私の名前   作:たまてん

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断末魔は、貴方の傍で

「――チェックメイト」

 

カツンと、コールが響く。

 

白と黒の、モザイク模様の盤上。

そこに佇む、唯一の白色の王。

王冠を担ったその駒へ、一騎の黒き歩兵が剣を突きつける。

右を見れば、大きくはだかる一対の城壁。

左を向けば、闇より深き黒を纏う女王陛下。

逃げ場などなく、例えその兵を刈り取ったところで、結末は変わらない。

 

……それでも、少女は駒を進める。

 

無駄だと分かっていても、無意味な遅延だとしても、その一手を惜しむような真似はしない。

一つでも、道連れに出来るものがあるならと、白色の王を前進させる。

その行動に、少年はくすりと微笑む。

 

……確かに、意味のないことかもしれない。

 

しかしそれは、一秒でも勝利に縋りつこうとし、決して諦めようとしない覚悟の一撃。

いかにも彼女らしい、誇りたかき食らいつき。

だから彼は――マスターは、心からの敬意を表して最後の詰めを打つ。

 

黒のナイトが、白のキングを倒す。

 

――その瞬間。

 

本日九回目の決着がつく。

 

それは同時に、彼女の――ジャンヌ・オルタの九回連続の敗北を意味していた。

 

「……勝てない」

 

ガンと机をぶつけるジャンヌ。

 

打ちひしがれる聖女に、マスターは「これでも玄人ですから」と言って傍らにある皿の上から、切り分けられた林檎の一欠けらを手に取る。

食べる?とジャンヌに翳して訊いてみたが、彼女は「他人のものにまで手を出すほど意地汚くはないわよ」と断った。

そんな気にすることもないだろうに、とつぶやきながら、林檎を口に含む。

……さわやかでみずみずしいその舌触りが、新鮮の失わされたこの体に生きてる時間をくれる。

 

「でも正直びっくりしたよ。いきなりチェスの相手しろだなんて。どういう風の吹き回しだい?」

 

尋ねてみると、「別に」とそっけない答えを返される。

 

「……ジルにやり方とかコツを教わったから、試しに持ってきてみただけよ」

 

相手は誰でもよかった、都合のいい貴方がいただけ。

そう彼女が答えると、それはなんとも残念だとマスターは肩を竦める。

白い天井、ベットに腰かける彼と、テーブルを挟んで向こうの椅子に座る彼女。

二人きりで打ち合う、静かなこの時間。

……軽いデートのような気分でうきうきしていたのが、当の彼女には深い意味はないらしい。

 

「非常に残念である」

「なんで二回も言うのよ?」

 

大事なことですから、とマスターは少しむくれた様子で返答する。

唐突に不機嫌な様子になった少年にジャンヌは首を傾げる。

その細い指で、白き己がキングを手の上で廻しながら。

 

「……しかし、ここまで勝てないとなるとさすがに凹むわね。てゆうか疲れてきた」

「なら休憩にする?」

「そうね。次私が勝ったら休憩にしましょうか」

 

言いながらこつこつと駒を盤上に並べていくジャンヌ。

 

……まったく、相変わらずの負けず嫌いである。

 

むんすと鼻息を吹かす少女の様子に微笑みながら、マスターも同様に駒を並べてゆく。

 

「……けど一つだけアドバイスするなら、もう少し攻めを躊躇ったほうがいいとだけ言っとくよ。君の手は攻撃特化過ぎて、何も考えてないのがまるわかりだ」

「余計なお世話よ。それに守るなんてして暇があるなら攻めたほうがいいに決まってるじゃない。昔から言うでしょ。攻めこそ最大の防御だって」

「それにしたってやり過ぎだよ。さっきなんか、キング単騎で特攻してきたじゃないか。あんな危ない王様、どこいるって言うんだい?」

「そうでもないわよ。例えば、今私の目の前にいる奴とかね」

「……別段そんな無茶してる気はしてないんだけど」

 

本気で言ってるのかしら、とジャンヌの視線がきつくなる。

 

「どーでもいい一般市民助けるために敵陣へ突っ込んだり、魔力の使い過ぎで気を失った挙句私の背中に担がれて帰ってきたのは……いったいどこの誰なのかしら?教えてくださる?」

「……すみませんでした」

 

にっこりとした笑みと青筋を浮かべて腕を組むジャンヌに、マスターは申し訳なさそうに体を縮こまらせた。

 

……わかってる。

 

それらすべてが必要なことで、マスターがやるべきだった事柄だと、ちゃんと黒の少女は理解はしている。

その指揮と無茶があったからこそ、勝つことが出来てるのだと。

 

……それでもだ。

 

ああゆう行動は、横で見ていて気持ちよくはない。

それが他ならぬ、自分たちのためだとあっては、なおのこと後ろめたくなってしまう。

だから、ついついきてしまうのだ。

 

毎度毎度、こんな風に。

 

――わざわざ医務室までやってきて動けない貴方の暇つぶしに、今日も付き合ってしまう。

 

……ほんと、甘すぎる。

 

自らの行動に、ジャンヌはため息をつく。

 

