなたにとってじゃじゃ馬らしい私を扱いやすく大人しくさせるいい機会だと思うんですけどね。
これからのことを考えたら楽しくなってきて、前向きで幸せな気持ちで心が満たされる。私を抱き締めてくれるこの人も、少しでもそんな気持ちになってくれたら嬉しい。
そのために、まずは惜しみなく情を。あなたがくれた優しいものを私もあなたにあげたいから。
そっと顔をあげて、私を見下ろしてくれていた綺麗な赤い瞳を見つめ返して、あなたに優しい言葉を紡ぐ。
「ありがとう、ヴィルヘルム。おやすみなさい、また明日ね」
「…………ッ」
嬉しかったから、素直なお礼の言葉。そしておやすみなさいの挨拶をいっしょに。
それに返事は返ってこない。彼と出会ってからの僅かな日々、人としての基本的な挨拶を機会さえあれば欠かさなかった私だけど、いつもそうやって返事は返ってこない。人の道を捨てた自分にそんなものはいらないんだとばかり、触れ合おうとする情を嫌そうな顔を隠さずに平気で突っぱねてしまう。欠片も受け取ろうとはしてくれない。
だけど、今夜はそうじゃなかった。いつもと少しだけ、違った。
優しい気持ちで掛けた言葉に返ってきたのは、いつもと違う困ったような、拗ねたような怒気の弱い顰めっ面。そうして、叩くような乱暴さでぐしゃりと掻き乱された私の後ろ頭。それは不器用で意地っ張りな彼の精一杯だったのだと思う。その仕草を恥じるように、誤魔化すように、乱暴な手つきで胸元にぐいぐいと押し付けらた。気の迷いだったから忘れろ、とばかりに真上から短い呻き声が聞こえてきて。
それに、何だか胸の中がじわっと熱くなった。込み上げてきた柔らかい熱に、ああ、私は嬉しいんだって感じた。
それは私がずっと欠かさず投げ続けてきた挨拶を躱し続けてきた彼が見せた気まぐれで、返せる精一杯だって分かったから、それ以上彼を追い詰めたりしたくなくて、込み上げた嬉しさのままに何か声を掛けたくなる気持ちをぐっと堪えて、ぎゅっと唇を噤んだ。
何も言わないかわりに、私も精一杯の喜びを込めてヴィルヘルムの胸に頬を寄せる。どうにかして伝えたいなって思ったから、そうっと伸ばした腕で逞しい身体を抱きしめ返した。驚いたように、僅かに触れ合った軍服が揺れる。だけど腕を払われることはなかったから、それがまた嬉しくて。込み上げてきた何かを堪えるように、ヴィルヘルムの額が向かい合った私の左肩にごつりと落ちてきた。ちょっと痛かったけれど、その乱暴さがどうにも彼らしくて、微笑ましくて。
寒さからも、寂しさからも守ってくれる私だけの巣の中で、不思議で心地良い体温に触れ合ったまま穏やかに眠るために瞳を閉じた。
きっと明日は、今日以上にもっと素敵な日になる。だって帰る場所ができたから――それは、私のことが必要だと抱き締めてくれる不器用で優しい人の腕の中。
例え痛くても苦しくても、この腕の中なら羽を休められる。それにね、半分しかない私の片側を見つけてくれるって、あなたは約束してくれた。
そんなあなたのために、この命すべて捧げられるその日まで生き抜くって誓いますから。負けないから、大丈夫だから。私はヴィルヘルムを信じていますから。
だからどうかあなたといっしょに最後まで。
光の中で心穏やかに強く明るく笑顔を浮かべて、素敵な日々を送れますように。幸せで、あれますように――。
閲覧ありがとうございました!
読んで頂けて嬉しいです(*´∀`*)