Dream over!!   作:天杜 灰火

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(数)週(間どころか半年以上もの間に)一(回も)更新(しない)

いやもうほんと申し訳ねぇです……
週一更新とか定期的に更新するのはなんだか無理な気がしてきたので、でき次第普通に投稿していくことにします。


change!!①

『change!!①』

 

『なんだったら、フォームチェックぐらい付き合うよ?』

 

 きっかけは、数日前のその一言。

 スマホの某メッセージアプリに入っていた、達海くんの『しばらく投げていなかったから、フォームが乱れていて上手く投げられない』という相談に対するボクの返答である。

 達海くんのフォームを一番よく見ていたのはボクだし、外からいろいろアドバイスをすることもできる。さすがに一緒に練習、というわけにはいかないけれど、雑用くらいはこなせるだろうし。

 そういうわけで、ボクは達海くんの自主練に参加することとなった。

 

 その言葉が、あまりにも迂闊だということに気付かぬまま。

 

 

 ボクの体力は、どうやらボクの想像以上に落ち込んでいるらしい。

 達海くんとの自主練でボクが行っていたのは球拾いとアドバイスのみ。しかも一緒に練習しているのはたったひとりなのだから、球拾いだって簡単だ。普通の選手なら、バテる要素などひとつもない。たとえ何時間続けていたって、前のボクなら余裕だっただろう。

 だけど、今のボクは全然違った。

 

「あー……」

「もう、無茶するから。男の子だった時の感覚で動いちゃダメよ?」

「いやでも、まさか球拾いだけでここまで疲れるなんて予想できないよ……」

「ここ最近は日差しも強かったからねー……。満月ちゃんが女の子の中でも体が弱い方っていうのもあるんだろうけど」

 

 リビングのソファにもたれかかって、姉さんと話しているボク。

 数日間、達海くんと一緒に練習したボクは、恐ろしいまでの疲労感に襲われていた。あまりハードに練習して彼がまた病院へ戻ることになっても困るので今日はお休みとなったけれど、それ以上にボクがぶっ倒れそうだった。

 体に鉛が入ったよう、とでも形容するべきか。とにかく力が入らず、体が重い。なにもする気になれない。

 

「とりあえずお姉ちゃんはお買い物行ってくるから。お昼ご飯はハンバーグにしようと思ってるんだけど良い?」

「うん……ハンバーグ大好きぃー……」

「……相当疲れてるみたいね。無理せず寝てたら?」

「布団行くのがめんどくさぃー……」

「ソファでも良いから」

 

 頷いてるのかそうじゃないのかわからない返事をする。一応『うん』と言ったつもりである。

 ぐっすり眠ったはずではあるのだけど、まだ寝足りない。おかげで意識がぼんやりしている。

 行ってくるね、という姉さんの声と、扉を閉める音がかすかに聞こえた気がする。

 そこから先のことは、よく覚えてない。

 もう、夢の中だった。

 

 

 ピンポーン、という甲高いチャイムの音でふと目が覚めた。

 どうやら、お客さんらしい。ソファから起き上がる。それができる程度には回復していた。爆睡中に起こされたせいか眠気はまだ健在だけれど。

 もう一度チャイムが鳴る。

 寝起きだと、ボクの場合まったく頭が働かない。それでも、出なきゃいけないとぼんやり思い立ち上がる。

 今日は上下一体のロングワンピースを着ていた。朝姉さんに確認してもらった記憶がおぼろげながらあるし、人前に出ても恐らく問題はないだろう。鈍りきった頭でそんなことを考えながら廊下を渡る。

 眠気眼をこすりながら、玄関の扉を開けた。

 

「どちらさまですかー……」

「あっ、こんにちは。小夜さんいらっしゃいます……か……?」

 

 そこには、ひとりの少女が立っていた。

 明るい茶髪をポニーテールにまとめて、ピンク色の眼鏡をかけた理知的な顔付きの女の子だ。パンツとシャツで簡素に着飾ったそのコーディネートからは夏らしい爽やかさが感じられる。

 その姿を見て、ボクはすぐに彼女が知り合いであるということに気付いた。

 

