私の名前   作:たまてん

58 / 63
今回は、セイバーオルタがメイン。


極光は明けない夜に駆けて

 

――不意打ち、という言葉がある。

意の外からくる攻撃、戦う者ならば誰しもが経験し、そして乗り越えてきたもの。

彼女らにとって、今日という日そのものが、その『不意打ち』というにふさわしいものであったろう。

 

「……なんか、いまいち」

 

ぽつりと一言、鏡に映る自身を見つめながら少女は眉根を寄せる。

黒いチューブドレスに同じく黒のジャンバー。

かつんかつんとブーツの踵を鳴らしながら、彼女――ジャンヌ・オルタはいろんなポージングを決めて自らの全身を観察する。

 

「……いまいちも何も、いつもと全く変わらなく見えるんだがな」

 

それともその『いつも』のセンスがいまいちだとようやく気付けたか?

 

くつくつと嗤うは、ジャンヌの後ろでソファに腰掛ける一人の少女。

同じ漆黒を基調としながらジャンヌの焔のような『苛烈さ』とは正反対の、深い夜の『静粛さ』を漂わせている騎士――アルトリア・ペンドラゴン・オルタ。

そんなせせら嗤いを浮かべる彼女に、ジャンヌはカッと歯を見せて威嚇行動をとる。

 

「うっさいわね。アンタなんかに意見は求めてないわよ」

「それは失礼……だが、実際に何があった?いつも以上に色気づいているぞ」

「……別に、色気づいてなんかないし」

 

ぷいと目線をそらし、ジャンヌはそうつぶやく。

……それで嘘をついているつもりだとしたら重症だなと、やや紅色の頬をした田舎娘の姿に王はため息をついた。

 

「……『明日の日曜の予定でちょっと言っときたいことあるからあとで話にいくね』と、確かマスターが言っていたな」

「ちょっ!?アンタ、ばらすんじゃないわよっ!!」

 

顔を真っ赤に染めながら、竜の魔女はびしっと声の主を指差す。

アルトリアとはジャンヌを挟んで反対側、そのベットの上で体育座りをしながら本を開いてた褐色の少女は「すまん」とこっくり頭を下げた。

ここカルデアにおいて、どこぞの二代目サンタを除いて三体目の反転サーヴァント。

自称『魔神さん』こと沖田総司オルタは赤くなったジャンヌに対し、「けれどいずれはバレることだぞ」と、また余計なことを口にする。

その沖田の『日曜日の予定について』を聞いたアルトリアは「ああ、なるほどな」と手を打った。

 

「……つまりはデートか」

「ああ。おそらくでーとだ」

「ああもうっ!!」

 

ぷすぷすと頭から白い煙が出ていた彼女は耐えられなくなって、ぼすんとベットへその身を沈める。

沖田もごろんと転がって華麗にだらしなくその衝撃を交わす。

それから魔女はぐるりと体を器用に丸めて毛布に包まり、それはそれは見事にでかい白饅頭が完成した。

出来立てのせいか、まだほくほくと蒸気を発している。

 

「今更そうなるほどのことか?散々人のいない所いる所構わずでしてたくせに」

「そうなのか?」

「ああ。少し前なんて部屋を訪ねてもほとんどいなかったからな。むしろ、マスターの部屋の呼び鈴を鳴らしたら半裸のコイツが出てくる始末だった」

「突っ込みどころが満載だな。その辺りを詳しく……」

「詳しく話すな聞くな!ていうか、私からしたらなんでアンタたちが私の部屋を溜まり場にしてんのよって突っ込みたいの山々なんですけど!?」

 

ぺいっと首だけ饅頭から出して抗議をするジャンヌ。

その姿にかつての魔女の威厳など、どこにもない。

だがそれは他のオルタも同じこと。

「貴様の部屋が一番広いからに決まっているだろう」とお菓子箱より『あるとりあ』と油性ペンで書かれたポテチの袋をいそいそと取り出して食らう騎士王。

「おでん食べたい……」と漫画を抱きしめ、ごろごろと左右に転がる抑止の守護者。

そのだらけ切った姿は、とても生前の関係者に見せられたんのではない。

 

