私の名前   作:たまてん

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いつも通りの、ぐだ邪ン短編になります。
よろしくお願い致します。


覚めぬ酔い心

――無機質で軽快。

単純なリズムを繰り返すアラーム。

幾度も鳴り続けていたそれだが、ただ一度パンとその頭を叩いてやれば、すぐに静かになる。

七と十二の数字を指したそれを見て、マスターはため息をついた。

……本日は久方ぶり休日。

普段目まぐるしく働く彼にとって、やっと手に入れられた安息の一日である。

 

が、しかしだ。

 

せっかくの息抜き日和だというのに起き上がった彼の表情は晴れやかとは言い難い。

といのも、昨晩は作戦終わりに、他サーヴァントたち(主に酒飲み)に強引に連れらて夜遅くまで酒宴に付き合わせられたのである。

無論、マスターは酒ではなく水を飲んでいたが、同席していた酒呑童子が何を思ったのか、羅城門で放ったものと同等とも云える酒気を宴の席で広めてきたのだ。

本人曰く、「いい肴になるやろ?」と非常に楽しそうに語ったが……素面のメンバーは阿鼻叫喚。

酒に酔ったサーヴァントたちの暴走を泊めるために奔走し、挙げ句マスター自身もあの毒気飲まれる始末。

お陰さまで、彼本人も昨日の出来事があやふやな状態である。

まぁこうして自室に戻れてる辺り、大事には至ってないとは察せられるが。

 

……それにしても、まったくひどい疲労感だ。

これが俗に言う二日酔いだとするなら大人になっても酒は呑みたくはないな、とマスターは重い首を回す。

そして気つけにシャワーでも浴びよう、と焼けるような感覚のある胸元をさすりながら、彼は風呂場へと足を運ぶ。

かつんかつんと足を響かせて風呂場へつく。

それから洗濯籠へ向けて、ばしばしと来ていた服を投げつけていった。

 

――当然の話だが、彼はここには一人で住んでる。

マスターのためだけのマイルーム、他の誰がいるはずもない。

 

だから、気づけなかった。

 

まどろむ頭の回転では、それに気づけなかった。

少し暖かい脱衣所の空気とか。

浴場内からわずか響いてくるシャワー音とか。

……自分より先に籠に抜き捨てられてた、黒い衣服とか。

 

だから、少年は構わず開けてしまった。

その扉を――。

 

「……え?」

 

思わず声に出る。

そこには誰もいないはずだった。

空っぽのシャワールーム。

なのに……マスターよりも先に、彼女がいた。

 

――すらりと伸びた足、滑らかな臀部、そして艶やかな胸回り。

真っ白な色に染まった、むせかえるような色香を放つ肢体を、滔々と立つ湯気の向こうに少年は見る。

そしてさらに――少し頬を赤らめた、彼女の表情も。

 

「……あ」

 

小さくつぶやかれた、一言。

はじけるあたたかな雨の下で滴るのは、乱雑に切りそろえられた白金の髪。

胸元に不安そうに手を添え、少年の瞳を見つめ返す黄金色。

普段と色とは、あまりにも対照的な魔女の姿。

……ジャンヌ・オルタはしばらくの間をマスターと見つめあった。

お互いに、一糸まとわぬ姿で。

 

「……なんで、君がいるの」

 

辛うじてマスターが発せられた一言。

 

けれど瞬間ジャンヌの頬の紅葉が一気に増した。

彼女の眼にもうっすらと光るものがあり、右腕は大きく振りあがる。

そしてマスターは理解してしまう。

 

……これ、絶対ぐーで来るやつだ。

 

彼の予想は悲しくも見事的中し。

 

その頬に、ぐぎりと嫌な音が響くほど、これ以上ない全力の一撃が加わるのであった。

 

 

■ ■ ■

 

「――それで。どうして君がここにいるの?」

 

真っ赤に晴れ上がった頬をさすりながら、マスターはそう尋ねる。

しかし、対面に座る彼女はふんと鼻を鳴らすだけでこちらを見ようともしない。

とりつく島もないほど不機嫌極まりない少女の姿に、少年は深いため息をつく。

 

「あのねぇ。確かにあれは悪かったけどさすがにあれは予想外すぎたでしょ。そこは大目に見てよ……それにオレからしたら、我が物顔で此処使ってる君の方がおかしいと思うんだけど」

 

不満げにそうつぶやくマスター。

するとジャンヌは「はぁあ⁈」と額に青筋を立てて、ようやく振り返った。

 

「昨日あんだけ迷惑掛けておいて散々世話になった私によくそんなこと言えるわね⁈昨日の泥酔したアンタほんと最悪だったんだから‼」

「……ごめん。それについてなんも覚えてない」

「はぁああ⁈」

 

一際大きく声をあげられ睨まれる。

が、もうそれについては反論のしようがない。

本当に何もおぼえていないのだ。

まさか酒を飲んでもいないのに泥酔のような醜態をさらすとは、なんとも悲しいとゆうか情けない。

もう一度「悪かった」とマスターは頭を下げた。

 

