それと二代目オルタちゃんイベント復刻おめでとうございます。
――何故だ。
「さぁ行きましょうトナカイさん。今日もきりきり素材を集めです!」
快活な声が響く。
白と黒の服を着て、赤と緑のリボンを揺らす幼き少女は、自らを肩車している少年のことをそうやって急かした。
「わかってるよジャンヌちゃん。けど少し待ってね。もうちょっとだけ準備必要なんだ」
はしゃぐ彼女を窘めるような声で、少年はその名を口にする。
穏やかで暖かな、優しい音色。
……どうして。
「もうトナカイさんってば。すぐに出るって言われてたんだから、ちゃんと準備していないと駄目ですよ」
「まぁまぁ。そう気を悪くしないでくれよ……よし、準備完了。じゃあ行こうか、ジャンヌちゃん」
言うとしゃがんでいた少年は、少女を肩に乗せたまま器用に立ち上がる。
それから慣れた仕草で扉の前まで歩んでゆく。
だがその直前でふと振り返り、こちらを怪訝な様子で見つめてきた。
理由は恐らく、私が部屋の壁に寄りかかったまま、まったく動こうとしなかったからだろう。
「どうしたの?」
そう、貴方は私に問いかける。
いつも通りの、腹立たしいくらい能天気な顔で。
でもいつもと一つ違うのは、その彼の頭の上に、別の誰かの顔があったこと。
――自分によく似た面影をした少女は、ただじっとこちらを見つめる。
――ああ、ほんとうに。
「……別に。どうもしてないわ」
ぶっきらぼうな答えが、私の喉奥から発せられた。
自分で言っててもよくわかるほど、苛立ち交じりの返答。
でも仕方がない、これでも結構堪えているのだから。
――私じゃない『ジャンヌ』。
それが、優しげな彼の声に呼ばれるたびに。
……どうしようもなく胸の奥がざわついて、仕方がない。
……本当、何でなのかしらね。
そう心の内でつぶやいた彼女—―ジャンヌ・ダルク・オルタは、歩を進めると同時に小脇に立て掛けていた旗を手に取った。
――災いをもたらす、竜の魔女の御旗を。
■ ■ ■
「ああっもう!あのチビほんとムカつく!今すぐ串刺しにしてやりたいわ!」
――昼下がりの食堂。
そこに在る一席でダンダンと机を叩いきながら、ジャンヌ・オルタは抗議する。
「……別に誰を串刺しにしようが構わんがな。とりあえず執筆中の俺の邪魔をしないでくれるな」
その抗議に対し、返ってきた答えはこれまた冷たいの一言。
アンデルセンは手元の原稿用紙から少しも目を離すことなく淡々と言った。
しかし、ジャンヌはアンデルセンの言葉などまるで聞こえず「ムカつくムカつく……」と言葉を繰り返していた。
—―いきなり目の前に座ってきて愚痴の聴き相手にされるとはな。
まったくついていないと、彼はため息をつく。
「いっそマスターに内緒で闇討ちしてやろうかしら……?」
「だから勝手にしてろと言っているだろう。俺を巻き込まずにな……だがそもそも、アレは確かおまえ自身に相当するんだろう?それを串刺しにするとは如何なものなんだ?」
「仕方ないでしょ。ムカつくものはムカつくんだから。あーほんとぶちのめしたい……」
机に頬をあてながら物騒きわまりない台詞を吐き続けるジャンヌに、アンデルセンはやれやれと肩を竦める。
「……あいつもあいつよ。なんであのガキばかり優先するのかしら。ロリコンなの?」
「ひどい言い掛かりだな。ただ単に育成しているだけだろう。アレはまだここに来て日が浅い。マスターがより多く運用しようとするのも頷ける……そう邪険にすることもないだろ。他でもない、お前自身なのだから」
「……あんなのと、いっしょにするな」
ガンっ!と一際大きく机に額を打ち付けて、ジャンヌ・オルタはそう言った。