「何せ生活用品のほとんどがマスターの部屋に置いてあるんだからな。その分使われてないここのスペースがもったいなかろう?故に、我々が有効活用してやっているわけだ」

「それにここにいれば、ジャンヌから借りた本の続きが気になっても勝手に読める」

「か・え・れ!それにアイツ最近忙しいから全然遊びに行けてないし、こっちに来てくれてもなぜか菓子折り四人分持ってくるようになってるし……」

「御飯が多いことはよいことだと思うぞ?」

 

そうじゃない!と饅頭から生えた手はぼすぼすとベットを叩くとその波に「わー」と無感動な声と両手を上げて沖田は揺られる。

それからジャンヌは毛布に顔を擦りつけながら「二人きりになれることなんて全然ないじゃない……」と絞り出すような声を漏らす。

らしくもなく意気消沈する彼女に、アルトリアはやれやれと肩をすくめる。

 

……何を落ち込んでいるんだか。

 

いくら会えようが会えまいが、あの男にとってこの饅頭が何よりも特別であることは揺るがない事実なのだ。

傍らから見ていればすぐにわかる。

彼がどんな色の瞳で、この女を見つめてきたのか。

嫌でも、解らされる。

なのにこの竜の魔女は、『愛』に疎いがためにこんなしょうもない不安を抱いてばかりで。

 

「……いい加減にしてほしいものだな」

 

そろそろ慣れろ、といつまで経ってもうぶな少女に苛立ち交じりのため息をつく。

 

……そうだ。

 

このときまでは、胸を渦巻くこのわずらわしさの原因は『そう』なのだと、騎士の王は思い込んでいた。

 

――ピンポーンと、軽快な電子音がなる

 

『ジャンヌいるー?入るよー』

 

続けてなじみの少年の声が響いて、ジャンヌの身体は跳ねる。

 

「今、ちょっと起きるから、ってぎゃあ!」

 

包まったまま慌てて起き上がったためうまくバランスがとれず、そのまま前のめりになってジャンヌは転倒した。

ごちんと響く音に、「痛そう……」と沖田は顔をしかめる。

 

同時に部屋の扉もカシャンと音を立てて開く。

 

「……これはまた、派手にやったねぇ」

 

くすりと頬をゆるめたのは他でもない、彼女たち三人のマスター。

そして彼の微笑みの原因は、鼻頭を赤くはらして目じりにうっすらと涙を貯めて「……笑うんじゃないわよ」と頬を膨らませた、毛布を頭から被った魔女その人である。

 

「残念、もう遅いよ。けど、あんまり暴れちゃだめだよ。怪我したら大変だ。特にジャンヌは戦闘中でも日常でも危なっかしい」

「マスター、自分でヘマして自分で被った言わば自業自得だ。気に病む必要はない」

「でもどうせなら痛い目に少しでもあってほしくないってのが本音なんだ」

「相変わらず親バカっぷりだな……」

「こんな親なんていらないし……」

「そう拗ねないでよ。お土産にケーキ買ってきたからさ。勿論、アルトリアさんと魔神さんの分もあるよ。ここにいてくれてよかった」

「これは重畳。ありがたく……む、マスターの分がないようだぞ?」

 

ショート、チーズ、チョコ。

マスターから渡された箱の中身にはその三種類しかなかった。

沖田からの鋭い指摘にマスターは「ごめんねぇ」と苦い笑いを浮かべる。

 

「このあとダ・ヴィンチちゃんと工房でやらなきゃいけないことあるからすぐに行かないといけないんだ。いっしょに飲むのはまた今度にしようね」

「……御託はいいからさっき言ってた『話』ってやつを聞かせなさいよ……わ、私も明日なら、特に予定はないから……」

 

ちょんちょんと人差し指と人差し指を突き合わせ、しどろもどろにジャンヌは語る。

するとそれはよかった!とマスターは手を叩いて笑みを浮かべる。

 

……あとは、予想通り。

 

マスターから逢引の誘いがあって、しょうがないわねともったいぶりながら自爆女は了承する。

それから自爆女は着ていく服をどれにしようかと悩み続け、結局一睡もできないままマスターと出かけてくる。

帰ってきたらマスターは楽しかったといい、魔女はそこそこねと頬を染めながら感想を口にする。

それで物語はおしまい。

ああ本当、いつも通りで安心だ。

 

