私の名前   作:たまてん

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君のいない世界

……こんこんと軽いリズムが響く。

 

扉をノックする音。

 

どうぞ、と少年は促した。

 

「失礼します」という一言のあとに、ドアの開閉音。

 

歩んでくる誰かに、少年は「やぁ」と晴れやかな笑みを浮かべる。

 

「……遅かったじゃないか。新宿のときみたいにまた迷子なのかと心配したよ」

 

からかい気味に、マスターは笑う。

 

こうやって軽口を叩けば、彼女は拗ねたように「そんなことないわよ」と唇を尖らせて返してくるとわかっていたからだ。

 

それがいつもの、二人のやりとり。

 

――けれど。

 

「……あの、マスター」

 

……けれど、変わりに聞こえたのは、弱々しく、どこか遠慮がちな声。

 

彼女に良く似ていて、それでいて正反対の声音。

 

それを耳にした少年は、ああ、とため息をついた。

 

それからごめん、と短く謝る。

 

「……やっぱり足音がすごく似てるなぁ。ほんとダメだなオレ……何度も間違えてごめんね、ジャンヌさん」

 

いいえ、と少女――ジャンヌ・ダルクは首を振る。

 

――ここ数日、忙しいマシュたちの代わりマスターのお見舞いに来ている彼女。

 

調子はいかがですか、とジャンヌは問いかける。

 

いつもと変わらぬ、いつもと同じ問いかけ。

 

……それしかできないことが、悔しくて堪らない。

 

その問いかけに、少年はこくりと頷く。

 

「――大丈夫。元気だよ」

 

……虚ろな瞳は、ジャンヌ・ダルクを写しながらも、その姿を捉えられてなどいない。

 

――ただ、何もない世界を見つめながら、少年は微笑むのだった。

 

……その笑顔が、痛くて堪らなかった。

 

 

■ ■ ■

 

 

「――結論から述べるとだ。マスターくんの目を治すことは可能だよ」

 

――そう、かの天才は断言した。

 

その一言に、共に作業をしていたマシュは胸を撫で下ろす。

 

しかし、ダ・ヴィンチ女史は「一つの問題を除いてね」と付け加えてきた。

 

「問題とは?」

 

マシュがそう訊き返すと、彼女は「マスターくんの体調」と端的に答える。

 

「……彼が魔眼でも持ってたら、もう少し楽だったんだけどねぇ。いやそもそもその場合は失明しなかったか。どちらにせよ、義眼にするとなると身体に負担がかかるからしばらくは無理だろうね」

 

「……具体的には、どのくらいなのでしょう?」

 

一週間、という言葉をダ・ヴィンチは口にする。

 

その短そうで長い期間に、マシュは深いため息をつく。

 

「どうしたんだい?君がため息なんて、らしくないじゃないか」

 

「……いえ。ただ、ちょっと、心苦しくて……」

 

――今は、ジャンヌさんに代わって貰っている。

 

初めはマシュ自身がお見舞いに行っていた。

 

ただ、決してショックではなかっただろうに、それでも気丈に振る舞う彼の姿は、かなり堪える。

 

大丈夫だよ、と安心させようとするマスター。

 

その優しさに、瞼が熱くなって、でも泣いてはダメだと必死に耐えていた。

 

そんな姿を見かねて、ジャンヌ・ダルクが代わりを申し出たのだ。

 

「……情けないです」

 

ぎゅっ、と手のひらを握りしめるマシュ。

 

震える彼女の頭を、そっとダ・ヴィンチは抱き締めた。

 

それからその耳元に囁く。

 

「……大丈夫。ここなら、別に泣いても構わないよ」

 

 

――嗚咽が、聞こえる。

 

涙に濡らしながらも、必死にまだ耐えようとする少女。

 

その頭を撫でながら、ダ・ヴィンチは心の内でため息をついた。

 

……こうゆうとき、君ならどんな慰め方をするんだい?

 

――いつか共にいた誰かに、そんな愚痴を溢しながら。

 

自身の人間味の低さを、彼女は嘆いた。

 

 

■ ■ ■

 

――三日前のこと。

 

マスター、及び複数名のサーヴァントがレイシフトを行った。

 

目的はただの素材集め。

 

何事もなく、終わるはずだった。

 

……だがその道中、エネミーの大群に遭遇する。

 

何者かの意図か、はたまたただ偶然か……どちらにしても、六名のサーヴァントで対処しきれないほどの数が発生していた。

 

それまでにも連戦続きで疲弊していたのもある。

 

だから、あれも本来ならあり得ない痛恨のミス。

 

その戦闘の最中、マスターは両目を負傷したのだ。

 

サーヴァントのカバーが間に合わず、敵からの呪いが彼に直撃した。

 

それゆえ戦闘の指示が出来ず、戦線は一時混乱状態になったが……その中で一人、彼女は決断した。

 

