私の名前   作:たまてん

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私の名前の続きです


私の痕

Ex

 

ーーリンと、軽やかな音が聞こえて彼女は目を開いた。

 

まずはじめに見えたのは、天井。

 

けれど、それにあまり見覚えはない。

 

何故だろうと目覚めたばかりの朧気な頭で考えていたら、またとリンという物音を耳にする。

 

音のしたほうに首を回してみると、彼女の視界に肌色のものが映った。

 

ーー細く、華奢な曲線。

 

それでいて力強さを感じる、その背中。

 

……見覚えがなくて当然だ。

 

ここははじめから、彼女の部屋ではなかったのだから。

 

「……綺麗なものね」

 

それを見た彼女がぽつりとつぶやくと、その声に気付いた彼がこちらに振り返る。

 

彼女の眠たげな目が自分を見つめているのを知ると、彼は「悪い、起こしちゃったか」と申し訳なさそうな顔をする。

 

「……こんな時間に、どこに行くのよ」

 

彼女ーージャンヌがそう尋ねると、マスターは「ロマニのところ」と答えた。

 

「……なんでよ?」

 

「急遽、確認してもらいたいことがあるんだってさ。だからちょっと行ってくる」

 

「……空気の読めない奴」

 

そう言って、彼女はばふりと頭から毛布を被る。

 

なんだか、大きなまんじゅうみたいだ。

 

まぁタイミングは悪かったかもね、といいながら、そんな仕草が可愛らしくて、マスターは苦笑する。

 

……が、彼女としてはそんな愛想笑いすら浮かべてやれない。

 

せっかくの機会に水を差されたのだ。

 

ふてくされたくもなる。

 

「ーーたぶん、このまま今日は起きるけど、ジャンヌは気にしないでもう少し寝てなよ」

 

「……言われなくてもそうするわよ」

 

着替え終えた彼に、無愛想な声で、そう彼女が答えた時だ。

 

またリン、という高い音が聞こえた。

 

外出する準備をしているには、似つかわしくない音。

 

それの正体が気になったジャンヌは、ちらりと、毛布から顔を出して彼を見る。

 

そして気付く。

 

彼の腰元に下げてある、あるものに。

 

「……それ。何なの?」

 

「え、なんのこと?」

 

ん、とジャンヌは無言で彼の腰元にあるそれを指差す。

 

ーーそれは、緑の葉と赤いリボンが飾られた、ベルのようなものだった。

 

彼女の言うそれに気付いたマスターはああ、と頷くと嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「これのことか。これは昨日ジャンヌちゃんからもらったんだよ。プレゼントだってさ」

 

「……通りで派手な装飾だと思ったわ」

 

クリスマスカラーというわけか。

 

がしかし、何で昨日?。

 

昨日はそれこそ、クリスマスでもなんでもないというのに。

 

そう尋ねると、マスターも「さぁ?」、と首を傾げる。

 

「ただアレだって。私のトナカイならこれをつけておくのが通りだとかなんとかは言ってたね」

 

「…………」

 

ーー合点がいった。

 

あの小娘の意図がよくわかった。

 

……つまり名札だ。

 

これは私のトナカイだと、私のものだというマーキング。

 

まったく、見かけに反して随分とませた考えをする少女である。

 

……それが自分だというのも、またなんとも言えないが。

 

でもそんなことより、彼女が気になっていると言えばーー。

 

「ーー付けるのね、それ」

 

「まぁね。せっかくの貰い物だし、なによりジャンヌちゃんの贈り物だから、ありがたく使わせて頂きます」

 

ーーその意図にまるで気付いていない彼が問題である。

 

……いや別に構わない。

 

名札だろうが、マーキングだろうが、それがマスターと自分の関係にヒビをいれるようなものだとは思わない。

 

だがそれでも。

 

その意図に気づかず、能天気に笑うマスターというのは。

 

……あまり、おもしろくはない。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

そう言ってマスターが背を向ける。

 

……その服を、まんじゅうから伸びた手がつかんだ。

 

引き止められたマスターが振り返ると、彼女はくいくいと、彼の服を引っ張る。

 

曰く、もっとこっちにこいということらしい。

 

なんだろうか、とマスターはそのまんじゅうの近くで膝をつき、「何かご用ですか、お姫様」とわざとらしく声をかける。

 

すると布団から、にょっきりと、ジャンヌが顔を出した。

 

それからじぃーっと彼を見つめたのちーーがばりと、彼女はマスターに抱きついた。

 

