私の名前   作:たまてん

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グランド―ダー二次創作。
まだ好きになる前のぐだ邪ンです。時間軸は贋作の後。
最終回です。
皆様本当にありがとうございました!
改めて、よろしくお願いします!


魔女は迷いて、鳥籠に死ぬ5(終)

 

――ただ見つめる。

視線の先にあるものは、一つの白いカップとその中で揺れる黒。

気分が晴れるかと思って淹れてはみたが、結局一口も飲むことが出来ないまま。

水面はぬくもりを忘れ、もはや無表情な彼の顔を映すだけの鏡と化す。

ふと、彼は視線を傍らに向ける。

暗く広いこの食堂だが、非常灯のわずかばかりの光と少年以外の人がいないおかげか、遠く離れた時計の刻みもはっきりと見える。

時刻は零時を少し過ぎたばかり。

彼女の部屋を出てここにきてから、おおよそ三時間といった程度。

……まだ、たったの三時間前。

それとももう三時間前と言ったほうが適切か。

どっちかなと頭を捻って……すこぶるどうでもいいと思考を放棄した。

先ほどからずっとこんな感覚。

何かを考えようとして、途中どうでもよくなってやめる。

実感がわかない。

呼吸すら、あやふやに繰り返して。

まるで水の中に漂っているような不確か。

何もかもがおぼろげなのに……彼女の声だけが、ずっと鮮明に反響してる。

 

――けがらわしい。

 

そう言って見下ろしてきた目には何もなかった。

深い深い黄金、その深淵に果てはない。

同時に思い知らされる。

自分は彼女のことを……まだ何も、わかってはいなかったのだと。

 

……よらないでください。

 

その言葉が胸を貫いた。

深く、深く……深く。

吐きそうになる、そんな言葉を言わせた自分に。

殴りたくなる、そんな言葉を言わせた自分を。

 

……泣きたくなる。

 

あの震える背中に……何も、言ってやれなかった現実に。

 

「……ほんと、殺してやりたいな」

 

ぐしゃりと黒髪を握りつぶしながら、マスターは嗤う。

心の底からの侮蔑を内に向けて。

無力な自分に対する、殺意を募らせてゆく……。

 

「――それは、ちょっと困るな。今キミにいなくなられちゃうと……ボクの唯一のサボり友達がいなくなってしまうからね」

 

……その声は唐突に、マスターの耳元を流れてくる。

ちらりと、うつむいていたマスターは目を前へとむけると……その視界に入るのは、真っ白い皿に盛られたイチゴのショートケーキ一つと、もくもくと湯気の立つ新たなコーヒーカップ。

そしてそれらを飲み食す、二つの手袋だった。

 

「……幽霊みたいに出てくるんですね、貴方は」

 

つぶやくとその人は「まだ死んじゃいないよ」と苦笑する。

かつんかつんとフォークと皿の触れ合う音。

その人は「いやいいねー」と満足そうな声を上げる。

 

「深夜に食べるスイーツって、昼間に食べるときとワケが違うよ。加えて仕事上がり。よかったら、キミもどうだい?」

「……遠慮しておきます」

「そっか。残念」

 

断ると白衣の青年はあっさりと引く。

それからしばらく、彼はぱくぱくとささやかな贅沢を楽しんだ。

……沈黙が続く。

言葉の代わりに食器が鳴る。

暗い食堂で反響する、唯一の音。

共にいるけれど、互いに互いが孤立するこの最中。

 

――帰ろう。

 

ここにいても何の意味もない。

そう決めて、少年は椅子を引く。

 

「――ジャンヌ・オルタさんから連絡があったよ。しばらくの間、出撃は控えたいってさ」

 

ぴたりと、少年の指先が止まる。

ジャンヌ・オルタという名前、その響きに。

石造のように固まっていた彼だが……やがてくすりと頬を歪める。

そして語った。

当然ですね、と自嘲気味に。

 

「オレはジャンヌのこと全部わかっているつもりでいたのに……その実、何もわかってかった」

「……それは、彼女が竜の魔女だってことについてかい?」

 

ええと少年は頷く。

……思い出される、彼女の記憶。

覆いつくす紅蓮。

悲鳴にまみれる世界。

そしてそこで高笑う――彼女。

 