「……って、マネージャーじゃん。どうしたの? 姉さん探してるの?」

 

 彼女は我が校の野球部マネージャーである。

 野球部員なら間違いなく知っているはずだ。ボクや達海くんも何度かお世話になったことがあるし、友達というほどではないにせよ、廊下ですれ違ったら挨拶や世間話くらいはする、程度の仲。

 そんな彼女がボクの家を訪ねてくるのは、これがはじめてではない。

 ボクとはそれほどではないが、姉さんとマネージャーはとても仲が良い。なんでもボクが高校に入学する前、つまりマネージャーがまだ中学生の時からの仲だったみたいだ。マネージャーが今の高校を選んだのも姉さんの影響だったらしい。それほど親密な関係なのだろう。

 だから、マネージャーがこうして我が家にやってくるのも珍しいわけではなかった。

 ボクの対応も、いつも通りのものだ。

 

「……マネージャー? 姉さん?」

 

 ボクの言葉を聞いたマネージャーが、怪訝な顔をする。

 あれ、なにかおかしなこと言ったかなボク。

 マネージャーをマネージャーって呼ぶのは今に始まった話じゃない。本名は知っているけど、マネージャーって呼ぶ方がしっくり来るし、彼女も『マネージャーで良いです』と言っていた気がする。

 

「失礼ですが、あなたは小夜さんとどのようなご関係で?」

「どのような、って」

 

 今度はボクが首を傾げるハメになってしまった。

 

「もちろん、ボクは小夜さんのおと――」

 

 弟、と言いかけて、気付いた。気付いてしまった。

 ボクがこの姿になって、約一週間。事情を知っているのは姉さんと父さん、そして達海くんだけ。それ以外の人に新しい姿を見せたことも、経緯を説明したこともない。

 つまりマネージャーからすれば、慕っている先輩の家を訪ねたら、中から知らない女の子が出てきた――ということになる。しかも、憧れの先輩のことを『姉さん』と、自分のことを『マネージャー』と呼びながら。

 だらり、と冷や汗が垂れた。

 眠気が一瞬にして吹き飛ぶ。

 いくら半分寝ていたとはいえ、今までの行動すべてがさすがに軽率すぎた。

 

「……おと?」

「あー、うーんと、そのね……いや、そのですね……おと、おともだち! そう、おともだちですっ!」

 

 マネージャーからすればボクは他人なので、馴れ馴れしいタメ口は不審感を与えると思い敬語に修正。

 苦し紛れにそう弁解する。

 マネージャーが眼鏡をクイッと持ち上げ、レンズを輝かせた。

 

「お友達、ですか。お友達なのに、小夜さんを姉さんと」

「あっ……そ、それは……」

「ふむ。まあそういう人もいるでしょうからそこは突っ込みません。でも、なんで私のことを『マネージャー』と?」

「うっ……えーと……」

 

 目をそらす。

 さすがにこればっかりは弁解のしようがない。現段階では、ボクとマネージャーは初対面だということになるのだから。

 えーとえーと、と一生懸命言い訳を考えるボクに対して、マネージャーが一転、温かく微笑む。

 

「正直に話してください。下手な嘘をついても、後で苦しくなるだけですよ?」

 

 その表情は、ボクが今まで見たことないくらいに柔らかい。

 ボクが今まで話した時はいつも固い顔してて、ニコリとも笑ってくれなかったのに。なにかあったんだろうか。

 しかし、どうしよう。

 ボクだってなるべく嘘なんてつきたくない。だが本当の事を話すのも気が引ける。むやみやたらに言い触らしても良い事はないだろうし、信じてもらえるかも怪しいところだ。

 万事休す、である。

 

「――その子は、あなたも知ってるわたしの弟よ」

「……はい?」

 

 そんな時、マネージャーの背後から声がかかる。

 ハッとしてマネージャーの後ろを見る。

 そこでは、買い物袋をたずさえた姉さんがぽやぽやと微笑んでいた。

 

「まぁ、今は妹だけどね」

「いっ、妹!? ……ってことはっ、」

 

 一度姉さんの方を振り返ったマネージャーは、限界まで目を見開いて、再びボクへ向き直る。

 

