――ほかほかと、白い湯気を立てるソレ。
黒塗りのお椀にとくとくと注がれているのは、薄茶色の液体。
白い豆腐の塊が二、三個と、香りづけの葱が少々。
薄桃色の唇をつけて、こくりと飲んでみれば、絶妙な熱さと風味が喉を伝ってゆく。
「……やっぱり美味しいわね、これ」
唸るような声で、ジャンヌは自らの両手に収まったモノ――その味噌汁の味を評価した。
するとその感想を耳にしたマスターは「それは何よりで」と微笑みながら台所より戻ってくる。
「素直にほめてもらえるのは嬉しいよ。特に君の場合、作り甲斐のある反応が見れる」
「……それって、想っていることが顔に出やすいって嫌味?」
「さぁ、どうだろうね?」
くすりと、マスターはいたずらっぽく片目を瞑る。
むすーと不服そうな顔をするジャンヌ。
ふんと鼻を鳴らして、かつかつとやや粗い仕草で白米をかきこみ始める。
……彼女のなりの意趣返しのつもりなのだろうが、そもそもやめずに食べ切ろうとしてくれる辺りが、本当に愛らしい。
「じゃあオレは先に出るよ。今夜はくるつもりはないけど、冷蔵庫に作り置きがあるからよかったら食べてね」
「……余計なお世話よ。ごはんぐらい自分で作れるわ」
「そうは言うけど君、めんどくさがってほとんど食べないじゃないか。それかポテチとかお菓子にいくじゃない。だめだよそういうのは」
窘めるように少年は言った。
対してジャンヌは「何がダメだっていうのよ……」と煩わしそうにため息をつく。
……そもそも、サーヴァントに一日三食なんて必要ないじゃない。
むしろ、こういうのは――。
「じゃ、オレ行くから。ちゃんと食べるんだよ」
再度念を押して、部屋を出ようとする彼。
しかし、出る直前に「――マスター」と呼び止める声がする。
振り返ると、変わらず見えるのは椅子に座ったままの少女の後ろ姿。
でも、しばらくたって、聞き逃してしまいそうなほど小さな声を、彼は耳にする。
「――ごちそうさま。あと……いってらっしゃい」
――それは、彼女なりの最大限のエール。
思わず、頬が緩んでしまう。
「――うん!行ってきます!」
顔なんて見なくてもわかるぐらい、快活な声を響かせて、マスターは少女の部屋を出て行った。
――瞬間、へなへなと机に突っ伏す彼女。
「……朝から声でかいのよ、バカ」
……あの真っすぐさ加減は、もはや毒である。
白い頬に熱を灯しながら、ジャンヌはそう愚痴を零した。
■ ■ ■
「……実際のところなんだけど。彼氏の方が料理が上手いってどう思う?」
――開口一番のジャンヌの発言。
それを聞いた瞬間、彼女と共にティータイムを過ごしていた二人のサーヴァントはぶほっ!と露骨に音を立てて吹き出す。
アンデルセンは読んでいた本に顔を埋めてくつくつと笑いを堪えている。
しかしもう一人の客人に比べたらまだマシな方。
鈴鹿御前は、机に前のめりに突っ伏しながら「彼氏……彼氏だって……」と繰り返し机を叩いていた。
……まぁ、大方予想していた通りの反応だが、それでも苛立ちはしたのでぶっきらぼうに「笑うな」とだけ言い放つ。
「いやいやいや。笑うなって言われても……やばい、マジウケる……」
「……まぁ、無理があるな」
一向ににやにやが止まらない二人。
……相談相手を間違えたわね。
その空気にしびれを切らして「……もういいわ」と言ってジャンヌは立ち去ろうとする。
そこまでしてやっと「待って待って待って!」と鈴鹿御前が止めに入った。
「ちゃんと真剣に話聞くから!だからもっかい!もっかいお願い!」
……若干ふざけが残っているようにも聞こえるが、振り払うほうが手間をとりそうだと悟った彼女はしぶしぶと席に戻る。
ティーカップに残っていた紅茶に口を付け、一度喉を潤したあと、再度ジャンヌは先ほどの問いかけをする。
「……で、実際のとこどう思う?」
すると鈴鹿御前は首を捻りながらも「別にいいんじゃないかな」と答える。
「できないからって問題はないけど、逆に言えばできても問題はないわけじゃん。てゆうか、むしろ彼氏が作ってくれたものが美味しいなんて最高じゃん。気にするほど要因とかないと思うけど?」
