モバマスss置き場   作: junk

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薄 荷 加 蓮

 朝。

 不愉快な目覚めだ。

 ここ最近毎朝、目が醒める度に強烈な喪失感に襲われる。

 理由はハッキリしていた。

 俺の担当アイドルの一人、北条加蓮が病に倒れたからだ。

 加蓮は元々、体が強い方ではなかった。むしろ、その逆。かなり病弱だ。それを俺が無理を言って外に連れ出して、アイドルにした。

 あの時はそれが素晴らしい事に思えた。加蓮の夢を叶えてやりたい、人生諦めた風を装って本当は誰よりも憧れてる加蓮の夢を。そう思った。

 

 しかし、今なら分かる。

 加蓮の夢を叶えるなんてとんでもない。俺は自分に酔っていたのだ。病弱でアイドルに憧れている女の子(加蓮)を、自分の手で連れ出してアイドルにする、そんなシンデレラストーリーを勝手に作って、それを叶えてやってる(・・・・)自分に酔っていた。

 本当に加蓮の事を考えるのであれば、俺は加蓮をあそこから出すべきではなかった。あの病室にいれば、加蓮は辛い思いをせずにすんだ……

 童話のシンデレラだってそうだ。

 偶々王子様に見染められ、偶々王子様に見つけて貰えたからいいが、王子様に見向きもされず、叔母達に正体がバレていたらどうなっていた?

 本当にシンデレラの事を考えているのであれば、魔法使いは何もすべきではなかった。

 

 ……ああ、出勤の時間だ。

 朝起きてから、何をするでもなく、一時間近くも布団の上に座っていた。朝のシャワーとニュースの確認は諦めないとダメそうだ。一人の担当アイドルの為に仕事を疎かにするなんて、いよいよプロデューサー失格だ。

 

 

   ◇◇◇◇◇

 

 

 自分でも仕事に集中出来ていないのが分かる。

 何度も書類の打ち間違いをしている。一度目を通した書類にもう一度目を通してしまっているのに、終盤まで気がつかないこともあった。

 幸いと言うべきか、今日は他の事務所のプロデューサーや、テレビ局の方々との打ち合わせのような仕事はないので、致命的なミスをすることはないだろう。

 

「プロデューサーさん」

「……」

「プロデューサーさん!」

「……」

「プロデューサーさん!!」

「えっ? あっ、何ですか?」

「はあ。今日はもう、帰った方が良いと思いますよ。急ぎのお仕事も無いですし、後は私がやっておきますから」

「いや、でも……」

「プロデューサーさん。ハッキリ言って、今の貴方はお荷物です。そんな状態で働いてもしょうがありません。加蓮ちゃんの所に行ってあげて下さい」

 

 いつも「もっと残業して、私を定時で帰らせて下さいよおー」とか言ってるちひろさんに、こうまで言われてしまうとは。どうやら、今の俺は自分で思ってるより仕事が出来て無いらしい。

 今日はお言葉に甘えさせてもらうとしよう。

 荷物をまとめ、挨拶をしてから、事務所をでる。

 ──扉を開けようとすると、ソファーに座っていた凛と奈緒に呼び止められた。

 

「プロデューサー、そんな顔で加蓮の所に行くつもりなの?」

「えっ?」

「髪はボサボサ! 髭は剃ってない! 目の下のクマ! 何時もの腕時計も忘れてる! ……加蓮はあたしよりその辺のチェック厳しいんだから、すぐ分かっちゃうぜ」

 

 そう言われてみれば、今日は朝起きてから一度も身嗜みを整えてない気がする。外回りの仕事にいかなくて良かった。

 

「奈緒は髪をお願い。私は顔やるから」

「りょーかいっと」

 

 後ろで奈緒が髪の毛を梳かしてくれる。正面では凛がクマを隠す為のメイクを。我ながら、アイドルに何やらせてるんだって感じだ。

 凛がナチュラルメイクが上手いのは当然として、奈緒が髪の毛を整えるのが上手いのには驚いた。自分の髪型はいつも、寝起きの大型犬みたいなのに。奈緒にこの事を言ったら「うるせー!」って怒られちゃったけど。

 