『……私が囮になるわ。だからさっさとマスターを連れて帰りなさい』

 

そう一言だけ残して、少女は走る。

 

片手に剣を、もう一つに旗を握り、彼女は敵陣に斬り込んだ。

 

……止めることなど出来ない。

 

成すべきことがなんなのか、全員がよく理解していたから。

 

――かくして、他サーヴァントたちはマスターを連れてカルデアに帰還する。

 

たった一人のサーヴァント……ジャンヌ・オルタを、置き去りにして。

 

■ ■ ■

 

――時刻は、深夜十二時を回った。

 

誰もいない廊下を、マスターは壁つたいに歩く。

 

外出をするには、あまりに遅い時刻。

 

でもこんな時間に出なければ、みんなに怒られてしまうから、仕方ない。

 

……目が見えなくなっても、歩き慣れていた場所は意外に移動できるものだった。

 

途中何度か転んだが、それでも彼は目的の場所にたどり着く。

 

……少し大きめの扉が開く音。

 

かつんかつんと、靴音が反響していく。

 

肌に纏う空気から、カルデアスのあるあの大広間にこれたのだと実感する。

 

――ここで、彼女と出撃した。

 

何の問題もなく、何の疑問なく、いつも通りに二人は出た。

 

なのに、帰ってきたのは彼一人だけ。

 

君がいない日々が、ただ流れて行く。

 

……君の笑顔が、見れない。

 

熱が、匂いが、味が。

 

段々と、消えかけていく。

 

化石のように、風化して崩れてく。

 

――驚いた。

 

彼女がいないだけで……世界は、こんなにも寂しくなるのか。

 

「……会いたいなぁ」

 

そう思い返していたとき――けたたましいサイレンを、少年は耳にする。

 

普段のカルデアからは絶対に聞こえない音。

 

何かがおかしいと気づいたと同時に、「先輩!」と自らを呼び声を耳にする。

 

「何があったマシュ?」

 

そう尋ねると、彼女は「敵襲です」と答える。

 

「手段は分かりませんが、現在大量のエネミーがカルデア内に浸入してきています。マスターも逃げ――」

 

マシュの言葉が終わる前に、爆風が響き渡る。

 

鼻腔とのどを焦がす熱気に、二人は咳き込む。

 

そして耳にする。

 

無数の、からからという足音を。

 

剣をかちならす、人ではない大群を。

 

「……囲まれたかな」

 

マスターの言葉に、マシュは悔しそうに歯噛みした。

 

……二人を囲む骸骨兵。

 

段々と包囲を狭めてくる。

 

応援は間に合いそうにない。

 

でもどうか、先輩だけでも……!

 

そう必死になって、マシュは突破口を模索する。

 

「……大丈夫だよ」

 

――けれど。

 

けれど彼は、穏やかな笑みを浮かべる。

 

いつものように、柔らかな笑顔でマシュに語りかける。

 

「――ちょうどよかった。いい加減呼ばないと殺されそうだしね」

 

――彼の言っていることが、わからない。

 

首を傾げるマシュ。

 

すると、マスターは右手の平を頭上にあげた。

 

同時に、迫り来る骸骨たちも駆ける。

 

刃をかざして、二人の首を狩ろうと走る。

 

絶対的な死のカウントダウン――だけど、びっくりするほど怖くない。

 

手の甲に刻まれた赤の一画が輝く。

 

鮮血の証を溶かして、少年は告げる。

 

マスターとして、サーヴァントに。

 

……君の名を、唄った。

 

「――おいで。ジャンヌ」

 

――瞬間、世界は炎で包まれる。

 

赤く赤く、染まる世界。

 

何もかもを焦がす煉獄で、マシュとマスターの二人だけが唯一の例外。

 

……灰となって崩れ行く骸骨たちの群れ。

 

その紅の中に、一人の黒い影が揺れる。

 

――漆黒の甲冑、真黒のスカート。

 

右手に剣を、左手には竜の御旗。

 

……白金の髪を揺らし、歩み寄ってくる少女。

 

その姿に、マシュは息を呑む。

 

その気配に、マスターは微笑む。

 

「……おかえり。ジャンヌ」

 

まるで、何事もない日常の一コマみたいな声音で。

 

マスターは気さくにそう言った。

 

――ジャンヌ・オルタは、マシュに肩を担がれ、やっとの姿で立っている少年を静かに見下ろす。

 

しばらくしたあと――ごちんと、その黒い頭を殴った。

 

ぐーで。

 

「……痛いです」

 

「痛いです、じゃないわよ!貴方ねぇ、いったいどんだけ待たせれば済むのよ!?三日よ三日!いくらなんでも遅すぎでしょうが!?」

 

「だってさぁ。令呪使って呼べるのはわかってたけどダ・ヴィンチちゃんに止められててさ。今令呪を使えば君の体が持たないって。呼びたくても呼べなかったんだよ」

 

