「――あれ?ジャンちゃんジャン。やっはろー!」
――自分の名を呼ぶ快活な声を、彼女は耳にする。
手元の本から視線を上げる。
するとその黄金の瞳は、紅色の髪を揺らし、軽やかな鈴の音を鳴らしてこちらに近づいてくる人影を視認する。
「……その呼び方はやめなさい。なんか腹立つ」
「えー。別にいージャン可愛くてさー」
「どこがよ……?」
わけがわからない、と突っ込みながらジャンヌは彼女――鈴鹿御前を呆れた目で見る。
……最近カルデアに来たばかりの、セイバーのサーヴァント。
実力はあるし、戦力としては申し分ないのだが……何分この性格だ。
「ねーねー何読んでんのー?気になる気になる―」
「ああもううっさい!ちょろちょろ構わないでよ!あっち行ってなさい」
しっしっと手を振ると、ぶうーと不機嫌そうに頬を膨らませる少女。
……この、天然とも陽気ともいえる性格は、ジャンヌ・オルタという少女にとって扱いづらいことこの上なかった。
「てかさぁ。ジャンちゃんこんなトコで何してるの?しかも一人でさ」
訊きながら、よいっしょ、と鈴鹿はジャンヌの向かいの席に座る。
どこにも行く気ないのね、と内心つぶやきながら、ジャンヌはため息をつく。
それから彼女は手に持った緑色の背表紙を掲げて、「暇つぶし」と端的に現状を述べる。
「……マスターが今出てるから、帰ってくるまで適当に過ごしてたわ」
「あ、マスター今出てんだ。てか、ジャンちゃん置いてきぼり?うわ、珍しー」
「うわって何ようわって……まぁ、今回はそういう編成にしなきゃならなかったしね」
――ムーンキャンサー。
アヴェンジャーを有利クラスとする敵を攻略するこのミッションに、ジャンヌを連れて行くわけにはいかないという彼の判断は、合理的かつ極めて適格だ。
だから、この待機の指示にも文句はない。
――そう。
これは、作戦を有利に進めるために、仕方なく選んだ行動。
だから――。
「……だから、あの『白い私』連れていって私を置いていったことぐらいなんとも……なんとも、思ってないから」
みしり、と握りしめている本がきしむ。
ぷるぷると震えている彼女の両肩を見ながら「わっかりやすいなーこの人」とつぶやいた。
口に出したら、それこそ大火事になること必至だから、無論胸のうちでの話だ。
「……しっかし、ここのマスターも大変そうだね。いろいろと」
「そうね。特にここ最近はめまぐるしい勢いで出撃してるわ。また倒れたりしないといいのだけれど」
「ぷっはは。なんかおかあさんみたいなセリフじゃん、それ」
からかい気味に言った言葉だが、意外なことに「そうかもね」とジャンヌは頷いた。
おやおや、と目を見開く鈴鹿御前に、「何よ……」とジャンヌは問うた。
「いんにゃ。割と素直だなーって思って……もしかして、結構ぞっこん?」
「さぁどうかしらね……まぁ少なくとも、アイツは私にぞっこんなんじゃない?」
「わお。すごい自信」
冷やかしは結構、と平然とした顔でジャンヌはテーブルに置いてあった珈琲カップに口を付ける。
……喉を下りてゆくソレはもう冷たく、赤みがかった彼女の頬の方が、まだ熱く思える。
「……ま、とりあえず相思相愛ってことでおぼえておくね」
「なんでそうなるのよ」
苦々しい顔でそういうジャンヌに、そりゃねーと鈴鹿はクスクスと笑う。
それから彼女は、ピっと本を指刺した。
「……結局はそれ、『暇つぶし』なんでしょ?」
にやりと笑う、赤の少女。
対して、黒の彼女はその意味が一瞬理解できなかった。
――しかし、その意味が理解できると、ボン!顔が赤くなる。