「……けどどうやっても思い出せないんだ。君に何を言ったのか、何をしたのか……だから申し訳ない、教えてほしい。それをわかったうえで、君に謝らせてくれ」

 

頼むと深く頭を垂れるマスター。

その姿に「何を都合のいいことを……」とジャンヌは舌打ちをする。

 

「――貴方はそうやって忘れられるのかもしんないけど、こっちはあんなの、忘れるわけ……」

 

独り彼女はそこまでつぶやいたとき――はたと、ひらめいた。

唐突に脳裏に飛来したそのアイデア。

……ああ、これはいい。

マスターには気づかれぬように、こっそりとジャンヌはほくそ笑む。

 

「……ええ。忘れたじゃ済まされないわよ、貴方。それぐらいのことをやらかしてくれたわ」

 

そう言うと、少年はごくりと生唾を飲み込む。

からからに乾いた喉。

真剣な面構えで、マスターは少女の言葉を待つ。

対してジャンヌは、口元を手で隠す。

それは端からみれば、涙をこらえる可憐な少女の姿に見えたであろう。

――本当は、歪み切った口の端を隠すための仕草だと、彼は考えない。

そして上ずった声で、魔女は語る。

笑いを堪えすぎて、目じりにいっぱいの涙をためていたのがさらに功を奏して。

 

最高の演技を魅せながら、ジャンヌ・オルタはこう語る。

 

「――私を傷物にした責任、ちゃんと取りなさいよ……」

 

■ ■ ■

 

 

――どうやら、うまくいったみたいね。

 

ふふふ、と呆然としてるマスターを見てジャンヌは内心ほくそ笑む。

……もちろんさっきのは嘘。

 

そんな不祥事、昨日の夜には起きてない。

実際に起きたことと言えば、宴で酒気にあてられて酔いつぶれたマスターをジャンヌが部屋まで運んできてやったこと。

もう一歩も歩けないほど泥酔した彼を、しょうがないからとずりずり引きずりながら運送してやった。

そして、さらにもう一つ付け加えると。

……朝になるまで酔ったマスターが自分を抱きしめたまま離さなかったことである。

がっちりと、ジャンヌの細い肩を覆うように抱きしめたまま、彼は離さなかった。

しかも……時折寝言で耳元に囁いてくるのだ。

その指で、少女に頭を撫でながら……『かわいい』とか。『好き』とか、いろいろ。

最初は逃れようと暴れてはいたが、だんだんそんあことをされてるうちに嫌な気がしなくなってしまって。

彼の心臓の鼓動とか、温もりが愛おしく思えてしまって。

でもやっぱり、自分の心臓は警報ベルのように高鳴り続けて。

……結局一睡もできないまま、真冬のこの時期に汗だくになるという結果に。

 

そこまできてようやく腕の拘束が緩んだから、彼女は汗だらけの一旦さっぱりしようとこっそりシャワールームを使った……というのが今回の真相。

 

やましいことは、一応起こってない。

だが……それを今のマスターに教えてやるつもりは少女になかった。

……昨晩は、気が狂うぐらいあんなことをされたのだ。

少し、いやたくさん困らせてやらなきゃ、収まらない。

彼の吐息が耳に吹きかかるたびに、どれくらい胸が破裂しそうになったことか。

忘れたなんて簡単に言う奴には、これがよいお灸だ。

 

……ふふふ、焦れ焦れ。

普段の能天気顔がいい気味だ。

昨日の私のように、もっともだえるがいいわ‼

 

高らかに、ジャンヌは心の内で笑う。

 

――しかし、彼女は知らない。

ゆえにこの後に起こる事象を、予想すらしえなかった。

 

「……そうか……なら、もう遠慮はしない」

 

言うと、彼は椅子から立ち上がり、ジャンヌの元へ歩んでくる。

それから椅子に腰かける彼女の前までくると……かくんと、その膝を折った。

地に足をつけ、ジャンヌの前で膝まずく

 

「どうしたの⁈」

 

いきなりのことに、むしろジャンヌの方が慌てた。

けれど少年は無言のまま、あたふた慌てるジャンヌの指を、その手に取った。

じんと少女の指先に、彼の熱が伝わり始まる。

それが他でもないマスターの熱だという現実に、ジャンヌの頬が一瞬で熱を帯びる。

風呂上がりのこの体はいつも以上に敏感で、撫でられただけでよく染みてしまう。

……好きな人の体温と、脈を。

ジャンヌ、と呼ぶ優しい声がして、彼女はハッと真っ赤な顔を上げる。

するとそこには……今まで見たことがないくらい、柔らかに笑う少年の笑顔があった。

その、優しい色に染まった唇が、今度はこう言葉を紡ぐ。

予想もしなかった答えを。

けれどどこかで、夢想した言葉を。

 

「……どうか、オレと結婚してください」

 