■ ■ ■
一週間ほど前の話だ。
このカルデアに、新しいサーヴァントが召喚された。
召喚される際、たまたまジャンヌもその場所に居合わせたが……そこでまさか吐き気さえ覚えるほどの光景を目にすることとなる。
――真っ白な体に、華奢な手足。
まだまだ成長仕切れてない肢体に、金の髪と瞳。
……見間違えようがなかった。
召喚された少女の名は、 ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ 。
――他でもないジャンヌ・ダルク・オルタの、ありもしない過去の姿である。
■ ■ ■
「……それが、何が悲しくてあんなわけわかんないサンタのコスプレなんてやってんのよ」
「言い出したのはお前じゃなかったか?」
うっさいとうつ伏せのままジャンヌは言った。
……あのオリジナル様は、妹が出来たみたいだと小躍りせんばかり喜んでいたが、魔女たる彼女はそうもいかない。
……なにせあの頃の自分ともなれば、綺麗ごとばかりに夢を見るだけの小娘だ。
まして堕ち切った自分なんぞ見ようものなら、煩わしいことこの上ないだろう。
現に今だって事あるごとに突っかかってくる。
……それにいちいち腹を立てる、私も私かもしれないが。
「てゆうか、服装があの暴食真っ黒王とおそろいで、腹も肌も真っ黒神父を師匠とか呼んでいる時点でもう色々耐えられない……」
苦々しい声を吐きながら両手で顔を覆うあたり、本当に堪えているのだろう。
嘆くジャンヌに一応は「御愁傷様」と言葉をかけるアンデルセン。
だが大して同情した様子もなく、本当に他人事だった。
「まぁそう落ち込むな。あれはいわば若さというやつだろう。そういうこともある」
「……その『若さ』とかいう地雷の塊を現在進行形かつ目と鼻の先で見せつけられ続けなさい。殺意しかわかなくなるから」
「そしてさらにはマスターまで取られたわけか」
「そうよ!一番の問題はそれよ!あのチビ、レベルが低いからってことをダシにしてアイツにべったりなのよ!前までずっとずーっと私が傍にいたのになんなの?アイツが来てから全然いっしょにいない、てかマスターもマスターで私がどう思ってるかなんてさっぱり‼いつもジャンヌちゃんジャンヌちゃんって気持ち悪いぐらい構いまくって。ついこの間まで、私だけだったのに……」
そこまで言いかけて、彼女はハッとなる。
いつの間にか、原稿用紙しか興味のなかったアンデルセンが、にやにやと心底楽しそうな表情でジャンヌのことを眺めていた。
「――熱いな。とても心震える言葉であったよ。ペンの進みが止まる程度にはな」
「……忘れなさい。でなきゃ殺す」
善処はしよう、と答え苦笑するアンデルセンに、ぐっ、とジャンヌは歯噛みする。
気の毒なことに、彼女の頬はほんのりと熱く赤くなっていた。
「しかしあれか。そうなってくるとなおさら厄介なことになると思うぞ」
「……何がよ。これ以上の面倒事が他にあるとでも?」
「だからな。あのサンタ幼女はおまえ自身なのだろう。ならば—―おまえのような『想い』を抱いている可能性をあるんじゃないのか?」
言われてジャンヌは一瞬ぽかんとする。
だがしばらくしてから、さぁっと一気に青ざめた。
口元を手で覆い、「確かにやばいかもしれない……」と震える声でつぶやく。
「……考えてみればそうよね。一応あのガキ私なんだから、マスターを好きになるに決まってる。あのボンクラも、鈍いちゃっ鈍いけど割りとちゃっかりしてるし、私に夢中だったと言っても、いつ関係が出来てもおかしくないわ……」
「自分への評価が低かったり高かったりで忙しないな」
