私の名前   作:たまてん

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グランドオーダー二次創作。
一応第二部ネタのぐだ邪ンです。
至らぬところ多々あると思いますが、どうぞよろしくお願い致します。


ただ、熱い貴方へ

 

――それは久しぶりの、二人きりの和やかなティータイムだった。

だというのに、終えたと思ったらそそくさと資料室に篭ったのは、この世界で唯一竜の魔女が才を認める人間。

基本遠慮がちなのに、時折信じられない図太さを見せる青年。

そんな彼が席を立つ際に申し訳なさそうに淹れていってくれた香り高い紅茶を啜りながら件の魔女――ジャンヌ・オルタは、大きく息を吐き出した。

 

……珍しく早々部屋に戻ってきたと思ったら、結局は持ち帰りの仕事があったわけかと冴えた瞳が細められる。

道理で食事中もそわそわと、卓上に置かれた連絡用端末を気にしていたわけだ。

 

途中彼女に無言のままに睨まれて、端末を脇に置かれたバッグの中へ渋々落とし込んだけれど、あれだって本当は見えるところに置いておきたかったに違いない。

 

帰ってからまでもあんな感じならば、わざわざ早上がりする意味がない。

特にここのところの彼の場合はカルデアにいたころの比ではない量の仕事に日々埋め尽くされていて。

 

いくら一刻も早くあるべき未来を取り戻す為だと言っても、これでは本末転倒だとジャンヌは二度目のため息をつく。

 

……自分を、まるで精密機械とでも勘違いしてるのだろうか。

いや精密機械でも、定期的なメンテナンスは必要不可欠。

あの天才だけれど人外な二人組でも、それを承知してるからの休息時間だというのに。

 

なのに彼は一言、『やらなきゃいけないことは今やらなきゃ落ち着かないんだ』と笑ってすませてしまう。

そういって何度、少年が目をつぶることもなく夜が明けたことだろうか。

 

「……馬鹿も休み休み言って欲しいものだわ」

 

現在の彼の仕事量と戦場に出る回数で換算して見れば、ブラック企業も目をむく過剰労働っぷりであるのは明白。

有事の際ならいざ知らず、『一応』平和な時までこのような具合では、仕事のサーヴァントとして英霊に招かれる……いや『召される』事態になりそうだとジャンヌは不機嫌に眉を寄せた。

 

……実際に可能かどうかは知らないが、もう少し雑務を振り分けるとか、サボるとか、とにかくどうしても彼以外にはできないことでないことをもっと減らせば良いものを。

けれど、どんなことでも出来る限りを自身で把握しておきたいと言って、何かと理由をつけて。

結局、ほとんどのことを彼本人が一人で済ませてしまう。

 

「要するに好きなんでしょうね。あとは気が小さいんだわ、きっと」

 

 

……劣っているという自覚。

Aチームのマスターたちの存在を目の当たりにした今、少年はどうしょうもない不安にかられているのだ。

だから求める、成長の機会を。

世界を殺してゆくその重圧を、少しでも和らげたいために。

……でもアイツは決してそんな弱音は口にせず、『オレみたいに万事に行き届かない人間の召喚に応じて、身体を張って戦ってくれる君を、少しでも負担を掛けずに守るにはそれぐらい心がけなくちゃ駄目だろ?』なんてのたまってくる。

 

……ほんと、調子のよいことで。

 

「……そんなに弱くないわよ」

 

不服そうに、少女はつぶやく。

現実、彼の言うことには一理ある。

マスターと仰ぐ人物が心身ともに脆弱であるならば、サーヴァントたちがどれほど優秀であろうとも本来の実力を発揮することは叶わない。

だがそれは、もう少し鏡を見てから言ってほしいものだ。

……彼だって、応変に、そして屈強に成長を遂げた。

そしてジャンヌ自身も、それなりの力はあると自負してる。

だからこそ乗り越えられたあの雪の世界だ。

信じるべきなのだ、もっと。

 

……ここにいる私と、ここまできた貴方を。

 

「……ほんと、おばかさん」

 