そうなると、彼女は信じきっていた。

 

「――じゃあ留守番よろしくね。オレとアルトリアさんが新宿に出かけている間、部屋の片付けとかしっかりするんだよ」

 

……彼が自分の名前を口にするまで、そう思っていたんだ。

 

「……は?」

 

思わず、声が漏れた。

きっと今までにないくらい間抜けに、私の瞳は大きく見開かれていたことであろう。

今だって、思考が追いついていない。

脳の思考機能が、活動を停止している。

しかしマスターはそんなことお構いなしに「そういうわけで……」と今度はアルトリアの方へと顔を向け立ち上がる。

 

「……明日、カルデアスのまえで待ってるね。あ、いろいろ回るから動きやすい服で来た方がいいよ。それじゃ!」

「え、あ……マス、ター……?」

 

声をかけようと思ったが言葉にならず、手を振ったマスターは扉の向こうへと消えてしまった。

あとに残されたのは少女三人、今回の不意打ちの犠牲者たち。

 

一人は白いケーキ箱を両手に持って首をかしげる抑止の守護者。

もう一人は真っ白い毛布と同じぐらい真っ白に燃え尽きた竜の魔女。

 

そして最後の一人は一番の被害者……その白磁の肌にほんのりと朱を滲ませた、気高き黒の暴君である。

 

 

■ ■ ■

 

「……どういうつもりなのだろうな。マスターは」

 

サクッと、銀色のフォークをいちごの脳天に突き刺しながら、沖田はそうつぶやく。

それからぱくりと一口で頬張り、じんわりと広がっていくみずみずしい酸味に頬をほころばせた。

うっとりとショートケーキを愉しんでいる沖田に対し、反対の席に腰掛けるアルトリアは「……さぁな」と短く答える。

その手元にはチョコケーキが置かれていたが、一切口をつけた形跡がない。

いつもなら誰よりも真っ先に食らいつくであろう彼女なのに、フォークを手に持とうとさえしなかった。

 

「……とりあえず、ジャンヌは部屋に寝かせてきたが大丈夫だろうか?」

「勝手に回復するだろう。それでもダメならあの天使のもとに連れていけ。嫌でも起きるさ」

 

あの後、完全に放心状態になってしまったジャンヌをベットに寝かしつけたあと、二人は食堂へと移動した。

さすがにあんな燃え尽きた人物の横でこの話を続ける気にはなれなかったからだ。

食堂は夕食時のピークを過ぎて閑散としている。

沖田がケーキをフォークで切り分ける音が響き渡るほどに。

 

「……どうする?」

 

そう沖田が問う。

アルトリアはそれに対し「どうもこうもない」とあっさりと答えた。

 

「マスターの言う通り、明日はいっしょに新宿に行く。『マスターの命令』だからな。そこで目的をこなし、帰還する。この通り、何のことはないミッションだ」

「明日、マスターは休みのはずだぞ」

「だからどうした。まさか、任務以外の目的があるとでも?ただ私と出かけたいだけだって?ありえない」

「ありえない……ことなのか?」

 

ああそうだ、と黒王は断言する。

……見れば、わかるさ。

どれだけ、あの男があの女を追いかけてきたか。

どれだけ、あの女があの男を置いていかないように歩幅を調整していたのか。

わかるさ、わかっている、だから傍らから眺めていたのに。

苛立っても自覚しないようにと蓋をしていたのに。

勝負しても負けるから、虚しさしさ残らないから。

ただその光景に、私は拍手を贈るだけの『観客』でよかったのに。

 

 

どうして今更……お前は、私を舞台に上らせようとするんだ?

