よろしくお願い致します
――ごうごうと、燃えたぎる。
火をつけてから、もうだいぶ経つのに。
いくら薪を焦がしても、どれほど脂を溶かしても。
焔は、まるでとどまることを知らない。
……息が苦しい。
肺に流れてくるのは、黒ずんだ煙と火の粉。
きっともう、胸の中身はどろどれに溶けてしまったことだろう。
でもさっきまでに比べれば、この息苦しさも悪くはない。
炭化した指が少しずつ崩れていく様とか。
熱に耐えられなくなった骨が、ばきりばきりと容赦なく折れていく痛みとか。
……今だ鼓膜に響き続ける皆の怨嗟の声なんかよりも、ずっとマシだ。
これだけの熱に炙られてもなお、眼球は蒸発しない。
だからよく見えてしまう。
焔の向こうで、ニタニタ笑う彼らや、涙に顔を歪める彼女たちの表情が。
……ああ本当、いつまで経っても変わらない。
例えサーヴァントしての生活を手に入れても、私の『起源』は変わらない。
こうやって夢に見て、思い出す。
この、計り知れないほど激しい憎悪を……。
……しかしだ。
ここからが違った。
焔の向こうから民衆の中に一人、鏡を持った奴がいた。
今までの私の夢にはなかったもの。
誰だ、とぐつぐつ煮える目を凝らしてみたが……別の意味で、彼女は驚愕する。
その人物が誰かはわからない。
けれど、鏡に映ったものは確かに見えた。
赤い光の中で崩れ行く人間。
その顔は無論私、『ジャンヌ・オルタ』で……はなく。
……とてもよく見慣れた、蒼い瞳の少年であった。
■ ■ ■
――夢は、ここで終わる。
跳ね起きた彼女の体は、びっしょりと濡れていた。
火刑の『夢』を見たあとなら、この湿りはいつも通りで驚きはしない。
だが今回は……火炙りにされたのは自分ではなかった。
「……きっつ」
パン、と少女は額を叩く。
……何がきついのか、具体的にはよくわからない。
けれど今でも、胸の奥がぎゅうっと締め付けられている。
自分が焼かれているときには感じなかった、この感情。
この苦しさは、いったい……。
「……ジャンヌ、どうしたの?」
突如響く声に、ジャンヌははっと我に返る。
視線を下ろすと、彼女の傍らには目を擦りながら上体を起こす彼の姿が。
「……悪い。起こしたわね」
「いや、それは全然いいけど……大丈夫?顔色真っ青だよ」
心配そうに覗き混んでくるマスター。
ジャンヌはそんな彼から顔を反らしながら「少し悪い夢を見ただけよ」と答えた。
「悪い夢って、どんな夢」
「……言いたくは、ない」
それは心からの、彼女の本心。
口にするのも、おぞましく思えた。
本能的な恐怖。
あんな光景がもし現実になってしまったら、それだけで体が震える。
しばしの沈黙が訪れる。
肩を抱く少女をじっと見ていた少年だったが……その後にこりと笑って「大丈夫だよ」と彼女の体を抱き寄せた。
「嫌なら別に言わなくていいよ……ただ一つ、オレも感想は言っとこうかな」
「……何よ、感想って」
「……熱いというより素直に痛いもんだね、火炙りって」
はっとジャンヌは顔をあげて、マスターを見る。
マスターもそんなジャンヌの反応に「やっぱりなぁ」と苦笑した。
「……ものすっごいリアルだったからさ、たぶんジャンヌかなぁと思ってたんだけど……うん、やっぱりかなり痛かったな」
「……ごめん」
「君が謝ることない。マスターとサーヴァントの関係上、普通にある現象だ……それにだよ。あんなことは絶対に起きない。だから大丈夫」
「……絶対って何?断言は出来ないわよ」
今後の人理修復で、どんなことがわからない。
完全ではないにしろ、似たようなことは起こり得る。
だから絶対なんてない。
けれどマスターは「絶対ない」と首を横に振る。
「なんで決めつけられるのよ?」
「んーだってさ……そうなる前に、きっと助けてくれるだろうからね。誰とは言わないけど」
ちらりと、少年は視線を送ってくる。
他ではないジャンヌに向けて。
そこには何の疑いもない。
きっとやってくれると、こんな竜の魔女を信じきっている。
……同時に気づいた。
どうして、あんなにも胸が痛むのか。
至極当然のことだ。
何故なら私の胸にあるべき『心』と言われるものは。
……今微笑んでいる、彼に奪われてしまっていたのだから。
奪われている証拠に、こんな露骨な台詞に対して……私は頬を緩めてしまっている。
……一緒に燃やされていたんだから、痛くて当然だ。
「……そうね。そうなる前に、すっぱりその首を落として、ちゃんと息の根を止めてやるわよ」
「怖いなぁもう……ああそうだジャンヌちゃん。一ついいこと思い付いた。もう悪い夢を見ないで済む方法」
「そんな都合のいい方法あるの?」
勿論とマスターはジャンヌの腰に手を回した。
それからゆっくりと彼女を押し倒していき、横たわる少女を見下ろす。
それからにやりと、ほくそえんだ。
「……このまま寝ないってのは、どう」
するとジャンヌは「最っ高に頭悪いわね……」と呆れたようにため息をついた。
「えー名案だと思ったのに……」
「いいえバカよバカ、この大バカモノよ」
「ちぇ。なら諦めます……」
「……ほんともう、バカね貴方は」
言ってジャンヌはマスターの襟首を掴んだ。
そのままぐいと引き寄せる。
力に従いマスターの顔は落ちる。
その下に、頬を赤らめたジャンヌの顔もあって。
二つの唇が塞がる前に、彼女はこう言葉を紡ぐのであった。
「……別に嫌とは言ってないわ」
終