私の名前   作:たまてん

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私の罪 中

2.

 

 

ーー無垢な私は、神を信じていた。

 

清く祈り続ければ、主はきっと私たちを愛してくださると。

 

……けれど、その思いは日に日に歪んでいく。

 

貧困、飢餓、奇病、強盗、殺人。

 

ありとあらゆる『不幸』を見た。

 

ありとあらゆる『悲しみ』を見た。

 

それらを見るたびに私は涙し、そして祈った。

 

主よ。

どうか彼らを、人々を救ってほしい、と。

 

ーーだけども、その祈りは叶わなかった。

 

どれだけ貴方に祈れど。

 

どれだけ貴方に尽くせど。

 

ーーこの世界から、『苦しみ』が消えることはなかった。

 

 

ーーそしていつしか、私は恐怖を覚えるようになる。

 

あの『不幸』が、あの『悲しみ』が、私を襲うのではないかという恐怖。

 

私も彼らのように、『苦しみ』に沈むのではないかという恐怖を。

 

ーーだから、私は必死になった。

 

そんな地獄に落ちないように。

 

私だけは助かるように。

 

無垢なるものたちの、数多の祈りを糧に、私はかの地位を手にいれた。

 

ーーそんな時、ふと鏡を見た。

 

そこに映っていたのは、かつての無垢な姿の私ではなく。

 

 

ーー醜く歪み欲望に肥太った、法衣を纏う化け物のソレであった。

 

■ ■ ■

 

 

「ーーなんだ。この程度か」

 

そう呟いた彼は、落胆混じりの視線で荒い呼吸を繰り返す少女を見る。

 

ーー少女は、全身傷だらけで満身創痍のていであった。

 

今にも倒れてしまいそうだが、地面に剣を突き刺し、なんとかそれを支えにして持ちこたえている。

 

彼女は顔を上げ、自分を見下ろす男を睨み付けた。

 

そして、剣を引き抜き、掛け声とともに再び、男に斬りかかる。

 

「……残念」

 

男がにやりと笑いを浮かべる。

 

少女が振るった剣先は、男の体に触れることはなかった。

 

その直前で黒い影に覆われた者のもつ剣が受け止めていたから。

 

それからさらに、男の背後に控えていたもう一騎のシャドウサーヴァントが少女に斬りかかる。

 

仕方なく彼女は後退し、また彼から距離をとる。

 

先程からこの繰り返しだ。

 

目線は彼からは外さず、彼女ーージャンヌはいまいましそうに舌打ちをした。

 

「……反吐が出るわ。何回切り刻めば消えてくれるのかしら?その使い魔」

 

 

「おや。割りと君に似せたのだと思ったのだがな。お気に召さなくて残念だ」

 

 

肩をすくめるわざとらしく肩を竦める彼ーーピエールに、ジャンヌは「どこが」と吐き捨てた。

 

……内心、腸は煮えくり返っている。

 

ピエールが先程から召喚してくるシャドウサーヴァント。

 

その格好、所作は剣を交えればいやでも自覚させられる。

 

ーー自分自身に、そっくりであると。

 

だがそんな事実、口にするなんて死んでも御免だ、吐き気がする。

 

 

ーーいや。

 

そんなことよりも、もっと吐き気を催す出来事があった。

 

何よりも、今一番彼女が知りたいこと。

 

それはーー

 

「ーーどうして、貴方がここにいるのかよ。ピエール・コーション司祭」

 

「……これは驚きだ。その理由を君が問うのか?他でもない君自身が?」

 

彼はからかうように笑った。

 

……その不快な笑い声。

 

いますぐ焼き捨ててやりたかった。

 

けれど、彼自身にもなかなか隙がない。

 

元来、ルーラーの彼に対してアヴェンジャーであるジャンヌが優勢のはずである。

 

けれども、それは彼と戦闘できたらの話である。

 

彼の召喚してくるシャドウサーヴァント、しかも同一のアヴェンジャーのクラスにはなんの補正もない。

 

