新宿編配信一周年おめでとうございます。
邪ンヌ一生大好き。
改めてよろしくお願いします。
「……つまらないわ」
むすっと頬を膨らませて、心底不機嫌な様子で、ジャンヌ・オルタは愚痴を溢す。
目の前には無数の数字と黒線が規則的に並んだ画面が一つ。
それには、物語の鍵を左右するような仕掛けはないし、秘密の暗号なんてものは無論隠されてない。
……単純に計算式が入力された、ただのまとめグラフである。
何の面白味もない画面を睨むように見つめていると、その傍らに座っていた少年は「文句を言うじゃありません」とむくれるジャンヌを諭した。
「……まだはじめて三十分も立ってないじゃないか。これぐらいで音をあげられたら困るよ。教えなきゃいけないことが、山ほどある」
「嫌よ飽きた。だいたい、こんなことが何の役に立つっていうの?」
「オレの仕事が手早く終われるようになる」
「貴方が私のぶんまで働けば問題ないわ」
身も蓋もないな、と苦々しい顔をするマスター。
それからつんと顔を反らし、腕を組んだまま手を動かそうとしない我がサーヴァントに、まったくこの子はといった様子で肩を落とした。
――現在行っている作業は、端的に言えばパソコンの基本システムの操作法を、ジャンヌに教授しているというものだ。
パワーポイントやワード、資料作成に必要な機能について、一からマスターが教えている。
少年曰く、覚えてもらうことで仕事を手伝ってもらおうということらしい。
……実際の話は、仕事している少年の横でひたすらゲームをしてた彼女に、ちょいと苛立ちを覚えたことによる八つ当たりなのだが。
ま、先日あげた携帯端末のように、知っていて損なことはない。
「損なことはないですって。バカ言わないで。こんな下らないこと覚えてる間に、私の貴重な余暇がどんどん潰れてるのよ。特に今日はレベリングと素材集めで忙しいっていうのに。この憎悪、生半可なことでは収まらないわ……」
「最近の君、デュへる沸点が低すぎないか……?」
呆れ呆れ、マスターは首を横にふる。
魔女の名に相応しい、傍若無人ぶり。
この小生意気なお姫様をどうしてくれようか、と頭を悩ませていると突如軽快なメロディが彼の懐から鳴り響く。
ポケットに入ってる端末をとりだし、少年はその液晶画面に標示されたメッセージに目を通した。
それから重々しい、ひどく疲れきったため息を、彼は吐き出す。
「……ちょっと、ダ・ヴィンチちゃんにお呼ばれされたので行ってきます」
「何よまた仕事?そのうちどこぞの賢王さまみたいに過労死するわよ」
「まさか、ダ・ヴィンチちゃんに限ってそれはないよ……過労死する寸前で休暇とらせて、最低限の余暇を与えてまた働いてもらう。そういう案配が絶妙なんだよ……」
「怖すぎるでしょ。アンタの上司……」
青ざめるジャンヌに「冗談だよ」と彼は軽く笑った。
ぱちんと、慣れた動作でパソコンをスリープさせてマスターは席を立つ。
「じゃ、ちょっと顔出してくるから。それまで大人しく待ってること。いいね?」
諭すような彼の言葉に、ジャンヌははんと鼻を鳴らす。
「子供扱いしないでもらえるかしら?貴方の言うこと聞く義理なんて、私にはないのだけれど」
「それは残念。帰ってきたら、素材集め手伝ってあげようと思ってたのに」
「結構よ。別に必要ありません。さっさと行ってきなさい」
ぷいと顔を反らし、ジャンヌはマスターに背を向ける。
……とりつく島はなしか。
やれやれと少年は肩を竦め、彼もまた扉へと足を向ける。
「――気は長くないわよ、私」
――ぽつりと、背後から聞こえるささやき。
ぶっきらぼうで、無愛想で、まったく君らしい声音。
思わず、頬が緩んでしまった。
