「ーーはい。ジャンヌにプレゼント」
ーー言って、彼はその包みを差し出した。
赤いリボンの巻かれ、手のひら一つに収まるぐらいの大きさの、黒い立方体。
差し出された彼女ーージャンヌはしばしの間じっとその黒い塊を見つめ、次にその視線を笑みを浮かべる青年へと移す。
「……なによこれ?」
ジャンヌの問いかけに、彼はきょとんとした顔になる。
分からないのかい?とでも言いたそうな顔。
そんな様子に、ジャンヌは「あのねぇ……」は呆れたようにため息をついた。
「……いきなり呼び止められて、はいこれ。なんて渡されても何なのかわからないじゃない。ちゃんと説明しなさいよ」
「あ、ごめん。てっきりわかっているものだと考えてたよ。ーーこれはバレンタインのお礼。今日はホワイトデーだからね」
「……ああ」
言われて、納得するジャンヌ。
ーー今日の日付は三月十四日。
世間でいうところのホワイトデー。
さして気にしてもいなかったので、存在すら忘れかけていた。
そして、このプレゼントはバレンタインにジャンヌがあげたアレのお返しということらしい。
すると、趣旨を理解したジャンヌは彼の『お返し』を見て「へぇ……」と小馬鹿にしたように笑う。
「……この私がせっかくプレゼントしてあげたって割りには、随分と貧相な品を渡すのね。呆れちゃうわ」
その言葉を聞いたマスターはむっ、と顔をしかめる。
「……確かに、君に比べたらだいぶインパクトのない品と渡し方だとは思うけど。でもこれでも一生懸命作ったんだけどなぁ……」
「ーー貴方が作ったの?」
こくり、と頷く彼女のマスター。
すると、ジャンヌは少し考える素振りを見せる。
それから仕方ないわね、と言って男に手を差し出すのだった。
「……貴方のその健気な努力に免じてもらってあげるわ。仮にも私のマスターであるわけだしね、貴方」
「やった!ありがとうジャンヌっ!」
「ほら、令呪を使って渡しなさいな。そうしたら嫌でも受け取って上げるわ」
「そんなご無体な……」
冗談よ、と彼女は笑い、マスターの手からひょいと包みを取り上げた。
受け取った包みをしばらく眺めたのち、ジャンヌはマスターに振り返る。
「……まぁ、一応ありがとうとは言っておくわ。一応ね」
「それは光栄であります……じゃあ、オレはそろそろ行かなきゃ。またね」
「……何よ。もう行くの?」
「うん。ダ・ヴィンチちゃんがやってもらいたいことがあるって言ってたから急がなきゃ。あ、あとそれは今日中に食べてね。絶対だよ!」
言いながら、彼はさっさと廊下の向こうへと消えていってしまった。
残されたのはジャンヌ一人。
「……何よ、あいつ」
少しぐらい待ったらどうなのよ、と少女は愚痴る。
ーーでなきゃ貴方みたいに、感想の一つだってすぐに伝えられないじゃない。
しばらくの間、廊下の向こうを睨んでいたジャンヌ。
それから、フンだ、とつぶやきをもらし、再び歩き出すのだった。
■ ■ ■
「……本当に空気の読めない奴よね。最近全然会わないと思ったらコレだけ渡してさっさと帰るし。まったく、チョコ渡して損したわ」
「ああそうかい。そいつは気の毒に。同情するよ。だからな……婿自慢なら他所でやってくれ」
げんなりと、心底疲れきった顔でアンデルセンは言った。
カルデアにある休憩室。
そこで彼は、優雅に紅茶を飲みながら執筆活動に勤しんでいた。
ペンを綴る音だけが響く至福のひととき。
けれどもそんな幸福は長くはなく。
唐突に現れたジャンヌという少女によって。
いつの間にか彼の執筆活動は、少女のお悩み相談へと切り替わってしまったのだから。
婿自慢という言葉に、ジャンヌは露骨に顔をしかめる。
「……誰が婿自慢なんて。めんどくさい奴だって言ってるだけよ。このチョコだって、仕方なく受け取ってあげただけ。そう、仕方なくよ仕方なく」
「三度も言わないでくれて結構ーーしかしそうか。そんなに気に入らないのなら俺がもらってやろう」
言ってアンデルセンはテーブルの上に置いてる黒い包みに手を伸ばした。
しかし、それを見たジャンヌが慌てて包みを取り上げる。