呆れた風にジャンヌが言った。

だがそれを直接言ってやる気持ちは、今はない。

口にしようものなら……別の意味で殴りたくなるような笑顔をみるだろうと確信してしまっているから。

……嫌いになれない、自分が憎たらしい。

そう肩を竦めて立ち上がる。

そして飲み終わった紅茶カップを軽く濯いで食洗機に収め、洗浄ボタンを押した後に、ジャンヌはクローゼットから少年の手で几帳面に畳まれ

タンスの中に整えてあった就寝時の着替え一式を取り出す。

手に取った後、しばし思案したが……結局、ジャンヌはポケットにしまってあった端末を取り出した。

それからしばらく指を走らせて

 

「お風呂、先入るわよ」

 

と文字を並べて送る。

数分の間をおいて、ジャンヌの端末が震える。

目をやると、白い画面には『わかった』とだけ書かれた簡潔な文章。

 

「あの、朴念仁……」

 

言って舌打ちをするジャンヌ。

……そう短くない付き合いだ。

だからこれがただの『報告』ではなく『勧誘』であることも重々承知のはず。

普段なら、あのカルデアにいた頃なら、一も二もなく飛びついてきた癖に……。

 

「……薄情者め。私を湯あたりさせるつもり?」

 

愚痴を垂れるが、空しく響くだけ。

……仕方ない。

逆上せない程度にほどほど待ってはやろう。

それで来なかったら、風呂を出たあと襟首掴んで微温くなった湯船に放り込んでやろう。

人でなしと呼ばれても結構、これは当然の報いだ。

……頬を染めるぐらいに頑張った、少女の色仕掛けに応じなかった、正当な報復だ。

ぱんぱんと熱っぽい頬を叩いて、ジャンヌは浴室へと向かう。

てきぱきと服を脱ぎ、さらさらとシャワーに打たれるのは慣れたもので。

何事も問題なく髪も身体も洗い終え、少女は肩までゆっくりバスタブに浸かる。

ここのバスタブは思いのほか広く、手足を伸ばして寛げるところだ。

ちゃぷちゃぷと水面を揺らしながら、少女は時間を溶かしてゆく。

……だが案の定、いくら待っても彼女の主が追いかけてくる気配はなかった。

正確なところは定かではないが、それでも湯の中に身を沈めてから三十分以上は過ぎたろう。

飽きるには、十分な時間。

濡れた髪を掻きながら、二度目の舌打ち。

彼が先に入って待っているときは、自分はなるべく……というか、かなり無理をしてでも早く追いかけてやる努力を欠かさないというのに。

……仮にも、この唇を知ってる相手の誘いだというのに、あまりにも無礼な振る舞いじゃないだろうか?

貴方の好きとはそんなものなのか?

いやそもそも……貴方の中の『ジャンヌ・オルタ』は、そうも容易く無視できるほどにどうでもいいものなのか。

 

「……馬鹿にしてるかしら、マスター」

 

虚空をにらみながら、理不尽な怒りすら湧いてきて。

鼻先ぎりぎりまで湯の中に沈み込みぶくぶくと憤っている。

 

「――入ってもいいかい?」

 

……声を上げなかった自分をほめてやりたい。

だがずるりとバスタブの中で転んで見事に頭を打った。

 

「……どーぞ」

 

ぶっきらぼうに頭をさすりながら応じてやると、がらがらと扉が開く。

 

「……痛そう」

 

腰にバスタオルを巻いてくすりと笑いながら歩く少年はそう呟いて、「うっさい」と魔女はその白い歯を見せて威嚇行動をとる。

 

「遅すぎるわ。いい加減逆上せて倒れるかと思ったじゃないの」

「悪かった。なかなか区切りがつかなかったんだ……でも無理はしないでくれよ。これで体調を崩したらシャレにならない」

「……アンタ、ほんと一回殴ってあげましょうか?」

 

次からは疲れたら先に上がっていてくれと案ずる瞳に見つめられ、反射的にジャンヌの唇が尖らせられた。

マスターがくれた言葉は嬉しくはあった。

それはこの長い時間かけて待った彼女が欲っした言葉ではない。

 

