――こんこん。
扉をノックする。
けれで返答はない。
もう一度鳴らしてみたが、同じく返答はない。
その無反応に、ジャンヌ・オルタはため息をつく。
……出撃までの待機時間。
一時間という短いようで長いひと時を、自室で浪費するのもアレだからと、彼女はマスターの部屋に足を運んだのだった。
「……ノックはしたわよ」
そう念を押すように言って、ジャンヌは小脇のパネルに指を走らせる。
部屋の解除コードなら、とっくに知ってる。
ただ礼儀として、確認してやっただけのこと。
……そんなもの、払ってやる義理なんてないんだけど。
「マスター。入るわよ……ってうわ」
開かれた扉の向こうを見て、彼女はそう一言、感想を漏らす。
そこには、驚くほど憔悴しきった様子で、机の上に突っ伏す我がマスターの姿があった。
その机には、なぜかトランプの束が散乱している。
「……なにばかやってんの」
さして心配している風でもなく、一応形式として、ジャンヌはそう訊いてやる。
どうせしょうもないことでしょうけどと察しながら、マスターの傍らまで歩んでゆく。
すると彼は、「トランプ……」とだけつぶやいた。
「トランプがどうしたの?」
もう一度訊いてやると、彼は頭は上げず手だけを上げて、二枚のトランプをぱちぱちと、櫓のように合わせる仕草をした。
さらに「あともうちょっとだったのに……」とまた一言。
――要するにだ。
時間つぶしに作っていたトランプタワーが寸でのところで崩れて落ち込んでいたというわけだ。
……私の声すら、無視できるほどに。
はぁあと、怒りにも呆れにも似たため息を吐くジャンヌ。
本当にしょうもなさ過ぎて、どっと疲れる。
「……どうでもいいけど、そんなんで無視しないで欲しいわね」
「失敬な。結構難しいんだよ、これ」
むくりとそこだけ顔を上げて、唇を尖らせて反論するマスター。
そーですか、と少女は投げやりに応答した。
その態度に、彼はますます不満そうな顔になる。
続いてこんなことまで言ってきた。
「なら、ジャンヌもやってみなよ。本当にむずかしいから」
はぁ?とこれまた嫌そうな顔をするジャンヌ。
嫌よ、と一蹴する。
「そんなくだらないことする暇があるなら寝るわ。貴方もさっさとやめてしまいなさい」
「ほうほう……つまりしっぽを巻いてにげるわけだね」
ぴくりと、その言葉に彼女の耳が反応する。
ふ、とそれにマスターは微笑む。
……これだけいっしょにいるのだ。
彼女の乗せ方ぐらい、心得ている。
「……ずいぶん舐めた口をきいてくれたわね――いいわ。お望み通り、やってあげる」
「よし。じゃあ競争だね。交互にやって先にできたほうが勝ち。無論、先攻はお譲りしますよ。お嬢様」
「お黙り……勝負ってことは、当然勝てたらそれ相応の対価を要求できるのよね?貴方は何を支払えるのかしら」
お望みのままに、と少年はその胸に手を当て、頭を垂れる。
その答えに、少女は嗤う。
――こんな単純な作業、造作もない。
一瞬で終わらせてやるわ、と意気込んで、ジャンヌはマスターが招く席に着いたのだった。
■ ■ ■
――それから、数十分後。
パサリと、静かな音を立てて塔は崩れる。
もう何度目かの崩落。
「はい終了。次、オレの番ね」
……その、イラっとする彼の声も幾度目のこと。
ぴくぴくと眉間を震わせながら、「……どうぞ」と静かにジャンヌは席を譲った。
よし、と裾をまくって少年は制作に取り掛かる。
ずっと、この行為の繰り返し。
一瞬で終わるかと思えたタワー建造は難航を極めた。
ほんの少しのずれで起こる崩壊。
繊細さを要求されるこれは失敗するたびに苛立ちが増し、比例して難易度も上がっていく。
まったく進まない鈍足なこの戦いに、ジャンヌもいつしかのめりこんでいた。
崩れろ崩れろ、なんて心の内で唱えながら、彼女は机の真横に顔を付けてにらみを効かせる。
すっごい視線を感じる、とそのプレッシャーとひしひしと耐えながら少年もくみ上げてゆく。
――作業は、思いのほか順調に進んでいった。
それは今までの比ではなく、なんと最上段完成一歩手前までくるのであった。
マスターの胸は躍る。
しかしジャンヌの鼓動は別の意味で昂る。
――この一段が完成したら、自分は負けてしまう。
いや、完成する絶対に。
直感でそれはわかってしまった。
けれど、それがいいとは思えない。
だってこんなので負けてしまったら、さっきまで豪語した己の言葉の恥ずかしさで死んでしまう。