「……情けない話です。殺されても、文句が言えない」

 

これが人を好きになることだと、そう確信していた。

なのに、自分は怖くて逃げ出した。

好きだといった人を、恐怖した。

……この首を、いますぐねじ切ってしまいたい。

 

「……そうか。でもさっきも言ったとおりだ。キミに死なれると困る。キミ以外のマスターはほかにいないからね。たとえ代替えが見繕えても、ここにいるサーヴァントたちはキミだから従うんだ。キミが死んだら、もうどうにもならない」

「……わかっています」

「マシュもそうだ。もしキミがいなくなったら、すごく悲しむ」

「……わかっています」

「キミはキミだけのものじゃない――『カルデアのマスター』、キミはもう独りには戻れない」

「……言われなくても。わかっていますよそんなことは」

 

ぎりぎりと唇を噛みしめ、握ったこぶしが悲鳴を上げる。

……どうして今更そんなことを貴方に言われなきゃいけない。

そんな八つ当たりのまなざしを、マスターは向ける。

青年はカップに口をつけ「そうだね」と言葉を語る。

 

「……そしてキミが『そんなこと』と断言したことは――彼女だって、よくわかっている事実だろうね」

 

……息が詰まった。

言葉ともにことりとソーサーが置かれる。

少年を見る瞳は、引き締まっていて。

その輝きに、思わずたじろいだ。

 

「……キミが誰を好きになろうとそれは自由だ。けれどもし仮にだ、その相手が一国を貶める魔女だとしたらどうなる?ほかのサーヴァントにも、スタッフもどう思うかわからない。それはキミの自由じゃない。彼女を好きになった瞬間……キミの立場は、崩れ去るかもしれないんだ」

 

……昨日の敵は今日の友。

そんな言葉が通じる現実は少ないことは、嫌でも知っている。

怒りも嫌悪も悲しみも消えはしない。

踏みにじられたがゆえに、残り続ける。

 

「……変われたら確かに楽だったろう。でも彼女は変われない。復讐の魔女だからこそ、彼女はサーヴァントとして現界できる。憎み憎まれ続けるからこそ……『ジャンヌ・オルタ』はここにいられる」

 

……災厄の魔女。

それを自負していた彼女。

けれどもしも、彼女の存在で誰かが不幸になるとしたらどうなるだろうか?

ここにいるだけで憎まれる。

ここにいるだけで憎みたくなる相手がいるとしたら。

そして『そんなこと』で、迷惑をかけたくないと思ったなら。

 

――あの部屋の中で閉じこもることが、一番の平和につながるんじゃないのか。

だからずっと一人だった。

だから寒い夜の中で、彼女は体を抱いて眠っていた。

それは一人になりたかったからじゃない。

ただ自分のせいで……自分以外の誰かに、嫌な思いをさせたくなかったから。

 

――なんて、地獄。

 

こんな世界でただ一人、鮮やかな景色を眺めながら。

それはまさに鳥籠の中。

羽があるのに飛べず、さえずれるのに声は届かない。

うらやむだけで、朽ちるのを待ち続ける日々。

 

……自分なら、死にたくなる。

 

「……でも、彼女は還らなかった。この窒息しそうな鳥籠の中でも生き続けた。いやそもそも、こうなることはわかっていたんだから捕まる必要もなかったんだ――その理由は、今のキミならわかるんじゃないのかい?」

 

声音は柔らかい。

さっきまでの切り詰めた様子は消えた。

それはすべて、目の前にいる少年の表情を見てのこと。

 

――こらえる。

両手を握り合わせ目をきつく閉じて、なんとかこらえる。

でなければきっと……思いが、涙となってあふれ出してしまうから。

 

……オレだ。

守ってくれた、支えてくれた、かばい続けてくれた。

君を呼んだオレのために、その契約を果たすために。

たとえ言葉を交わすことが少なくても、オレを拒否し続けてでも。

確かにオレのために戦ってくれてた。

どこにいても、どこにいたって、ずっと。

 

――けがらわしい。よらないでください。

 

あの言葉の意味が、今ならわかる。

いつもの彼女なら、「寄るな」で済むはずだ。

「よらないでください」なんて『懇願』をするはずがない。

 

彼女が考えていた真意は、ただ一つ。

 