さらには、斬れども斬れども彼は代わりを補充召喚してくる。

 

認めたくはないが、状況はかなり悪い。

 

長期戦はこちらに不利になる。

 

なら特効をかけるか、と思ったがそれつまこちらが生存している確率が低すぎる。

 

それでは駄目だ。

 

私は、勝たなければ意味がないんだから。

 

……本当に面倒くさい。

 

そう心のなかで嘆息する。

 

それから勝機を見いだす意味も含めて、彼女はピエールに会話をうながすのだった。

 

心の底から湧き出そうになる、憎悪を抑えて。

 

「……ええ 。私がいるのに、貴方みたいなのがカルデアに招かれると考えにくいもの。さすがのあの人参頭もそこまで空気の読めない奴だとは思えないわ。それにカルデアに招き応じたサーヴァントがカルデアを攻撃してるなんて、あり得ない話よね。だから訊いてるのよ」

 

「ーーふむ。自覚なしか。まぁだからこその召喚なのだろうがな……いいだろう。罪人の前でその罪を読み上げるのも、裁判官としての責務だ。ならば君の罪を代弁してやろうーージャンヌ・ダルクよ。君は、抑止力という言葉を知っているか?」

 

「……ええ、知っているわよ」

 

ーー抑止力。

 

それは、修正の力。

 

世界の根本を変えてしまうような事象に干渉する、人類、または世界の意志そのものの具現。

 

ーー例えば、世界を壊そうとする怪物がいれば、それを倒す英雄が現れたり。

 

また例えば、崩壊の危機に貧した国を救うため、天の声を聞く少女が現れたり。

 

そんな滅びを回避すらための防衛本能。

 

これを、魔術の世界では抑止力と呼称される。

 

「ーー抑止力が起動するのは、対象が世界、または人類にとって排除するべき要因だと断定された時だ……九九もできない無知な君にも分かりやすくいうなら、体に入った細菌に対処する抗体のようなものだ」

 

「お生憎さま。九九ならもうマスターしたわよ……それで。その話が、貴方がここにいるのとどんな関係があるのよ?」

 

「……愚鈍なのもここまでいくと不快なだけだな。ここまで聞いてまだわからないのか?いや、わかっている上で君はそう訊くのかな?……ああ、そうに違いない。君は嘘つきだからな。自分だって、簡単に騙せるはずだ」

 

「……相変わらず、貴方は人の話をまったく聞かないのね。コーション司祭」

 

苛立ちを募らせながら、彼女はたずねる。

 

ーーけれども。

 

なんとなく、その答えには辿り着いていた。

 

それは、たぶん……。

 

そうだ、と言って彼は笑った。

 

彼女の予想を、ピエールはそのまま口にする。

 

「ーー私が呼ばれたのは他でもない、その抑止力としてだ……おめでとうジャンヌ・ダルク・オルタナティブ。これが、君の待ち望んだ『天罰』だ」

 

 

ーーその微笑みはまさに、敬虔なるクリスチャンに、教えを諭す慈母に満ちた神父のソレであった。

 

 

■ ■ ■

 

ーー『天罰』。

 

そう彼は告げた。

 

それを聞いたジャンヌはしばし茫然とした。

 

「……今の君の姿は、本来ならあり得ない存在。ジャンヌ・ダルクからは逸脱し過ぎたものだ。いや、むしろそれ以上に……聖処女たる『ジャンヌ・ダルク』という存在を、地に貶める恥ずべき悪だと、世界に、人びとに認識されたんだ。まったく滑稽な話だ。人類史の修復より先に、君への修正力が働くとはな。よほど世界に嫌われたと見える」

 

「ーーその抑止力の具現が、貴方だというの?」

 

ジャンヌの言葉に、ピエールはああ、と頷く。

 

「……ジャンヌ・ダルクを裁いた者として、私が選ばれたのさ。だからこの通り、これだけの魔力供給があるのも抑止力の代行者としての特権だーーさぁ。それでは懺悔してもらおうかジャンヌ。聖処女と唱われた君が、世界の悪となった、その罪を……」