「二人とも、ありがとな」

「プロデューサーと加蓮の為だからね。このくらい、なんて事ないよ」

「ま、加蓮をよろしくな。病室に一人じゃ寂しいだろうから」

「寂しがってるのは奈緒でしょ。加蓮とプロデューサーが居なくて」

「な、何でここで私の話になるんだよっ! それにぃ、凛だって寂しがってるだろ!」

「うん、寂しいな。だから慰めてよ、プロデューサー」

「な、なな、なっ……!?」

 

 じゃれ合う二人を見て、こいつらが俺の担当アイドルで良かったと、心から思う。これだけ仲が良いアイドルグループは、ちょっと他にないだろう。自慢のアイドル達だ。

 だからこそ、余計に思う。早く加蓮もここに戻してやらないと、と。

 ……馬鹿か、俺は。

 それでまた加蓮が倒れたらどうする?

 俺の自己満足の為に、加蓮をまた振り回すのか?

 そうじゃないだろう、俺が加蓮のためにしてやれる事は。

 

 

   ◇◇◇◇◇

 

 

 慣れ親しんでしまった病院。

 加蓮がいる病室の前。身嗜みはトイレで整えてきた。加蓮は勘の良いヤツだ、ちょっとの事でこっちの状態を見破ってくる。

 それに、加蓮は優しいから、もし俺が加蓮のことでやつれてるとしったら、心配するだろう。これ以上あいつに心労をかけるわけには行かない。

 コンコン、とノックをする。直ぐに「はぁーい」と気怠げな返事が返って来た。

 

「俺だ。入ってもいいか?」

「あ、Pさん? 来てくれたんだ。ちょっと待っててね」

 

 病室の中で、何やら片付けている音がする。

 最初に加蓮が倒れた時、急いで病室の中に飛び込んだら……まあなんだ、加蓮が体を拭いてる最中だった。その上、下着がその辺りに置いてあった。それに長期入院だと、衣類も含め、自分の私物を色々と持ち込むらしい。それを見られるのが恥ずかしいんだってさ。

 

「お待たせー。もういいよ」

 

 加蓮の声がした。笑顔で病室の中に入る。前に買い過ぎだと怒られてしまったから、今回の差し入れはプリン一つだ。

 

「おっす、加蓮。元気にしてるか?」

「オッス、Pさん。げんき、げんき。チョー元気だよ。さっきも病院食モリモリ食べちゃった。まだまだ食べ足りないくらい。早く奈緒と凛とPさんと4人でポテト食べに行きたいなぁ〜」

「奈緒と凛も行きたがってたよ。俺は……ちょっと忙しいけど」

「えー。そこは嘘でも、退院したらみんなで行こうって言う場面でしょ」

「そう言って於てドタキャンしたら、もっと不機嫌になるだろ」

「まあね」

 

 たわいの無い話をした。

 最近事務所で起きたこと。凛が単独ライブをまた成功させたこと。奈緒の握手会にクラスメイトの男の子が来て顔を真っ赤にしたこと。

 それと加蓮のリクエストで、いくつか俺のことを。電車で隣に座ったおじさんの体臭がキツかったとか、昼ごはんを食べに立ち寄った事務所近くの定食屋が意外と美味しかったとか、たわいのないこと。

 

「おっと、もうこんな時間か。そろそろ行かなきゃな。

 

 面会終了の時間が近づいていた。

 ……いつもなら「病院たいくつー。まだいてよ、Pさん」と加蓮が言いだすのに、今日はダンマリだ。どうかしたのか。

 

「……ねえ、Pさん」

「……なんだ」

「私、もう死ぬよ」

「おい!」

 

 思わず大きい声を出してしまった。だが、しょうがないだろう!

 大切にして来た担当アイドルが、こんな事を言うんだから! 冷静でいろって方がどうかしてる!

