佐久間さんのお家にお呼ばれした。
お家と言っても、プロダクションの女子寮ではあるが。それでも女の子の、ましてやアイドルのお家だ。いかにパパラッチに細心の注意を払っているプロダクションの寮とて、入るわけにはいかない。
入るわけにはいかないのだが……。
今日の仕事終わり、僕はスタジオから事務所まで佐久間さんを車で送っていた。
こんなのはマネージャーの仕事だと言う人もいるかもしれないが、僕の所属する事務所はアットホームを全面に推しているので、アイドルとプロデューサーがなるべく接する様言われている。
それは別にしても、可愛い女の子を助手席に乗せて運転するのは、中々に楽しい。
三十分ほど走った時だったか。佐久間さんのケータイが鳴った。
佐久間さんは人といる時、ケータイをいじらない。だからその時も佐久間さんは通知を無視したのだが、僕が出ていいよと言うと、佐久間さんは遠慮がちにケータイを見た。
僕は自分のことを、趣味がいい人間だと言う気は毛頭ない。
家具だって安くて丈夫ならそれでいいし、高級車にだってあまり興味がない。服装……はどうだろう、プロデューサーになってからほとんどスーツしか着てないから分からないな。
ともかく、僕は趣味のいい人間ではないが、悪い人間でもないつもりだ。
何が言いたいかと言うと、僕は決して人のケータイの画面を除き込む様な事はしない。しないのだが、偶然見えてしまうのは仕方がないと思う。
佐久間さんに連絡を送ってきたのは、渋谷さんだった。
渋谷さん――渋谷凛さんは、僕が担当するアイドルの一人だ。
一人と言うより、片割れと言った方がいいか。
僕が担当してるアイドルは、何を隠そう二人しかいない。一人は渋谷さんで、もう一人は僕の隣に座っている。
僕が佐久間さんのケータイの画面を――あくまで偶然に――見ている事に佐久間さんは気づいた様だ。
当然、僕は謝った。
佐久間さんは笑って「構いませんよぉ。むしろプロデューサーさんになら、まゆの全てを見て欲しいです」と言って許してくれた。
確かに、プロデューサーはアイドルの生活のほとんどを把握、もしくは管理しているかもしれない。
でも僕は、アイドルにもプライベートがあってしかるべきだと思っている。だから今回、僕がした事は許されない事だ。僕はもう一度、今度は目を見て謝った。
すると佐久間さんは僕の顔とケータイを交互に見て、何か思いついた顔をした。
どこか楽しそうに、佐久間さんは僕にケータイの画面を見せてきた。
渋谷さんと佐久間さんの仲が良く、連絡を取り合ってる事は知ってる。だけど、その内容はほとんど謎だ。
正直な話、僕は二人の会話にとても興味があった。僕は素直に画面を見た。
「ごめんまゆ。今日お店の手伝いしなくちゃいけなくなった。ご飯は一人で食べて。今度埋め合わせはするから」
渋谷さんらしくない、簡潔な文章だ。
僕に連絡が来る時は、今何をしてるだとか、僕が何をしてるだとか、今日あったちょっとした出来事だとか、やたらと色々盛り込まれているのに。ひょっとして僕は気を使われているのだろうか。
「今日は凛ちゃんとご飯を食べるお約束をしていたんです。毎週火曜日は、交互にお料理を作って、発表会をしてるんですよぉ」
それは、何と素晴らしい事だろう!
このご時世、ユニット内でも仲が悪いアイドルが沢山いると言うのに、この二人の友情の何と素晴らしい事か。
僕は今すぐにでもこの素晴らしさを全世界に送り届けたいと思ったし、実際僕はそういう仕事に就いているが、これはそっと二人だけの世界にしておくべきだと言う判断を、僕は下した。
この判断のせいで明日世界が滅ぶとしても、僕に後悔はない。女の子同士の友情を応援出来なくて、何がプロデューサーだ。
「今日まゆは、ビーフシチューを振る舞おうと思ってました。昨日からお鍋で、お肉をずっと煮込んでいたんですけど……このままだと、無駄になっちゃいます。だから、プロデューサーさん。良かったら、まゆのお家で、一緒にお夕飯を食べていただけませんか?」
佐久間さんは少食だ。対して渋谷凛さんは、女の子にしては沢山食べる方だ。
確かに、ビーフシチューは今日中には無くならないだろう。
しかし、ここで大きな疑問が発生する。
ビーフシチューは保存出来るのでは? という点だ。
寮に置いてある冷蔵庫は大きい。鍋に入ったビーフシチューごと入れても、何の支障もきたさないだろう。僕がそのことを言おうとすると……
「それに、寂しいので……」
寂しいならしょうがない。
僕はそう思った。
こうして、僕は佐久間さんのお家にお呼ばれした。
◇◇◇◇◇
実はこれまでも何度か、佐久間さんのお家にお呼ばれした事がある。
もちろん、僕はずっと断ってきた。
