「しかし、わたくしたちにはプロデューサー……オーブがついています」
「何とも面妖な……」
「苦しい時にこそ、精神を平静に保つのです」
「休息を取ることも悪くはありません」
「よいではないでしょうか。全て丸く収まったのですから」
「地球の焼きそばで一番の美味です」
「雨の風情を楽しむのも乙なものですよ」
「龍脈に沿っているのではないでしょうか」
「義を見てせざるは勇無きなり、です」
「わたくしもプロデューサーのお力になります」
お馴染み765プロ事務所で、律子がほぼ白紙のホワイトボードを前に難しい顔で腕を組んでいた。
「今月のお仕事も、たったこれだけか……。いつまでもこんな調子じゃ、事務所が干上がっちゃうわ」
「ほんと、弱りますよね。せめてもうちょっとお仕事が入ってくれれば……」
小鳥も頬に手を当ててため息を吐く。765プロの営業事情は、以前に比べたらマシではあるが、それも毛が生えたという程度。はぁーと長いため息を吐く律子。
「伸び悩んでますよね……。みんな、素質は悪くないはずなんですけどねぇ。むしろ業界全体を見渡しても潜在能力は高い方だと思うんですが……」
小鳥と相談している律子の後ろ姿をながめて、亜美と真美が顔を見合わす。
「律っちゃん、いっつも事務所の財政を気にしてるよね」
「アイドルなのに、兄ちゃんよりもプロデューサーみたいだよね~」
そんなことを囁かれているとは露知らず、律子はボードの一角に貼った765プロアイドル個人の写真を見やった。
「みんなしてすごく個性的だし、売れる要素は十分あるはずなんですけどねぇ。何か大きなきっかけがあれば化けると思うんですが」
「大きなきっかけかぁ……。今度、社長とも相談してみますね」
律子たちとは別の角度から、響と美希、真と雪歩も写真を見つめている。
「個性か……。アイドルに個性って大事だもんね。でも自分もそんなに個性的かな?」
「響の個性は特に際立ってるって思うな」
肩にハム蔵を乗せている響に目を向けながら美希がつぶやいた。それから真が写真に方に視線を戻す。
「でもやっぱり一番個性があるのは、何と言っても貴音だよね。他の追随を許さないレベルだよ」
「だよねー。貴音ほど突き抜けてる人、見たことないの」
うんうんとうなずいた美希は、貴音のあり余る個性を語る。
「何て言うか、空気から他の人とは大違いだし。偉そうな感じだけど嫌らしいところは全然ないし、ほんとのお姫さまみたいなの。口調も普段から難しいし」
「徹底した秘密主義もすごいよね。何を聞かれても秘密を貫き通してるし。でもボクたちにまで、住んでるところすら教えてくれないのはやり過ぎじゃないかなぁ。そこだけが残念だよね」
真も同調していたら、隣の雪歩が何やらうつむいているのに気がついた。
「あれ雪歩? そんな顔してどうしたの?」
尋ねかけると、顔を上げた雪歩がこう言った。
「その四条さんのことなんだけど……最近の四条さん、何だか元気がないように見えない?」
「えっ?」
雪歩のひと言に、周りの注目が彼女に集まった。
「元気がないって……どういうこと?」
「傍目からは分かりづらいかもしれないけど……何だか以前ほどしゃきしゃきとした感じがしないし、妙に考え込んでることが多いみたいだし……もしかして、何か悩みごとがあるんじゃないかなって……」
との雪歩の言葉に、小鳥が口を開く。
「そういえば貴音ちゃん、ここのところ月に向かって何か独り言を言ってるのをよく目にするわ」
「え? 月?」
「ええ。月を見てること自体は前からあったんだけど……それも雪歩ちゃんが言うように、悩みがあるからなのかしら?」
小鳥から知らされたことに、アイドルたちは怪訝な表情で互いに顔を見合わせた。
「お姫ちんの悩むことって何だろ。亜美には想像つかないよ」
「お姫ちん、ほんとに自分のこと、ほとんど教えてくれないからね」
貴音の心配をする仲間たちだが、響だけは肩をすくめた。