いきなりのことで、マスターは目を大きく見開く。

 

そして自分の首筋に、ペタリと彼女の肌が触れる感触がして、その頬が赤くなる。

 

マスターの目には、雪のように白い彼女の背中が見えた。

 

彼女に抱き締められているという柔らかな感覚が、胸の鼓動を早める。

 

何が起きたのか、わからなかった。

 

ーーそのあとの、かぶりという音を聞くまでは。

 

「……ん?」

 

 

一瞬の間。

 

それから後に、がじがじがじがじ、と歯を立てる音が聞こえ始めた。

 

「あだだだだだだ!!ジャンヌ、ちょ、待って!痛い痛い本当に痛いからタイム!」

 

マスターはそう叫ぶが、彼女は噛み締めることをやめない。

 

一頻り噛んだあと、ジャンヌはようやく首筋から顔を離す。

 

そして自分の上唇をぺろりと舐めると、ぽつりと一言つぶやく。

 

「……意外に不味くないのですね」

 

「何がっ!?」

 

マスターが目を白黒させたが、ジャンヌはアハハと笑う。

 

まったく意図がわからず、ヒリヒリする首元を抑えぽかんとするマスターに、ジャンヌは本当に愉快であると言わんばかりな笑みを浮かべる。

 

「……痕、残ってしまいましたね」

 

「そりゃあれだけ噛まれたらね」

 

「当たり前です。そうなるように噛んだんですから」

 

「えっと、それは何のために?」

 

「さぁ?なんのためでしょうねぇ……そんなことより、貴方呼ばれているのでしょう。さっさと行ってくださいーー傷痕、バレたら大変そうね」

 

言うとジャンヌはさっさとマスターに背中を向けて、布団を被ってしまう。

 

呆然とするマスター。

 

しかししばらくして、彼はやれやれと困ったような笑みを浮かべた。

 

それから彼も、眠る彼女に向けていってきます、と一言かけて部屋を後にした。

 

部屋を出ると、マスターは閉めた扉に背を預けた。

 

しばらくの間、彼は虚空を見つめる。

 

 

それからくすりと、わらって言った。

 

「……強烈だな、ほんと」

 

ーーさて、それではこの傷痕。

 

果たしてどうやって隠そうか。

 

むしろバレてもいいかもしれない、なんてしょうもないことを考えながら、彼は歩き出す。

 

……心なしか、その足取りは軽かった。

 

■ ■ ■

 

 

ーー彼が部屋を出ていくまで、ジャンヌは笑いを堪えるのに必死だった。

 

そして彼が部屋を出ていったあと、ようやく大きく息を吐き出した。

 

「ーーいい気味です」

 

いいながら、頬が緩む。

 

あの、マスターのきょとんとした顔。

 

これ以上なく愉快だった。

 

「これで少しは、自覚が出ればよいのですが……」

 

だが、鈍いあの人のことだ。

 

それは望み薄そうだ。

 

今回は、あの顔が見れただけでよしとしよう。

 

そう考えたとき、またあの驚き顔を思い出してくつくつと彼女は笑う。

 

……一番の驚きは。

 

そんなことで一喜一憂する自分自身なのだと、ジャンヌはまだ気付いていなかったが。

 

「……もう一眠りしますか」

 

幸い、まだ時間に余分がある。

 

再び眠りにつこうと、彼女は目を閉じる。

 

……そのときむぎゅっ、とした何かを布団の中で伸ばした足が蹴った。

 

しかもそれは「あん」と声まで上げる。

 

 

「ーーうふふ。ひどいですわますたぁ。わたくしを足蹴にするなんて。でもその分、きっと可愛がってくれますよね?さぁますたぁ……わたくしとますたぁの、忘れられぬ一夜をはじめましょう!」

 

その声とともに、布団が弾けとび、中に潜んでいた清姫はがしりと抱き締める。

 

もう離さない逃がさないと、きつく抱き締めた彼女はうっとりと熱のこもった瞳で見つめるのだった。

 

ーー青ざめた顔をしたジャンヌを。

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

長い沈黙が続く。

 

そして、互いに大きく息を吸ったあと、彼女たちは叫ぶのだった。

 

 

 

「「ーー何でここにいる(のっ!?)(んですかっ!?)」」

 

 

 

ーーどうやら。

 

ただ彼に痕をつけただけでは。

 

ぜんぜんまったく、足りないらしい。

 

 

 


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