いや、一度だけ行こうと思った事もあるのだが……渋谷さんに急な事情が出来たと呼ばれてしまった為に、欠席することになってしまった。
お邪魔します、と言いながら部屋に入る。ふんわりと良い匂いがした。
「お帰りなさい、プロデューサーさん」
その返事はちょっとおかしいんじゃないだろうか。
僕はそう思ったが、それを口に出す事はしなかった。
女の子の部屋、それもとびっきりの美少女の部屋に入るという幸せを噛み締めるのに忙しかったからだ。
「お鍋を温めてきますね。プロデューサーさんはくつろいでて下さい」
僕は言われた通り、くつろぎたかった。だけど現実の僕は、部屋の真ん中にある机の前で、ガッチガチに正座してる。
ピンクとリボンをメインに飾られた部屋は、男の僕には少し居心地が悪い。そこかしこから良い匂いがするとなればなおさらだ。加えて、目の前にタンスがあるのもいけない。あそこに佐久間さんの下着があると思うだけで、もうどうにかなってしまいそうだ。
何だか落ち着かなくて、キョロキョロと部屋を見回してしまう。
無礼だと分かっていても、やっぱり他人の部屋は気になるものだ。
基本的には、ファンシーな「女の子の部屋」だ。
だけどいくつか、この部屋のコーディネートに会ってないというか、物凄く奇抜な物がある。
例えばそう――壁にかかってる僕のポスターとか。
えっ、なんで? なんで僕のポスターが飾ってあるの? しかもあろうことかシャワー中の僕だ。こんな写真撮られた覚えもなければ、もちろん作った覚えもない。
「プロデューサーさん。コーヒーをお淹れしましたよぉ。ミルクとお砂糖多めにしておきました。まゆの愛情もたっぷりです」
お礼を言ってから、一口。
うん、美味しい。僕好みの味だ。
佐久間さん簡単なお茶菓子と自分の分のコーヒーを机に並べた後、真横に座った。対面に座ったらいいと思うんだけど、佐久間さんはこの方が話しやすいんだそうだ。
僕が僕のポスターを見ている事に気付いた佐久間さんが、嬉しそうに説明してくれる。
「あっ、そのポスターですか? とっても良く撮れてますよねぇ。まゆ、それを見るといつもうっとりしちゃうんです」
違う、そうじゃない。
僕が聞きたいのはポスターの出来じゃなくて、これが作られた経緯だ。
「一昨日に撮影して、昨日作りました」
違う、そうじゃない。
僕が聞きたいのは日数的な経緯じゃなくて、理由の方だ。
「……風水です」
えっ。
「まゆのお部屋の風水的に、プロデューサーさんのお風呂ポスターを飾るのが一番いいんです」
風水ならしょうがない。
僕はそう思った。
しかし、まゆはどうやって写真を撮ったのだろうか。
僕の部屋は千川さんしかしらないし、ましてや撮影場所はバスルームだ。近くで誰かが写真を撮れば、絶対に気がつく。
「うふ。念写、です」
そっか、念写か。
それなら何もおかしい所はない。
僕は納得して、コーヒーを啜った。本当に美味しいな、これ。
はしたないと思いつつも、僕は佐久間さんにお代わりをねだった。
「はぁい」
佐久間さんは直ぐに、新しいコーヒーを持って来てくれた。
僕がコーヒーを啜ると、佐久間さんがじっと見てくる。
僕の飲み方に、変な所があっただろうか……それとも、味を気にしてるとか?
僕は感謝の言葉と共に、まゆにコーヒーの感想を言った。残念ながら僕はグルメリポーターではないが、プロデューサーだ。パーフェクトコミュニケーションは朝飯前である。
「うふ。ありがとうございます。ところでプロデューサーさん、眠くなったら直ぐに言って下さいね」
眠く……?
もしかしたら、佐久間さんはカフェインの効能を勘違いしているのかもしれない。だとしたら、可愛い間違えだ。
まあどちらにせよ、僕は胃に金属を貼ってるから効果がないが。
そういえばもう一つ、佐久間さんに聞きたい事があった。
ベッドの上に無造作に置いてある、鈍い光を放つこれ――手錠だ。それもジョークグッツの類ではない、本物のズシリとした重さがある手錠。どう考えてもこの部屋のインテリアには合わない、というより女の子の部屋に合わない。
「手錠ですか? 色んな使い道があるんですよぉ」
ふむ。
僕はあまり家事をしない方なので分からないが、例えば新聞紙が窓拭きにはとてもいいとか、そういう意外な使い道が手錠にはあるのかもしれない。
これは反省だ。
手錠と聞いただけで、監禁とかSMとかしか思い浮かばない僕は、なんて穢れた大人なんだ。
自分が恥ずかしいよ、まったく。
「例えば左手とベッドとを繋げば、ね?」
カチャン。
そう言って佐久間さんは、僕の左手とベッドに手錠を嵌めた。
……。
………。
結局こんな使い道じゃないか!
僕の反省を返せよ!