「気にし過ぎだって。貴音も、ほんとに深刻なことなら誰かに相談くらいするさー。多分、行きつけのラーメン店の味が変わったとかそんなところだって。なんくるないさー」
「それは流石にないって思うな」
美希が突っ込んでいると、当の貴音が何やら神妙な面持ちでこの場にやってきた。そしてひと言、
「小鳥嬢、ただ今高木殿はおられますか? 少し、話があるのです」
「社長にお話し? ちょっと待って、今呼んでくるわ」
小鳥が席を立って社長室に向かい、雪歩たちは貴音の普段と異なる言動にやや面食らう。
しばし時間を置いて、小鳥が高木を連れて戻ってきた。
「四条君、話とは何かな?」
高木が聞き返すと、貴音はたたずまいを直して高木に向き直った。
「高木殿……流浪の日々を送っていたわたくしを高みへと誘っていただいたこと、感謝しております。わたくしも、この事務所でまこと楽しき経験を致しました」
「お、おいおい、急に改まってどうしたんだね」
「ですが……」
貴音はうっすら目を開けながら、こんなことを告げた。
「わたくし、今日限りでこの765ぷろを……いえ、あいどるそのものを辞職させていただきます」
少しの間、誰も何も言わない時間が過ぎたが、やがて、
「……えええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええ――――――――――――――――――――――――――っっっ!!?」
全員の絶叫が事務所に響き渡ったのであった。
貴音の衝撃的な告白の後、事務所には急遽ガイが呼び戻された。他のアイドルたちも雪歩らからの情報により、大急ぎで事務所に駆けつけた。
「……それで貴音、アイドルを辞めるってのは本当なのか? 時期外れのエイプリルフールとかそんなんじゃなく」
アイドルたちが息を呑んで周りを取り囲む中、肝心の貴音と向かい合って腰を掛けたガイが問いかけると、貴音ははっきりとうなずいた。
「はい。一切の嘘はありません」
その返答にアイドルたちは一斉に騒然となった。
「た、貴音さんがアイドル辞めるなんて……それも今日なんて急な……!」(春香)
「四条さん、いなくならないで下さいぃ~! 私寂しくなりますぅ~!」(雪歩)
「私もですぅ~! 考え直して下さーい!」(やよい)
「お姫ちんまだ一回も変身してないじゃんっ!」(亜美)
「みんな落ち着いて! そう焦らないの!」(律子)
ガイは眉間に皺を刻んで腕を組んだが、考えが纏まったように貴音に視線を戻した。
「色々と言いたいことはあるが……どうしてこんないきなり、そんなことを言い出すんだ? 今日限りなんて随分急な話じゃないか」
「ガイ君の言う通りだ。会社としても、今日いきなり辞めますなんてのは些か困るよ」
「貴音ちゃん、どんな理由があってそんなこと言い出したの?」
高木、小鳥も加わって問いただすと、貴音は訥々と答え始めた。
「故郷の一族からの連絡により、そうせざるを得なくなったのです」
「故郷の一族? 親戚からアイドル活動を反対されたんですか? 帰ってこいとも言われてるとか?」
千早の問い返しにうなずく貴音。
「概ねはそのようなところです」
「そんなぁ! 貴音さんともう会えないなんて……!」
思わず涙ぐんだ雪歩をあずさが慰める。
「貴音ちゃんの故郷が分かれば、会いに行けるわよ。貴音ちゃん、お家はどこなの? 今度こそ教えてちょうだい」
しかし、貴音はふるふると首を振った。
「いいえ……恐らくは二度と会うことは叶わないでしょう」
「え?」
「わたくしの故郷とは……」
ピッと、人差し指を天井に向けて立てる貴音。アイドルたちは釣られて天井を見上げた。
「この星の兄弟でありながら、未だ地球人の到達していない土地……月なのです」
「は? 月?」
呆気にとられた伊織の顔が、だんだんと怒りの色に染まる。
「ちょっとっ! 私たち、本気で心配して集まったのよ! それなのにそんな冗談言って何のつもりよっ! かぐや姫にでもなったつもりなの!?」
だが真美が伊織を制止した。
「待っていおりん。お姫ちんが冗談言ってるって決めるのは早いんじゃないかな」