「……まぁ、それが一般回答よね――そっちの作家はどう思う?男として?」
しかし先ほどの笑いから持ち直したアンデルセンはその質問に「知るか」とそっけなく答える。
「朝目が覚めたら飯が用意されてるだけ御の字だと思うが?何せ俺には作ってもらえる人間がいないのでな」
「夢も希望もない答えね、貴方……」
「あれ、でもキアラっちいるじゃん。作ってもらえないの?」
「アレに俺の部屋の床を踏ませてたまるか」
そう童話作家は即答する。
相変わらず、あのアルターエゴもどきへの警戒心は全開である。
ある意味賢明、と内心同意する二人。
……しかし、思った通りの返答しかないのはいろいろと落ち込む。
悩ましげにため息をつく黒の聖女。
「そんな悩む必要なくない?確かに女子力的にへこむのはわかるけどさ。それでもいいことだと思うよ、私は」
とりなす鈴鹿御前。
しかしジャンヌは首を振る。
「……でもそれじゃあ――って…やれないじゃない」
「え?ごめん聞こえなかった?」
耳を少女の口元まで近づける鈴鹿。
俯き頬を赤らめるジャンヌだったが……もう一度だけ、小さな声でつぶやいた。
「……私がごはん、作ってやれないじゃない」
……サーヴァントは、基本食事はいらない。
娯楽で食べる程度。
中にはそれを生きがいみたいにしてる王様もいるけど、それでも余分なことには変わりない。
……そんな余分なことに、マスターは全力を尽くしてくる。
毎日毎日出撃だの報告だの忙しいだろうに、朝は必ず私より早く起きて、朝食の支度をする。
私が好きだと言ったものを律儀に覚えて、嫌いだといったものを克服するために私以上に悩んでる。
朝の時間、二人でいられる数分を、穏やかに過ごすたためだけに。
――ああ、そんなことされたら。
……私だって、お返しがしたくなるじゃないか。
嬉しくないわけがないんだ。
だからその分、貴方にも笑ってほしい。
でも、それで彼よりクオリティの低いものを出すのは嫌だし、恥ずかしい。
食べさせるならもちろん、美味しいと驚く顔が見たい。
――だからジャンヌも、苦悩していた。
柄にもなく、他人に相談するぐらいに。
……想いは、本物であった。
――二人の沈黙が長い。
少し不安になってちらりと、ジャンヌは横目で見る。
そんなにも、おかしい話をしてしまったのかと。
けれど、実その心配は杞憂だった。
とゆうか、むしろ逆。
――ジャンヌの向けた視線の先には、獣耳をぱたぱたと震わせ、ぶんぶんと元気よく尻尾を揺らし、無垢な瞳をキラキラと輝かせる少女の姿が見えた。
……どうやらJK的に、ドストライクな甘さだったらしい。
まずった、と思ったがもう遅い。
「よおおしっ!ジャンちゃんの悩みはよーくわかったよ!なら私、全力で協力しちゃうもんね!まーじ上がるー!」
「抱きつくな!あと、その呼び方やめなさいよほんと!」
乙女ゲージマックスの鈴鹿に頭をわしゃわしゃと撫でられて顔を真っ赤にするジャンヌ・オルタ。
隣にいるアンデルセンは「騒がしい奴らだ……」とため息をついていた。
「……それでだ。手伝うも何も具体的には何をするんだお前は?」
「それはこれから考える?的な感じ?みたいな?」
「私に訊くな」
ぎぎぎと力込めて全力で鈴鹿を引き離しながらジャンヌは言った。
「まぁ具体的な話するならジャンちゃんに私のレシピ教えるぐらいかなー。あ、肉じゃがとかできるのよ私」
「それぐらいなら私もできるわよ。まぁ手っ取り早く料理教室でもあればねぇ……」
「あるぞ、料理教室」
え、と二人はぽかんと口を開く。
そう言ったのは、他でもない青髪の少年。
もう一度、彼は「だからあると言っている」と語った。
「……一か月ぐらい前から確かあの赤い弓兵が開いていたはずだ。なんでも熱心に教授を願いたいと申し出るものが多くてな。ちょうど、明日がその日だと思うぞ。場所は食堂だ」
「……あの褐色、いつのまにかそんなことしてたのね。まぁ行かないけど」