ほぼ反射的な行動だったのだろう。
ジャンヌ自身が、ハッと驚いた顔になっていた。
「ーーま、まぁせっかくの好意なわけですし!もらったものをたらい回しにするのは私のポリシーじゃないから、今回だけは特別なのよ!」
あからさまにあわてふためく彼女の弁明に、アンデルセンはやれやれ、と頬杖をつく。
「……何が『仕方なく』だ。ノロケるのも大概にしろよ」
「……うるさい」
頬を赤らめ、ぷいと顔を反らすジャンヌ。
ーー確かに。
(面と向かって言うことは死んでもないが)嬉しくなかったといえば、嘘になる。
いやむしろ手作りと聞いた瞬間、顔には出さないが小躍りせんとばかりに喜んでいた。
だがしかしだ。
ーーあのあんまりにもあっさりした態度。
渡したからおっけー、なんて言わんばかりの様子には、納得がいかない。
……だってそれじゃあ。
私だけが待っていたみたいで、不公平じゃないか。
「……もう少し察しなさいよ、あのボンクラ」
「気持ちはわからんでもない。だが他所でやってくれ。だるい」
「……ノリ悪すぎじゃない?」
「語るまでもないことに付き合わされているこちらの身にもなってくれ。あと付け加えるとだ……リアルに充実した話なんぞ聞きたくないわ」
「ーー貴方も大概ね」
苦笑するジャンヌに、アンデルセンは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
その時だ。
「ーーおやおや。何やら楽しそうなお話のご様子。私も混ぜてくださいな」
ーー突如として背後から響く、透き通った声。
それを聞いてしまった二人は思わず、げ、言葉を漏らした。
振り返ると、着物をまとい、楽しそうに笑みを浮かべて、少女は歩み寄ってくる。
「……清姫、貴方いつも唐突に現れるわよね。妖怪か何かなの?いや妖怪だったわね」
するとその言葉を聞いた清姫は「まぁ」と頬を膨らます。
「妖怪とは失礼な。いくら思ったこととはいえ、そこは口にしないのが礼儀というものでしてよ?」
「あーはいはい、わっかりあしたー。……ところで清姫。貴方、今日が何の日か知ってる?」
にたり、と笑ってジャンヌは問い掛けた。
……ここぞとばかりに自慢しに行ったなコイツは、とアンデルセンは肩を竦める。
ジャンヌの問いかけに、きょとんとなる清姫。
「ーー何とは、ふぉわいとでーのことでしょうか?」
「……え。あ、うん。そうよ……」
さも当然とばかりに返されて、ジャンヌは少々狼狽える。
ーー先刻まで、その存在をきれいさっぱり忘れていた自分とはえらい違いである。
「……じゃ、じゃあ貴方ホワイトデーがどんな日か知ってるかしら?」
すると清姫は「はい」と笑顔で答えた。
「ーー殿方がばれんたいんのお返しをお渡しになる日、でございましょう?先程ますたぁにお聞きしました」
「そ、そうなのよねぇ!もうまったく困ったものよね!お返しなんてされても嬉しくないのにあいつったらーー待った。今『マスターに聞いた』って……」
はい、と頷いた彼女はごそごそ自らの着物の袖に手をいれた。
「ご説明とともにお返しも頂きました。ーーこちらになります」
言って、彼女はソレを見せた。
ーー瞬間、二人は無言になる。
しばしの静寂が空間を支配する。
「……これはなんだ?」
そう言って、沈黙を破ったのはアンデルセン。
その問いかけに、清姫はそれこそ満面の笑みで答えた。
「ーーますたぁ人形(三分の一すけーる)です。ヴラドさんの御指南のもと、ますたぁ手ずからお作りなってくださって……わたくし、もうこれなしには寝られませんわ」
うっとりと、熱っぽい視線をその人形に向けて語る彼女。
……それぐらい渡さなきゃ収まりがつかないのはわかるかもしれんが、それでもこの妖怪娘にこんなものを渡す我がマスターの神経を疑うアンデルセンであった。
「……へ、へぇ!よ、よかったじゃない清姫。ま、まぁ私はそんなウザ人形なんかもらっても、ちっとも嬉しくないけど!もらえなくても、ちっとも悲しくなんてないんだけどっ!!」
後半、やたら怒気の高まった声。
あからさまな強がり。