 

「ごめん、Pさん。でもね、分かるの。今回は今までとはちがう。ごめん、ごめんねPさん。せっかく貴方がここまで育ててくれたのに……」

「弱気になるなよ! それに、俺は何もしてない。加蓮が自分で成長したんだ。これからもそうだ。凛と奈緒と3人で! 俺と、ちひろさんだっている!」

「Pさん、ここ病院だよ? 声、もう少し抑えた方がいいんじゃない」

「なっ、だってお前……いや、そうだな。ごめん。でもな、加蓮──」

「聞きたくない。昔の何でも諦めてたアタシじゃない、Pさんが育ててくれた今の私が言うんだよ。これは絶対。私はもう、長くない」

 

 意識を失いかけた。

 世界が反転した。天井が床に、床が天井に。左が右に、右が左に。正面が背後に、背後が正面になる。頭の中がぐるぐる回った。吐き気がしてくる。

 走馬灯の様に、昔のことがフィードバックしてきた。加蓮と出会った時のこと、アイドルにスカウトした時のこと、スカウトを断られて、それでも通い詰めて何とかアイドルになってもらって、初めてのライブに出て、凛と奈緒とユニットを組んで、それからは4人で歩んで──

 

 ──そして今、加蓮は病院にいる。

 

 はたして俺がして来た事は、何だったのだろうか。意味があったんだろうか。あったとして、それは加蓮の命を削ってまでするほどのモノだったのだろうか。

 分からない。

 俺には何も、分からない。

 

「……加蓮。俺に何が出来る?」

 

 俺の質問を予期していたのだろう。あるいは、それが本題だったのかもしれない。加蓮はほとんどまをおかず、俺の問いに答えた。

 

「Pさん。私と一緒に死んで」

 

 天井は天井に、床は床に。右が右に、左が左に。正面が正面に、背後が背後になった。俺と頭の中は静止した。

 世界が元通りになった。

 

「勿論だよ、加蓮」

 

 だから俺は、笑ってそう答えた。

 

 

   ◇◇◇◇◇

 

 

「おはようございます!」

「おはようございます、プロデューサーさん。何かいいことでもあったんですか?」

「? 何でですか?」

「いえ、昨日と比べると随分元気になってらしたので。やっぱり、加蓮ちゃん効果ですか?」

「何ですか、加蓮効果って。まあでも、そうですね。加蓮に会ったお陰で、色々と大切な事に気が付けました。もう大丈夫ですよ。今日から仕事、今での遅れを取り返す意味でも、ガンガンやりますよ!」

「お、やる気ですね。それじゃあ私は、今日は定時上がりで」

「ちひろさんにはここ十何日か迷惑かけましたし、良いですよ」

「ホントですか!? 言ってみるモノですね! チッヒッヒッヒ」

「えっ、なんですその笑い方?」

 

 これでも中堅プロデューサー。パーフェクトコミュニケーションもお手の物だ。何を言えばちひろさんが定時に帰るかなんて、簡単にわかる。

 

 ちひろさんが帰った後、前々からテレビ局や外回り営業に行かず、事務所でコソコソと作っていた引き継ぎの資料を急ピッチで仕上げた。

 元々、加蓮が退院したら俺はプロデューサーを辞めるつもりだった。それがこんな形で役に立つとは、人生何が起きるか分からないものだ。

 凛や奈緒といった担当アイドル達、ついでにちひろさん宛ての手紙と、最後に辞表を机の上に置いて、準備完了だ。

 多少、いやかなり無責任だ思うが……これで最後なんだ、許してくれるよな。

 

 事務所を出て、一括で買った黒いバンに乗る。プロデューサーって職業はかなり給料が良いのだが、いかんせん忙し過ぎて使う機会がない。貯まる一方だった。

 荷台には銀行で降ろしてきた俺の全財産と、変装道具、女性用の服がカバンに詰めて置いてある。

 

 車を走らせ、病院へ。カバンを持って加蓮の病室へ急ぐ。

 病院では、バッチリとメイクを終えた加蓮が待っていた。普段からメイクに凝ってるだけある、変装道具を使わずとも、ちょっとやそっとでは加蓮だと気がつかれない容姿になっていた。

 

「何だか俺、無性にワクワクしてるよ。ジェームズ・ボンドにでもなったみたいだ」

「ふふっ。ちょっと分かるな、その気持ち。でも私はスパイってゆーより、駆け落ち前夜みたいな気持ちだよ」

 

 カバンからウィッグと、今時の子が着そうにないダサい服を取り出す。

 

