たまに白もちょくちょくあげます。
どうぞ、よろしくお願いします。
「ーーマスターにお礼がしたいですって?」
そう、オルタは復唱する。
昼下がりの食堂。
昼食ラッシュ時には波のように行き交う人々であったが、若干ずれたこの時間帯ともなると、ぽつぽつとわずかにいる程度。
閑散とした食堂で、合間の休憩ということでティータイムを過ごしていた二人。
紅茶を一杯、クッキーが一枚というもの寂しい内容ではあったが、悪くはない。
他愛ない雑談をしていて過ごしていたが……唐突な発言に、黒は少し驚いた様子を見せる。
その発言をした本人、ジャンヌ・ダルクは「はい」と首を縦に動かし、肯定の意を示した。
「日頃からマスターにお世話になっていますから、お礼がしたくて……何を差し上げたらよいと思いますか?」
「貴方の処女」
――飲んでいた紅茶を吹き出しかける。
けほけほと咳き込むジャンヌに、「初ね……」とからかい気味にオルタは笑う。
「冗談に決まってるじゃない。まったく、これだからマセた聖女サマは」
「……まったくなのは、そういう発言をする貴方ではないですか?」
恨みがましそうなジャンヌの視線に、「聖女サマがお堅いだけよ」とオルタは肩をすくめる。
「ま、真面目な話するならたぶん貴方があげるものならなんでも喜ぶと思うわよ。たぶん死ねるほど」
「そう、なんですか?」
「ええ。じゃあ逆に聞くけど、貴方がマスターから本なりなんなり貰ったらどうなの?」
「嬉しいです。大事にします」
「それといっしょ。マスターもおんなじ気持ちになるわよ……だから、うじうじ悩むぐらいだったらさっさとあげたほうがずっといいわよ」
……くれたという事実だけで、もう幸せ。
その気持ちだけで十分と。
そんなことで満足してしまえる、凡庸な人間なんだ。
あの少年は。
……特に、この真っ白な彼女がくれたものなら、尚更。
「……でも。それでも、やっぱり喜ぶものを差し上げたいです」
赤く揺れるティーカップ、それに映る己の顔を見つめながら、ジャンヌ・ダルクは思いを告げる。
――確かに、マスターならば何をあげたとしても喜んでくれると思う。
でも反対にあの人なら、私が喜ぶものを渡してくれる。
本であれ何であれ、私が好きなものを、好きになりそうなものを差し出してくれる。
それらが、無償で手にはいるようなものじゃないことも、よく知ってる。
考えて、悩んで、探してきてくれて。
苦労なんて欠片も見せず、微笑みながら渡してくれる。
……その想いが、本当に嬉しかったから。
貴方に好いて貰えることが、堪らなかったから。
だからこそ、あの人に恩返しがしたい。
適当になんてこと、出来ない。
「……頼ってばかりで申し訳ないのですが、よければ知恵を貸しては貰えないでしょうか?」
そう頭を下げるジャンヌ。
誠心誠意、嫌みなんてこれっぽちもない。
健気で律儀なその姿を、オルタはじっと見詰める。
……ああ、もう。
こう素直な態度を見せられると、納得せざる得ない。
――『
真っ直ぐで、純白。
一回死んでも、その優しさは直らない。
ここまでくると、バカというか……。
「……一周回って可愛いわね、貴方」
額に手をつけながら、ジャンヌ・オルタは呆れ半分でオリジナルを見る。
言われてる意味がよくわからず、キョトンとしてる真白の写し身。
……ほんと純朴、てゆうか天然。
これが彼の好みなのかしら?