「ええ本当。少々自惚れすぎではありませんこと?」
……唐突に響く第三者の声に、二人はぎょっとする。
いつの間にか、机にもう一人の人物が腰かけていた。
「……清姫。いつからいた?」
アンデルセンが問うと「ちょうど今来たところです」と、やんわりと微笑みながら返ってくる。
「散歩をしていましたらお二人が楽しげなお話をされてらしたので。よろしければ、わたくしも混ぜてくださいまし」
清姫がそう頭を下げたが傍らに座るジャンヌは「馬鹿じゃないの?」と鼻で笑った。
「――頭に病気持ちの貴方と話したって何の意味もありません。時間の無駄。ぎゃーぎゃー喚かない分、まだ壁に話しかける方がマシよ。だからどうぞ、さっさとお帰りなさい」
「まぁひどい言い草……けれど実はわたくし、貴方のことをとても評価していましてよ」
清姫の唐突な台詞に「はぁ?」と疑問符を浮かべるジャンヌ。
少女はその透き通った眼でジャンヌを見つめながら、まるで心の内を吐露するかのように語り始める。
「ええ。わたくしは知っています。貴方がどれだけますたぁに尽くしたか、どれだけますたぁを思っていたかを。ますたぁを命懸けでお守りし、その傍に居続けた。ますたぁが助けを呼んだとき貴方はまっさきに駆けつけた。雨が降ろうと槍が降ろうと、ひたすらに林檎を砕かれ、貴方は戦い続けた」
「なぁ。後半やけに生々しくないか?」
「そんな貴方を清姫は知っています。だからこそ、わたくしはわかってしまいました……ますたぁの真の理解者は、貴方なのだと」
……これ以上ないほど歯が浮くような台詞を、とアンデルセンは耳にした。
しかして、それが清姫の心の底から言葉であるとはさすがに思えない。
なんたって言いながら青筋立てまくっているし。
口に出さずともゴゴゴと音が経ちそうなほど背後からものすごい殺気を放っているわけだし。
これで裏がない方がおかしい。
流石にはいそうですかと頷けるほど、あの竜の魔女もどうかしていないだろう。
「……ごめんなさい清姫。私、貴方のこと勘違いしていたみたい。私の気持ちを、こんなにもわかっていてくれたなんて……」
――素晴らしい。
予想をはるかに凌ぐのちょろさである。
かの作家の涙腺が、思わず緩るほどだ。
涙ぐむ魔女を一匹の白蛇が「構いませんわ」とやさしく抱き止める光景を、アンデルセンは呆然と眺めていた。
「……でもどうしよう。このままじゃ、マスターとられちゃう。あのチビな私にとらちゃう……」
「ご安心してくださいまし。わたくしにいい考えがございますわ。わたくしたちあだるてぃでせくしーな大人にしかできない、とっておきの秘策が」
その言葉に、黄金色のすがるような視線が返ってくる。
対して清姫はにっこりと笑って、その秘策を口にした。
「――夜這いでございます」
「……何だつまらん。お前の十八番かってごぼぉっ‼」
そう鼻で笑ったアンデルセンの鳩尾を清姫の強烈な一撃が襲った。
瞬きする間もないほどの刹那で、青髪の少年は沈黙の像となる
逆にジャンヌは『夜這い』という単語を聞いた顔を真っ赤にしておろおろと挙動不審になっていた。
「夜這いって、あ、あ、貴方正気なの?」
「正気です。狂化してますがばっちり正気です。大丈夫ですよ。字面は中々ですが勢いでやれます。いけいけごーごーです。では早速いってらっしゃっいませ」
「今から⁈」
「当然です!思い立ったら吉日。この時間ならマイルームにはますたぁしかいませんし。それとも幼女な自分に先を越されてもよろしくて?」
「うぐっ……わかったわ。こうなりゃやけよ。この竜の魔女の名にかけて、やってやろうじゃないっ‼」
「あ、明らかに破滅的に動いてるぞおまえ……」