 

残酷にも、ほどがある。

 

「マスターに、話を聞いてくるか?」

「……いやいい。貴様が気遣うことではないし、ましてマスターの手を煩わせることでもない」

 

気にするなと、アルトリアは言った。

だが沖田は「そうも言えないぞ」と首を横に振る。

 

「思い詰めるようなら聞いた方がいい。その方が今よりはすっきりするのではないか?」

「……何故、貴様がそこまで気遣う?放っておけばいいだろう」

 

すると沖田は、まっすぐとアルトリアの瞳を見て答える。

 

――今のアルトリアは、放っておいていい人間の顔をしてないと。

 

……ずしんと、その一言で胸が重くなる。

 

「……そんなか?」

「ああ、そんなだ。放っておいたら……誰かを、殺してしまいそうなぐらいに」

「……安心しろ。その時はこの首にでも刃を立てるさ」

 

言って彼女は立ち上がった。

それから背を向け、その場から立ち去ろうとする。

これ以上ここにいても、きっと何も改善しないだろうから。

 

「……ケーキはいいのか」

 

そう背後から声が聞こえる。

少女は「今は無理だ」と答えた。

チョコレート、とってもおいしいチョコレート。

その甘さと苦さの二律相反は、まるで今のこの胸の中を表しているようだから。

 

「……とても、飲み込めたもんじゃない」

 

そう、口元を抑えて。

黒い少女は足早に去っていった。

 

しばらくの間、沖田はアルトリアの背中が消えた向こう側を。

じっと静かに、眺めていた。

 

 

■ ■ ■

 

――翌日。

誰もいない早朝の廊下を、アルトリアは一人、踵を鳴らして歩く。

いつものドレスとは違い、今日は外出用の私服に着替えている

かつんかつんとなり響く音は高くゆっくりで……そして重い。

 

……眠ることなど、できはしなかった。

今だって眠気はこれっぽっちもない。

あるのは果てしない倦怠感だけ。

……聞くべきだったんだ、沖田の言う通り今日は何をするのかと。

そうすればこんな思いをせずに済んだ。

なのに私は拒んだ。

それは心の中にあった……微かな『期待』を壊したくないがために。

ばかげた話だと思う。

勝ち目がないといいながら、私はそんなものにこだわった。

どっちになれない半端者、それが私だ。

ああまったく、今すぐにでも自分の喉を掻き斬ってやりたい気分だ。

 

……でももしも、私が彼を欲しがったのだとしたら。

どうして、力づくで奪おうと思えないのだろうか。

ほしいものは手に入れる、奪う、誰の指図も受けず許さない。

そう反転した私が、何故。

 

わからない、何一つ。

この胸に巣くうものに名前すら付けられず。

 

「……アルトリアさん?」

 

呼ばれてはっと我に返る。

気づけばそこはもう廊下ではなく、青い光の下。

煌々と輝くカルデアスを背に、マスターが心配そうアルトリアを見ていた。

 

「大丈夫?具合悪そうだけど……」

「い、いや大丈夫だ、問題ない。さっさと行こう……」

「そう?ならいいんだけど……」

 

じゃあ準備を始めるよと言って、少年は職員に声をかける。

……上の空にも限度がある。

こんなことでもし任務中にマスターも怪我でもさせたとなっては死んでも死にきれないと、彼女は己を叱咤した。

 

「アルトリアさんがその私服で新宿ってなると、ちょっと良かったな。特に今日なら尚更かも」

「……っ?」

 

マスターのつぶやきに、アルトリアは理解が及ばず首をかしげる。

どういう意味だと尋ねる前に、職員の方から準備ができたと知らせが入った。

 

「じゃあ行こうか」

「あ、ああ……」

 

マスターに連れられて、アルトリアは歩きだす。

……質問は向こうに行ってからまた尋ねよう。

そう思い、歩を進める。

 

……その問いかけ自体が、無意味なるとも知らずに。

 

 

■ ■ ■

 

――もう何度目だろうか、この感覚は。

吸い込まれるようで吐き出される。

落ちているようで登っているような、この感覚。

レイシフトという行為に慣れはないが、もう新鮮さもない。

光がやめば、彼女の見慣れた視界が開けるともうわかっているから。

 

ほら、そうこうしているうちに光は徐々に弱まってくる。

 

頬を撫でる風は、夜の風を伴って。

深く暗い空とそれに負けないぐらいに暴力的に光る電灯。

降り立ち地は土ではなく、硬く固められたコンクリート。

 

そう、アルトリアはその黄金色の瞳で見た。

 

今彼女が立っている世界、新宿と。

その隣に立つ、晴れやかな笑顔を浮かべるマスターと。

 

―――目の前に置かれた、白銀のボディを。

 

「……なんだと」

 