「ほれ、ご注文のロングヘアーのウィッグと、ダサい服だ」

「わぁ、これホントにダサいね。何処で見つけてきたの、コレ」

「ヘレンさんの私服だ」

「!?」

「冗談だよ。さ、時間もあんまり無いんだ。さっさと着替えてくれ」

「変な嘘つかないでよ! 寿命迎えちゃうかと思った」

「ごめん、ごめん。でも加蓮、お前のその冗談もシャレになってないからな」

 

 俺の背後で布の擦れる音がする。加蓮の着替える音だ。

 昔、全然売れてなくて、事務所も貧弱だった頃。レッスンスタジオもロクな所を借りれなくて、ミニライブの箱もしょぼかった頃は、共用の控え室で着替える事なんかザラだった。

 でも、何だろう。アレから月日が流れて今、妙に緊張する。

 

「Pさん……」

「加蓮……」

 

 いつの間に着替え終わったのか、後ろから加蓮が抱きしめて来た。病院食をモリモリ食べてるってのは嘘じゃ無いらしい。体つきも昔のマンマだ。

 ……いや、エロい意味じゃないけど。

 

「行こうか」

「うん」

 

 手を繋いで、二人一緒に病室を出た。

 看護師さんとすれ違うたび、受付の前を通るたびに心臓が強く自己主張してくる。バレるかもしれない恐怖からか、加蓮と二人でいる高揚感からかは分からない。多分、どっちもだ。

 嬉しいことに、どうやらそれは加蓮も一緒らしい。

 握ってる手の力をギュッと強める。これでも一応男なんだ、たまには頼りになるって所見せないとな。

 

 拍子抜けするほどアッサリと、病院から出ることが出来た。

 当然と言えば当然か。

 加蓮の変装は完璧だったし、そもそもあんまり夜遅く出なければ、入院してるといっても外に出ることは許可されている。

 それでもコッソリ抜け出したのは、やっぱり気分によるものが大きい。

 

「最初、どこ行く?」

「うーん、アウトレット行こうよ。御殿場の。先ずは服買いたいなぁ」

「オッケ。今そのダサい服しかないしな」

「下着もないしねー」

「……悪い、予備の下着買うの忘れてた。明日の朝まで今履いてるのでガマンしてくれ」

「えー。女子高生に2日続けて同じ下着履いとけなんて、犯罪だよPさん」

「俺も同じ境遇なんだ、許してくれ」

「ふふっ。何そのフォロー。くたびれたリーマンのおっさんと、華の女子高生の扱いが一緒でいいと思ってるの?」

 

 後で知ったんだが、今時はコンビニに下着が売ってるらしい。知ってれば買いに行ったんだけどな。

 

 

   ◇◇◇◇◇

 

 

「「海だぁーーー!」」

 

 二人揃って、おきまりのセリフを叫んだ。

 そういうわけで、海である。

 服を買った後、加蓮が海を見たいと言ったので、海に来た。近くに宿をとっての、一泊二日だ。

 

「……うん、叫んだらもう満足しちゃった」

「意外とやることないな、海」

「お、泳ぐ? 私泳げないけど……」

「加蓮をここに放置して一人で泳ぐって、どんな遊びだよ。それ以前に、今冬だしな」

「それもそうだねー」

 

 結局砂浜を二人で歩くことにした。

 この歳になって、こんな学生みたいなデートをすることになるとはなぁ。

 腕を出すと、加蓮は少し驚いた顔をした後、腕を絡めた。

 

「……やっぱりPさんも大人の男の人なんだね」

「ん?」

「自然にエスコート出来るってことは、経験があるってことでしょ?」

「まあ、俺もいい歳だしな。人並みくらいの経験はあるよ」

「うーん、なんか悔しいなぁ。私が知らないPさんがいるって。Pさんは私の事、全部知ってるのに」

「そんなにむくれるなよ。今から知ってることを多くしていけばいいだろ?」

「やだなーその慰め慣れてる感じ」

「どうすればいいんだよ……」

「ふふっ、ごめんごめん。からかいすぎたね」

「ほどほどにしてくれよ? 職業柄流行は出来るだけチェックしてるけど、やっぱり現役女子高生には手も足も出ないんだから」

「うーん……でもやっぱり、私はその常に困ってる感じのPさんが好きだなー」

「俺は嫌いだ」

「本当にごめんね。──後で私の身体、好きにしていいから」

 