呻きながらもアンデルセンがそう警告したが、すでに時は遅し。
ジャンヌ・オルタは、脱兎の如く駆け出していった。
彼女の姿が完全に見えなくなったあと、清姫がくつくつとくぐもった笑い声を上げる。
「……上手くいったようですね。断腸の思いでしたが大成功のようです」
「……まさかおまえが嘘をいう日がくるとはな。しかしだ。あのままだと本当にマスターを襲うぞ、アレ」
「まさか。嘘など一言も申してはおりません。認めたくはありませんが、あの方がなしてきたことは事実です。……初めから、ますたぁ自身がジャンヌさんをどう思っているのかも含めて、否定するつもりはありません。けれど同時に……わたくしは、諦めるつもりもないというだけのことです」
「……で、おまえの狙いはなんだ?」
「まずはジャンヌさんがますたぁの貞操を襲います。次にこのらぶりーなきよひーがますたぁをお助けします。最後にますたぁと高まったところで熱い一夜を遂げます。いかかでございましょう。わたくしのぱーふぇくとぷらんは」
「ああ。一言で言ってセコい」
「心外な。吊り橋効果という心理を巧みに利用した乙女の戦略でございます。邪魔者を排除してますたぁもげっと。まさに一石二鳥の作戦」
「心理を巧みに利用という時点で『乙女』から遥か遠ざかっている気がするのだが……そもそもおまえ、アレに勝てるのか?」
「そこは愛でなんとかします。さぁますたぁ。待っていてくださいまし。今まいりま――」
言いかけたところで、清姫は背後から猛烈な殺気を感じた。
反射的に跳躍してその場を離れると、ドンと鈍い音が聞こえた。
振り替えると、さきほどまで自分のいた場所は深く地面が抉れ、そこには大きな槍が突き刺さっていた。
「……これはこれは。変わった御挨拶をなさいますね。ブリュンヒルデさん」
すぅと目を細めて、彼女は突き刺さった槍を引き抜く少女に問いかけた。
清姫と同じく、いつからいたのか聞きたくなるほど一瞬で姿を現したブリュンヒルデ。
引き抜いた槍をかかげ、彼女は再び清姫にその先を向けて構え直す。
それからただ一言、こう告げる。
「――お姉様の邪魔は、させません」
静かなる闘志に、清姫は「おやおや……」と少し面食らったように、目を見開いた。
「……驚きました。それはてっきり貴方の偽物さんだけの感情かと思いましたが……けれどよろしいのですか?このままでは貴方のお姉様は想いを添い遂げてしまいますよ?貴女の手元から、さらに遠く。はるかに遠のいていく……それは、貴方の望むところではないと思いますが?」
「……確かに。貴方がおっしゃる通り、このままではお姉さまは遠くに、私の傍から離れていってしまいます。それはとても、とても寂しいことです……」
「ご理解いただけましたか。でしたら、そこをどいて頂け……」
「――ですが」
その言葉の先を、清姫はあえて最後まで続けなかった。
槍を構えているブリュンヒルデの纏う闘気が、一層深みを増したのを、その肌に感じ取ったゆえである。
雪のように白い肌をした、人形のような彼女だったが、その紫色の瞳に確かな熱を揺らしながら、小さくはあるがはっきりとこう言った。
「ですがそれでも—―私は、お姉さまの『笑顔』を望みます……」
淡々としながらも、確固たる決意の宿した、彼女の言葉。
すると清姫は「それはお優しいことで」と微笑みを返した。
……背筋が震えるほどの、冷たい微笑。
「けれど生憎、はいそうですかと頷けるほどわたくしはやさしくございません。そうやって容易く諦められるような『愛』を、持ち合わせた覚えもまたございません。このような足掻きを醜いと、病的でおっしゃるならというなら、それでも結構。その程度の侮辱でこの『愛』が叶う可能性が万に一つでも拾えるのなら……この身は喜んで蛇となりましょう‼」
