私の名前   作:たまてん

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真っ白いぐだジャン、とか言ったけどごめん。
中編、ジャンヌ・ダルクは出ません


『特別』な貴方と、私と、私が 中編

――腹が立つ。

 

ガン、と廊下の壁を殴る彼女。

 

一発、二発、三発。

何度殴ろうとも、指先がしびれるだけでこの苛立ちは紛れはしない

行き場のない荒々しさが、吐きそうになるほど脳の血管を脈打つ。

焼き殺されたあの時よりも、はるかに痛む熱が、ジャンヌ・オルタの心を焼き焦がしてくる。

 

……わかってる。

 

先ほどまでオリジナルにぶつけていた言葉の全部、ただの八つ当たりだ。

 

……わかってる。

 

聖女がわからないと途方に暮れていたあの感情が、どんなものなのか。

彼に微笑まれるだけで、胸は早鐘を打つ。

少年に必要としてもらえるだけで、言いようもない嬉しさを覚える。

自分の在り方とか関係なくなるぐらい、その存在に惹かれるんでしょう?

 

知ってる、イヤってほど理解してるわ。

 

なぜ知ってるかって?

決ってるでしょう。

 

……その感情と同じものが、今でも私の胸の内で暴れてるんだから、無視しようがないのよ。

だから、余計に腹が立つ。

あの聖女サマは、持ってる。

マスターと深く繋がれる権利を、その機会を、よりによって彼からもらえた。

でも、彼女はそれを放棄しようとしてる。

 

それについて、私にとやかく言う権利はない。

 

……でも、何も思わなかったわけじゃない。

私が欲しくて堪らなかったものを、よりによってアンタが奪うのか。

そんな妬ましさを、抱かなかったわけでもない。

そして、そんな思いを抱きながら、迷いを見せてる贅沢なアンタの姿を見せられて。

 

……何も言わないでいられるほど、私も人間ができちゃいない。

 

「――バカみたい」

 

そう言葉が漏れる。

他でもない私自身に向けて。

 

……ほんと、情けなくて仕方ない。

 

こんなの私じゃないって、泣き叫びたい。

きっとリセットボタンなんてものがあったら、迷いなく押したろう。

 

――いいや、迷いはするか。

 

リセットボタンを押して、彼と過ごしてきた日々がすべてきえてしまうというのなら。

……結局、私はそんなボタン押しはしないのだろう。

 

「――ほんとバカ」

 

どうあがいても逃れようのないカルマ。

それで納得してしまう自分がいたから、一層強く壁を殴るジャンヌ。

 

「――そこまで。さすがにそれ以上君の力で殴ったら穴が開いちゃうよ」

 

呆れたような男のため息が、耳に入ってくる。

……いや確かに、廊下でこんなことをしていたら目立つし鉢合わせする可能性はあったろうけど。

いくらなんでもタイミングが過ぎでしょうが。

 

「……空気読めないわね、貴方」

 

 

じ、と睨むと彼――マスターは「そりゃ申し訳ない」と肩を竦める。

その手には白い紙束を握りしめ、加えて黒縁の眼鏡をかけている。

 

「……仕事終わったの?」

「うん。で、今からダ・ヴィンチちゃんに提出しにいくとこ」

「相変わらずのワーカーホリック。いい加減死ぬんじゃない貴方」

「はは。そしたらエレちゃんにまた会えるかな。怒鳴られるだろうけど」

 

からかい交じりにそう笑うマスター。

普段通りの、代り映えのしない貴方。

けれどそうやって幾度か言葉を交わすだけで、胸のうちにすくっていた重いものが、風に吹かれた煙みたいにすっと消えてしまった。

 

……我ながら単純すぎて、ため息しか出ない。

 

「……そのワーカーホリックが、珍しく休みを取るらしいじゃない。しかも、どこぞの聖女サマとフランスへお出かけなんですって?なかなかしたたかね」

 

言うと、マスターはえ、と口を開く。

まさかそんな話をオルタから振られるとは思っていなかったらしい。

少し辺りを見回した後、「そんな話題になっちゃったの……?」と小声で尋ねてくる。

 

「さぁ。ただ少なくとも私の耳には入ってるわね」

 

何せご本人様がばらしてくれましたら、と心の中で付け加える。

すると彼は「うわぁ……」と手のひらで顔を覆う。

 

 

「さすがに、これは恥ずかしいかも……けどまぁ、バレちゃったものは仕方ないし。おとなしく諦めるか」

「……本気なのね?」

 

静かな声で、オルタが尋ねると、うんとマスターは頷く。

 

――その答えに、落胆する私がいる。

 

「……無駄に終わるかもしれないわよ」

 

もう一度、そう尋ねると彼は「知ってる」と言葉を返した。

 

「……オレの自己満足なところがあるしね。正直、無理言ったから出かけること自体断られると思ってたよ」

「貴方自身が諦めてるってわけ?嘘おっしゃい。少しの期待もせずに待てるなんてほど、聖人には見えないわよ」

「まぁほんの少しぐらいは、なんて考えなかったわけではないけど……うん、やっぱ期待はしてない」

 

だってさ、と少年は言葉を続ける。

 

「……そういう女の子を好きになったんだから、しょうがないよね」

 