「行かないの?」
「当然でしょ。アレに頭下げるなんて死んでもご――」
「ちなみに、明日はスイーツ作りの日らしい」
「暇だから顔ぐらいは出してみようかしら」
「変わり身はやいなー」
いつものことだ、とアンデルセンは紅茶を飲む。
……そこまできて少年はふと、ある一つの疑問に気づく。
「おい、そこのまっくろくろすけ。一つ確認させろ」
「人をカビみたいな名前で呼ぶんじゃないわよ!」
カッと目を三角に尖らせるジャンヌ。
しかし彼はそんな彼女の反応を無視して、質問をする。
「……先ほどお前はマスターの方が飯が上手いと言っていたな?」
そうよ、とジャンヌは頷く。
「加えて、それが朝飯も含めてなんだろ?」
「回りくどいわね。何が言いたいのよ?」
そうか、と首肯した彼は最後に一口喉に流した後、指を絡み合わせて、問いかける。
――おそろしく、淡々とした声で。
「――そもそも、なぜマスターが朝からお前の部屋にいるんだ?」
――ものすごく、長い沈黙が続いた。
ジャンヌの表情に変化はない。
すぅっと金色の瞳は、少年を見つめ返す。
――くるりと、身体を反転させ、背を向ける。
そして――脱兎の如く駆けだした。
「ジャンちゃんジャンちゃーん!今のどういう意味ー?もしかして昨晩はお楽しみ、的か何かだったりー?」
「うっさい!ついて来るじゃないわよ!あと、覚悟してなさいよマセガキ!!」
――顔を真っ赤に染めながら走っていくジャンヌと、それを尻尾を左右に大きく振りながら追いかける鈴鹿。
「……理不尽なことだ」
そうぼやきながらも、アンデルセンは読書に戻るのであった。
■ ■ ■
そして翌日のこと。
「……結局ついて来るのね、アンタ」
「暇だったしねー。それにJK力は日々磨いてかないと錆びちゃうから」
「JK力って何よ……」
額に手を当ててため息をつくジャンヌ。
……まぁ、こういうのは一人で行くのもなんか気が引けるし、連れがいる方が楽なのは事実なんだけど。
「てか今日も朝ごはんマスターくんに作ってもらったの?いいなー」
「お生憎様。アイツは今日は朝から用事あるとかで昨日は泊まってないわ」
「ほうほう。つまりご無沙汰であると?」
「次変なこと言ったら本気で吠え立てるわよ……」
じゃきりと剣をかざすジャンヌに、きゃーとふざけ半分に両手を上げて逃げていく鈴鹿御前。
――そうこうしているうちに、食堂への入り口が見えてくる。
がやがやと人の声も響いてきていた。
「結構人いるのかもねー」
「そうね、面倒くさそう。帰りたくなってきたわ私」
「ここまで来たんだからそれはナシナシ!ほら行くよ」
「わかったから背中押さないでよ!」
ぐいぐいと彼女の背を押してくる鈴鹿。
当然、先に食堂に入ったのはジャンヌ。
だから、鈴鹿より先にソレを見るのも当たり前のこと。
――絶句する。
黒い髪と、蒼い瞳。
いつもの白い上着と黒ズボン。
その上から、より黒いエプロンを羽織る少年の姿。
その来訪は、彼にとっても意外だったのだろう。
目を大きく見開いて、少年――マスターは少女を見下ろす。
「――ジャンヌ。こんなところでどうしたの?」
「……貴方こそ、どうして?」
そう問いかけると彼は「あーっと、それはですねぇ……」と頬を掻く。
が、少し照れくさそうに笑いながらも、彼はその理由を告げる。
「実は、ちょっとエミヤさんに頼まれてね――今日だけ臨時で、ここの講師を務めることになりました」
にっこりと、微笑む彼。
……同時に、へなへなと崩れ落ちるは幾たびの焔を超えた竜の魔女。
トンカチで殴らたみたいな衝撃が脳髄に走る。
気を失わなかった自分を、褒めてやりたいぐらいだ。
「……どんまい。ジャンちゃん」
ぽんと、鈴鹿は崩れ落ちたジャンヌの肩を叩いた。
かろうじて、「……うっさい」という声だけが出る。
――いや本当に。
なんで、こうなるのよ……。
そんな少女の胸の内など知らず、変わらずにこにこと能天気な彼に、ますます腹が立つ。
――かくして。
貴方と私の、料理教室が始まりました。
終