 アゴを肩に乗っけて、耳元で囁かれた。どこで覚えてくるんだろうな、こういうの。俺が高校生の頃は、もっとアホっぽい恋愛しか出来なかったのになあ。

 100年早い、と加蓮の頭にチョップを落としてやると、頭を抑えながら涙目で「うー」と唸っていた。この辺は年相応だな。

 

「プライベートのPさん、ちょっと意地悪かも」

「そうか?」

「絶対そうだよ! 仕事の時は気配りしすぎぃーー! って感じだけど、プライベートだとなんか、部活のOBできた遊び慣れてる大学生みたい」

「例えが具体的過ぎるだろ」

「ま、イメージだけどね。私って耳年増だから」

「自分で言うのかよ……」

「うん。今更取り繕っても、Pさんには全部お見通しだからね。私がPさんと以外の男の人とほとんど話したことない事も、まともなデートの一つもした事ないのも、キスした事ないのも、処女な事も、Pさんは全部知ってるでしょ?」

「まあ、な」

「でも私はPさんのこと、ほとんど知らない。公私混同しないタイプの人だってことと、私達のこととっても大切にしてたってことくらい。だから、教えてよ──」

 

 

「──唇の味、とか」

 

 

 頬を染めてそう言った加蓮が無性に愛らしくて、俺は年甲斐もなく、返事もせずにキスをした。

 お互いの唇が触れ合い、形を変える。

 俺が加蓮の肩を抱くと、加蓮も俺の背中に手を回して抱きしめ返してくれた。

 

「ん……ぷはぁ! Pさんって意外とだいた──ん゛ん!?」

 

 一度唇を離してから、またキス。

 ファーストキスがディープキスは嫌だろうから。流石に、そのくらいの理性は残ってる。でも2度目を止める理性は残ってはいなかった。もう一度あの味(加蓮の唇の味)を寄越せと、本能が叫んでる。

 左手で背中をさすりながら、右手で後ろ髪を掴む。そしてユックリ引き寄せて、深くキスをする。舌を入れると、加蓮は子猫のようにもがいた。それでも御構い無しに、加蓮の唇を貪る。

 唇を離すと、唾液のアーチがかかった。加蓮はそれを起用に舌で巻き取ると、ペロリと舐めた。

 

「ん、美味し。Pさんの味、もう完璧に分かったよ」

 

 ……やっぱり女の子だなぁ。仕草がもう色香を帯びてる。

 恋愛に関しては、男は一生女に勝てないだろう。

 俺はもう一度加蓮を強く抱きしめてから、3度目のキスをした。

 

 

   ◇◇◇◇◇

 

 

 かぽーん。

 そんな擬音が今にも聞こえてきそうな、風情のあるお風呂だ。流石高い宿を取っただけの事はある。内風呂でもこんなに豪勢とはなぁ。

 海から戻った俺たちは、砂と塩を落とそうということで、風呂に入ることにした。勿論、バスタオルは巻いてる。

 

「お酌致しましょうか?」

「む? それじゃあお願いしようかな」

「では失礼して──」

 

 慣れてはいないが、作法は良く出来ていた。

 

「お酌の作法なんて、何処で覚えてくるんだ?」

「んー? 周子に教えてもらったんだ」

「何やってるんだ、あいつは……」

 

 LiPPSに入ってからは落ち着き始めたのに、裏ではまだそんな事してんのか、あいつは。

 

「ねーPさん」

「んー?」

「私もお酒飲んでいい?」

「……良いぞ」

「ホント? やった!」

 

 断られると思ってたんだろう。加蓮は少しガッツポーズをすると、お湯に浮いたお盆から俺のお猪口をとって日本酒を飲んだ。

 

「おえ、何これ。不味ぅーー……」

「そうなると思ったよ」

「もうお酒は良いや。私はジャンクフードが良いなぁ」

「それなら明日食べに行くか。ジャンクフードなんて、ここ最近食べてなかったし」

「やったぁ! あ、背中流してあげようか? 現役女子高生アイドルによるソー──」

「おい、誤解を招くような言い方をするな!」

 

 加蓮はイタズラな笑みを浮かべながら、俺の手を引っ張った。

 洗面所の鏡越しに見える加蓮は、楽しそうに手をワキワキさせている。

 