「……けどまぁ。無茶しても大丈夫だって、安心しちゃうんだよね」

 

なんでよ、とジャンヌは苛立ち交じりにマスターを見返す。

 

すると彼は、盤上に立つ一つの駒を手に取って、にこりと笑った。

 

「――なんたって、うちには心強い女王様がいるからね」

 

黒のクイーンを見せながら、少年は微笑む。

 

誇らしげに、自慢そうに。

 

よりによって、この私に向かって。

 

……まったく。

 

まったくもって、腹立たしい。

 

冗談まじりの、何気ない一言だってわかってるのに。

 

……頬ぺったが、熱くてたまらない。

 

卑怯者、とジャンヌは胸の内で罵倒する。

 

「……なら、ポーンは清姫が妥当ね」

「なーんかかすかに悪意を感じるぞ、その采配」

 

さぁどうでしょう、とジャンヌは肩を竦める。

 

それからちらりと、視線を横に向ける。

目に映るのは、ベットのすぐ横にある戸棚、その上にある丁寧に切り分けられた林檎。

優しく飾られた、華のような一皿。

 

……そんなものを見れば、妬ましくもなるものだ。

 

「……それに、案外的射てるんじゃないかしら?」

「どうして?」

 

首を傾げるマスター。

くすりと、少女は不敵な笑みを浮かべる。

それからこう、続けるのだった。

 

「――私が獲られたとき、きっとあの子が変わりのクイーンでもなるんじゃない?」

 

そう、少女は嗤う。

 

……チェスでは、一度獲られた駒は二度と使用できない。

 

一回限りの命。

もう一回なんて、ありえない。

だからきっと、もしジャンヌが負けたときは代わりのクイーンが補充されるだろう。

 

何ものに代えることのできない、キングという彼を守り続けるために。

 

……不満はない。

 

それが真実であり、そうでなければゲームが終わってしまう。

そうならないために戦う。

負けないために剣をとる。

……貴方を死なさないために、私が死ぬ。

 

それが、「人理修復」という名の一局だ。

 

――沈黙が続く。

 

元から答えなんて求めちゃいない。

 

水臭い話をしてしまったものだ。

 

さっさと話題を変えようと、ジャンヌは口を開く。

 

「……確かに、君の言う通りかもね」

 

――その前に。

 

マスターの言葉が響く。

続いて、くすくすとした笑い声。

 

「……何がおかしいの?」

 

少々かちんと来て、ついぶっきらぼうに訊いてしまう。

思い詰めている自分が、バカにされてるみたいで。

けれど彼は彼女の鋭い視線があるにも関わらず、まだ笑みを浮かべてる。

 

だってねぇ、と彼は頭を上げる。

 

蒼い瞳が、黒い少女を映す。

 

細い、男性にしては細く長いその指をジャンヌに向けて。

 

彼は少女に答える。

 

 

「……君が負ける未来ってのが、まるで想像できない」

 

 

あっさり、マスターは断言した。

 

……絶句したのは、彼女の方。

 

あんまりにも自信ありげに、さも当然のようにマスターが言うものだから。

 

呆気にとられてしまうジャンヌであった。

 

「それとも。まさか君は不安なのかい?」

 

するとジャンヌが呆けているのをいいことに、マスターはそんな生意気なことを言ってくる。

 

……言わせておけば、偉そうに。

 

よくもまぁぬけぬけと。

こんな私を信じ切って。

 

……ほんと、貴方はずるい。

 

「――冗談。何言ってるのよ」

 

馬鹿じゃないの、とジャンヌは自らの髪を指で撫でる。

 

――やめだ。

 

やめだやめ、先のことなんて、そんな可能性なんて考える暇はない。

 

私は動く駒なんだから、ただ指示通りに動けばいいだけ。

 

考えるのは、キングの仕事。

 

だから……。

 

「――最後まで、かじりついてでも残ってやるわよ……だから貴方も、ちゃんと守られてなさい」

 

貴方を、信じて傍にいるわ。

 

そう言って、黒の女王は笑う。

 

クイーンの微笑みに、キングもほくそ笑む。

 

……君だけが消えるなんて、ありえない。

 

だってキングだけじゃ、チェックメイトは語れないから。

だから君が討たれるときは、素直に。

 

「……ああ。しっかり頼むよ、お姫様」

 

……いつかの約束通り、地獄に連れていかれるとしよう。

 

握りしめた黒のクイーンに唇を落としながら、マスターはそう笑う。

 

さぁゲームを再開しようと、少年は言った。

 

白の駒を操る彼女と、黒の駒たちと手をつなぐ彼。

 

自信に満ち溢れたその瞳は、勝利以外の結果は見えていない。

 

……これは負けるわね。

 

無意識にジャンヌは確信する。

 

自らの敗北を。

少年の常勝を。

でも不思議なことに、少女は何の不満もなかった。

むしろ彼女でも驚くぐらい、どこか安心したように頬を緩めている。

 

……きっと、貴方のキングが堕ちるときは。

 

クイーンの私も堕ちるとき。

 

ゲームが終わるLast Callは、誰よりも近く、すぐ傍で。

 

――私の断末魔は、貴方と共に響くだろう。

 


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