清姫のその掛け声を皮切りに、二人の戦いが始まった。
はじけあう火花。
互いに一歩も譲らぬ迫真の斬り合い。
かの喉元に届くのは清姫の爪か、あるいはブリュンヒルデの槍先か。
――その光景を、傍らで外野として見ていたアンデルセンは、ようやくこうつぶやくのだった。
「――部屋で書こう」
――至極まっとうな、撤退を。
そうと決めたら、ぱっぱと原稿用紙をまとめた彼は、自らの部屋へと即座に踵を返すのであった。
背後で鳴り続ける蹴る鍔迫り合いなど知ったことか。
……無論、どっかの魔女の恋愛事情も、同様である。
■ ■ ■
「……落ち着きなさいジャンヌ。いいからまずは落ち着きなさい私……」
そうやって、マスターの部屋についてからジャンヌは自分自身に言い聞かせていた。
……やることは決まっている。
この扉開ければ、恐らく眠りについたマスターがいるはず。
無防備に横たわる彼に対して。
私はよ、よよよ……いを仕掛ければいいだけのこと‼
……いや駄目だ、それでも暴れる心臓は収まらない。
どくんどくんとノックする鼓動は、これ以上なく苦しい。
ためらいがどうしても、拭い去れなかった。
でも……同時に脳裏には、小さな『私』の顔をした『誰か』と、彼が笑いあう光景が再生される。
それを頭に思い描くほうが……よっぽど苦しい。
「……っよし!行くわよ」
そう意気込んだ彼女はいきよく扉を開ける。
軽く自暴自棄の特攻だったが、ここで諦める方が、もっとずっと嫌だ。
そして開け放ったのちに、彼女はたどたどしくはあるが懸命にいつものような『ジャンヌ・オルタ』らしい高慢な物言いをしてみた。
「さ、さぁ。マスター‼この憎悪、生半可なことでは収まらないわ。だから、今夜は私の相手に、なっ、て……」
—―言いかけて、やめた。
そこにあるものが、はっきりと見えてしまったから。
—―マスターが寝ている。
それは勿論予想通り。
けれどその腕の中で、もう一人の誰かが寝ていた。
「…………」
……すぅー、すぅーと聞こえるか聞こえないか、ジャンヌが無言であったがゆえに耳に出きた、本当に小さな呼吸。
それは自分と同じ顔をした少女の、マスタ—の腕に抱かれて眠るジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・りりィの、心地よさそうな寝息だった。
そしてマスターの手には、開いたままにある一冊の絵本。
それらを見て、なんとなく想像がついてしまった。
……きっと、一人じゃ眠れないと『私』が駄々をこねて、彼を困らせて。
結局仕方ないなと笑って寄り添って寝てくれた。
だけどまだまだ眠くないからと、小さい『私』は少年にせびって絵本を読ませた。
そうして彼の声を聞いてるうちに、いつしか『私』どころか彼まで眠ってしまってたという顛末。
……それでも、貴方は。
眠ってしまってもまだ、わがままな『私』を傍にいてくれる。
優しく、大切に抱きしめてくれてる。
「……バカみたいだ」
思わず呟いた。
さっきまて抱いていた感情なんて、どこかへ消えてしまった。
単純な話だ。
……私は私には出来ない、純粋な甘えかたが出来る『私』が羨ましくて、でもそれを見ていたら魔女としての己が存在まで甘くなってしまいそうだったから、必要以上に嫌悪した。
嫉妬しながら見栄も張り続けたいという、なんて矛盾した願望。
……そんなもの、この二人の寝顔を見たらこんなにも簡単に揺らいでしまうほど、とっくにどうにかなってしまったというのに。