 

そう、ピエールは語りかける。

 

うつむき震えるジャンヌに。

 

沈黙が続く。

 

彼女は口許に手を当てたままなにも喋らない。

 

目の前に現れた、裁きを与える存在に、おののいているからだろうか。

 

まぁ、無理もないだろう。

 

これは、彼女の信じるものから受けた裏切りに等しいのだから。

 

戦意を失っても、それは仕方ないこと。

 

「……どうやら、君にも自覚が出来たようだな。ならばこの裁きを、しかと受けてもらおう」

 

 

ピエールが厳かに告げる。

 

ーーそれが、彼女の我慢の限界だった。

 

 

 

ーー高らかな笑い声が、室内に木霊する。

 

 

 

風船が割れたみたいに、唐突に。

 

ピエールは、大きく目を見開いた。

 

ーー笑っていた。

 

腹を抱えて、黒装束を震わせながら。

 

おかしくて堪らないと、目尻に涙を溜めながら。

 

ーー彼のよく知る少女は、彼が見たこともないような笑い方をしていた。

 

 

ひとしきり笑ったあと、彼女はふぅ、と息を吐く。

 

それから彼女はピエールの顔を再び見る。

 

先程とはうって変わった、不敵な笑みを浮かべながら。

 

「……『天罰』ね。ならお尋ねするのだけど、『天罰』とはいったいどうゆういみなのかしら、司祭」

 

「……主が貴方に与える『罰』のことだ」

 

「なら『罰』とは?」

 

「貴方の罪に対する『報い』だ」

 

「ええ。確かにその通り……けれどそれだけではないでしょう?『罰』とは、与えられる者に悔い改めさせるもの。反省を促すためのものでしょう?なら、一つはっきり言えるわ……貴方に罰せられたところで私はーー反省する気にはまるでなれない」

 

「……なんだと」

 

ぴくりと、彼の眉が上がる。

 

そんな様子のピエールを、クスクスと彼女は楽しそうに笑った。

 

 

「当たり前でしょう?泥が泥水をかけられて綺麗になるとでも?貴方に裁かれたところで、怒りは増せど更正するなんて思いもしないわよ。主の御心を代行するには、貴方は汚れすぎてる。若返って自意識過剰なのかしら?なら鏡をよくご覧なさい。そこには貴方のよく知ってる、醜く歪み、肥太ったら化け物の顔が見えるだろうから」

 

……そう、きっと『天罰』が下るなら。

 

せめて貴方よりも、『誠実な人間』がよこすでしょう。

 

そう魔女は言った。

 

彼女の答えに、ピエールはしばし沈黙する。

 

それから、彼はフッ、と笑った。

 

けれど、それは先ほどまでの笑みとは違う。

 

侮蔑したわけでも、哀れんだわけでもない。

 

ーー本当に、楽しくてしょうがない、と言った笑い。

 

「ーーまったく。相変わらず、人の気にしていることばかり見抜いてくる。だから君は魔女と呼ばれるんだ……いいだろう。君が認めぬというなら構わない。私はただ、主のご意向を代行するだけのことだ」

 

告げると同時に、彼の回りに次々とシャドウサーヴァントが召喚されていく。

 

数が増えていくそれらの光景を見ながら、ジャンヌは「単純な男ね」と嘆息した。

 

……けれど、はいそうですかと言えるわけはない。

 

さっきも言った通りだ。

 

勝たなければ意味がない。

 

それは、私が帰ることも含まれている。

 

ーーただ一人、私が契約を交わしたあの人もとへ、帰ることも。

 

「ーーいいわよ。お相手致しますわ、司祭どの。でもーー」

 

ーーだから、彼女は剣を向けた。

 

ボロボロの体になっても。

 

どんなに惨めでも。

 

……たとえこれが、本当に『天罰』でも。

 

「ーーこの憎悪、貴方に受け止めることができて?」

 

ーー今はただ、交わした契約を果すために。

 

彼女は剣を構え、少女は走り出した。

 


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