Methuselah:Kaziklu Bey 【ヴィルヘルム×クラウディア】 ※イカベイ時期のエピソードのみ抜粋 作:桜月(Licht)
外伝にてワルシャワの戦火の中で出会った二人の、クラウディア視点のお話です。
§Side Claudia
「……っ、ごほっ、ぅ」
ぶわりと舞う砂埃に咳込んで、包帯の巻かれた掌で口元を覆う。
じりじりと熱で焦げる肌が、熱い。
あたりの光景は、ずいぶんと酷い。ひび割れて倒壊した建物。あちこちに飛び散っている血痕。
遠くに銃火器の音も鈍く絶え間なく響いている。
だけど進まないわけには、いかなかった。
この戦禍の中で、負傷した人を一人でも多く救う。それが自分に与えられた役目だから。
脳裏に浮かぶ、憧れを抱いている彼女の凛とした姿と少しでも重なりたい。それは紛れもない本心。
だからこそ、看護団の一員としてこうしてワルシャワの戦地に赴き、砕けた瓦礫を避けながらでも進んでいます。
後悔はしていません。私の手を必要としてくれる人がいることも、信じて疑っていません。
決して、誰かのために命を懸けるこの行為は無駄にはならないのだと知っています。
――だけど、可笑しい、と。
呼吸を妨げる砂埃も、肌を焦がす熱も、行く手を阻む瓦礫さえも。
果敢に踏み分けて人の手で造られてしまった荒野を進む自分の姿に、とてつもない違和感を覚えて。
運び込まれてくる怪我を負った兵士の方々の手当を終えて、背後にちらりと聞こえたのは、ここから離れた少し先にまだ助けを求めている仲間がいると弱々しくこぼす声。
体力に余力のある者は誰か行ってやれないか、と他の誰かの声が続いて。
それに、真っ先に志願しました。
別に看護を任されている私でなくてもいいと、軽傷の兵士に行かせるから構わないと断られたのだけれど、自分に出来ることがあるのならしたいのだと伝えて、制止を振りきって飛び出して。
私は常々そういうところがあるので、看護団の方々は好きにさせてやろうと思ってくれたのかもしれません。
それ以上後ろから制止の声がなかったことに少しほっとして、話に聞いた建物を目指して、物陰に隠れながら進みました。
そろりと歩きながら、思うのです。
こんなにも危険だらけの場所を歩いていながら、どうして私は怖くないのだろうかと。
もちろん、物音がしたらびくりともしますし、人影がちらつくとドキドキします。
味方だろうか、敵だろうかと考えてしまうくらいには。
死ぬかもしれない場所にいるのだから、それなりに――怖い、はずなのに。
どうしてこんなにも、瓦礫と砂埃にまみれながら、普通に歩けているのでしょう。
さっきも私は誰よりも先に飛び出して、肩越しにちらりと振り返れば、恐怖に怯えて、後に続けない顔がたくさん見えました。男性も女性も、たくさん。
それを悪いとも、弱いとも、間違っているとも思えない。
むしろ、それこそが当然の反応なのだと、思うのです。
私が勇気があるわけでは、決してない。
だって私は、ただ怖くないだけだから。
人より恐怖が薄い。それだけだから。
そしてだからこそ、身近に感じられない恐怖をもっと知りたい。十全に、人として当然のように。
ちゃんと自分にもその感情が普通にあるのだと思いたい。
人助けももちろんだけれど、自分に足りないモノも見つけたい。
だから今、自分で進むべき道を選んで、この場所にいます。
死と隣合わせの
砂埃の舞う視界の先。
看護団の拠点からそう遠くないところに、話に聞いていた特徴と同じ建物を見つけて、開いていた入り口にするりと潜り込んだ。
物音はしない。人影も見当たらない。
思えば勢い良く飛び出してきてしまって丸腰なものだから――元々危ないモノを所持する気もないけれど、用心するしかできることもなく。
怪我人がいるはずなのだと、そろそろと忍び足で歩いてあたりを見回した。
「あっ……!」
入り口からほど近い場所、割れた窓ガラスの側。
ぐったりと倒れた人影を見つけて、慌てて駆け寄る。
急げばなんとかなるかもしれない。処置は少しでも迅速に。
頭の片隅で冷静に考えながら、血塗れの軍服をまとって倒れた身体の横に膝をつく。
けれど――。
「ああ、ごめんなさい。来るのが、遅くなってしまって。
もう少し、もう少しでもはやく歩けばよかった。ほんとうに、ごめんなさい」
冷えて冷たくなってしまっていた身体。
息を引き取ってからそれなりの時間が経ってしまったのだと分かる。悔やんでも遅いと知っているけれど、やっぱりどうしても悔やんでしまって。