「修学旅行行けなかったから、実はこういうのちょっと憧れてたんだよねえ」

「ん? 凛とか奈緒の家泊まりに行ったらしなかったのか?」

「行ったよー。でもスペースの問題で、洗いっことか出来なかったんだよね。それに、女の子同士でやるのと、好きな人にしてあげるのじゃ、全然違うよ」

「せやろか」

「何で関西弁……?」

 

 加蓮はボディ・ソープを泡だてて、俺の背中を洗い始めた。

 

「……ておい、おい。タオルじゃなくて素手かよ」

「嬉しいでしょ?」

「まあぶっちゃけ嬉しい」

「Pさんは経験ある?」

「何の?」

「だからソー──」

「ない! ないから」

「ふーん、そっか。それじゃあ私が初めてだねー。Pさんの初めてもーらいっ!」

 

 おっさんの初めてがそんなに嬉しいもんかね。

 しかし──人に背中を洗ってもらうというのは、案外気持ちが良いな。ローションマッサージみたいなもんだろうか。

 

「──ん、ん…っと」

「あ゛ーー……」

「ふふ、なあにその声。おじさんくさいよ?」

「おじさんだからなぁ」

「えー、私をおじさん好きにするつもり? Pさんはまだまだ若いって」

「そうか? それなら、若さを見せてやろう。ほら、背中向けろ。洗ってやるから」

「もう攻守交代? まだ前洗ってないよ?」

「前も洗うつもりだったのかよ! イイから大人しく背中向けろ」

「はーい」

 

 ボディ・ソープを出してっと……タオルと手、どっちにするべきだろうか?

 少し迷ってから、結局手にした。タオルだと加蓮に文句言われそうだしな。うーん、最近加蓮の適当さに毒されてる気がする。プロデューサー時代だったら、自己嫌悪で死ぬところだったな。

 肩から下へ、加蓮の背中をさすりながら洗って行く。たまにグッと力を込めてマッサージ。加蓮の背中は細い上に白いなあ……。

 

 

   ◇◇◇◇◇

 

 

 風呂から出た後は、夕食を食べた。流石海沿いにあるだけあって、海の幸がふんだんに使われていた料理が出た。

 加蓮が食べさせ合いたいと言ったけど、それはやめておいた。あの箸から伝わる歯の感触が、俺はどうも好かない。というか、物凄く気持ち悪く感じる。

 

「ぶぅー」

「そういじけるなよ。誰だって苦手な物はあるだろ?」

「それはそうかもしれないけどさー。女と男の仲は合理性だけじゃないんだよ」

「なんだそりゃ」

「ツーン」

 

 口で言うのかよ。

 

「悪かったよ。ほら、一緒に寝よ。それでいいだろ?」

「……分かった」

 

 先に布団に入ると、後から直ぐに加蓮が入ってきた。

 二つの布団がピッタリくっついて敷いてあるのに、わざわざ俺と同じ布団に入って来やがった。まあ嬉しいけど。

 浴衣の布越しに、加蓮の体温と柔らかさを感じる。そっと抱きしめると、ふんわりと女の子の匂いがした。

 

「Pさん、キスして」

「勿論だよ、加蓮」

 

 俺は加蓮にキスした。

 熱い。

 加蓮の唇は、これ以上ない程熱かった。

 唇だけじゃない。

 いつの間にか加蓮の熱が、全身に回っていた。

 身体が熱くて熱くて堪らない。

 

「ん……ちゅ、Pさん──」

 

 加蓮が浴衣をはだけさせた。鎖骨のあたりまで露出する。

 

「ふふ、Pさんもそんな顔するんだね」

「……どんな顔だ?」

「獣の顔。アイドルになってから学校に行った時、クラスの男の子がみーんなそんな顔してた。前からPさんにそんな顔させたいと思ってたんだ。また願い、叶っちゃった」

 

 願いを叶える──はたして、俺は加蓮の願いを叶えられたんだろうか? 自己満足ではなかったんだろうか? こんな事をしても結局加蓮は──分からない。俺には何も……

 

「大丈夫だよ」

「加蓮……」

「大丈夫。貴方が育てたアイドルだよ」

 

 ──そうか、俺は加蓮を育てられたのか……、無駄じゃなかったんだ。俺は加蓮を、病室から連れ出せたんだ。

 