ならもう少し素直になれたら私にも可能性が……なんて、しょうもないことを夢想してしまう。
……まぁ、この際そんなことを気にしても仕方がない。
大事なのは今、ジャンヌ・ダルクがマスターに差し出すべきプレゼントについてである。
……そして、これ以上ないほど切り札を、実は知っている。
本来ならば、自分がやってやろうと考えていた企画だ。
しかし眼前の少女がやれば、間違いなくより喜ぶ。
それこそ死ぬほど。
譲ってやる悔しさはあるけど……そんなものより、少年の笑顔の方が遥かに価値があると無意識に理解している己がある。
「……面倒な奴に惚れたわね、ほんと」
はぁあ、と一度ため息をつく。
しかし、それから顔を上げ、オルタはジャンヌの顔を見据える。
「……いいわ。今回までの特別よ。マスターの喜ぶプレゼント、教えてあげる」
真剣な面構えをしているためか、ジャンヌもまっすぐに黒い自分を見つめ返す。
その真面目さにくすりと笑う。
……ただ教えるだけじゃ、つまらない。
だからせめて、このプレゼントで二人がどんな反応を示すのか。
じっくり観察させてもらおうかしら。
楽しみね、と胸のうちで呟きながら、オルタは口にする。
……恐らくはこれは最高の、手向けの花だ。
■ ■ ■
「……どうしようかな」
かつんかつんと、靴音が響く。
廊下を歩く少年の速度につられて、ぺらぺらと手に持つ書類を捲りながら。
マスターは首を捻る。
……予想以上に、ミッションの進行度が悪い。
もう一週間も終わるというのに、資材も目的の量まで程遠い。
出撃回数は決して少なくない、がそれにして戦果が振るわない。
原因は……やはり、指示を出している自分のモチベーションなんだろう。
疲れのせいか、今の自分はサーヴァントたちの支援に的確さが欠けている。
無駄が多く、むしろ皆にミスを助けてもらってることがしばしば。
気持ちを切り替えなきゃと思いつつ、どこか引きずり続けてしまう悪循環。
「どうしよう……」
同じ言葉を繰り返しつぶやきながら思案するマスター。
――そんな悩める彼の背中に向けて、「マスター」と呼ぶ声がかかる。
涼やかな声は、よく聞きなれたもの。
誰なのかは一瞬でわかる。
振り返った背後に、予想通りの人影を見つけて、マスターは微笑む。
「――やぁジャンヌさん。何か、オレにご用事ですか?」
そう優しく問い掛けるマスター。
割りといつも通りな、彼の挨拶。
けれど、問われたジャンヌの様子は普段とは違った。
「……えっと。マスター、その……」
紡がれる言葉は、どうにも歯切れが悪い。
頬は少し紅葉し、両手は胸の前で握り会わせている。
目線は左右を泳いでいるし、いざ合わせるとびくんと少女の体は震える。
まったくもって彼女らしからぬおどおどした仕草に、マスターは怪訝な顔をする。
「……どうしたの?もしかして、体調悪い?」
「い、いえ!そんなことは……ただ、その……マスターに、お礼がしたくて……」
「お礼?」
首を傾げる少年に、こくりと頷く少女。
……まだ緊張があるせいかゆっくりとした口調。
しかしその言葉を解釈していくと……どうやら、日頃お世話になっているマスターにお礼がしたい、ということらしい。
――そんなこと、別にしなくていいのに、と彼は笑った。
何せ、こっちはしたくてしてるだけなのだ。
見返りなんて、自分が望むのは図々しい限りである。
「だから気にしなくていいんだよ」
「それはいけません!頂いたからにはお返しをしなくては……させて、ほしいです。だから、マスター……ご無礼を、御許し下さい」
まるで、懺悔をするかのように。
少女はそう言い切る
――かつんと、靴音が鳴る。
一歩進んで、ジャンヌの顔が近付く。
吐息がかかるほど、近くに。
次に、彼女の白い手が伸ばされる。
マスターの頬からその首に向けて、指先を囲うように回す。
……待って。
これ何?