――そうだ、これが彼女の誤算。

 

これが片思いなら、少年を困らせられた

けれども……両思いだから、賽は思わぬ方向に転がった。

そしてその結果……ジャンヌの頭が、猛爆発をした。

ぼすんと大きく、雪の肌を紅一色で染め上げた。

まるで彼女の頭の熱を発散するかのように、空気中に火花すら散らせて。

 

「ば、ばばばばば、馬鹿じゃないの⁈だだ誰が、アンタなんか、とっ……⁈」

 

絡まった舌は、正常に言葉を紡いではくれない。

よろめきながら立ち上がり、マスターから距離を取ろうとしたが、彼は彼女の動作に倣って指を握ったまま同じく立ち上がる。

遠ざかるどころか、彼の顔が一層近くへと迫った来た。

 

「……確かに、オレは君を傷つけた。それはどうあっても取り返しがつかないと思う……でも、ジャンヌ。その責任は、必ず取ってみせる。傷をつけた分、君のことを大切にする。そのための努力を惜しまない。だって、オレは君のこと……」

 

にっこりと、彼は微笑む。

はかなげに、ガラスみたいに透き通った笑顔を見せらながら。

少年は吐露する、その、心の奥底の想いを。

 

「……大好きだから」

 

――ぎゅんと、心臓がつぶれたような音がした。

これこそ必殺。

予想なんてできるか、こんなこと。

まさか……嬉しいという感情だけで、人間とはこんな容易く死ねてしまうものだなんて。

あまりのことに、ジャンヌはもう言葉すら発せられないほど。

肌の熱は、最高点を優に超えて燃え続ける。

 

「……やっぱり、だめかな」

 

不安そうに見つめてくる彼。

その子犬ような目に、反射的に「そんなこと言ってないでしょ‼」と叫んでしまった。

はっとなったがもう遅い。

……ここまで来たなら、もういうしかない。

燃える熱に溺れたまま、ジャンヌは小さくつぶやく。

消え入りそうな声だったが、確かに。

 

「……私も。嫌じゃ、ない……」

 

それを聞いた時の、貴方の顔。

もう、どうして貴方はそんなにも。

――素直に嬉しそうに、笑ってくれるのよ

恥ずかしがってる私がばかみたいに思えてしまうぐらい、ころころとした顔。

……なんて、かわいい奴。

 

「……ねぇジャンヌ。一つ、お願いがある」

 

するとずいと、彼は顔を近づけてくる。

今度は息がまじりあうほど近く。

どきどきとしながらも「な、何よ……」となんとか答えて見せる。

 

「……今度は絶対に忘れない。嫌な目にも合わせない。だから、君にお願いしたい」

 

そう言って、彼は少女の髪を撫でる。

……いや待て、この先の展開はなんか見当がついた。

鈍い私でも、続きがわかる。

待って、待って、タイム。

 

「マス、マスター、ちょっとタンマ……」

「……ジャンヌ」

 

けれど、彼は止まらない。

たきつけたのは、他でもない彼女。

その責任は、最後に己へと帰ってくる。

ゆえに、少年は言った。

そっと、茹る少女の髪に唇を落としながら。

 

「――昨日の続き、してくれないかな?」

 

 

……限界を、越えた。

気づけば、ジャンヌは頭を大きく振り上げて。

ぐんと、勢いをつけて。

――がちんと、マスターの頭に頭突きをかましていた。

 

恐ろしく鈍い、音が響く。

 

思わずマスターも頭を押さえるほど。

けれど、ジャンヌの瞳ににじんだそれは、決して痛みによるものではない。

恥ずかしさと怒りと――なんだかわからない嬉しさによるもの。

 

「っっシラフになってから出直しなさいよ‼この酔っ払い‼」

 

そう叫んで、ジャンヌは走り去る。

うずくまるマスターなんて知ったことか。

もう一分一秒だって、もう……耐えられないから。

嵐のように、姿を消してしまったジャンヌ。

 

すると取り残されたマスターは、くすりと苦笑する。

 

「……やっぱり、そこまで上手くはいかないか」

 

……あれが嘘なんて、とっくにわかってる。

見抜ける見抜けないじゃなくて、オレにはわかる。

それぐらい長い時間一緒にいたんだ。

それぐらい長い時間、君を見てた。

――好きだったのは、本当だ。

だから本当は、飛び跳ねたいぐらい嬉しいのは事実。

でも残念なことに、出直して来いと言われてしまったので、あとで謝りに行かなきゃいけない。

どうしようかと頭を捻るマスター。

楽しそうに、嬉しそうに。

でも同時に、ああそうかと少年は納得する。

 

……確かに、彼女の言う通り自分はただの酔っ払いだ。

でもこの酔いは、決して覚めない。

覚めようにも、覚ませられないから。

 

――そうだ、きっとこれからも。

 

ジャンヌ・オルタという君に酔い続けて。

 

この恋は、ずっと覚めてくれはしないだろう。

 

 


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