「え? どういうことよ」
「だってさ……」
チラッとガイを一瞥する真美。
「兄ちゃんが宇宙人だよ? 他にも宇宙人を真美たち知ってるじゃん?」
うっ、と声を詰まらせた伊織だったが、すぐに言い返す。
「でも貴音が言ってるのは月よ? あの一面荒野の。人間なんている訳ないでしょ!」
「確かに、今は死の荒野です」
貴音が口を挟む。
「ですが昔は違いました。わたくしは、その末裔の一人なのです」
「だからあんたねぇ……!」
「落ち着け伊織」
いきり立つ伊織をガイが押しとどめ、貴音に向き直った。
「とりあえず、もっと詳しいことを話せ。今の段階じゃあ話の全容が見えない」
「かしこまりました……」
ガイに促されて、貴音が続きの話を行う。
「もう十年ほども前になりましょうか。その頃にわたくしの一族を狙う者たちが現れ、幼かったわたくしは戦火に巻き込まれぬよう、兄弟星である地球に隠されました。そして今日に至るまで地球で平穏な日々を過ごしていたのですが……」
「その戦いが終結したってことか?」
話の結末を先取りして尋ねるガイ。
「如何にもその通りです。当初の見立てではあと五年は続くはずで、それ故わたくしも高木殿の誘いを受けたのですが、争いの終止符は予想よりも大分早かったようです……」
「それで安全になったから、帰ってこいって訳か」
「報せ自体は、月より毎日のように受けていました」
「だから月に向かって何かしゃべってたのね……」
小鳥が得心した。小鳥は高木に顔を向け直す。
「そういうことですので、わたくしは故郷、一族の元に帰ります。今まで、まことにお世話になりました……」
「ち、ちょっと待ってよっ!」
深々と頭を下げる貴音に、真がたまらなくなって口出しした。
「貴音はそれでいいの!? ボクたちのアイドル活動は、まだ始まってもないってくらいなのに! こんなところであっさり辞めちゃって……ほんとにそれでいいの!?」
必死の思いを乗せて問いかける真。その口振りには、自分たちとの日常、思い出を簡単に捨てられることへの悔しさがにじみ出ていた。
真の訴えかけに、貴音も伏し目がちになりながら返す。
「わたくしとて……本当は嫌です。せめてもう少し待ってほしい、と何度も訴えました。ですが、一族を説得することは出来ませんでした……」
「そんな……」
貴音の告白にアイドルたちは一様に悲しみを顔に浮かべるが、伊織と律子は懐疑的な意見を挟む。
「待ってよみんな。今の貴音の話が、本当のことだって確証もないじゃない」
「そうね。貴音、今の話が確かなことだって証拠はないの? それがないと、流石にそんな突拍子もない話、信じられないわよ」
二人はあくまで疑って掛かっていた。すると貴音は、少し考えてから、次の通り告げた。
「そろそろ、一族の使者が出発している頃合いでしょう。小鳥嬢、にゅうすを見せて下さい」
「え? ニュース?」
「恐らくは、地球の報道が使者の出発の様子を流しているはず……」
話はよく分からないが、小鳥はとりあえず言われた通りにテレビのスイッチを入れた。すると画面に映ったのは臨時ニュースであった。
『先ほど、月の表面で大規模な噴火が発生したとNASAから発表がありました! 関係各社によりますと、これは通常では考えられないとのことでして……』
「えーっ!? 月で噴火ぁ!?」
仰天する亜美たち。律子も唖然と口を開く。
「そんな馬鹿な! 月にあるのは全部死火山よ! 噴火するなんてこと、ある訳ないわ!」
『ご覧下さい! これが月の表面の生中継映像です!』
しかし律子の言葉とは裏腹に、テレビには実際に月の山の一つから溶岩が爆発したかのように噴出している様が映る。
『テレビをご覧の皆さま、これは合成でも特撮でもありません。実際の光景です! ……あっ! 今、月の火山から何か巨大なものが飛び出しました! あれは何でしょうか!?』
しかも火口から溶岩に混じって、真ん丸とした巨大な隕石のようなものが飛び出して上昇していく。その表面には……。