驚きを隠せなかった。

それは予想だにしなかった光景であるがゆえに、言葉を失う。

するとマスターもそんなアルトリアに「驚いてもらえて何よりです」と満足げにうなずいた。

 

「実は最近ダ・ヴィンチちゃんといっしょにやってたのってコレでさ。新宿でのデータをもとに再現してみたんだ。見た目だけじゃなく、基本スペックは同じなはずだよ」

 

マスターがいうコレ。

それはかつて、この新宿を縦横無尽に駆け回った鋼の馬。

 

……アルトリア・オルタのモーターバイクが、そこにあった。

 

「……何故だ?」

 

尋ねると、「だって前言ってたじゃん」とマスターは微笑んだ。

 

「カルデアだと狭くて思う存分走れないって。だからダ・ヴィンチちゃんにお願いして場所とバイクを手配してもらったんだ。あ、このバイクはダ・ヴィンチちゃんの特別システムが搭載されてるらしくて普通に乗るよりも魔力消費を抑えられるはずだよ!ほら、ヘルメットも一応ある」

「いや違う、そうではなく……どうして、私にここまでしてくれるんだ?」

 

……わけが、わからない。

こんなこと、容易くできることじゃない。

何日も時間をかけて、何人にも頭を下げて。

それだけの苦労を、捧げてやることもできたはずだ。

彼が愛して止まない、彼女に……。

 

なのにどうしてと、アルトリアは問いを投げる。

すると彼はきょとんと一瞬呆けた顔になる。

けれどすぐに、にこっとした晴れやかな笑顔に戻る。

そして言った、そのわけを。

いつも通りの、彼らしい声で謳う。

 

――だって、喜んでくれるでしょって、ただそう一言。

 

「アルトリアさんには昔からお世話になってるし、何かお返しできたらなって思って。それにアルトリアさんが喜んでくれたなら、オレもうれしい。だから……ね?」

 

そう首を傾け、上目遣いにヘルメットを差し出す。

……そこに損得はない。

駆け引きもなく、哀れみもない。

あるのはただ……貴方が喜んでくれるならという、彼の純粋な『想い』だ。

 

……なんだ、これは。

本当にどうかしてる。

溜まらず笑い声が漏れた。

腹を抱えて、口元を抑えて、少女は体を震わせる。

別にこんな夜に声を上げるのは構わないが、抑えなければこの場で転げまわってしまいそうだから、耐える。

 

それほどまでおかしかったのだ。

 

……さっきまでこじらせていた、自分の嫉妬心が。

 

――ようやく、わかった。

私はコイツを獲られるのが不安だったんじゃない。

コイツが私のことを……ただの『外野』だと思ってしまうことが、嫌だったんだ。

 

……初めのころは、まだ閑散としていたカルデア。

マスターと多くの戦場を共にした。

彼が自分に頼るだけの、立ち上がる勇気のない者であったなら、彼女は即座に見捨てたことだろう。

けれど少年は立ち上がった。

それどころか、かの騎士王と肩を並べようとした。

その勇ましさ、透き通るような健気さに、私は胸を打たれた。

可愛らしいとすら思えた少年は、いつか信頼をおけるようになり。

いつのまにか、王の前を歩く者にまで成長した。

……心地よかった。

笑いかけてくる彼に、微笑みを返すことが。

頼られることに、見守れることに、私は安らぎを覚えていた。

 

だからこそ……振り向かなくなった彼に、不安を覚えた。

魔女がやってきて、彼の隣を歩く者は決まった。

守護者が召喚されて、彼の前方を切り開くものが現れた。

多くの英霊が集い、彼を守り歩んでいる。

 

では、私は?

私の居場所はどこにある?