だから「善処はします」と、そう手を振って、マスターは部屋を後にする。
心なしか、その足取りは早く、そしてうきうきと弾むんでいた。
「……甘いわね、私も」
あきれたように少女は息を吐く。
自分でも、柄でもないことを言ってるんだと自覚はしていたが。
……それぐらい言っとかないと、待っていられる理由の誤魔化しが効かないから。
「っああもう!腹立つからアイツのデータ漁ってやるっ!!」
耳の裏の痒むような、こっ恥ずかしいのを誤魔化すために、彼女はそう声を張り上げる。
マスターだって男だ。
見られたら恥ずかしい秘密の一つや二つ、あるはずに違いない。
特に、彼の私物たるこのノートパソコンになら断然あり得る。
私がこれだけ恥ずかしい思いをしてるんだ。
帰ってきたらに恥ずかしい思いをさせてやる、と企んだ笑いを浮かべながら、ジャンヌはパソコンを再起動させる。
ビン、と音が響き、真っ黒な画面に光が差す。
それからユーザーアカウントをジャンヌのものからマスターのものへと変更させる。
普段は彼しか使わないパソコンだから、パスワードなんてものはなく、すいとたやすく入れた。
なんて、緩みきった我がマスター。
さぁ漁り尽くしてやろうと、舌なめずりをした時。
びよんと、電子音が響いてパソコンの待ち受け画面が露になる。
――すやすやと安らかに眠る、己が顔の大アップが。
「……やられた」
初っぱなから大爆撃。
ふしゅうと赤くなったジャンヌの頭から湯気が昇る。
まさか、こんなトラップを仕掛けているなんて、誰が想像しようか
てゆかいつこんな写真を撮ったんだアイツは。
だんだん!と不平不満な思いを込めて机を連打する。
……若干のうれしさを覚えてしまうのが、なおのこと腹立たしい。
だから、俄然やる気が出てしまった。
このやり場のない感情を発散するために、ジャンヌは気を取り直してフォルダを漁る。
今度こそ、マスターのあられもないようなモノを見つけてやるために。
……だが一時間後、打ちひしがれることになるのは他でもない竜の魔女自身であった。
てっとり早く保存されている画像を漁ろうとしたのが運の尽き。
きちんと整理されたフォルダには、ちゃんと名前が書いてある。
――ジャンヌフォルダ・その一。
ジャンヌフォルダ・その二。
ジャンヌフォルダ・その三。
ジャンヌフォルダ・かわいいの。
ジャンヌフォルダ・すごくかわいいの、などなどと……自分の名前がずらりと並んでゆくこの恐怖。
とゆうかそれしかないというのは人として如何なものだろうか。
喜ぶべきか慄くべきか迷い、そしてどっと襲ってくる疲労感と闘いながら、ジャンヌはそれでもスクロールする。
もうそれはすでに義務的な作業な気分であった。
永遠続くかと思えたジャンヌフォルダの大群。
……けれども、その中のある一つを見てぴたりと、ジャンヌの手が止まった。
――ジャンヌフォルダ・新宿
ごくりと、喉がなった。
強張った表情、けれども彼女はフォルダを開く。
……中にはたくさんの写真があった。
食事の風景、寝ている風景、散歩の風景。
新宿で過ごした時間が切り取られ、敷き詰められている。
その一枚一枚に、彼女は笑ってる。
必ず映る姿は……まぎれもない『ジャンヌ・オルタ』。
私の知らない、『私』の記録。
……向こうで別の私に会った、というのは耳にしていた。
その時ははいそうですかで済ませていたし、そういうこともあるだろうと納得していた。
だが改めて彼女は目にしてみる。
新宿で過ごしている違う己を。
……そんな己と楽しそうに笑う、彼のことを。
ちょうどその時だった。
「……ただいまー。いやごめん。思ったよりも時間かかったって、がぃ!?」
笑いながら入ってきたマスター。