どうすれば、と必死に頭を巡らせるジャンヌ。
カードが、あと少しで噛み合う。
その直前のこと。
無意識の行動だった。
――ふぅっ、とそのピラミッドに、彼女は息を吹きかけた。
あれもあれよと瓦解するカードたち。
残ったものはなにもなく、ぴたりと固まったマスターの指先がそこにあるだけ。
「――ジャンヌ」
静かに、少年は小脇の少女を見る。
しかし彼女は「あらま残念」としらじらしい態度をとる。
「ま、まぁ。崩れてしまったものは仕方ありません。おとなしく交代してください――あと、カードに息吹きかけたりしないでくださいね」
――念を押すように、少女は言った。
ため息を吐きながらも、マスター再び席を譲る。
……よし。
ものすごく卑怯だとは思うが、とりあえずしのげた。
これで終わりにしましょう、とジャンヌはカードを合わせてゆく。
――しかし、背後で見ているマスターは無論おもしろくない。
どうにかして、お返ししてあげたいなぁなんて考えていた。
けれど、露骨に邪魔はしてはフェアプレーに反するし、何より品がない。
どうしようかなと首を捻り――はたと、思いついた。
そしてそんな少年の心情など知らず、ジャンヌはタワー建造を着々と進めていく。
やがて、少年と同じ最上段のみを残してトランプタワーは組みあがる。
勝った、とジャンヌは確信する。
同じくここだ、と少年は笑う。
――ふぅと、少年は息を吹きかける。
けれどそれはトランプに対してではない。
そんなのはおもしろくない。
だから吹きかけた。
――白く小さくある、少女の耳元で。
甘く温い吐息で、撫でるのだった。
きゃっ!と可愛らしい声が響く。
がたん!と大きな音を立てて、少女は跳ね上がる。
バラバラと、トランプは地面に流れてゆく。
タワーは崩れたが、そんなことどうでもいい。
撫でられた耳を抑えて、顔を火のように火照らせながら、うっすらとにじむ瞳で、少女は彼を見る。
その、あまりに初々しい反応に、少年は微笑む。
――それから、蠱惑的な声音で、こう語るのだ。
「……お返し。気にいってもらえた?」
それに、艶を感じてしまったらおしまい。
今度こそ、本当に耳の先まで真っ赤になってしまった少女。
腹いせ紛れにガンガンと少年の足を無言で蹴るぐらいしか、抵抗するすべがなかった。
「痛い痛い!わかった悪かったから!ほんと痛いからやめてくださいジャンヌさん!」
「うっさい!何がっ!何がお返しよ!あなたってほんともう……!」
――途切れ途切れにしか、声にならない。
恥ずかしくて悔しくて、本当に溜まらない。
でもやっぱり、こんな意地悪をされても。
……嫌いになれない私がいるから、どうしょうもない。
「――もう、やだ」
かろうじて出た言葉はそれだけ。
涙がぐみながら、そう言うジャンヌに、マスターは息をのむ。
「……ジャンヌ」
少女の名を呼ぶ。
震えるその肩に、手を伸ばそうとする。
抱きしめようと、そうした時だ。
「――ふん!」
「あだっ!?」
――抱えようとした頭が、少年の頭に直撃する。
唐突なことだったので、受け身もままならず、そのまま背後に吹き飛ばされるマスター。
倒れるマスターに、びしりと、ジャンヌは指を差す。
そして、こう叫ぶ。
「――そんなことしてる暇があるなら、もっと構いなさいよ!ばかっ!!」
そんな、自爆大爆発な捨て台詞を、枯れた声を張り上げて叫んで。
黒い魔女は、少年の部屋から脱兎の如く走り去っていった。
残されたのは、地面に仰向けに転がる少年だけ。
「……これ以上、君にどう夢中になれっていうんだ?」
そう、彼は口端を緩める。
……君がオレの気を引きたいのと同じくらい。
オレだって君に夢中になってもらいたい。
だから、オレは君の部屋にあまり行かない。
君ならきっと来てくれると信じてるから。
おっしゃる通り、意地の悪いマスターだ。
でも――。
「――お相子さまだよね」
――走り去っていった、彼女の姿。
恥じらいと切なさに満ちた、その顔。
……そのすべてが、心の底から可愛らしいと思って止まない我が身に呆れながら、マスターは自嘲した。
――さて。
あんなにも機嫌を損ねてしまったお姫様。
どうやって謝ろうかと少年は思考する。
真剣に、けれど楽しみながら、悩ませる。
地面に散った、彼女と過ごしたこの刹那の断片を集めながら。
――宝物のように、大切に拾っていった。
終