前を向いても、彼を覆う人だかりにさえぎられて見えない。

騎士王に頼らなくても、彼を助けられるものはいくらでもいる。

ゆえに羨んだ。

誰よりもそばにいた魔女を。

確かな剣と成れていた守護者を。

成りきれていない私は、苛立つ日々を送った。

 

……でもそんなこと、もうどうでもいい。

今の彼の笑顔で十分だった。

ただ一度その笑顔を見れただけで。

私は……まだ信頼されているのだと、実感できてしまった。

 

この男はきっといつまでも、私を信頼している。

どれだけ時が流れようと、どれだけ離れようと。

一度信じたアルトリア・ペンドラゴン・オルタという唯一を、敬愛し続けるのだと。

それがわかったら、もう何もほしくなくなった。

一番欲しいものは、ただ見えなかっただけで。

確かにここに存在していたのだから。

 

「……アルトリアさん?」

 

突然笑い出した私に、彼は戸惑いの表情を浮かべる。

……ああいけない、これはいけないな。

マスターに頼られる騎士王が、こんな挙動不審では意味がない。

だから私は顔を上げて、ふぅと大きく息を吐いた。

それからにやりと笑ってこう言ってやる。

 

――そのヘルメットは、貴様が使えと。

 

「はい?」

「見たところ、それは私には大きすぎるようだ。大体サーヴァントだぞ?そんなものは必要ないし、案外貴様にそれを渡した画家の真意は、そうじゃないのか?」

「いやでもそれじゃあアルトリアさんが気分よく走れないし……」

「まったく、好きな女にはぐいぐい攻めていく癖にこういうときは奥手と来た……いいか、一度しか訊いてやらんからな」

 

言うとアルトリアはバイクにまたがり、エンジンをかける。

途端荒々しくも凛々しい響きが夜空に響く。

そして彼女はまたがったままそのすらりとした肢体をひねり、夜の闇の中光る白磁の指を差し出し、不敵に笑った。

 

「――来い、マスター。今夜は寝かせないぞ」

 

……それはまぎれもない、王の厳命であり。

同時に少年がずっと支えられあこがれ続けていた、少女の勇気だった。

 

……ああ、もう。

 

かっこいいなぁ、本当。

 

そう胸の内で白旗を掲げながら反対に「承知しました」と少年は頭を垂れた。

 

「よし。ならさっさとヘルメットを着けろ」

「ちょっと待ってね今すぐにって、あっれ。思ったよりも固いというか狭いっていうか……」

「貴様は本当器用なのか不器用なのかわからんな……こっちへこい、つけてやる。ああ、目は閉じてろよ。指が眼球に入ったら危ないからな」

 

それは怖いと苦笑しながらマスターは顔を近づけた。

ヘルメットを手に取り、被せてやりながらそうだぞとアルトリアは再度頷く。

 

「……きっとあとが怖いぞ、マスター」

 

意味深な台詞。

何のこと?と口を開こうとしたら……音出す前に、塞がれた。

 

……ふっくらとした感触が、少年の唇を伝う。

肺の中に、誰かの吐息が流れ込む。

吐き出した息に彼女のが混じり、鼻孔すら犯されて。

一瞬のようで永遠の熱い舌触りを、彼は体感する。

 

……ちゅっと音を立てて、塞がれていた唇を開いた。

ヘルメットの透明版一枚隔てて見えた視界の先では、ぺろりと舌なめずりをしたアルトリアの姿が。

 

「……どうした、そんなに呆けて。ヘルメットの内側でも舐めてしまったか?それは苦そうだ」

「……いえ、死ぬほど甘かったです」

 

そしてあとが本当に怖いと、ヘルメットの上から口元に手を当てるマスター。

透明なフィルターは水滴のせいで白く染まってしまって、ふすふすと茹っている姿はどこぞの誰かを連想させる。

うぶな奴だと、王は笑った。

 

「……いつまでも呆けてないで、さっさと行くぞ。しっかりつかまれ。事故っても知らないぞ」

「すでに大事故なんですが……」

「さてなんのことやら……そうだ。マスター、一つ忠告だ。近いうちにあの自爆女と遊んでやれ。でないと拗ねるぞ」

「そうだねぇ最近遊べてないし……明日の夜にでも行くよ」

「大きく出たな。ではマスター、貴様に確定事項を教えよう」

 

言って彼女はグリップを回す。

一際高いエンジン音がなり、マスターはアルトリアを抱きしめる力を一層強めた。

 

……その感触に微笑みながら、王は告げる。

 

「――貴様は二撤確定だ」

 

そしてバイクは走り出す。

開けない夜を、空を駆け抜けるソレは、まるで檻から解き放たれた獅子のように。

自由に歓喜する。気高き咆哮をあげた。

 

 

Re/stay night

 

「……こんばんは。こんなところで何をしてるの?危ないわよ」

 