最後に奇声を上げてしまったのは、胸ぐらをつかまれぐいと押し倒されたせい。
勢いが強すぎて、ベットの上であっても鈍い痛みは走った。
少し涙目になりながら少年は目を開ける。
すると眼前には……冷たく見つめてくる黄金の闇があった。
ある種の殺意すらにじませるほどの深い瞳。
普通なら恐怖ですくんでしまう圧ではあったが、彼は「おっかないな」と苦笑するだけだった。
「……新宿の私と、何をしてたの?」
低い声で彼女は問いを投げる。
唐突な質問に首を傾げるマスター。
が、ぎりぎり目に入ったパソコンの画面に、ああと頷いた。
「……あのときは、べつにどうでもいいって言ってたじゃないか。なのに今日はやけに積極的だね……ひょっとしてやきもち?」
「うるさい。ただ……なんか、気に食わない」
自分じゃない誰かと笑いあうあの姿。
それを見て、胸の奥で渦巻く感情は確かにある。
……子供らしいひがみとはわかっているけど。
でも無視できるほど、鈍くもいられない。
何よりも……新宿にいた私がどんな気持ちで貴方と笑っていたか、よく解っていたから。
「……それで。何をしてたかはっきり言いなさい」
「やだ」
その端的な否定に、彼女の髪はぶわりと逆立つ。
まるでいかる獅子のよう。
大人気がないと、マスターはため息をついた。
「……気になるって気持ちはわかるしなんか嬉しいけど、そういうのはマナー違反だよ。逆の立場だったら、絶対君怒るだろうし。だから言わない」
「マナーなんて知るか。そんなことを気にする道理なんて、この私にあるとでも本気で思って?」
「わがままだなぁ君は……まぁそうだな。どうしてもっていうなら、一つだけ教えてあげようか」
何よ、と彼女が問い返す。
……なんだかマスターの冷静さを見ていると、自分の必死さが馬鹿になってくる。
もうどうでもいいかもしれないと少し冷めていた彼女は……ある意味完全に油断していた。
ぐいと、手をからめとられる。
それからくるんと回転し、ジャンヌとマスターの一は一瞬で反転した。
見下ろす側が、逆に蒼に見下ろされて。
なにするのよと噛みつこうとして……逆に甘く噛みつかれた。
……ふさがれた唇から、ジャンヌのモノではない熱が混じる。
溶けた砂糖のようにどろっとして、焼傷しそうで……何より甘い舌ざわり。
胸に押し返される息すら、甘露と変えてゆく。
秒針が一周してもなお続く深い触れ合い。
ようやく唇を離した時、雪のように白かった少女の肌は、燃える炎のように真っ赤に染まっていた。
ついと、何かが糸を引く。
見下ろしてくる彼はにこりと微笑む。
その表情はさっきの写真にはどこに乗ってない、純粋さからは遥か遠い……蠱惑的な、魔性の笑み。
そして悪魔は語るのだ。
「――この『熱の味』は、君だけにしか教えてないよ」
言った彼は片目をつむる。
……ちくしょう。
なんだこれは。
私は竜の魔女なんだぞ。
恐れひれ伏す、災厄の根源なのに。
どうして、どうして。
……その笑顔が、たまらなく愛しい。
腹立たしいのに溶かされてしまう。
切なさに胸が燃えて。
――うれしさに、おぼれたくなる。
「……ならしなさい」
……もう、しょうがない。
溺れてしまったのだから、しょうがない。
だから私は割り切る。
だから私は彼の胸をつかんで引き寄せる。
そして吐く、これは呪い。
……絶対に、貴方を逃がさないための、熱の呪いを。
「――向こうの私にできなかったことを、ここに刻みなさいな」
……もう一人の私に対して、一つだけ勝ち誇れることがある。
恥も外聞もないが、確かに断言できる勝利がある。
だって貴方は知らないもの。
――共にこの夜を越える、指先からのぬくもりを。
終