――本当に、仕方のない奴だといったふうに自嘲しながら。

 

マスターは、そう言った。

……愛してる、と言って欲しいわけじゃない。

見返りもいらない、期待もしない。

ジャンヌ・ダルクの生き方を、変えてほしいわけでもない。

永遠の片思いでも、構わないから。

ただほんのちょっと……思える人との時間が作りたかった。

囁か過ぎる、子供じみたその願い。

彼らしい、平凡極まりない欲望。

 

 

「……だったら、私でもいいじゃない」

 

……あんまりにも割り切られた決意を言われたからだろう。

 

少女の口から、思わずそう零れていた。

 

え、と目を見張る少年。

 

……ここまで言ったのだ。

 

もう構わないと、オルタは最後まで言い切る。

 

「……私はアレと違って、やっかいな縛りもない。掲げる理想だの、重しになるようなものもないわ。それにほら、顔だって声だって体だって同じなのよ……だから。あんなの面倒なの好きになるぐらいなら、私にしときなさいよ」

 

そう両手を広げて、魔女はいざなう。

自らの腕の中へと、魅了する悪魔のように。

 

――いや違うか。

 

どちらかと言えば、これは乞いているのか。

震える手、唇、瞳。

少女のなけなしの必死さが、よく伝わってくる。

きっと答えは変わらないってわかってるけど。

それでも、彼女は言い切った、自分の本心を。

 

……ほんとうに、惚れ惚れする。

 

貫こうとするその姿勢は、正直男の自分から見てもかっこいい。

 

――でも、だからこそマスターも答えねばなるまい。

 

言い切った彼女のために、最大限の敬意と共に。

 

「……ごめん。それは無理かな」

 

かつんと、歩み寄る。

自らより小さいその立ち姿。

なのに自分よりずっと、煌々と輝く眼差しをまっすぐ見つめながら。

彼はその理由を続ける。

 

「……叶わないってわかってる。でもね――この感情に、そういう妥協はしたくないんだ」

 

君にも失礼だしね、とマスターは苦笑する。

 

――『ジャンヌ・ダルク』と『ジャンヌ・オルタ』は違う。

 

それをいっしょにしたくないし、それでいいなんて嘘を人にも自分にもつきたくない。

 

だから、ごめん。

 

そう、彼はもう一人のジャンヌに告げた。

……答えを聞いてもなお、オルタは視線を逸らさない。

それに倣って、マスターも目を逸らさなかった。

見つめあう視線が、刹那の時間に流れる。

 

「……ほんと、子供染みた意地ね」

 

――やがて、先に目を逸らしたのは黒いジャンヌの方。

かろうじて、出た言葉はそれだけ。

らしくないほど震える、少女の声。

歴戦の魔女といえど、意外に堪えるものがあったのだ。

泣かなかっただけ、褒めて欲しいぐらい。

 

……失恋の味というものは。

 

思いのほか、痛い。

 

「……なら、頑張んなさいよ」

 

――本音を言えば、まだまだ言ってやりたいことがあった。

 

でも、すべてを承知してるマスターにとって、それは余計なお世話だ。

この場で私が言えることはもう何もない。

だからそう言って手を振って、さっさとオルタは立ち去ろうとする。

 

……ああでも、これだけは言ってやろうか。

 

悔しいのは本当だし、このまま引き下がるのは性分じゃない。

言ってやっても罰は当たらないだろう。

まぁ当たっても、別に構わないが。

すれ違いざま、「マスター」ーと少年に呼び掛けるジャンヌ・オルタ。

蒼い眼を見つめ返して、にたりと笑ってやる。

 

「――もし振られたら、特別に慰めてあげるわよ」

 

不敵な笑みと共に、少女はそう口にする。

 

一瞬、呆ける彼だったが、くすりと苦笑する。

 

それから「やだよ」とはっきり断った。

 

「だって君、慰めに行ったら行ったで情けないとかだらしないとか言うんだろ。そんな傷口に塩をぬるような真似致しません」

「なんだバレたか」

「そりゃ勿論。君とも長い付き合いだからね……けど、ありがとね」

 

最後に、そう微笑みを残して。

 

じゃあね、とマスターは去っていった。

 

独り、廊下に取り残される彼女。

 

「……ああもう。ほんと便利よね、あれ」

 

そう愚痴を零す。

……ありがとうと、言ってくれたあの笑顔。

それを見ただけだというのに、なんか全部チャラにしてもやってもいいかななんて思えてしまった。

 

「……まったく、ほんとにしょうがないわね」

 

全くもって不本意である、と口にしながら、少女は歩き出す。

……余計なこと、わかっているが。

 

ほんの少しは、手伝ってやる。

でもそれは、絶対あの聖女サマのためなんかじゃない。

ただ、私が見たいだけのことだ。

 

――例えそれが私に向けられたものじゃなくても。

 

あの笑顔を、一回でも多く見れるなら。

それぐらいはしてやるわ、なんて冗談みたいなこと、さらりと言えてしまうのだ。

 

……本当に。

 

「……面倒な奴を好きになってくれたわね、『ジャンヌ(わたし)』」

 

恨むわよ、と魔女は笑う。

 

……けれど言うほど、憎らしくもない彼女なのであった。

 


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