声が響く。

にぎやかな繁華街から少しづれた、小さな道路。

そこでたむろしていた男たちは、響いてきた声の方へと視線を向ける。

かつかつという靴音が近づくほどに、闇の中から輪郭が露になる。

 

――肩口で切りそろえられた白銀の髪。

輝く黄金色の双眸。

雪のような白い肌と、艶やかな曲線を描いた女の肢体。

黒のジャンバーを揺らしながら現れたその女性は、魔性というにふさわしい色気を漂わせていた。

男たちの欲情を駆り立てるには、十分過ぎるほどに。

 

「へへ、何言ってんだ、ねーちゃんこそ、こんなとこに来ちゃいけないぜ」

「そーそー。こんな時間に一人なんて、こわーい人や危ない化け物に襲われちゃうかもよー」

 

言いながら男たちは女の周りを取り囲んだ。

全部で四人、それも全員がこのおかしくなった新宿を受け入れた咎人たち。

女を組み伏せることに、もはや何の抵抗も感じない。

荒い息遣いで目の前の『特上』をなめるように見ている。

けれど女はそんな男たちの視線に怯みもせず「ご親切にどうも」と微笑んだ。

 

「じゃあ親切なお兄さんたちに、私からとっておきの『いいこと』を教えてあげる」

 

女はしゅるりと羽織っていたジャンバー下ろした。

覗き見える少女の白い肌に、けだものたちはごくりと唾を鳴らして。

 

……服が擦れた瞬間に火花が散って、女は嗤う。

 

「――私がその、『こわくて危ない化け物』よ」

 

――刹那、ごうと爆発音とともに炎が燃え広がる。

紅蓮は男たちの肌を撫で、野太い悲鳴があちこちで上がる。

しばらくのたうち回った後、赤くなった肌を抱えながら必死に逃げ出す野良犬たち。

無数の焦げ跡と『化け物』一人が、その場に残った。

 

「……あー、めんどくせー」

 

乱暴な口調でがっしがっしと髪を掻く少女。

ついでに足元の石ころを蹴ったが、それで腹の虫はおさまりはしない。

ふしゅーと機関車の蒸気のような濃くて深いため息を吐く。

 

「……ジャンヌ、こっちは終わったぞ」

 

からんと、下駄の音が背後で鳴った。

振り返ると、その手に長い刀を携えた一人の黒い少女。

自分と同じ目をしたもう一人のオルタに、ジャンヌは「手伝ってなんて言ってないわよ」とだけ言った。

 

「ああ。だがそもそも、マスターには留守番を言い渡されていたはずだ。何故新宿についてきたんだ?」

「ばーか。私がアイツのいうことなんか聞くわけないじゃない。新宿なんかに死体女と二人っきり。私は家でお留守番。やってられるか!……危ないに、決まってるじゃない」

 

最後のほうだけ小さくつぶやかれたので、思わず沖田は噴き出してしまった。

がしかしジャンヌにじろりと睨まれたので、そ知らぬふりをする。

 

「でもほんと、チーズケーキ一個じゃ見合わないわね。めんどくさい……」

「……てっきり邪魔するかと思っていた」

「はぁする気満々ですけど?あいつらに会ったら二人とも焼いてやるわよ。さーて次はこっちの道ね。うん絶対アイツらはこっち、今度こそ捕まえてやる」

 

言いながら彼女は歩きだす。

……響き渡るエンジン音とは、逆の方へ。

先回りしながらも待つことはせず、『掃除』をして進むだけの魔女の後ろ姿に、宵闇の剣士は思わず微笑んだ。

 

「……優しいな」

「次変なこと言ったら二度と口を開けないように焼いてやる」

「それは困る、おでんが食べれない」

「判断基準そこなの……」

「では魔神さんも、黙ってショートケーキ分の仕事をしよう」

「そういや、チョコレートケーキはどうしたの?」

「冷蔵庫にある……ジャンヌの」

「おいこら」

「さぁさぁ、しゃべってないで先を急ごう」

 

からんからんとなり響く下駄と、かつかつと怒りを打つ靴。

明けない夜に、追いかけ追いかけられる二人のこの物語は。

 

王も少年も知らない、些細な幕間の物語。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。