「そ、そういう意味じゃないわよ!これも私の趣味なわけだし。決して繋ぎとか、他にやることなかったから仕方なくとか、そんなんじゃないから……」
しどろもどろになりながら弁明していく様に、よりにやにやと笑みを浮かべていく鈴鹿。
……だめだ、言い訳する方が余計みじめになる。
「と、とにかく!貴方には関係のないことです!」
そう言ってそっぽを向くジャンヌに、はいはいと鈴鹿はおざなりな答えを返しながら、席を立ちあがる。
「……けどさ、ジャンちゃんの気持ち、ちょっちわかるよ」
――去り際に、彼女は語る。
少し――ほんの少しだけ、切なげな微笑みを浮かべて。
「……一人ってさ、結構退屈だよね」
……そう謳い残して、少女は去っていった。
寂しげな鈴の音と共に。
テラスに残ったのは、ジャンヌ一人。
再度、コーヒーを口に運び、それからふと、鈴鹿の去ったあとを眺めながら、こう漏らした。
「……まぁ。それに関しては、同感ね」
――手に持った本。
マスターからもらって……マスターに字を教えてもらいながら、いっしょに読んだ小説。
それはあんなにも夢中になって読んでいたものなのに。
懐かしさに開いてみたら……驚くほどつまらなく、退屈だったのだ。
■ ■ ■
――結局のところ、本を読むのも飽きてしまったジャンヌは、特に何をするのでもなくカルデア施設内を歩きまわる。
……いや、割と真面目に、これ以上ないほど退屈だった。
そもそも、マスターとこんなに離れて過ごすこと自体久しいのだ。
ことあるごとに共に出撃をしていたのに、最近ではすっかりご無沙汰である。
朝と夜、顔を会わせ、夕食をいっしょにできればまだいい方。
……ああ。
本当に久しい……『独りぼっち』の時間である。
「……何を萎れてんだか」
そう、皮肉気に少女は笑う。
――独りになんて、今に始まったことじゃない。
元から自分は独りだった。
ただ最近、余計なのがついてくるようになっただけ。
だから、大丈夫。
こんなのは慣れてる。
……慣れてるのに、なんで。
「……弱くなったのかしら」
そう、彼女は問うた。
無論、答えなど返ってこない。
――聞くまでもないか。
そんな迷いを口にするくらいだ。
私はとっくに――。
「……いい、香り」
――思考の途中で、彼女は気づく。
かすかに漂ってくる、甘いにおい。
それは廊下の向こう、その曲がり角にある食堂から香るものだった。
……興味を引かれた彼女は、少し歩調を速めて、その曲がり角へと足を運ぶ、
そっと、陰から食堂内をのぞき込む。
――ずらりとテーブルの波。
それらの先にある調理場から、その甘い香りと作業の音が流れてきていた。
すると、その調理場にジャンヌは赤い外套を目にする。
同時に、その赤い影もわずかばかりはみ出たジャンヌの頭に気づいたようだ。
「……おや。いつもに比べてお早いご到着じゃないか。夕食ならまだだぞ。あと少し待ってもらえれば準備できるが?」
「……別に。ただ暇つぶしで寄っただけよ」
ぶっきらぼうに、少女は答えながらも調理場へと足を運ぶ。
この、甘い香りの正体が気になったからだ。
何の香り、とジャンヌは赤い弓兵――エミヤに問うた。
「ん?ああ、この香りのことか。そこのを見てみたまえ」
調理場奥の右手を指さす弓兵。
隔ててある机に、少し身を乗り出して差し示された方向を見るジャンヌ。
そして、言葉を失った。
――目に見えたのは、ピンク色の塔。
渦を巻いて立つソレはピンクのほかに白などが織り交ざり、さらには赤く瑞々しい果実がふんだんに盛られている。
赤いソースがたらりと垂れたその塊――その輝かしいものに、思わず感嘆の声が漏れる。
「……これは、何?」