――血まみれの両手で触れれば、貴方を染める。

それは嫌だ、こんな赤に染めたくない。

こんな私と一緒にいて、傷つく貴方を見たくない。

いつだって笑ってほしい。

 

だからマスター……お願いします。

 

――けがらわしい『私』に、よらないでください。

 

 

「……ばっかやろうっ!」

 

 

声を張ると同時に、彼は走り出す。

それは自分に対して、そして彼女に対しての叫び。

けれど向かう先はただ一つ。

そこを目指して、少年は全力で腕を振る。

 

暗い食堂、あとに残されたのはただ白衣の彼ただ一人。

 

「……本当に、キミは突然だな」

 

楽しそうに笑う、一つに結わえた髪を揺らして。

……いろんなものを見てきた。

楽しいこと、悲しいこと。

あっという間の十年、だいたいのものは知ったから、これで十分だと思っていた。

けれど……ここにきて、彼らの紡ぐ物語の続きがあまりにも……恋しい。

 

「……難しいんだね、人生って」

 

名残惜しいなと肩をすくめて。

そして同時に……とても満足そうに、浪漫の人は口元を緩めるのだった。

 

 

■ ■ ■

 

――わからない。

 

そう、ジャンヌは心の中で唱える。

ベットの上に打ち捨てたわが身。

指先に力が入らなず、呆然と無機質な天井を眺める。

 

――わからない。

明日からどうやって生きていけばいいか。

……いや、わかっている。

考える必要はない。

私はこれからも……マスターのために戦うだけ。

マスターのあの様子からして、しばらくは会わないほうがいい。

彼にも整理する時間は必要だ。

でもきっと彼なら……割り切って、私を『サーヴァント』の一人として使ってくれるはず。

あれだけの特異点を駆け抜けてきたのだ。

そういう割り切りはできる人、だからこそ信頼してきた。

そして私はただ貴方に従う。

貴方に仇なすものを屠りましょう、貴方の歩む道を作りましょう。

貴方が羽を休めるときは……私は傍から離れましょう。

 

明るい世界にいてほしい。

私は陰から貴方を守る。

だからここに居続ける。

どこよりもずっとそばで、貴方を守れるから。

 

……おかしいわね。

すべてを憎んでいたはずなのに。

たかがマスター一人に、私はどうしてこうも捧げているのか。

……決まってる。

それはすべて、あの時からだ。

あの偽物に浸ってた世界で、貴方だけが唯一。

 

私のことを――『ジャンヌ・オルタ』としてみてくれた。

 

ただそれだけだ。

それだけで……私はここにいる。

 

「……まぁ、他にやることがないっていうのもあるかもね」

 

くすくすと、少女は笑う。

……少し、力が戻ってきた。

むくりと、力を込めて起き上がる。

そして改めて、この殺風景な己が領域を見渡す。

 

……ここは鳥籠というよりも、もはや檻と呼ぶにふさわしい。

私にとっては自由の利かない鉄の箱。

マスターにとっては、怖い猛獣をしまう安全装置。

それで構わない、それ以上を望むなんて、都合が良すぎる。

 

ただ……あおのときの、押し返された指の感触は、今でもこの胸にあって。

その時の彼の表情がほんの少し、ほんの少しだけ。

 

「……きっついわね」

 

滲んでしまう視界に、からからと笑いが漏れる。

……泣いたところで、誰が聞いてくれるわけでもないのに。

 

ばかだなぁと彼女が一人思う――その瞬間。

 

――バン!と大きな炸裂音が響く。

 

ジャンヌの体が跳ね上がるほど。

そして立ち込める白煙。

突如肺に流れ込んできたそれげほっげほとせき込んだがすぐに手を大きく横に薙いでその白い景色を晴らす。

煙の向こうから見えてくる景色。

そこには本来扉があるはずだったが……ない。

代わりにあったのは……大きな穴一つ。

周りにひびが入り、ぼろぼろと崩れている。

たまらず、ジャンヌの顎が落ちた。

 

「……やりすぎた」

 

咳き込みながら、開いた穴から一人の人物が顔を出す。

黒い髪と青い瞳。

白い上着に黒のズボン。

 

……ジャンヌが見間違えることなど、ありえない。

その姿は紛れもない……慄いて逃げてはずのマスターだった。

 

