私の名前   作:たまてん

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君の手入れ

 

「……ジャンヌの髪ってさ、すごくきれいだよね」

 

――唐突に。

 

廊下を歩いていると、マスターはそんな台詞を口にする。

対してそう言われた彼女は「いきなり何よ?」と怪訝な顔をして振り返った。

 

「いや。ただ単に感想を述べただけ。滑らかで艶があって綺麗だなぁ、って思ってね」

「……つまり、特に意味のないってわけ?」

「はい」

「呑気なものね……」

 

呆れたように言うと、マスターは「おっしゃる通りで」と苦笑する。

 

……まぁ。

 

誉められたことに関しては、別段悪い気はしないのだけれど。

少々照れくさそうに、彼女は己が髪の一房を指に絡める。

すると「ああそういえば」と、マスターは思い出したように手を打った。

 

「……前から気になってたんだけどさ。ジャンヌってどうして最終再臨状態にならないの?」

 

――最終再臨。

 

サーヴァントの、真なる力が引き出されたことの証として、サーヴァントの外見自体が変貌を遂げるという現象。

 

だがジャンヌは、依然として第一再臨状態のままだ。

 

スペック上は何の不備はなく、その姿でも全力を出せるのはわかっている。

 

が他のサーヴァントたちの多くが最終再臨状態でいるのに対し、敢えてその姿を貫く彼女の姿勢が、少し気になった。

 

しかし問われたジャンヌは「ああ。なんだそんなことか」とこれまた淡白な反応。

 

「別に深い意味はないわ。ただ強いて理由を上げるなら……それこそ髪ね」

 

「髪っていうと、長いのがダメってことなの?」

 

「ええ。手入れが面倒なのよ」

 

「……そんな理由なの?」

 

予想していたのよりずっと俗っぽい理由に、マスターは思わず聞き返してしまう。

 

対してジャンヌは「そんな理由で悪かったわね」と拗ねたように頬を膨らませた。

 

「長い髪っていうのは貴方が考えている以上に手間がかかるものなのよ。重いし絡むし、お風呂なんてそれこそ大仕事よ。普通に生活していくなら、あんな姿ほど非効率的な格好はないわ」

 

「……頑なに実体化状態維持しようとする君も君じゃないかなぁ?」

 

徹夜ゲームやら間食やら、ひたすら現代生活をエンジョイしている復讐者の行動を思い返しながら、マスターはつぶやく。

 

するとそれを耳にしたジャンヌに、ぎろりときつい視線を投げられて、やっぱり何でもないですと彼は両手をあげさせられるのだった。

 

やれやれ、と少女は首を振る。

 

「……まったく。男って長髪好きよね。あんなのどこがいいの?」

 

「全ての男が長髪好きなのかは一旦おいといて……オレだって、何でも長髪が好きってわけではないよ。単純に君のあの姿が好きなだけ。勿論、今の君も十分可愛いけど」

 

けろりと、歯の浮くような台詞を言ってのけるマスター。

 

恥じらいなどなく、それが素直な彼の本心だと、嫌でもわかる。

 

――ゆえに、その効果は絶大。

 

「……本っ当、バカ」

 

……真正面から直撃を受けたジャンヌは、真っ赤に茹だる顔に手を当てて、廊下の壁へともたれる。

 

辛うじて漏れでた言葉ですら、「そうだね」と笑顔であしらわれてしまう。

 

……絶対確信犯よね、貴方。

 

「……とゆうわけで。最終再臨姿、見せて」

 

「い・や・よっ!!」

 

カッ!と目を三角に尖らせて、全身全霊で拒否される。

 

それは残念、と心底がっかりした風に、マスターは肩を落とした。

 

――ちらりと、上目使いのにジャンヌに視線を向ける。

 

「……本当にダメ?」

 

「当たり前よっ!誰がするもんですか!」

 

まだ頬に熱を残したまま、ふんと彼女は鼻を鳴らす。

 

――すると、その時。

 

「――可哀想なますたぁ。ささやかなお願い事すら踏みにじられまして。けれどご安心くださいませ。長い髪がお好き、というのでしたら、ぜひわたくしの髪に触れてくださいまし」

 

……凛とした、もうひとつの声が、辺りに響く。

 

「……相変わらず。気配消して背後とるの好きだよね、君」

 

――ひたり、と自身の右腕に抱きつく第三者に、マスターはさして驚いた様子もなく呟く。

 

同様にジャンヌも「またか」と苦い顔で黒い着物を纏う少女を見る。

 

「……ここまで来ても気づかないとか、もはやアサシンね。座からやり直してきたら?もっとも、それで貴方の頭の病気が治るとは思わないけど」

 

辛辣な彼女の言葉に、まぁ、と清姫は目を見開く。

 

「……なんて冷たい御方なのでしょう。こんな人にますたぁを任せるわけには参りません――ですのでますたぁ。どうぞわたくしをお抱きになってください。貴方の大好きな、白髪ろんぐの撫子を」