取り繕ってはいるが、少し震える少女の声。
期待に膨らんだその声に、エミヤは少々自慢げに微笑む。
「何、今日はいい材料が入ってね。『苺パフェ』なるものを作ってみた。数は少ないので、先着順だがな」
「……食べられるの?」
「無論だ。だが今言った通り先着順だ。十人限定、頼んでおいたもの勝ちだ」
「なら今から並んでやるわ」
即答する彼女に、弓兵は苦笑する。
……どうやら、よほど『苺パフェ』なるものが気になるらしい。
まだ用意するまで、時間は相当かかるというのに。
だが、存外悪くないという気持ちで、エミヤは調理を再開しようとしたその時――調理場に設置されているとあるアラームが鳴り響いた。
「……なんのアラーム?」
一定時間鳴って止まったそれを、ジャンヌは尋ねる。
ああ、とエミヤは手元から目を離さずに答える。
「――マスターたちが帰ってきたようだ。そのためのアラームだよ」
「――え?」
ぽかんと、ジャンヌは一瞬呆ける。
それから少し、顔が明るくなった。
――彼が帰ってきた。
なら行かなきゃ、と足を踏み出そうとして、ぴたりと止まる。
――『苺パフェ』は、先着順。
もしここで走ったら、食べられないかもしれない。
いや、あんなに素敵なもの、売り切れないわけがない。
でも……。
一瞬、彼女は葛藤する。
――けれど、それは本当に一瞬のこと。
『……一人って、結構退屈だよね』
――思い出されるのは、その言葉。
……ああ、そうか。
やっぱり、そうなのよね。
――想うと同時に。
足は、前へと駆けだしていた。
「あ、おい待ちたまえ!どこに行く!?」
「マスターのところに決まっているでしょ。あと赤のアーチャー……」
最後に、食堂の出口で、ジャンヌは振り返る。
びっ!と、人差し指と中指を立てて、少女は言った。
「――二人分、取り置きお願いね」
そう言い放って、少女は駆けていった。
「……まったく、手のかかることだ」
――そう、笑みを浮かべて。
いってらっしゃいと、弓兵は言葉をかけた。
■ ■ ■
――懸けて行く。
廊下をかけていく、両手を振って。
息は荒くなるし、汗はかく。
必死になってバカみたい、と彼女は自嘲する。
けど同時に――とても心地がよかった。
「――あれ?ジャンヌだ」
驚いたように、蒼い瞳は見開かれる。
思ったよりも早い再会。
廊下でマスターに会うと、ジャンヌはその手をがしりと掴んだ。
「へ?」
急ぐわよ、と快活に笑って、ジャンヌは手を引いて、来た道を戻り始める。
「ちょ!?いきなり何!?」
「いいから黙ってきなさい。すっごくおもしろいものがあるから!」
――楽しそうな声が聞こえる。
他でもない、私の声。
……戻れるわけがない。
独りでいた、あの頃に。
だって、私は知ってしまった。
誰かと過ごす時間を、孤独でない楽しさを。
……貴方といる、幸せを。
貴方といっしょにすごして、楽しさを分かち合いたい。
悲しい時もずっとそばにいたい、傍にいてほしい。
貴方といなければ、もうつまらないことばかりで、仕方がない。
……だめだ。
熱くなって、溶けてしまう。
これじゃまるで、告白みたいだから……。
「……わかった。なら、楽しみにしてるよ」
そう、貴方が笑う。
笑って合ってくれる。
……優しい貴方に、泣きそうになる
握る手のひら、握り返される指。
――ああ。
私は弱くなった。
どうしようもなく、不甲斐ない。
だけど……もう、それでいい。
そう思えてしまうほど……。
「……ええ。期待してなさい」
――だから。
離さないでね、と彼女は語る。
……胸の内で、ひっそりと。
少女は微笑んで、手を引いてゆくのだった。
終