「……ちょっと貴方っ!何しに来たのよ!?」

 

言って詰め寄るジャンヌ。

しかしマスターはしらっとした感じで「ノックならしたよ」と答える。

 

「ひたすらたたき続けたけど返答ないからさ……仕方ないから、ドアごと吹き飛ばした」

「アンタ横暴!!」

「横暴で結構。お互い似たようなもんだろう……それでジャンヌ。改めて君に言いたいことがある」

 

澄んだ瞳が見下ろしてくる。

さっきまでみたいに朗らかな感じじゃない。

真剣な輝きに、少女は気圧される。

彼は一度深く息を吸い、その分吐き出す。

そして目の前に立ち少女に語る。

熱をのせて告げる。

 

――君が好きだと、ただ一言。

 

一瞬、彼女は呆けた顔になる。

だがすぐに頬をいやらしく歪め「とうとう気でも狂ったのかしら」と侮蔑を露にした。

 

「……さっき見せてあげたでしょう。私は変わらない。永遠に魔女。貴方のことだって、いつかも殺すかもしれないわよ。それとも、私が貴方を殺さない保証でもあって?」

「いや、そんなものは見つからなかったよ」

「ほらね。ならさっさと……」

「でも今こうしてオレは生きてる」

 

言うと彼女は口をつぐんだ。

そのまま少女は目をそらす。

構わず、マスターは言葉を続ける。

 

「殺せる機会なら、いくらでもあっただろう。でも君はそうしなかった。オレのことを助け続けてくれた……信用するには、十分な根拠だ」

「……どうかしらね。もしかしたら、気が変わるかも」

「そう都合よく変わられてたまるか」

「――なら試してみる?」

 

きんと震え声が上がる。

それは少女のかざした剣の声。

真っ黒い剣先が、マスターの首元に触れていた。

ついと、赤く濃い液が滴り始める。

 

「……あと少しずらせば、アンタを殺せる」

 

ぎらつく金色が見上げてくる。

それはキスをしようとした時と同じ光。

さっきは震えて仕方なかった眼光だ。

でも……なんでかな。

今となっては――強がってるのが、よくわかる。

好きにするといいとマスターは語った。

代わりに、その時は令呪で止めるとも。

 

「令呪だけじゃない。ほかのサーヴァントでも何でも、君が殺そうとしても必ず生き残ってやる……絶対殺されないからさ。だから今度は……オレを、信じてくれない?」

 

……よく、理解した。

信じられないんだ。

マスターよりも、ずっとずっと。

ジャンヌは自分のことを、全く信用してない。

自分がどれだけおぞましい存在になのか知ってるから。

いつどうなるかわからないから、だからマスターたちから離れようとした。

……なら、信じなければいい。

信じられないものを無理に信じ込む必要はない。

好きなようにふるまえ、好きなように生きて。

そのかわり君が間違えたときは……絶対に、オレが止めてる。

 

――その言葉は、少女の予想を上回っていたようで。

かたかたと、手の震えに呼応して剣が震え始めた。

 

「……たとえ、貴方が死ななくても。貴方の立場は死ぬ。こんな魔女を受け入れて、他の奴らがいい思いをするはずがない……」

「ならそれを超える結果を出そう。君を受け入れた分、それによって起こった負荷も全部飲み込んで、そのうえで君を信じてもらえるようにしよう……まずはスタッフさんたちの仕事とか肩代わりでもして、デスクワークのお手伝いでもしてみようかな。ほかのサーヴァントさんたちにもちゃんと話をする」

「……そこまでする、貴方に得がない」

「得ならあるさ。君のそばにいられる」

「まだ夢を見てるの!?私は魔女よ!貴方が思ってるみたいに『綺麗』なものじゃない!はなやかな『恋』でもしたいなら、他を――!!」

「その君が好きなんだっ!!」

 

……それは想いの熱。

大きく響く声は、あふれていて。

まっすぐに見つめてくる少年の目は……『本物』だった。

 

「……確かにオレが勝手だった。オレが思ってた理想を押し付けて、君を好きになってた……でも今は違う。オレが好きなのは……ずっと傍で守ってくれていた、やさしい『ジャンヌ・オルタ』だ」

 