「そう怒らないでくれよ。一応君の体調を心配してるんだから」

「体調心配するなら早く来る努力をしなさい」

「それが出来なかったから言ってるんだ。わかってくれよ」

「いいえ、貴方のほうがわかるべきです……『それでも待ってたかった』なんて、言わせんな」

 

一瞬の怒りを飲み込んで、拗ねた瞳を差付けてやれば、嬉しいことにマスターが大きく息を飲む。

わかりやすく染まる秀麗な目許。

隠しきれない喜びに自慢のポーカーフェイスを崩れさせ、照れ臭そうに綺麗な翡翠が彷徨ったことで、とりあえず溜飲を下げることとする。

 

「……ごめん」

「いいから、さっさと浴びなさい。汗臭い」

「うん……」

 

赤くなった頬を紛らすように、頭から勢いよくシャワーを被り、髪を洗いだした待ち人を、手持ち無沙汰なジャンヌが見つめる。

 

――無駄なものなど一切感じられない綺麗な身体。

細身のそれに秘められた柔軟で強靭な筋肉が、

見た目より遥かに頼もしく確かなものであることを彼女は誰より知っている。

しなやかで優しく安心できる胸。

――あの胸が難なく自分を囲い込み、身動き取れなくしてしまうことも。

 

無意識に見惚れながら考えて、ジャンヌはふるふると首を振って酔いを醒ます。

 

そして、気持ちを彼から逸らすように自身の二の腕と目の前にある彼のそれとをひき比べて……まさかの事実に思い至って、ジャンヌは新たに衝撃を受ける。

 

「嘘でしょう……?」

 

明らかに、厳つくなっている。

もしかしたら胸周りや肩の辺りも、そこはかとなく厚くなったかもしれなにのだ。

 

……ほかでもない、ジャンヌ・オルタの腕が。

 

さらに追い打ちをかける事実として、マスターのほうはなんだか以前より肉が落ちたように見える。

……別に淑女だなんだと敬われる立場の生まれではないからには、華奢でたおやかで女性らしい、清姫やエリザベート等と同等であろうとは思わないけれど。

だからと言って逞しくなっていいと言う法はないというか。

 

……なんか、へこむ。

 

しかし彼へとこれを問うたなら、不思議そうに悪気のない瞳を大きく見張ったそののちに

『そりゃあんだけ斬った張ったの毎日じゃサーヴァントとはいえど筋力もつくんじゃない?オレも細くなるぐらいのメリットないとやってらんないよ』との彼一流の無難な見解を述べるだろう。

世渡り上手としては百点、パートナーとしてむしろマイナスなお気遣い。

もっとも、過去体型を意識したことなどほぼなかった彼女だから、単純に気のせいと言う話もないではないが。

……いや訂正。

気にする相手がいなかっただけ、である。

 

「どっちにしろ、かなりきたわ……」

「気になるって何がさ?」

 

その黒髪を水で滴らせながら、少年は問いを投げる。

すると少女は観念したように、自らの胸の内を吐露した。

 

「……腕が太くなってる気がするの。

別に自分の見た目なんかに拘ったことはないけれど、

それでも貴方より筋骨隆々ってのは、ちょっと……」

「そうかな。オレからするとまだまだだし、何よりジャンヌって結構心配だったから、

できれば今くらいの身体つきでいてくれた方が安心できていいんだけど」

「心配って?」

「抱いたりするとわかるだろ?

サーヴァントとはいえ、君は女性でオレは男。これでも多少は気にかけてるんだよ

……まぁこの前とか、君を下敷きにして寝落ちしているときとかあったりするし」

「……そういうのを軽く言うなぁ……」

 

言いながらジャンヌは顔を覆った。

……あの時は、本当に死ぬかと思ったのに。

重さとか、彼の匂いに頭を支配されたりとか、いろいろと。

 

見ればいつの間にかシャワーを浴び終えたマスターが彼女の正面、同じ浴槽の中に向かい合う形で入り込くる。

とたんジャンヌが鋭く非難がましい声を上げ、それを受け彼女の主がきょとんと瞳を丸くした。

 

「酷いな。そこまで驚くことかい?」

「お、お風呂で突然正面に男に入り込まれれば、何も私じゃなくたって女性ならもれなく大声を上げるわ!」

「でもジャンヌ。君はオレを待っててくれたはずだろう?」

「そうだけど……」

 