せめて私にできることを、と。
きゅっと目を閉じて十字を切って、精一杯の祈りの言葉を捧げる。
国のためにその尊い生命を懸けた彼が、良き処へいけますように、と。
そっとあげた視線を、続いている建物の奥へ投げた。
怪我を負った兵士が一人とも限らない。
もしかしたら、建物の奥にまだ避難した人がいるかもしれない。
もう少し戦況が落ち着いたら、必ず仲間の元へ。
あなたがここにいることを、戻って必ず伝えますから。
だからもう少しだけ、ここで辛抱していてくださいね。
そっと冷たい身体に言葉をかけて、立ち上がって踵を返す。
ぎゅっと拳を握って、この建物にこれ以上の被害者がいないように願って、奥へ、奥へと歩を進めた。
ひとしきり回った建物の中、倒れていた彼以外の人影はなく、ほっと胸を撫で下ろす。
私ひとりで彼を運ぶことはできないから、まずは戻って応援を呼ぶこと。
そう決めて、建物の奥から入り口を目指そうと歩き出した、ときでした。
びきり、と嫌な音。
不安に思ってふっと見上げる。
すると、煉瓦造りの天井の真ん中、そこにあった隙間から、何故か曇った空が見えた。
その違和感にひくりと、喉が震えて。
「……――っ!」
声すら上げる間もなく、次の瞬間にがらがらと派手な音を立てて降ってくる大きな瓦礫たち。
ああ、私の人生はここで志半ばに終わるのだと悟った。
そして、そんな死を目前としたこの瞬間にも、驚きはしたのに――私はそう恐怖を感じてなくて。
ただ漠然と、ああ、死んでしまうのだと。
知りたい
だけど視界いっぱいに、あまりにも大きい規模で天井が崩れていくものだから。
冷静な頭が、もう逃げられないし間に合わない、元々ボロボロなこの身体で走ったところで意味がないのだと動くことをすっかり拒否してしまっていて。
ああ、それならばせめて最後は祈りながら逝きたい。
どうか私も、良き処へいけますように、と。
旅立つ覚悟を決めて、祈りのカタチへ手を結ぼうとした、そのときでした。
まだかろうじて崩れていない壁の向こうから、ひゅっと聞こえた風切り音。
それに続いて、倒壊が進む真上ではなく真横から、ドッカーンと、鼓膜いっぱいに響いたとてつもない衝撃音。
そしてそれと同じだけ、びゅうびゅうと乱暴に吹きすさぶ風。そして微かに捉えた、誰かの叫び声。
「きゃぁっ」
爆発するように溢れたいろんな音と風に驚いて、ぎゅっと目を閉じてしゃがみこんで、縮こまる。
溢れていたいろんなモノが収まったように思えたころ、そろりと顔をあげて、あたりをうかがって――呆然と。
これは、どういうことでしょう。
視界がずいぶんとすっきり、さっぱり。
さっきまでは壁に阻まれて見えなかった場所に、外の建物がちょこんと並んで建っていて。
間違いなく助からないと思ったのに、助かったということでしょうか?
あまりに突然なことにびっくりしすぎて、へたりと砂埃だらけの床に尻もち。
ざり、と瓦礫を踏み分ける足音。
そういえば爆発したような音の合間、誰かの叫び声が聞こえたような。
ああ、もしかしてその声の持ち主が私を助けてくれたのでしょうか?
そうであれば、あんな大きな瓦礫をどういう方法で撥ね退けたのか分からないとしてもこの状況は納得ができる。
もし助けてくれたのだとすれば、助けられた者としてお礼を伝えなければ。
舞い上がる砂埃の中で必死に目を凝らして、足音が聞こえた方向をじっと見据えた。
ぼんやりと、浮かび上がる人影。
ああ、やはり人が居たのですね。きっと、あの人が私を。
そう思って喜びに頬が綻んだ、瞬間。
「……ぁ」
ぞくりと、僅かに背筋に走った悪寒。
体調に変調をきたしたのとは意味が違う。
僅かに反応した身体。
それが意味したのは、間違いなく――。
「――あぁ」
唇から零れ落ちたのは、歓喜。
私が選んだ道は、決して間違いではなかったのだという安堵。
迷い苦悩する魂が、救済の糸口を見失うことなく手元に手繰り寄せた。
眇めた瞳で見据える先には、血に塗れた黒い軍服を纏う長身の男性。
整った顔立ちをしていて、その肌はまるで雪のよう、美しく白い。髪もまるで同じに。
それでいて、赤く鮮やかに爛々と輝く狂気を宿した瞳。
感じるのは
崩壊し炎上していく地獄絵図のような景色に相応しく、大量の血飛沫を浴びた凄惨な姿。
それなのに、どうしてでしょう。
がらがらと跡形もなく崩壊していく世界の中で、どうしてあんなにも彼は美しく見えるのでしょう。