――君は非道だ。

下劣で邪悪で、災厄を齎す魔女だ。

でも……それでも、君がオレにやさしくしてくれたのは紛れもない事実だ。

わが身を投げうって守ってくれた。

ずっとそばにいてくれた。

その痛む心遣いに、気づかないように振舞ってくれた。

そんな人のことを好きになるなというほうが、よっぽどひどい話だ。

 

――いまだから、わかる。

君のために、すべてを投げだしたい。

君のためにすべてを尽くしたい。

それら全部をささげるから……君のそばに、いたい。

 

この感情は何か。

この切なさは何か。

 

改めて語ろう。

この感情の、言の葉は……。

 

 

「――愛してる。ジャンヌ・オルタ……だからずっと、いっしょにいよう」

 

 

――微笑みは優しく、暖かく……そして幸せそうで。

心からの告白を、彼は捧げる。

他でもない、黒い少女に向けて。

 

「……なん、で」

 

……声が、うまく出ない。

熱くて、渇いて、舌が回らない。

視界が滲みすぎて前が見えない。

これじゃあ届かない。

今すぐにでも殴りたい。

だって止めどないんだ。

胸からあふれる、この感情が。

 

嬉しさが、溢れて止まなくて。

 

涙が、頬を濡らしてく。

 

「……バカよ、貴方」

 

こつんと、彼の胸板に頭をぶつける。

それを抱き抱えながら、マスターはそうだねと笑う。

 

肩を覆うそのぬくもりは、決して触れられないと思っていた貴方のぬくもり。

 

「……絶対に死なないで」

 

うん、と彼は頷く。

 

「……間違えたなら、容赦なく私を拒絶して」

 

うん、と彼は頷く。

 

「……本当に、いいのかな?」

 

最後に、少女は問う。

自分だけの力では届かない光に、手を伸ばしてもいいのかと。

 

すると少年は囁く。

 

君は一人じゃないと、笑いながら。

 

「――オレのこと、信じて」

 

……それは何より欲しかった言葉で。

少女の全てが溶けて行く魔法。

 

腕をつかんですがり付いて、少女は涙をこぼし始めた。

 

初めて誰かの前で流す、自分のための涙。

 

そしてずっと彼女は言い続ける。

 

――貴方が好きと、ずっと響く。

 

マスターは泣き止むまで、その背中をさすり続けた。

 

彼女は語ると同時に、彼も語り続ける。

 

――ありがとう。

 

■ ■ ■

 

 

「……しかし、見事なもんね」

 

ずずと鼻をすすりながらジャンヌは語る。

それは他でもない、くだけ散った扉の残骸に向けて。

するとマスターは面目ないと申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「その、返事がないから焦っちゃって……なにも考えずにごめんなさい」

「そうね。私せっかちな男は嫌いだから、もう少し節度は欲しいわねぇ」

 

さらにマスターのからだが小さくなる。

かわいい奴、とジャンヌは笑った。

それから少女は地に落ちた破片を手に取る。

 

……確かに、これじゃもう『鳥籠』には籠れない。

 

しかし、これじゃあ流石に此処で夜は越せない。

 

さてどうしたものか……?

 

「……悩む必要なんてある?」

 

耳元で囁く声。

それは少々悪戯っぽく。

……こうなってくると、破壊したのも作為的かと思えてくる。

だがまぁ……それでもいいか。

 

「……しょうがない。今夜も世話になるわよ、マスター」

「喜んで……ああ、だけど今日が君がベットに寝ること。また床で寝たら許さないからな」

「やれやれ。アンタこそ何を抜かしてんのよ」

 

するどぐいと少女はマスターの襟を引く。

こつんとぶつかり合う額と額。

黄金色が蒼色を見つめ合う。

 

それから少女は伝える。

その鈍感な頭の、優しい貴方に。

この熱と、鼓動を。

 

「――今夜は、絶対に寝かせないから」

 

 

そう楽しげに、魔女は微笑む。

 

――鳥籠にはもう戻れない。

 

それが良いか悪いかわからない。

もしかしたらおとなしくあの中で死んだ方がよかったかもしれない。

だけど、これだけは確かだ。

今、貴方に微笑んでる魔女は。

 

……とても、幸せな『いま』を生きている

 

 


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