……正直、いやになった。

自分の体が、思っていた以上に不細工な作りになってしまっていたと自覚してしまって。

それを隅々まで見られてるこの実感が、どうしようもなく……恥ずかしい。

いじらしげに頬を染めるジャンヌ。

するとそんなしおらしい少女を笑って、少年は洗い上げた髪をかき上げた。

……ただ前髪をおざなりに手櫛で撫でつけただけなのに。

妙に艶を増した横顔に、知らず彼女は息が詰まる。

 

「……卑怯よ」

 

狭い浴槽、声に出さずに呟いて、ジャンヌは彼から身を退いた。

でも、それを許しはしない。

退いた分と同じ距離、貴方が寄ってくる。

 

「いきなり入ったのは悪かったよ。でもこのほうが都合がいいんだ」

「都合がいいって、何よ?」

「決まってるだろ。ここならまっすぐずっと、君の顔が見つめられるからね……顔、赤いよ」

 

頬を挟まれて額と額をこつんと合わせられて。

柔らかな蒼い眼差しが、彼女やな微笑む。

……温度が、上昇する。

 

「……ほら。また、赤くなったね」

「ち、違うわよ!あまりにも貴方が遅いからのぼせかけただけで……

あとは、貴方があまりにも恥知らずなことを言うから……」

「恥知らずか。それはどんなことかな?」

 

言って貴方は首を傾げる。

悲しきことに、この時点で見事に……マウントポジションを、完全にとられた。

なされるがまま、ジャンヌは目を泳がせながら語りだす。

 

「わ、私の体型が変わったかどうか……だ、だ、抱いたりする、とか……」

「うん。だってこのあとするつもりだし」

「っつ!!」

 

途端ジャンヌの顔は真っ赤になる。

涙すら滲ませるその顔、けれどマスターは何も変わらず、きょとんと見つめるだけ。

 

「……大好きな君を抱きたいと思うのはいけないことなのか?恥じる行為なのかな?まぁ例え恥ずかしくてもいけなくても構わないけどさ……少なくとも、オレはしたい」

 

可愛い君が見れるからね。

そう貴方は笑う。

 

……もう、限界。

 

「わ、私出るから……」

「駄目、逃がさない」

 

言うなり彼女に腕を伸ばす濡れ髪の少年は、いつもより妙に色っぽくて。

ますます朱色に染まるジャンヌは返す言葉を失なった。

縮こまる彼女を良いことに、浴槽に並んだ彼が悠々と腕を伸ばしてその肢体を囲い込んでくる。

居場所を失くし、気づけば背後から主に上機嫌で抱き込まれていたことに、燃えるような熱さに肌が焼かれる。

 

「……熱い、わ。貴方の、腕が、私に……」

「あぁ、ごめん。狭いからね。不可抗力だよ……ジャンヌは自由にしていていいよ?オレの方はなるべく邪魔にはならないよう大人しくしてる」

「……抑えてる癖に。できるわけ、ないでしょ……」

「だよね。じゃあ、あと少しだけ我慢して」

 

くすくすと含み貴方は笑った。

……出会った当初は、いつだって緊張している風だった。

声を上げて笑うどころか、ほんの僅か吐息のように微笑むだけで。

でも今は、いつだってこんな感じだ。

当人ですら自分にこんな側面があるだなど知らなかったと言うけれど、ジャンヌが知り得た彼は意外にも感情豊か。

怒ればわかるし、しょげてもわかる。

拗ねたときなど一発だ。

見た目より笑い上戸な方でもあるし、手に負えない甘えん坊なところも

憎めない部分も多々あって。

でもこんな彼は……私しか知らない。

私だけの秘密じゃなきゃ、許さない。

じゃなきゃこんなにも……貴方の笑顔に安心する私なんかが。

 

馬鹿みたいに、思えてしまうから。

 

……本当、馬鹿ね。

 

湯に浸かる彼の横顔を見ているだけで、幸せな笑いがこみ上げる。

そうなるともう駄目で。

ちょいちょいと手招きをして、マスターのうなじを引き寄せる。

彼女の機嫌を伺うように傾けた首に、そのままぴたりと頬をつけた。

 