「――ええっ!? も、ももっ、もしかして、満月先輩ですかっ!?」

 

 彼女はそう言って、戸惑いながらも迅速な理解をしてみせるのだった。

 

 

 

「近くを通りがかったので、ご挨拶に伺おうと思っていたんです」

 

 リビングのソファにマネージャーと姉さんが並んで座り、その対面にボクが腰掛ける。

 彼女はコップに入れたオレンジジュースを口に含んだあと、おもむろにそう切り出した。

 

「そしたら、その子……満月先輩が」

「なるほどね。満月くんったら、寝惚けてたでしょ?」

「うっ……は、はい」

 

 姉さんの咎めるような視線に、しおしおと縮こまる。こればっかりはボクに非があるので、なにも言い返せない。

 そんなボクに、姉さんがめっ、と子供を叱るように言う。

 

「もっと慎重にならないと。……って言っても、そういうことに関して話し合おうとしなかったお姉ちゃんが悪いんだけど」

 

 眉尻を下げて、姉さんが笑った。

 

「とりあえず、今度からは親戚の子、っていう風に誤魔化しましょ。間違っても、他人の前で夢原満月として振る舞っちゃいけないわ」

 

 姉さんの言葉にこくりと頷く。

 この体で満月として対応しても、話がこじれるだけだ。先程のマネージャーのように。

 

「しかし、本当に先輩なんですか?」

 

 マネージャーのなんとも言えない視線を受けて、ボクは首を縦に振った。

 

「ボクも最初は信じられなかったけど……正真正銘、夢原満月だよ。『裏返った』あとの姿はこんな感じみたい」 

「……かなり前に、小夜さんからそういう話を聞いたことがあります。でもまさか、本当にそんなことが」

 

 マネージャーは、どうやらボクのこの現象について一応知ってはいたらしい。姉さんが昔、話の種として話したことがあるのだ。

 もちろん、当時の姉さんだって父さんから詳しい話を聞いていたわけではない。だから、本当にちょっとした話題だったようだ。うちの家系にはこんな人たちがいたらしい、という、ちょっぴり不思議な話程度。

 当時は姉さんだって信じていなかったのだと思う。もし本当にありえる現象なら、話の種だとしてもあまり気軽に話しはしないだろう。

 

「信じて、くれる?」

 

 ワンピースのスカートを握りしめ、俯きながら問いかける。

 しかしボクの緊張とは裏腹に、マネージャーはあっけらかんと答えた。

 

「……まあ、信じますよ。事前にこういうオカルトは聞いていました。動揺していないか、というと嘘になりますが……小夜さんが言うことですしね。それに、満月先輩だってこんなくだらない嘘をつく方ではないでしょう?」

 

 それは、その通りだ。

 おずおずと頷くと、マネージャーがにこりと笑った。

 

「じゃあ、大丈夫です」

 

 そうして彼女は、あっさりボクの新しい姿を受け入れてくれた。大物というか、なんというか。

 普通は信じられないことだろうに、達海くんもマネージャーもあっさり信じてくれて、なんだか怖くなってくる。

 

「もちろん、普通だったら信じませんよ?」

 

 そんなボクの心情を見透かしたように、マネージャーがこちらを見据えてくる。

 

「小夜さんと、そして先輩の言う事だから、信じるんです」

 

 口ではなんだかんだ言いつつも、少しばかり精神的に疲れていたボクにその言葉はかなり効いたのだった。

 

「ま、マネージャー……やばい、ちょっと泣きそうかも」

「そんな大げさな」

 

 彼女は少しだけ頬を染めて笑った。

 そのあと、自分の言動を埋もれさせようとするかのようにあからさまな話題転換をする。

 

「そ、それにしてもです。さっきから言おうとは思ってたんですが……先輩、随分かわいらしくなっちゃってますね」

「うっ……い、いきなりそういう事言う?」

 

 かわいい、という言葉に反応して、すぐにボクの頬が熱を帯び始めた。

 その褒め言葉にはどうも慣れない。

 