「ありがとう、加蓮」

「どういたしまして……って、普通逆じゃない? 何もかも諦めて、不貞腐れてた私をここまで育ててくれてありがとう、Pさん」

「どういたしまして」

「だからお礼に、私の短い命……全部Pさんに捧げるよ。これからの私は全部、Pさんのもの。私の身体を気遣ったりしないで、好きにして。それが私の、最後の願いだから」

「ああ、分かったよ加蓮……」

 

 俺は加蓮のひたいにキスをしてから、強く、強く……強く抱きしめた。腕の中で、加蓮が苦しそうな喘ぎ声を出す。だけど、抵抗はない。見ると加蓮は顔を紅くしてこちらを見ていた。

 ──来て、Pさん。

 潤んだ瞳が、そう告げていた。俺は加蓮の唇を強引に奪った。舌と舌がまるで交尾中の蛇のように交わる。もうどれがどっちの舌なのかも分からない。ただひたすらに北条加蓮を感じる。

 

「はあ、はあ、はあ……Pさん、私をメチャクチャにして。ここで心臓が止まっちゃうくらい乱暴に──ね?」

 

 俺は加蓮の浴衣を脱がし、その身体を貪った。

 布団の外では俺と加蓮、二人分の浴衣が乱雑に絡み合っていた。

 

 

   ◇◇◇◇◇

 

 

 朝。

 とっても気分の良い朝。

 愛しい人が隣にいる朝は、これまでのどの朝よりも素晴らしかった。

 

「Pさん……ちゅっ」

 

 寝坊助なPさんのひたいにキスをする。昨日はあんなにケダモノだったのに、寝顔はとっても可愛いらしい。私の中でまた一つ、Pさんへの愛が大きくなった。

 ──同時に、胸がズキンと痛む。

 Pさんは、子供じゃない。私以外の女の身体も知ってる。私以外の女がPさんの身体を知ってる。それが私には我慢出来なかった。

 私の全てを、Pさんだけが知ってる。最初はそれだけで満足してた。でも……

 

「私、ダメだなぁ……。ワガママは治らなかったよ」

 

 いつしか、Pさんの全てを私だけが知っていたい、そう思うようになっちゃったんだ。

 前は、ほんの少し前までは、Pさんに恩返しが出来ればいいって、トップアイドルになりたいって、凛と奈緒と三人で頑張って行きたいって、ホントに思ってたんだよ?

 でももう無理なの。

 好きだよ、大好きだよPさん。貴方さえいれば、もう他には何もいらない。

 貴方への感謝よりも、貴方への愛の方が大きくなっちゃった。

 嘘をついてごめんなさい。ホントは私、健康なの。こないだのはワザと薄着で過ごして、ちょっと風邪をひいただけなんだ。

 Pさんに嘘をつくことは……貴方の知らない私の一部が出来る事は、胸が張り裂けるほど辛かったけど、Pさんを手に入れる為なら我慢出来たよ。

 

「でも、Pさんも悪いよ」

 

 Pさんはとっても優しい人。だから、私だけを見てくれない。ありのままの私を見てくれない。

 最初の担当アイドルの凛と想い出を語ってる姿を見ると、胸が張り裂けそうになる。

 奈緒と趣味の話で楽しそうに盛り上がってる姿を見ると、胸が張り裂けそうになる。

 Pさんは私だけを見てくれない。だから、こうしたんだ。

 それに、Pさんは私の身体を気遣ってばかりだった。私だって女なんだよ、大切にされるばっかりじゃなくて、力強く抱きしめられたり、荒々しく求められたりしたいよ。

 Pさんはありのまま私を見てくれない。だから、こうしたんだ。

 

「ん……起きてたのか、加蓮」

「うん。ちょっと下に違和感感じちゃって……」

「あー、悪い。昨日はその、な」

「ううん、いいんだ。むしろ嬉しいくらい。それだけ私に遠慮が無かったって事だから」

 

 好きだよ、Pさん。だから──

 

「──ねえPさん、私と一緒に死んでくれる?」

「勿論だよ、加蓮」












加蓮って森久保が「お仕事むーりー」とか言ってプロデューサー困らせてる所みたら、ブチ切れしそう。同じく志希もそんな感じがする。

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