子供みたいな拗ね方をしたのは、他でもない、私自身。
ジャンヌはベッドの傍に歩み寄ると、そっと、二人を起こさないように横になった。
ふんわりとした、やわらかな毛布の感触。
そして目を開ければ、確かに彼女には見える。
――吐息がかかるほど近く。
鼓動を聞こえてしまうほど、近く。
熱さえ漂い伝うほどの距離に、安らかな貴方の顔を見る。
……その腕に抱き締められるなんて、とても想像できない。
目の前の小さな自分の豪胆さに、我がことながら感心してしまう。
「……うらやましわ。ほんと」
ぽつりと、できもしない愚痴をつぶやいて、彼女は再び起き上がる。
……なんて女々しいやつと、自嘲しながら。
「――なら君も混ざる?」
――予想だにしなかった声に、少女は思わず振り返る。
いつの間にか、鮮やかな青色の瞳が、彼女を見上げていたのだ。
「……起きてたの?」
まぁね、とマスターは頷く。
いつからなの、と再度ジャンヌが尋ねるとなんと、「君が入ってきたあたりから」と彼は答えた。
途端、ジャンヌは顔を顰めた。
「……趣味が悪いわよ、貴方」
「悪いね。半分寝ぼけてたもんで。いやでも子供ってすごいよね。ついさっきまでジャンヌちゃんすごいぱっちり起きてたし」
「……迷惑かけたわね」
「そんなことないよ。むしろ娘が出来たらこんな感じになるのかなって新鮮に……あれ。今なんか夫婦みたいな会話になってない?」
「なってないわよバカ」
そっか、と彼は苦笑する。
まったく、呆れるぐらいに能天気。
張り詰めた空気さえ、一瞬で抜いてしまう柔らかさ。
――でもきっと、そんな柔らかな貴方だから。
あんなに強張ってた私の頬すら、こう容易く緩んでしまうんでしょうね。
「――邪魔したわね。部屋に戻るわ」
「あれ。いいの?せっかくだから一緒に寝てけばいいのに」
「冗談。子供と寝るなんて御免よ。うるさいし」
「辛辣過ぎないかい。妹出来たみたいだって喜んでたジャンヌさんとは大違いだ。仮にも君なんだぜこの子」
「アンタもそのセリフを言うか。流石に聞き飽きたわそんなの……第一、ガキの取り分をとろうと思うほど、私もがめつくないわ。だから今日は帰ります」
「さいですか。じゃあ、本日はおやすみなさいということで。また明日――」
「……でも代わりに。明日はちゃんと空けておきなさい」
え、とマスターは怪訝な顔をする。
……その先を告げるのに、まだ若干の迷いはあった。
竜の魔女としてのプライドとか在り方とか、悩みは消えない。
……でもやっぱり、この小さな『私』にしてやられたままなのは悔しかったから。
だから最後に、扉の前に立った彼女は、マスターに、こう告げる。
……精一杯の、彼女なりの勇気を奮って。
「――明日の夜は。私だけを……『ジャンヌ』って、呼びなさい」
――ほんのりと、その頬を真紅に染めて。
高慢ながらも、初々しい恥じらいを漂わせて。
そんな『おやすみなさい』を、君は残して、ジャンヌ・オルタは扉の向こうへと消えていった。
……しばらくの間、少年はぽかんと呆けていた。
何度も何度も、その頭の中で彼女の言葉をリピートする。
そしてようやく、その意味を理解すると、少女同様にマスターの顔にも赤みが差した。
それはもう、耳まで染めるほど一瞬で。
熱くなった顔を片手で覆いながら、ぽつりとマスターはつぶやく。
「……それはさすがに卑怯だよ。ジャンヌ」
そう、彼は言葉を漏らす。
『ちゃん』でもなく、『さん』でもない。
他でもないたった一人の『真っ黒な君』へ愚痴を零す。
……文句の一つだって、言いたくはなるさ。
だって今夜は、恐らくもう。
――待ち遠しくて、きっと眠れやしないから。
終