「……ありがとう、ジャンヌ。あと、ごめん」

「……やっとか。遅いわよ、まったく」

「……好きだ」

「知ってる。だから大切にしなさい。私と……そして貴方を」

「……うん」

 

短い肯定。

まったく仕方のない人ねと、ジャンヌの口から呆れの息が吐き出される。

だがその口許は楽しくてならないように緩められていて。

それを見た彼も嬉しくてならないように微笑んだ。

結局、彼の腕に背中から抱かれる形で大人しく収まって、彼の胸へと頬を寄せる。

 

「こうすれば二人とも伸び伸びと入れるし、くっついてもいられるでしょう?」

 

悪くないわと彼の感触を背中に感じ、ジャンヌはほっと息をつく。

濡れた首筋に擦り寄りながら、マスターの頬を片手で包んで引き寄せてやると、相手も深い息を吐く。

 

「手、気持ちいいな……」

「そう?」

「こうしてると、一気に疲れが取れる気がするよ」

「それただ単に働きすぎなだけ。わかってないと思うけど、目の下、がっつり隈ができてるわよ」

「夜更かししてるからね。よいこは九時にはお布団につきたい」

「子供じゃないんだから……」

「そうだとも、子供じゃないんだ……子供じゃないから、夜は眠れない」

 

艶めいて、低く掠れた彼の声。

耳から声を吹き込まれたのちに、無言で縋るように抱き締められて

ジャンヌが小さく息を呑む。

意図してなのか無意識のことなのか。

腕と掌が、彼女の繊細な場所を掠めるように刺激する。

唇から熱い吐息が漏れた。

 

「……いっしょに、いてもらえる?」

 

すがるように、求めるように乞われた声。

痺れるような甘さを漂わせて、ええとすぐに頷きかけたが……駄目だ。

それじゃあいつもと同じだ。

だからちゃんと伝えよう。

この、無駄に図体のデカイ子供に、しっかりと。

 

「……ならせめて、私がいるときくらい部屋に仕事は持ち込むのはやめなさい。じゃなきゃ、いっしょにいてやんない」

 

――私は母親か何かなのか。

言いながら、彼女は自嘲した。

こんなくだらないことをしている自分を。

けれど……仕方がない。

言わなきゃわからないんだから。

私が言わなきゃ、わからないんだから。

……それで、アンタが救われるなら。

しょうがないから、やってやると少女は笑う。

 

そしてその笑みは、確かに少年にも伝わった。

自らを見つめてくる黄金色の瞳。

その奥に灯る、暖かな光を感じて。

彼は固かった頬を、ふっと緩める。

 

「――わかった。もう、そんなことはしないよ……もうこれからは、大事なものを見失わないから」

 

……どうして、ここまで戦ってこられたのか。

どうして、戦ってまで勝ち残りたいのか。

その理由が、わからなくなってたけど……ようやく、思い出せた気がする。

難しいことがわからない自分だから。

せめで自分を大切に思ってくれる人たちのために。

……もう一度助けてくれた、君のために。

 

僅かに捩った半身で濡れた頬を引き寄せてやれば、彼の面輪が期待を込めて傾けられる。

思わせぶりに見つめてやると、この期に及んで照れ臭そうで。

心得たもので、勝手に瞼が落ちていく。

性急に重ねられた唇が、そのまま喉から首筋を辿る。

啄む口つけをが繰り返されて身体の向きを変えられる。

のちゆっくりと抱き締められて、鎖骨を舐められ吸い上げられる。

 

「……そろそろ出ようか。このままだと本当にのぼせそうだ」

掠れた声で彼が言い。

 

「そうね……」

 

潤んだ瞳の彼女が答える。

紛らすように眼差しを逸らし、肯定を示した彼女の背中に腕を回して。

彼はその細い体を抱き上げた。

 

「……とっくに、もうのぼせてるくせに」

 

――最後に、そう悪戯っぽく君は笑って。

 

ああ確かにその通りだと、赤い顔の少年も笑うのだった。

 


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