これはいったいなんなのだと、マスターは焦る。
近づいてくる頬、瞳、髪、そして唇。
永遠に近い刹那、少年の頭の中がぐるぐるまわりだす。
けれど、彼の思考が答えを出す前に、頬の感触が全てを語る。
――ちゅいと吸った、その感触で。
何が起こったかは、瞭然。
次に顔を話したとき、ジャンヌの顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
熱さのあまり、湯気まで立つほど。
思考の凍結したマスターとは反比例に、聖女の頭は沸騰中。
「……こ、これはビズです」
震える声。
燃える体、からからの喉、恥ずかしさの限界に耐えて堪えて。
目は回りうねるのに、うまく回らない舌を懸命に動かしながら、少女は語る。
「で、ですからっ!とくに深い意味はございません!ご、ございませんが、その、これはマス、マスターだけに特別といいますか……でもっ!!いつもありがとうございますっ!!」
――それが臨界点。
そう叫ぶと同時に、ジャンヌ・ダルクは脱兎の如く駆け出していた。
もうまともに、少年の顔を見続ける理性など残っていなかったから。
かつてないほどの速さで、かつてないほどの熱を残しながら、聖女は走り去っていった。
……マスターは、それを追いかけなかった。
ぽかんと、前を向いて立っている。
思考が、遅すぎて追い付けない。
「……一回で終わらせたらビズじゃなくてただのキスでしょうが。まぁ、オリジナルにしては奮闘したほうか」
多目に見てあげるわ、と背後で誰かが笑う。
なんでいるのとか、突っ込む気はない。
そんな余力は残ってないから、ただ一言こう尋ねた。
あれは君の入れ知恵なの、と。
すると黒い影ことジャンヌ・オルタは「ええもちろん」とそれを肯定した。
「ちなみにビズっていうのはフランスにおける挨拶みたいなもの。友人や親しい知人に対する『ごく平凡な』意志疎通手段。無論恋愛感情なんてものは絡めなくても『できる』行為。ええ、やましい意味なんてなーんにもない。けど……どう解釈するかは、貴方次第ってわけ」
ま、あの子もさっきまで知らなかったけど。
言ってにやりと、黒の魔女は笑う。
……ああもう、そんなのずるい。
なんて奴だ、とマスターは壁にもたれながらつぶやく。
そんなこと、あの健気な姿を見せたあとに言うなんて。
――破壊力が、尋常じゃない。
「……死にそう」
「あらお気の毒。もう虫の息ね。お手をお貸ししましょうか、我がマスター?」
はい、と手を差し出すジャンヌ・オルタ。
けしかけておいて、白々しい。
「……君のせいだぞ」
恨みがましく手をとるマスターに、む、とオルタは眉をひそめる。
「助けた相手に失礼ね……ならやーめた。トドメ刺してあげる」
なんだって、と聞き返そうと思った。
それより前に、黒の少女はささやく。
ぐいと、彼の体を引き、その耳元で。
絶対に、聞こえるように。
決して、聞き逃さないように捕まえて。
その猛毒を、艶やかに謳う。
「――あの子、アレが
――
魔女はそう謳った。
その後じゃあねと口ずさみ、ひらりと体を翻して、廊下を歩き去ってゆく。
愉快なスキップと共に、ご機嫌な様子でオルタは去った。
――残されたのは彼一人。
呆然と立ち尽くしていた彼だが……ついに膝が砕けた。
ばさりと、手に持っていた紙束が散らばる。
散乱した書類を拾おうにも、震えるこの指じゃ無理だ。
どころか足も使い物にならない。
……いやもう、そんなことよりもだ。
頬の名残、耳の残響。
忘れない、忘れられない……忘れたく、ない。
超ド級の、この爆弾。
「――納得。これ以上ない、トドメだ」
茹で蛸みたいに赤くなりながら、辛うじて漏れ出た負け惜しみを口にする。
――ありがとう。
確かに疲れなんて吹き飛んだ、素晴らしいプレゼント。
おかげさまで、体が熱くてしょうがない。
明日からまた頑張れそうだ。
でも、その代わり。
しばらく間、君の顔。
……きっとまともに、見れないな。
終