「うわー、顔真っ赤。わかりやすいですねぇ」

「満月くんのお肌って白いからねー。ちょっと恥ずかしくなったりすると、すぐ赤くなっちゃうの」

「へー。ってことは今照れてるんですか、先輩」

「照れてるっていうか恥ずかしいんだよっ」

 

 ぷいっ、と顔を背ける。

 そんなボクを見てマネージャーがクスリと笑うと、立ち上がってボクの隣に腰掛けてきた。

 

「えい」

「ぷにゃっ!?」

 

 そしていきなりなにをするのかと思うと、ボクの頬に指を突き立てた。びっくりして変な声が出る。

 しかし構わず、マネージャーはボクの頬を人差し指で撫でくりまわした。

 

「うわっ、なんですか超もっちもちなんですけど先輩のお肌。嫉妬さえできないレベル……」

「むにゅっ、ひょっ、マネージャー!? なにしてんの!?」

「髪の毛も銀色で綺麗ですし、なんかもう、本当に見違えましたね。先輩。……あ、やっぱり髪の毛もさらさら」

 

 人の体を好き放題いじりまわすマネージャーに抗議するも、まったく聞いている様子がない。

 ボクからすれば、いきなり女の子に頬をつつかれ髪を撫でられていることになるのだ。彼女いない歴と年齢がイコールのボクにとって、ちょっと刺激が強い。

 というか、マネージャーはこんな子ではなかったはずなのだ。

 真面目な委員長タイプというか、冗談のひとつも言わなさそうな雰囲気だった。こんな親しげにボディタッチしてくるなんて、いくらボクが女性になったからって、豹変しすぎではないだろうか。

 

「でも、大変だったでしょう?」

 

 女子であるマネージャーに強く言うこともできず、不快でもないどころかむしろ心地よくさえあったので、諦めてされるがままになっていると、彼女が朗らかな声でたずねた。

 

「いきなり男性から女性になるなんて」

「……そう、だね」

 

 大変じゃなかった、なんて、口が裂けても言えない。

 

「お風呂とかトイレ行く度にメンタル削られるし、着替えでもだいぶクるし、外を出歩く時は恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ないし、ましてこの髪と目だから人に見れまくるし」

 

 げんなりしたボクの言葉を聞いて、マネージャーがくすくすと笑っている。

 

「今の先輩、すごくかわいいですしね。きっと黒髪黒目でも注目されたと思いますよ」

「そ、そんなにかわいいとかなんとか言わないでほしい……ボクは元男なんだし……」

 

 膝の上に置いた手をぎゅっと握り、俯く。頬に血がのぼってくるのが自分でもよくわかる。

 

「……小夜さん」

「なあに?」

「なんですかねこの破壊力抜群の生き物。わざとですか? わざとなんですか?」

「んー……多分無自覚」

「大量殺人兵器ですよこれ。元男性とは思えません。

 昔は小夜さんみたいな姉がいる先輩に嫉妬したものですけど、今は小夜さんにも嫉妬してしまいそうです……」

「あら。それじゃあ、うちの次女になるっていうのはどう? わたしは大歓迎よっ」

「おおっ、それは名案ですね! 小夜さんという姉がいて、先輩みたいな妹がいたらもうわたし人生バラ色ですっ」

 

 姉さんとマネージャーがよくわからない会話をしている間に、なんとかして心を落ち着ける。

 

「……で、でも、そうだね。やっぱり一番大変なのは身体能力かな。前とのギャップが強すぎて」

 

 ボクが苦笑いすると、マネージャーはこちらに目をやって、納得したように頷いた。

 

「先輩は野球部員でしたから、その分振れ幅が激しい……というのも、あるのでしょうか」

「前できたことができなくなってるっていうのは、結構不便かも。……あとなにげに身長だいぶ低くなったのもショック」

「十センチ以上縮んでますもんね……」

 

 よしよし、とマネージャーがボクの頭を撫でた。

 当てつけだろうか。いや、確かに今となっては歳下のマネージャーより身長低くなっちゃってるけど。

 マネージャーを睨みあげると、しかし彼女はまた笑った。

 