 

「結構です。あと無理矢理頭撫でさせようとするのやめて」

 

ぎぎぎ、とマスターの腕を自らの頭に触らせようとする清姫。

 

それを見たジャンヌは、「アホらし」と一言呟いた。

 

「……結局力業じゃない。テンプレート過ぎて、代わり映えないこと」

 

「あら。ますたぁの好み一つに答えられない貴方には言われたくありませんわ……振り向いてもらえるような努力もしない、貴方になんて」

 

その言葉に、む、とジャンヌは眉を潜める。

 

清姫はマスターの身体に手を回しながら、話を続ける。

 

「……愛した人の、微かなお願い事すら叶えられないなんて。なんて高慢な御方――ますたぁ。やはり正妻は、このわたくしこそ一番……」

 

「だから、首をがっちりホールドするのやめてください」

 

頭を捕まれ、口元に近づけさせようとする力に必死の抵抗を続けるマスター。

 

ぎりぎり、と徐々に距離が詰められてゆく。

 

けれど、ジャンヌは何もしてくれなかった。

 

「ちょっとジャンヌさん。見てないで助けてくれま――」

 

「――マスター」

 

助けを求める声が遮られる。

 

何?と彼は視線を横に向ける。

 

……そして、言葉を失う。

 

――ふわりと、棚引くスカート。

 

艶やか曲線が顕になる、漆黒のドレス。

 

そして何より――腰元まで伸びる、白く輝く、その御髪。

 

ゆらりゆらりと揺れるその姿は……まるで、一輪の華。

 

――かの復讐者の真なる姿に、二人は言葉を失う。

 

「……これで、いいでしょ?」

 

腕を組み、恥じらうように顔をそらす、竜の魔女。

 

……ああ、もう本当に。

 

「――可愛い」

 

――気がつけば

 

がしりと、いつの間にか清姫の拘束をすり抜けて、マスターはジャンヌを抱き締めていた。

 

「なっ!?貴方、そんな人前で……!?」

 

慌てる少女、けれど容赦なく少年は抱き締める。

 

仕方がないだろう?と彼は言葉にする。

 

「――可愛い君がいけない」

 

「どーゆー理屈よっ!?」

 

バシバシ!と頭を叩かれながらも決して離さないマスター。

 

それに、ジャンヌは内心焦りに焦る。

 

……まずい。

 

この格好は、それなり肌を見せてる。

 

だから、こんな風に抱き締められると……ものすごく、彼の熱を感じてしまう。

 

「――ほら。やっぱり可愛い」

 

そう優しく微笑まれ、耳元に吐息がかかる。

 

――だから、それは駄目なんだ。

 

そんなことを言われたら、嫌でも熱くなってしまう。

 

赤くなった顔を隠せない私は何も言えなくなって……恥ずかしくて、死んでしまう。

 

……そんな、二人だけの世界を隣で見ていた清姫は「なんて、こと……」と口元に手を当て絶句する。

 

「――ちょろい。ちょろ過ぎます……けれど、そのちょろさがわたくしにございません……それが、このたびの明らかな敗因なのですね……」

 

「ちょろい言うな!」

 

一喝するが、ぐぐぐ、と悔しそうに拳を握りしめる清姫の耳は届いていない。

 

「……今日のところは引き上げます。ですが、次回は負けませんから!」

 

清姫、ふぁい!の掛け声と共に、少女は退散していった。

 

「……なんだったのよ。あの子」

 

清姫の去ったあとを、ジャンヌは半開きの眼で見る。

 

対してマスターは「いつも通りじゃないか」と、これまたどうしようもない返答をするのだった。

 

■ ■ ■

 

 

「……ああもう!本っ当に邪魔くさいわ!」

 

苛立たしげに、ジャンヌは己の髪をガシガシと掻く。

 

そんな彼女を隣に見て、「ご立腹だねぇ」とマスターは他人事のように呟いた。

 

「……誰のせいだと思ってるのよ」

 

恨みがましい視線に、少年は肩を竦める。

 

――確かに、今回は少年の我が儘。

 

謝らなきゃいけないし、謝りたいと思う。

 

けれど……。

 

「……めんどい」

 

深くため息をついて、脱力する少女。

 

……そうまでして、少年のお願いを聞き届けてくれた事実。

 

――嬉しくないわけが、ない。

 

「――大丈夫だよジャンヌ。その心配は要らない」

 

――だから、彼は言う。

 

彼女が答えてくれるなら。

 

……彼もまた、彼女の想いに精一杯の返礼を。

 

少し先を歩いていたマスターは振り向いて、ジャンヌに笑いかける。

 

――屈託のない笑みで、こう告げる。

 

「――オレがずっと、君の代わりに手入れをするから……だから、問題ない」

 

――ああ、やっぱり。

 

こんな告白で、そんなに真っ赤になる君が。

 

……本当、大好きだ。

 

 


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