痛む頭部をさすりながらそう弁明するマスター。

 

しかしジャンヌはうっさい!とその言い分を一蹴した。

 

「とにもかくにもよ、貴方たちの対応が遅過ぎたせいでカルデアの座標もバレてる。まぁ幸いバレた相手がただの雑魚だったから良かったけど、いかんせん数が多いわ。さっさと駆除するわよ」

 

「やっぱりあのときと同じ敵か……君が倒しきってくれてたら、こんなことにもならなかったんじゃないかなぁ?」

 

「次耳障りなこと言ったらその舌引き抜くわよ」

 

びし!と中指を立てるジャンヌ。

 

見えてはいないがその気配を感じ取ったマスターは「くわばらくわばら」と唱えた。

 

「……しょうがない。マシュ、君はダ・ヴィンチちゃんのところに行って状況報告を頼む。オレとジャンヌはここに残った奴を処理しとくから」

 

「え、いえでもそれは……」

 

あまりに危険なのでは、とマシュが言いかけて、それを言い終わる前に「安心なさい」とジャンヌがマスターの首もとをつかんで寄り添ってたマシュから引き剥がした。

 

「これ一人ぐらいだったらちゃんと守れるわ。それより今は状況把握が先決。あっちも混乱してるだろうし、さっさと行きなさい」

 

少し躊躇う素振りを見せたマシュだったが、やがてこくりと頷き「先輩をよろしくお願いします」と言って駆けていった。

 

その後ろ姿がドアの向こうへと消える。

 

それを確認してから「……行ったわよ」と彼女は告げた。

 

――途端、背後から重みを感じる。

 

ジャンヌの背中にもたれ掛かったマスターは、額に大粒の汗を浮かべながら荒い呼吸を繰り返す。

 

「……空元気も大概にしなさいよ」

 

向き直り、抱きかかえてやりながら、ジャンヌはそう言った。

 

ははは、と腕の中から渇いた笑いが響く。

 

「……案外平気、だと思ったんだけどなぁ。結構、堪えたみたいだ」

 

「……目、結局ダメだったのね」

 

こくり、と彼は頷いた。

 

……ああ。

 

これは予想以上、と少女は空を見上げた。

 

その事実を認識しただけで。

 

……どうしようもなく、腹立たしい。

 

「……でもまぁ。どちらかと言えば、君がいなかった方が辛かったかな」

 

「冗談もほどほどにしなさいよ」

 

苛烈さを感じるジャンヌの声。

 

けれどマスターは本当だよ、と苦笑する。

 

……君がいないこの三日間が、本当に辛かった。

 

探したいのに、この目を動かない。

 

手を伝い、耳で聞き、香りを辿れど、感じられなかった。

 

……君の存在が感じられないことの、さびしさに死にそうになった。

 

そして、なによりも。

 

帰ってくるって、信じてたけど。

 

その時、あの笑顔が見れないという事実が。

 

……果てしなく、悔しかった。

 

――からんからんと、響き渡る。

 

残っていた兵隊が動き出す。

 

もっと、彼女がここにいるって感覚に浸ってたいのに。

 

周りはこんなにも、二人を急かしてくる。

 

「……どこにも行かないわよ」

 

……ぎゅっと、手を握りしめてくれる温もりがあった。

 

さきほどの苛烈さから、うってかわって優しい囁き。

 

――柔く暖かい手が、握りしめてくれた。

 

「……離さないから。貴方の感覚がなくなって、私の存在を何一つ感じられなくなっても――絶対に、傍にいるから……だから、安心なさい」

 

……精一杯の、言葉。

 

どんな契約よりも、安心できる。

 

そんな約束を、無償でしてくれる君。

 

――好きなんて、言葉じゃ、足りない。

 

「……うん」

 

力強く、頷いた。

 

それしか、声が震えてできなかったけど。

 

それぐらいは、はっきり伝えたかったから。

 

「……よし!ならさっさと片付けるわよ!でも手を引いてる最中に死なないでよね。鬱憤たまってるから、かなり激しいわよ、私」

 

「……お手柔らかに」

 

どうしようかしらね、といたずらっぽい声。

 

……ちくしょう、やっぱり悔しい。

 

きっと今目を開けたら、最高に可愛い笑顔が待っているだろうに。

 

――ジャンヌは駆け出す。

 

剣を握り、マスターの手を握り返して。

 

強く繋がれた手は、どうあっても離してくれない。

 

そんな強引な優しさが、愛しさに溢れてる。

 

……君のいない世界。

 

それは本当にさびしかったけど。

 

――もう、そんな世界に会うことはないでしょう。

 

指先から伝わる確かな熱に、少年は微笑みながら。

 

少女は、久方ぶりの握手に笑いながら。

 

――赤く揺れる焔の中で、躍り合うのでした。

 

 


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