「あっ……ふふ、すみません。でも、ちっちゃい方が先輩はかわいいですよ。体の比率自体はかなり整ってますし」

「かわいいって言われても嬉しくない……」

 

 ボクの内面は男なのだから、それでどう反応すれば良いのか。

 

「ああ、前途多難だなあ」

 

 いろいろな問題がボクの前に立ちふさがっている。肉体的なものもあるし、精神的なものだって。

 体こそ女性になってしまったけれど、中身は普通の男子高校生。そのチグハグさが、とても疲れる。

 

「なにかあったら、相談してくださいね」

 

 そんなボクを、マネージャーがまた、優しく撫でる。

 

「先輩は女の子一年生ですから、戸惑うこともわからないこともたくさんあると思います。そういう時は、遠慮なく言ってください」

「もちろん、お姉ちゃんだって協力するからねっ」

 

 二人がそう言ってくれるのは、素直に嬉しいことだ。ありがとう、とお礼をする。

 

「でも、マネージャー」

「なんですか?」

 

 ボクはさっきからずっと気になっていたことを口にした。

 

「なんか、今日のマネージャーやたらボクに優しくない?」

「……へ?」

 

 マネージャーが口を開けてポカンとする姿を、ボクははじめて見た。

 その反応からするに、どうも彼女自身無意識だったのだろうか。

 

「ほら、いつもマネージャーって真面目な雰囲気だったからさ。こんなに表情豊かに接してくれるのが、なんだか新鮮というか」

「それは多分、満月くんの性別の問題じゃないかしら」

 

 そう口を挟んできたのは、姉さんだった。

 

「性別?」

「満月くんには言わないようにしてたんだけど……良い、マネージャーちゃん?」

 

 ちなみに、姉さんもマネージャーのことをなぜかマネージャーと呼ぶ。本名で呼べば良いのにと思ったものの、本人たちが納得してるようなので、外野が口を突っ込むわけにもいかない。

 水を向けられたマネージャーは、今になってようやくボクへの態度の変化の理由がわかったようで、首を縦に振った。

 

「実はマネージャーちゃん、男性がちょっと苦手みたいで」

「ええっ!? そ、そうだったの!?」

 

 初耳である。いや、『言わないようにしていた』んだから当たり前か。

 ボクの視線を受けたマネージャーが、にわかに赤面して頷いた。

 

「お恥ずかしながら。男性の前に立つと、どうも怖くなっちゃうというか……表情も固くなって、口数も減ってしまうんです。今はこれでもマシになった方なんですよ?」

「それを克服するために、野球部のマネージャーになったのよね?」

 

 マネージャーがにわかに顔を赤くして頷く。

 

「野球部のマネージャーになれば、男子と接する機会も増えて、慣れることができるのではないか、と」

「そ、そっかあ……それで、前はあんな感じだったんだね」

 

 ということは、今のマネージャーこそが本来の姿で、ボクと話していた時は単に緊張していただけ、と。

 

「じゃあ、今はボクがこんなのになっちゃったから?」

「多分。とはいえ、言われて始めて自覚できました。先輩の姿や声は完全に女性ですし、変な威圧感がないので、自然と」

 

 まあ確かに、今のボクは中身以外完全に女性だ。中性的な見た目というわけでもなく、むしろ顔つきなんかは女性らしさ全開と言って良い。スタイルの良さでは姉さんに負けるけど。

 

「ボクももう女の子だからねー……なるほど、そういう理由があったわけか」

 

 腕を組んで、何度も頷く。

 正直な話、ボクはマネージャーに嫌われていると思っていた。冗談とか言っても笑ってくれないし。今思えば、ただビクビクしているだけだったのだろう。

 そんなボクを、マネージャーがじっと見ている。

 

「どうしたの?」

「いえ。先輩、結構受け入れてるんですね。自分が女の子になってることを」

 

 彼女の表情に、ふざけたようなものはなかった。

 

「これから先輩は、完全に女の子として生きていくんですか?」

 

 その質問は、いずれ他の誰かから来るだろうと思っていた。

 たしかに、そう思われても仕方がない。

 でも、違う。

 

「いいや」

 

 ボクは、首を振って答えた。

 