『顔です! 顔に見えるものがあります! あれは未確認生物の一種、宇宙怪獣なのでしょうか!?』
隕石のようなものは物理法則を無視した動きで、月の引力圏からたちまち脱していく。その直後、高木のケータイに着信が入る。
「高木です。ああ渋川君。うむ、ちょうど見ていたところだよ……何!?」
渋川から何か報せをもらった高木が、皆にそれを伝える。
「今の飛行物体からは、確かな生命反応が検知されたということだ。あれはまさしく宇宙怪獣だよみんな!」
「えぇーっ!」
再度驚愕するアイドルたち。律子は高木に聞き返す。
「でもそんなこと、どうして渋川さんが私たちに教えてくれたんですか?」
「それはだね……」
緊迫した表情で一拍間を置く高木。
「ビートル隊で飛行物体の軌道を予測したところ、向かう先は地球……この事務所のすぐ近くだと判明したからだ!」
「えぇぇーっ!?」
再三吃驚するアイドルたち。春香が貴音に振り返った。
「まさか、あれが貴音さんの言ってた月からの使者!?」
「はい」
「ちょっとお迎えが派手すぎるんじゃないの!?」
「そんなのんきなこと言ってる場合!? やばいわよこれっ!」
真美に、宇宙怪獣が事務所に向かってくるという事実に焦る伊織が突っ込んだ。皆も大慌てだ。
「わぁーどうしましょうどうしましょう!」(やよい)
「事務所がペチャンコにされちゃうぞ!?」(響)
右往左往する仲間たちを、真が一喝する。
「みんな! 慌てふためいたってどうしようもないよ!」
「真……」
「それより……みんなで力を合わせて、貴音を守ろう!」
との真の提案に、あずさが目を丸くした。
「それって、貴音ちゃんの家族からの使者を追い返すってこと?」
「そうですよ! 一族だか何だか知らないけど、そんな一方的に貴音を連れていくなんてこと認められません! 帰ってもらいます!」
「でもまこちん、かぐや姫が月に帰るのは止められなかったんだよ……」
弱気な亜美のひと言に強く言い返す真。
「そんなの昔話じゃないか! 今はビートル隊がいるし、何よりプロデューサーがいるよ! 勝てないなんてことあるもんか!」
「でも……」
「それとも、このまま貴音と二度と会えなくなってもいいっていうの!?」
真の意見に一番に同調したのは雪歩だった。
「わ、私もそんなの嫌ですぅ!」
「雪歩!」
「四条さんとはまだまだいっぱいお話ししたいこと、やりたいことがあります! それなのに、こんな急にお別れなんて……絶対嫌ですっ!」
雪歩の強い意志の表れに、真は感激して彼女の手を取った。
「よく言ってくれたね雪歩! 一緒に頑張ろう!」
「うん、真ちゃん! ほら、みんなも!」
「……分かった! 私もやるよ!」
「四条さんはどこへもやらないわ」
「ミキもがんばっちゃうよ!」
「自分だって、何があっても貴音を守るさー!」
真と雪歩に続いて、春香、千早、美希、響と、仲間たちが我も我もと立ち上がった。それを目にして、ジーンと感動する高木。
「何と美しい友情だ……。そう思わないかね、音無君」
「ええ、おっしゃる通りです社長……うう!」
小鳥はハンカチで目頭を押さえた。
最後に真がガイに呼びかける。
「プロデューサーも、お力を貸して下さい! オーブがいれば百人力です!」
だが当のガイは渋面だ。
「しかし、相手は曲りなりにも貴音の縁者だぞ? それと争うってのは……」
「プロデューサー!」
迷うガイだが、アイドルたちの訴えかける眼差しを一身に浴びて、観念したように息を吐いた。
「……まぁ、確かに一方的だよな。分かった、俺も説得に協力しよう」
「やったぁっ!!」
喜ぶアイドルたち。雪歩と真は貴音の手をギュッと握り締める。
「四条さん、安心して下さい。何があっても、私たちがお守りします!」
「一緒にアイドル続けようね、貴音!」
皆の行動にしばし呆然としていた貴音だったが、口元をほころばせると二人にうなずき返した。
「ありがとうございます……。皆、本当に感謝致します……!」
こうして765プロ総出による、四条貴音防衛線が結成されたのだった。