「うふふ。素敵です、プロデューサーさん」
ありがとう。
自分でも単純だと思うが、僕は佐久間さんに「素敵」と言われただけで舞い上がってしまう。
しかし、何故手錠を僕に?
「プロデューサーさんとずぅっとずぅっと一緒に居たくて……」
凄く魅力的な提案だが、僕はプロデューサーで、佐久間さんはアイドルだ。
一緒にいる事は出来ても、ずっとはいられない。
僕はコーヒーが入っていたマグカップでピッキングして、手錠を外した。これくらいはプロデューサーとしての嗜みだ。プロデューサーなら誰でも出来る。
冗談はこのくらいにして、なんでこんな本格的な手錠がここに?
僕は佐久間さんに聞いて見た。
「コースターです」
そう言って佐久間さんは、手錠をマグカップの下に敷いた。
なるほど、コースターか。
確かに、コースターとして見ればオシャレかもしれない。一つで二つ分のコースターになるしな。うん、そう考えると悪くない。
流石は佐久間さんだ。
次。
もう一つ、気になる物がある。
それは金庫だ。
金庫は、僕の家にもある。一人暮らしの寮生活だと少し珍しいかもしれないが、金庫自体は割とメジャーな物だろう。
では何が気になる点なのかと聞かれれば、その大きさだ。
バカデケェ。
床から天井ギリギリまで、クローゼットを優に貸す大きさの金庫。豪邸でもここまでの物はそう見れないんじゃないだろうか。
「金庫ですかぁ? まゆの宝物がたくさん入ってるんですよ。見ますか?」
答えは当然「イエス」だ。
正直、とても気になる。
佐久間さんは金庫に近づくと、扉に手を合わせた。まさかの手形認証である。その後、指紋認証と続き、やたら長いパスワードを打ち込んだ後、佐久間さんは「愛してます、プロデューサーさん」とつぶやいた。
どれだけ厳重なんだ、その金庫。
「前はもう少しグレードの低い金庫を使ってたいたんですけど、凛ちゃんに開けられちゃって」
渋谷さんは何者なんだろう。
「これがまゆの宝物です!」
ゆっくりと開いた金庫の中には――何でもない小物が入っていた。
正直、どれも大した物に見えない。
……いや、全部何処かで見た事がある気がする。
これは、えっと。
「プロデューサーさんにプレゼントされた物がぜぇんぶ入ってるんですよぉ。例えばこれは、二年前の三月十七日十四時三十七分にプレゼントされた飴の包み紙です」
そう言われて見れば、二年前の三月十七日十四時三十七分ごろにソーダ味の飴を渡した気がする。
よく見てみれば、確かに僕が渡した物ばかりだ。
「まゆの、本当に大事な宝物なんです」
佐久間さんは愛でる様に、金庫の中の物を手に取った。
あれは三年前の八月三日二十時四分にロケ先で渡した紙コップだ。
そんな些細な物まで取っといてるなんて。もしかして佐久間さんは……
……佐久間さんは、とても物持ちが良いんだろうか。
それなら、とても良い事だ。
僕はあまり物持ちが良くない。結構何でもホイホイ捨ててしまう。見習わなくちゃな。
「プロデューサーさんには、何か宝物はありますか?」
僕の宝物、か。
それはもちろん、渋谷さんと佐久間さんだ。
金庫に入れて保管しようとは思わないけど、それでもとても大事にしてる、僕の宝物。
僕がそのことを佐久間さんに言うと、佐久間さんは顔を真っ赤にした後「し、しょろしょ! ……そろそろビェーフシチューが温まったきょ、きょろだと思うので、まゆは、まゆはキッチンに参ります!」と言ってキッチンの方へと行って決まった。
しかもさっきから、ドンガラガッシャーン! という何かが凄い勢いでぶつかる音が聞こえて来る。大丈夫だろうか。
その日食べたビーフシチューは、本当に美味しかった。ちょっと血の味がした気がするが……佐久間さんでも、牛肉の調理方法を間違える事があるのだろう。
それに、途中包丁を持った渋谷さんが尋ねてきた。きっと、佐久間さんと佐久間さんと一緒に料理がしたかったのだろう。何とも微笑ましい。
やはりこの二人は僕の宝物だ。
僕はそう思った。
書いといてなんですが、個人的にまゆはヤンデレだとしても、相手を傷つけるとか好きな人の好きな人を潰すとか、そう言う方向じゃないんだと思うんですよね。
まゆのヤンデレはあくまで「献身」だと思います。
好きになって欲しいから、相手に尽くす。その尽くし方が他の人より激しい、と。
例えばプロデューサーの出社時間を完璧に把握してて、好みに合った完璧なコーヒーを用意しておく、見たいな。
他のアイドルに専念してたら、自分は負担にならない様頑張って、加えて他のアイドルのメンタル面も補っておく、とか。
でもライバルの凛ちゃんにはちょっと厳しく当たっちゃう、見たいな。
そんなまゆが最高だと思います。
この方向で書いておけばよかったな……。