「女の子になった、ってことは受け入れてる。受け入れなきゃいけない。戻ることはできないんだから。

 いくら足掻いても、仕方ないことだから」

 

 もちろん、口ではこう言っているけれど、完全に吹っ切れられたわけではない。今までずっと男として生きてきたのだ。夢原満月として生きてきたのだ。積み重ねたものもある。女の子になってしまったということは、それらの大半を捨てなきゃいけないということ。思うところなんて、ありすぎるくらいだ。

 でも同時に、なってしまったものは仕方ないのだと、静かに現状を認めている自分もいる。

 本当に、ひっくり返ったタイミングが今で良かったと思う。

 ボクの人生は、思い返せば野球ばかりだった。

 そんな野球と別れることを決めた今だからこそ、ボクはここまで平然としていられる。一度すべてリセットする気持ちで野球との決別を決意し、これから新しいなにかを探していこうとした矢先のことだったからこそ、冷静でいられる。

 大事なものを、諦めてしまった時期だったからこそ。

 ボクは、平気でいられる。

 

「だからって、女の子として生きていくかどうかは別問題だよ」

 

 ボクは、頬をかいて苦笑いした。

 

「適応はしなきゃいけない。でも、芯の芯まで女の子になるつもりはないかな。苦労しない程度に馴染んで、根っこだけは男のままでいたい」

 

 胸に手を当てて、目を閉じる。

 それほど立ち回り上手なわけではないけど、黒か白か、百かゼロかの二択だけで決める必要はないと思うのだ。

 

「それが、今のボクの気持ち。変わるのは表面だけで良いかなって」

 

 しばらく、沈黙が流れた。

 二人ともボクの答えをしっかり噛み締めてくれているようだった。……変な事言ってなかっただろうか、と今更になって恥ずかしくなってくる。

 最近なんだかんだと恥ずかしい目に遭ってばかりだ。

 また頬が染まりそうになった時、マネージャーがこの静寂を切り裂く。

 

「わかりました」

 

 そして、彼女は花笑みながら、頭を下げた。

 

「失礼なことをお訊きしてしまってすみません、先輩」

「ううん、良いよ気にしなくて。ボクの態度見たら疑問にもなるだろうし」

 

 謝られるほどのことではない。

 マネージャーの問いかけは自然なことだ。

 

「うん、それじゃあ話もひと段落ついたところだしご飯にしましょう! マネージャーちゃんも食べてく?」

「あっ、ご馳走になりたいです。それと私も手伝いますよ」

「あら、そう? ならお願いしちゃおうかしら」

 

 そういえば、姉さんはお昼ご飯の買い出しに行ったんだっけ。

 マネージャーとの遭遇があったせいですっかり忘れていた。時計を見ると、もう一時を回っている。

 

「ならボクも手伝――」

「ダメ。今日はゆっくり休むようにってお姉ちゃんと約束したでしょ?」

「……ま、まあそれはそうだけど」

 

 よく考えれば、ボク自身料理は人並みかそれ以下くらいにしかできないし、体が動かない今では足手纏いになるだけだろう。

 浮かしかけた腰を沈め、ボクは渋々と座った。

 そんなボクを見て、二人が微笑む。

 

「また今度、わたしたちと一緒にお料理しましょ?」

「先輩ならきっとすぐ上手くなれますよっ」

 

 そんな彼女たちに、うん、と頷いてその背中を見送る。

 キッチンで二人がわいのわいのと賑やかに料理している音をBGMにしながら、のんびりとソファに座る。

 すると、まるで止まっていた時間が動き出したかのように眠気がまた襲ってきた。

 そうだった。ボク、昼寝してたんだっけ。

 うつらうつら、と頭が船をこぐ。さすがにマネージャーにまで寝顔を見られるのは恥ずかしいから、部屋に行かなきゃとは思うのだけれど、もうちょっとだけ目を瞑っていよう、と本能が囁く。

 

 そうして理性と本能が鎬を削っている間に、ボクはいつのまにか眠ってしまっていた。




今後の更新予定は決まってないですが、書き溜めはあるのでなるべく早く更新したいところ……!

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