そんな見栄を張る魔女に、清姫はさらに追い討ちをかける。
「あ、あとますたぁからおまけでちょこれーとも頂きました。こちらも手作りだそうで」
「なっ!?」
彼女が見せた水色の包みに、今度こそ絶句するジャンヌ。
ーーいやはや、見事な死体蹴りである。
「ーーしてジャンヌさん。ふぉわいとでーがどうかしましたか?」
にこり、と尋ねる清姫。
まるで勝者の余裕とさえ見えてしまったソレに、ぷちんと、ジャンヌの何かがキレた。
「な、何がふぉわいとでーよっ!馬鹿にすんじゃーー」
「みっなさーんっ!!見てくださーいっ!!」
「ごふっ!?」
唐突に、黒い塊がジャンヌの頭上に落ちてきた。
避ける暇などなく、彼女はその塊の下敷きになる。
そしてその塊の上から、ひょっこりと顔を出す一人の少女。
「どうですかみなさんっ!トナカイさんからホワイトデーに頂きました!すっごく可愛いでしょう!?」
「……かわいいと言うかまずでかいな」
「ええ。まず大きいですね」
アンデルセンの言葉に、清姫が頷く。
ーー目の前に現れたのは、大きなそり。
カルデア施設の天井まで届くほどの、ジャンヌ一人を余裕で押し潰せるほどの巨大なそりだった。
その上から少女ーージャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィはにこにことひどく上機嫌な声で言った。
「はい!とっても大きいです!今年のクリスマスはもっともーっとたくさんの人にプレゼントを渡せます。こんなものを手作りするなんて、トナカイさんはさすがです!」
「まぁ。ますたぁったら本当に器用な方ですね」
「器用で済むのかこれ?」
「……んなことより、さっさとこれを退けなさいコスプレ幼女」
荒い息を吐きながら、巨大そりに押し潰された隙間から上半身這いずって出たきたジャンヌはそう言った。
するとリリィは、ちらっと足下に視線を向け、「いたんですか?」と声をかける。
「ええいたわよ。そんで現在進行形でものすごく痛いわよ。だからさっさと退けなさい、このちみっ子」
「……はぁ。相変わらず口が悪いですね未来の間違った私は。悲しい限りです」
「安心なさい。性格の悪さじゃ貴方も負けてないわよ」
「ーー失礼します」
真顔になったリリィが、そう言ってジャンヌの望む通りに巨大そりを退ける。
ただし重いので引きずりながら。
無論下敷きになっているジャンヌの体を巻き込みながら。
めきめきめきという生理的に拒否反応を起こしそうな音と、いだだだだだ!という少女の悲鳴が室内に木霊した。
数分後、引きずられた腰をさすりながら壁にもたれるジャンヌの姿。
死ぬほど痛かった、と彼女はつぶやく。
「……一瞬、座が見えたわ。いろいろ危なかったかもしれない」
「残念。そのままもどってくださって結構でしたのに」
「……本当、いい根性してるわ」
き、と睨んだがリリィはべ、と舌を出し返す。
……可愛いげないことこの上ないわね。
てゆうかこんなのあげるあいつもあいつだけど、とジャンヌは巨大そりを見上げる。
「……しかしそりは大変嬉しいのですがこのチョコは困りました。虫歯になってしまいます」
「っっっ!?」
がばり、と振り返るジャンヌ。
……なんということだろうか。
自分と瓜二つの少女の手にも、同じく水色の包みが。
「あら。リリィさんもますたぁから頂いたのですか?でも、今回ぐらいはいいのではありませんか?ちゃんと歯を磨けば、そうそう虫歯にはなりませんよ」
「……そうですね。じゃあ、素直に頂かせてもらいましょう!」
そう割りきると、嬉々とした表情になるリリィ。
対して、ジャンヌの顔は段々と赤い色に染まっていく。
それは羞恥か、はたまた怒りか。
「……どうかなさいましたか、ジャンヌさん」
様子を伺う少女二人。
同情するかのような少年の視線。
そして無知だった己に向けて、彼女はついに耐えられなくなった。
「っっっ何でもないわよ!!貴方たち、覚えておきなさいよね、バカ!!」
そう顔を真っ赤にし、少し上擦ったかのような声で、少女は走り出すのだった。
ぽかんと呆ける二人。