まるで、神の御使。絵画に描かれた美麗な天使のよう。その姿に、魂が震えた。
――ああ、きっとこれは私の運命。
今此処で彼に出会うために、私は今日までを生きてきた。
そんな思考すら脳裏に浮かんで。そしてそれは確信となってすとんと私の心に落ちてきた。
「……ぁ」
目が、合う。
交錯した視線に、どくりと心臓が跳ねた。
感じたのはそう、それはきっと――恐怖。
私が知りたくて仕方がない感情の一欠片。
彼を知覚した瞬間が今までで――生きてきた全ての時の中で一番、怖かった。
それでも普通の人の感じる恐怖には足りないのだろうけれど、恐怖だと思えるものを確かに感じた。
ついさっき落ちてくる天井に潰されそうになった、ほんとうにぺちゃんこになって死にかけたことより、よほど確実に感じた恐怖の気配。
災害や戦争よりも怖いものが、間違いなくそこに存在している。
私の、目の前に佇んでいる。
彼はとても、怖い人。
――それを正しく知ることが、上手く私には出来ない。
他の人――普通の感情を持った相手ならばきっと、出会っただけで恐ろしさに震え上がって許しを乞うのかもしれないけれど。
私は普通じゃないから、半分だから。
だから、彼が怖くない。それどころか美しいとさえ思う。
荒んだ風に棚引くとても綺麗な白い髪に、狂おしいほど赤い瞳に心が奪われている。
これはきっと、運命。
そうとしか表現できないほど、彼との間に目には映らない確かな絆を感じる。
私は、彼といっしょにいたい。きっとそうしたら、私の欲しいモノが手に入る予感がある。
この出会いが運命だとすれば、きっとその予感は正しいはず。
出会ったばかりでまだ名前も知らないのに、その側を離れたくない。
――ああ、それならば、まずは彼と関わらなくては。
やっと手に入れられそうな感情を得るより先にまるで塵のように散らされてしまう、その前に。
彼の瞳に、この魂を曝さなくては。共にノアの子なのだと、伝えなくては。
手遅れになる前に、せめて私に興味を持ってもらいたいから。
幸いにして、怖くない。私は彼が怖くない。
大丈夫、きっと大丈夫。
もつれそうな唇を、震わせながら息を吐いて。
上手くまとまらない頭で、それでも咄嗟に最初の言葉を紡ぐ。
「その、あなたは……」
お願い、どうか。
どうかまだ、まだ私を殺さないで。
あなたは私の運命の人だから。
どうかお願い、私をあなたの側に置いて欲しい。あなたの側に居たい、私の言葉を聞いてください。
心の中で祈りながら、もつれる唇で紡いだ言葉。
それに、意外にもきちんと彼の声が返ってきて。赤い瞳に真っ直ぐに私の姿が映っていて。
ああ、美しいこの人は、私を瞳に映して、私の声を聞いてくれる。
私の声が、彼に届いた。瞳に映れた。それはなんて、素敵なこと。
彼の声が鼓膜に届いた瞬間、ふっと心が軽くなった。
恐怖のかわりに胸の内に篭っていた、手遅れになるかもしれない不安。
それが彼の声を聞いただけで、まるで最初からなかったようにふわっと霧散したみたい。
思わず、口元が綻ぶ。
ああ、やっぱり彼は私の運命なんだって確信してしまったから。
それならもう不安に思うことなんて何もなくて。
――そこからははもう、ありのまま。私の心が思うまま。
運命だから、大丈夫。
信じることは簡単で、心の赴くままに素直に言葉を紡いで。
だから自然と、微笑めた。会話も驚くほど、とても自然だった。あなたに問われるまま答えることが楽しくすらあった。
ねえ、ヴィルヘルム。
あなたからすればきっと意味が通じなくて可怪しかったし苛立ったでしょうけど、あなたと居たい一心で喋って、微笑ったんです、私。
そしたらね、ちゃんとあなたに手を伸ばして貰えたから。それは私にとって幸福なことで、それだけで嬉しくて。
ありがとうね、ヴィルヘルム。
あの日のあなたに、改めてお礼を伝えたい。
あなたはきっとそんな風に思ってはいないでしょうけど、それでもあなたに助けて貰えて、あの日の私は救われました。
運命に出会って、あなたの側に寄り添うことが出来ました。
――そう。これが、私たちの
戦火の中に現れた白く美しい天使は私の運命の人。
恐怖を知りたい私が掴んだ切欠は、彼の側。
私を瞳に映す鮮やかな赤い瞳が嬉しくて、いっしょに居たいと願って言葉を紡げば差し出された白い指先。
手を伸ばしてくれた
これが私の運命なのだと、心から信じることが出来たから。