「……なんだったのでしょうか?」
「さぁ?」
「……聞いてやるな、二人とも」
首を傾げる二人に、さすがのアンデルセンもそう語るのであった。
■ ■ ■
「ーーなんなのよ、あのバカっ!」
ぼすっ!と自室に戻るなりジャンヌはベットの毛布に顔を埋めた。
むかつく。
むかつく。
むかつく。
心のなかでつぶやくたび、彼女は腹いせに枕を殴る。
それでも、この苛立ちは止まらない。
この憤怒は、とめどがない。
ーー清姫にもリリィにも、チョコに加えてプレゼントがあった。
それはたぶん、他のメンバーも同じこと。
だったら、ひとつだけなのは私だけ。
あからさまに、貰えてないのは私だけ。
……仲間はずれは、私だけ。
「……はん。どうせそんなことだろうと思ったわよ」
自分は災厄の魔女。
こんなものと関わろうなんて、まともな奴ならまずいない。
ーーそう。
この結末だって、わかりきったこと。
だから驚きもしない。
私は何事なく、この事実を受け入れられる。
ーーなのに。
この、胸にうずく感情はなんだろう。
怒りでもなく、嫉妬でもなく。
冷たい風が吹き抜けるような、この空虚な感情。
ーー落胆。
それは落胆と呼ばれるもの。
あの嬉しさから、この悲しみへと切り替わったための結果。
ーー彼女にとっての特別が、彼にとっては特別ではなかったという事実に、落胆しているのだ。
ああ、だとするなら。
彼一人の行動が。
彼一人の言動で。
私をこんなにも、悲しみを抱いているのだろうか……?
「っ!」
ーーぎり、とジャンヌは奥歯を噛み締める。
言い様のないくやしさを、その身に感じる。
……そんなこと、あってたまるか。
そう思って、彼女は手にもっていた黒い包みを放り投げようと振りかぶる。
ーー 今日中に食べてね。絶対だよ!
……同時に思い出すのは、彼の笑顔。
あの無邪気で、屈託のないーー可愛らしい笑顔。
ぴたりと、その腕が止まる
「……まぁ。これに罪はないしね」
言いながら、彼女は乱雑に包みをとく。
……我ながら、バカなことをと思いながら。
パカリ、と蓋を開く。
中には丸い形をした、チョコがひとつだけ。
「ーーほら、なにもない」
チョコレート以外何も。
少女だけの特別なんて、何も。
……何を期待していたんだか、と彼女は自嘲した。
けれどその時、ひらりと何かがベットに落ちた。
見ると、それは一枚の小さな紙。
蓋のほうについていたのだろう。
なんだろう、と疑問に思いつつ彼女は拾う。
ーー真っ白な、二つに折り畳まれた紙。
メッセージカード、のようだ。
それにしても味気ない、なんてため息をつきながらジャンヌは開いた。
そして、書いてあるのその言葉に目を通す。
……一瞬、なんて書いてあるのかよく理解できなかった。
けれどその意味を理解した瞬間、ボン!と彼女の顔が火を吹く。
「な、な、な……」
……言葉にならない。
ただただ、顔だけが熱くなっていく。
その熱さについぞ耐えられなくなって、少女は毛布をがばりと頭からかぶる。
それからぐるぐるりとベットの上でもがき出す。
「~~~~っっ!!」
声にならない叫び上げながら、彼女は転がり回る。
しばらくして、散々転がったあと、ようやくジャンヌはシーツから顔を出す。
頬にはまだ赤みが残り、その瞳は少し潤む。
……恥ずかしさと、嬉しさ。
認めたくはないが、その二つの感情が、非情の魔女をこんなにも『乙女』にさせる。
忌々しそうに、彼女は再び件の紙を見る。
本当に小さな、その一枚。
そこにはただ一言、彼からのメッセージ。
ーー今夜は空いてるよ。
「ーー本当に。いい根性してるわあいつ……」
ああまったく。
こんなもので一喜一憂する自分が恥ずかしい。
だけど。
ーー実際に嬉しいのだから、仕方ないか。
くすり、と少女は笑みを浮かべる。
しょうがない、と割りきって。
困ったやつだ、とつぶやいて。
ーー少女は、幸せそうに笑うのだった。
今日は、三月十四日。
世間でいうところ、ホワイトデー。
これはそんな日の、彼女の出来事。
ーーそして恐らくは。
チョコレートよりも甘い、一夜の出来事でした。
終